今回は昨年、訪ねながら諸般の事情で(単にものぐさだっただけ?)記事をアップできなかった
奈良県の史跡をご紹介していきます。
この企画は今回だけでなく、不定期にしばらく(時々)続くと思われます(笑)
奈良県の史跡をご紹介していきます。
この企画は今回だけでなく、不定期にしばらく(時々)続くと思われます(笑)
今回は甘樫座神社(あまかしにいますじんじゃ)(2009年10月31日訪問)です。
日の出を甘樫丘で迎え今度は岡の北西側にある
甘樫座神社(あまかしにいますじんじゃ)を訪ねました。
甘樫座神社(あまかしにいますじんじゃ)を訪ねました。
甘樫座神社正面から。
境内も狭く(撮影しているのは道路から)意外に小さい建物で驚きます。
帰宅してから書籍などを調べてみると、
やはり、いろいろ意見もあるようで下記のような文章を見つけました。
(下記は複数の資料の文章を簡単にまとめたもの)
やはり、いろいろ意見もあるようで下記のような文章を見つけました。
(下記は複数の資料の文章を簡単にまとめたもの)
それらによると
「延喜式神名帳では甘樫座神社四座とあり、それなりの大社であったはず」
「現在の境内地は狭く社殿も簡素で、ここを甘樫座神社四座とするには疑問も多い」
また「甘樫に有ったとされるのに現在の所在地は豊浦地区で甘樫地区ではないのだが・・」などでした。
「延喜式神名帳では甘樫座神社四座とあり、それなりの大社であったはず」
「現在の境内地は狭く社殿も簡素で、ここを甘樫座神社四座とするには疑問も多い」
また「甘樫に有ったとされるのに現在の所在地は豊浦地区で甘樫地区ではないのだが・・」などでした。
境内に入って撮影。
撮影の背後は、すでに境内境界で反対側も左隅奥に見える樹木までが現在の敷地のようです(狭い)
手前に見える石については後でふれます(笑)
先の拝殿の左手に回ると塀で囲まれていましたが風のせいか扉が開いていました。
早速、内部に潜入してみます。
不勉強の私には良くわかりませんが拝殿の裏には、このような配置の社が建てられていました。
扉が開いていないと拝殿背後に付けられている高い塀で外からは、この場所は見えません。
ただ、偶然、扉が開いてなかったとしたら自分で開ける気には、なれない雰囲気がありました。
背後も崖がせまって境内地が狭い事がわかります。
2枚目の画像で威容を誇っていた?石。
地元では「豊浦のコンピラさん」と呼ばれているという立石。
飛鳥一帯に存在する「謎の石造物のひとつ」に数えられます。
この立石は寺域、境内地などを示すという説も、あるようですが
実態、時代ともに詳しいことは判っていないようです。
この立石は寺域、境内地などを示すという説も、あるようですが
実態、時代ともに詳しいことは判っていないようです。
この甘樫座神社が有名なのは、この行事です。
案内板を補足すれば
「熱湯内に小石などを投げ入れ無事に取り出せた者は、その言動が正しい」と判定されたとのこと。
「熱湯内に小石などを投げ入れ無事に取り出せた者は、その言動が正しい」と判定されたとのこと。
・今回終わり。