コルサの毎日がヒルクライム

2010年07月

暑いですねぇ!
みなさん、走ってますか?

今日も暑かったのですがトレーニングを兼ねて少しだけですが走りに行ってきました。
帰りに国道259号線のバイパス工事の進捗状況と古墳の様子を見てきました。

※BSモールトン自体の話は近日、アップ予定になっています。
 今回は古墳の話ばかりです。
 BSモールトンのネタを期待された方、あしからず。


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これがトレーニングの帰りに立ち寄った
愛知県豊橋市老津町(おいつちょう)の妙見古墳です。

国道259号線、「沖田信号交差点」を背に撮影しています。
自宅から4~5㌔の所にある古墳なのですが、つい10年ほど前まで、
ここが古墳だとは知りませんでした。
紙田川の河岸段丘に作られており同じような地形も周辺にある為(あった)気が付かなかったのです。
また、この古墳について書いた資料も最近まで目にしたことはなく、
古墳周辺にも、まったく案内板はありません。
私ですら、そうなのですから?、多分、地元の人にも、ほとんど知られていないと思います。

そんな古墳ですが・・・資料を調べてみると、この妙見古墳(みょうけんこふん)、
豊橋市では2番目の大きさを持つ古墳なのだそうです。
前方後円墳で全長約49m、横穴式石室を持ち6世紀中頃から後半ぐらいの古墳と
推定されているようです。
ちなみに、すぐ近くには大刀が出土した宮脇1号墳、今下神明社古墳などもあります。


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先ほどの場所から少々北に移動して西側から東側に向いて撮影しています。
国道259号線のバイパス工事が進められています。

手前側が古墳の前方部、右側が後円部になっています。

地形的には、かつて古墳のすぐ周辺まで湿地あるいは波打際だったと思われます。
(紙田川の河口部)
近世に入り干拓などで周辺は田んぼなどになっています。


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前方部、ギリギリをかすめて道路工事が行われています。
いずれにしても工事で古墳が破壊されずに、ほっとしました。

そういえば工事の際、古墳周辺から濠とか埴輪、吹き石などは確認されなかったのかなぁ。

古墳の左側に見えるのは豊橋市立老津小学校の建物でしょうか?



せっかくですから古墳の墳丘上の様子をアップしておきます。
これ以降の画像は2008年2月に撮影したものになります。


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前方部から後円部を見たところ。
後円部がかなり高く見えますが・・・どうやら前方部が削られて低くなっているせいもあるようです。

前方部は中世?か近世?の墓地として使われています(性格には過去、使われていた?)
撮影している背後には土葬墓の盛り土が、数ヶ所確認できます。
(土葬墓、そのものだけで墓石、卒塔婆などは見られない)


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先ほどの画像にも写っていた、この石造物は何かご存知ですか?

この上には土葬する棺桶を埋葬前に仮置きするのです。
(ここから近い母親の実家の墓地にも同じ物があります)


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そしてこちらの上には花や供物などを置きます。
豊橋市内でも20年ほど前までは一部、土葬が行われており、これらが使われていたようですが
近年では、さすがに使われることはなく敷地の隅などに片付けられている所がほとんどのようです。
(地震で倒れたり子供が乗ったりすると危険な為)


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墓地として使われていた頃、に立てられたと思われる石仏。

最初に、ここを見つけた時は、お盆、直後だったにもかかわらず、
お墓ともに花も供えられておらず近年は、お参りする人もない様子でした。


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後円部に登ったところ。
資料では横穴式石室だそうですが横穴は確認できませんでした。

かつては地元の人が内部に入って遊んでいたということですが現在は天井石が崩れ
画像のように石室部分が陥没しているようです。

かつて人が入っていたぐらいですから盗掘され自由に出入りできたと言うことでしょう。
そのせいか、ここからの出土物については情報がありません。
(測量図は見た事があります)


ここ老津町(おいつ)は近世以前から大津(おおつ)と呼ばれ港があったそうですから
海運交通も含めた周辺の支配者の墓として海浜部に作られたのかもしれません。

(ここに限らず田原市、豊橋市、御津町周辺の河口付近には比較的大きな古墳が点在します)

