コルサの毎日がヒルクライム

2010年10月

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先日、サイクリングに行った諏訪で見つけた信号です。
場所は中央自動車の諏訪インターチェンジのすぐ近く「やすらぎ橋交差点」。
それにしても、これと言った変わりもないように思えた交差点で、この信号の多さは!
1、2、3、4、5・・・合計6基も!!!
歩行者用の2基は別として自動車用の信号が4基もいるのか~???
記憶に間違いなければ、当方が停止している直進車線(+左折)と右折車線のみ。

先日、テレビの番組で紹介された信号はもっと多かったかもしれませんが
それは信号製造会社の敷地内で公道の信号ではありませんでした。
ここは、間違いなく公道です(笑)

毎週末、どこかを登るという「毎週がヒルクライム」も、第9週。

今回は遠出出来ませんでしたので地元でヒルクライムです。
地元と言っても愛知県周辺では、もう未踏の峠はない・・・あっ、ありました!

そうそう、意外な場所なのですが近年、知った未踏の峠、「三峰峠」(さがみね・とうげ)が
愛知県日進市にあるのです。(三峰峠は愛知万博の会場のすぐ南にあたる)
それも旧、飯田街道(三州街道)でもあるということで歴史的にも重要な峠です。

では、なぜ今まで行かなかったのか?
このあたり、けっこう交通量が多い(ダンプカー、トラックが通る)わりに
道が狭い場所(歩道もない)が多いのです(特に県道58号線)。
それで、大型車が少ない日曜日にでも行こうと思っていたままずっと、そのままになっていたのです。

ここで、飯田街道について、少し書いてみましょう。
飯田街道は、おおざっぱに言えば愛知県名古屋市から長野県飯田市に至る道です。
ざっとポイントになりそうな通行点を記すと
※名古屋市東桜(諸説あり)-八事-平針-赤池-「三峰峠」-足助-稲武-根羽-飯田市
(ルートは現在の県道58号、国道153号線に重複するところが多いので、ご参考に)


それでは愛知池に置きスタートとすることにします。
まずは北上し県道58号線(ほぼ旧飯田街道と同じルート)に出て東進し日進市と豊田市の
県境、三峰峠を目指します。


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三峰峠に至る道、峠手前。
先に交通量に少ない日曜日に行きたかったと書きましたが、日曜日は雨予想でしたから
土曜日(10/2)に行くことにしました。

ところが、いつも以上に交通量が多いようです・・・
画像の派手な看板は名古屋商科大学の学園祭の看板です。
学園祭に向かう車が多いようです。
看板を良く見ると「三峰祭」とあります。
三峰峠が地元の地名から来ている事が、ここでもわかります。
※記事をアップしてから気がつきましたが学園祭の日にちは後日で
 大学周辺が東海クラシックの駐車場なっていたようです。

交通量が、いつも以上に多いのには学園祭より実はもっと大きな理由がありました。
ほぼ、三峰峠頂上付近から入るゴルフ場「三好カントリー倶楽部」で石川遼君も参加している
「コカコーラ東海クラシック」が開かれているのでした。
結局、もっとも自転車で走るのに向かない日に来てしまったのでした(笑)


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三峰峠の標高差はわずかなので登るのは体力的にはたいしたことはないのですが・・・
路肩が狭く交通量が多いので精神的に疲れてしまいました。


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三峰峠頂上付近。
東側(豊田市)から西側(日進市)を見たところ。
(車が切れるのをしばらく待って撮影)
背中側はすぐゴルフ場の入口、ガードマンだけで10人前後が出て交通整理中。


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騒がしい峠に長居する気にもならないので早速、東の豊田市側に下りました。
狭い路肩で渋滞する車をすり抜けるのに疲れてしまい思わず用もないのにコンビニの
駐車場に入ってしまいました。

すると交差点から自転車が曲がってきます。
「うん?ガードとFバックが付いてる、珍しい・・・」と思ったらSさんでした!
なんと偶然に偶然が重なってSさんに思わぬところで会う事が出来たのです。

画像はSさんのカスタム、プジョー。
やっぱり、この時代のプジョーはカッコいいです!
結局、ここで1時間近く盛り上がりました!(笑)
ちなみに私は「ルイガノMV C」ミニベロでした。


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Sさんと別れて県道58号線を東進し東保見町からは県道283号線に入ります。
そして着いたのが猿投神社。
以前から仕事で通るたびに気になっていた神社です。


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建物の配置、こういった作りはあまり見かけませんね。
(車は、お払いを受ける車らしい)


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絵馬が鎌の形になっています。(鎌の形の由来は案内板にて)奉納しているのは、
さすがにトヨタ自動車関係の企業が多いですね。
(この神社の所在地はトヨタ自動車本社のある同じ豊田市)


さあ、念願の猿投神社にも立ち寄りましたので、そろそろ帰ることにします。
(夕方用事があるのと、最近あまり体調が良くないので)


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帰り道の途中、三好町(東名高速 東名三好インターのある町)にある遺跡に
立ち寄っていくことにします。

東海学園大学のグランド脇の急坂を登り左折すると雑木林の中に遺跡がありました。
「黒笹27号窯跡」という平安時代(9世紀)頃の古窯です。
古い焼物に興味のある方は「猿投焼」、「猿投窯」と言