今回は古いピスト用ハブの、お話です。



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今回のサンプルは、このハブです。

※今回のサンプル提供 例の?豊田市方面のK氏(笑)

サンプル提供者はともかく?
ハブ自体は見たところ、これと言って変わった点は見受けられないような気がしますが。


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フランジ部分のアップ。

ナット、ワッシャーが70年代後半以降のピスト用ナットに比べて古臭い形です。
70年代以降のピストハブのほとんどはナットとワッシャーが、かしめられた一体の物になっています。
(かしめられているとはいえワッシャー部は可動します)

他には窓(フランジの穴のことね)の形状が、やや古風ですが、特別変わった
形と言うほどではありません。

ではなぜ、今回、このハブを取上げたのか・・・・



ここで、いったん、話を変えさせてください。

皆さんは公営ギャンブル「競輪」の自転車部品は全て認可が必要と言うことをご存知ですか?

フレームは試験を受けて合格したビルダーの物しか使用できませんし
部品も全て認可が必要なのです。

競輪選手の自転車は競争の前、毎回、検査があり認可された部品以外の物が
使われていないかチェックされます。
また、認可部品だとしてもキズなどの異常がないかもチェックされるのです。
ギャンブルゆえ機材故障などでのトラブルは極力、避けたい為なんですね。
(要するに金がかかっているので、みんな真剣! ヘタしたら暴動になりかねません! 笑)


認可された部品には下の2枚の画像のような刻印が入っています。


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現在の認可部品に打たれている刻印。
「NJS」


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「NJS」以前より古い時代に打たれていた認可品の刻印。
「BIA」


このBIAからNJSに切替わったのはいつの頃なのか不明です。
(1970年代初めの頃???)

いずれにしても競輪用認可部品の刻印は、この二つだと思われます。

最近のロード部品などに打たれているVIA(BIAと間違えやすい?)の文字は
(財)日本車両検査協会の刻印で競輪認可部品の物とは別物でしょう。


さて、ピストハブの話から、なにゆえ「競輪部品の認可刻印」の話にそれたのか・・・・

実は、今回のハブに「奇怪な刻印が発見されたから」(笑)なのです。

それでは、先ほどのハブを、よ~く見てみましょう。


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何か、刻印が打ってありますね。

手前は「SUNSHIN」(サンシン)とありますからハブを作ったメーカーの刻印ですね。
(ちなみにSANSHINではなくSUNSHIN)

サンシン(三信 松本)は良質なハブを作っていたメーカーで、その製品は
競輪競争にも多く使われていました。

「サンシン プロフェッショナル」と言うハブにはアルミ部分を徹底的にバフ掛けした
ピカピカの、それは綺麗な仕上げのハブもありました。

おっと、また話がそれてしまいましたが「SUNSHIN」の文字よりはるかに
目立つ刻印がありますよね。


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丸枠の中に「認」の一文字 !!??

これって一体なに????

これは多分、サンシンの「認」と言うグレードのハブなのでしょう、
ってそんな訳ないですよね(笑)

「認」の文字も手書き(手彫りというべきか)っぽいですし、
周りを囲む「○」も手彫りっぽい雰囲気です。

ピスト用ハブでもありますし「認」の文字から思い浮かべるのはやはり先に書いた
「競輪用部品の認可」・・・・

でも、このような刻印を見たのは後にも先にも、この一点のみです。
ベテラン競輪選手にも聞いてみましたが情報はありませんでした。

この「認」の文字、どういった経緯で付けられた刻印なのでしょうか?
そしてその本当の意味は?
やはり競輪の認可部品と関連があるのでしょうか?

※どなたか、ご存知の方が見えられましたら、ぜひ情報お寄せください。

7月18日は豊橋競輪場で市民スポーツ祭+豊橋自転車競技大会がありました。


地元のイベントですからクラブ員大勢で参加します。

自分の姿はともかく?みんなの雄姿を撮影出来ると思いきや・・・

開会式に主催者側から「撮影禁止のお達し」が!?
どうやら18日は「場外」が行われている為の措置のようです。
(場外・よその競輪場の車検を販売すること)

まあ、わかりやすく言えば・・・・例えばですが・・・・
「仕事をサボって車券を買いに来ている人がアマチュア競技会の画像に写っていて、
どこかのブログ、HPにアップされ、それが社長に、ばれないとも限らないので車券を
買いに来ている人のプライバシー保護の為、撮影禁止!」
ということです(笑)

初めて競輪場を走る人や、我が子(小中学生の部などあり)の
姿を撮りたいという親御さんにとっては、ずいぶん冷たい対応ではありますが
車券を買いに来てくれる、お客さんあっての競輪場・・・
仕方ないのかなぁ~?
(でも競技の画像に、お客さんの顔まで写りこむか~?)

ということでレースの画像は残念ながら一切ナシ!!


さて、今回、私はロードレーサーの1000mタイムトライアルとケイリンに
エントリー(ピスト)しています。

「えっ、なぜピストではなくてロードで1000mを走るのかって?」

それはですねぇ~、本当に力のある人ならロードよりピストの方が早いタイムが出ると
思うのですが、あまり力がない人は今のロードを使えば(踏み込みながら手を離さずチェンジ出来る)
加速タイムを短縮できてトータルでは速く1000mを走れると思うからです。
もちろん、変速機やフリーホイール、ブレーキシステムの重量増、フリクション増を勘案してもです。


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ただ、どうしても確実にロードがピストに負ける部分はタイヤでしょう。
そこで私はロードレーサーの1000mタイムトライアル用スペシャルホイールを準備しておきました(笑)


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ホイールはシマノ デュラエースのカーボンリム。軽量+エアロ形状です!

バルブに巻かれているのはガス管をつなぐ時にガス漏れがないように巻く「シールテープ」です。
今回、エアロ形状で、ややハイトの高いリムだった為(バルブが短い)そのままでは普段使っている
フロアポンプでは空気の充填に難がありバルブアダプターを接続して空気を入れる為の処置です。


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タイヤはビットリアのピスト用タイヤ、「ATLANTA GOLD CS」
これはアトランタ オリンピックの時に使われた?というピスト用タイヤです。
推奨空気圧は画像でもご確認できるかと思いますが「10~15気圧」となっています。
これを私は11気圧程度で使用しています。(体重が60キロ程度と本物のピスト選手より軽量なので)
重量は実測150gぐらいでピスト用としては特別軽いものでは有りませんが
ソーヨーやTUFOのピストタイヤに比べて耐磨耗性が優れていると私は感じています。
(長寿命ということ)

そうそう、前輪は普段使っている軽量なピスト用前輪をそのまま使いました。
タイヤは同じ物でリムはアラヤの軽量、スリムのADX-5、ハブは名品の誉れ高い?
サンツアー シュパーブプロ カスタムLF 24穴を使っています。


さて1000mのレースがはじまりました。
チームの若いメンバー、M君がロードで1分12秒台と言うとんでもないタイムを出しています。
本人は11秒台を狙っていたと言うのですから驚きです。

さて、私のスタート順がまわって来ました・・・・・

スペシャルホイールをはかせたロードを使っての結果は?? 

M君より十数秒以上も長い時間がんばりました。

ようするに1分12秒台のM君より十数秒以上、遅かったと言うことですわ(爆)

まあ、もう少し良いタイムを期待していましたが、元々、苦手な1000mタイムトライアルなので・・・
唯一の収穫はスプリンター?O氏より0.07秒速かったことでしょう!(笑)


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さて、次はケイリン予選です。

画像はレースへの準備がすんだツノダ(撮影はレース数日前、自宅ガレージにて)

ギヤ比を普段の練習よりあげて50×15T 3.33に組み替えました。
(最近の練習では44×14T 3.14を踏んでいた)


予選レース(第3組)は6車立てで3名が決勝へ勝ち上がりになっています。
メンバー表を見ると、うまく立ち回れば3位は確実に取れそうです。

レースは1番車で誘導員の後ろに付く位置になってしまいましたが、誘導員が外れたあと
適当に流しながら先行。

結果は予定通り3着、決勝進出です!!



さて、決勝に進出したもののメンバーは当然ながら私より実績のある格上の選手がほとんどです。
皆に迷惑をかけないように最後尾で周回するところかもしれませんが、それでは余計、何も出来ません。
(後方から順位を上げるということは勝負所で前の選手より速く走らなければならないのですから)

まあ、周回中に中切れして迷惑を掛けることはあるまいと出たとこ勝負でスタートします。
うまく中段に入って周回しているとチームメイトのT部君がインを空けます。
どうやらアウトにいたT橋君に前に入ってもらいたかったようですがT橋君にはその気はない様子。
いつまでもインをあけておいても仕方ないと私が前につめちゃいます(笑)

優勝候補のI氏の後ろ、3番手、絶好の位置に入ってしまいました。
若手で力のあるT橋君はコルサと並走。
I氏、T橋君のスパートに付ければ望外の上位に入れるかもしれない展開になってきました!
そして残り1周半、誘導員が退避して4コーナー、ここで一気に
周りの選手のスパートがかかります。

残り一周以上の時点ですから正直、まだ早いと思っていた私は完全に出遅れます。
もともと、瞬発力のない私ですから出遅れは致命的です。

結局、格上選手相手に、この出遅れの差を縮められる訳もなく、
そのまま後方(9人中、7位)でレースを終えました。

スタート前には、あきらめていた決勝上位ですが・・・

うまく立ち回れたのと意外に脚が回ったことを考えるとなんだか凄く悔しい(笑)
もし、4コーナーのスパートに対応できていたら・・・
まあ、レースに「たられば」は禁物ですけど(笑)

先日、名古屋市博物館で行われている特別展(ポンペイ展)を見てきました。

平日にもかかわらず(7/16金曜日)、なかなかの賑わいでした。

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アキレスとキローン(左)
画像については下のアドレスに全体像と説明があります。

古代ローマ文明の美術品として大理石の彫刻や青銅製の像などは今までにも見る機会がありました。
しかしポンペイの出土品として特徴的なのは屋敷や公共の場所に、
そのまま埋まって残っていた壁画でしょう。

その壁画(フレスコ画)、実物を見ると非常に繊細なタッチで描かれていることに驚かされました。


名古屋市博物館 ポンペイ展の案内
→ http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji100624.html

今回は昨年、訪ねながら諸般の事情で(単にものぐさだっただけ?)記事を
アップできなかった奈良県の史跡をご紹介していきます。
この企画は今回だけでなく、不定期にしばらく(時々)続くと思われます(笑)




今回は「文武天皇陵」です。

場所は明日香村の南部、石室壁画で有名な「高松塚古墳」のすぐ南側になります。


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田畑の中に文武天皇陵が見えてきました。
今回は南西側から文武天皇陵に近づいています。

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やや方向を変えて文武天皇陵を眺めています。
画像の奥、この先、すぐの所に(距離にして200~300m程度?)「高松塚古墳」があります。
高松塚古墳の更に北側には「真の文武天皇陵ではないか?」といわれる「中尾山古墳」があります。


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第四十二代の文武天皇陵は・・・
檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)
というのですね。

ちなみに先の画像の所でも書いたとおり、近年、研究者の間では
真の文武天皇陵は中尾山古墳といわれています。

では、この古墳が、いまだに文武天皇陵と言われているのはなぜか・・・

明治時代に当時の学問水準(研究状況)などで比定されたまま宮内庁は新たに調査する気も
検討、対応する考えも、まったくないからなのです。
天皇に限らず被葬者を取り間違えたまま祀る・・・大変、失礼な話ではないでしょうか?
(もちろん、発掘したからと言って墓碑銘でも出てこない限り被葬者が完全に特定できるとはいえませんが)


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文武天皇陵の案内板
太陽の反射が写りこんでしまうので、読みにくいのですが、こんな角度で写しました(笑)

「文武天皇は707年、火葬の上、葬られたとあります」
なぜ、わざわざ「火葬にされた」と書かれているのでしょうか?

それは現在では一般的な火葬が当時はまだ珍しかったからでしょう。
火葬にされた天皇は文武天皇が二番目とされているようです。

では最初に火葬された天皇は・・・702年持統天皇が火葬にされた最初の天皇と言われています。
ちなみに火葬にされた最初の天皇、持統天皇は、ここから1キロほど北に天武天皇と合葬されています。
(天武、持統合葬陵=檜隈大内山陵「ひのくまおおうち」)
こちらは過去の資料などから考古学上も被葬者は天武、持統天皇で間違いないだろう、
といわれているようです。

※今回終わり

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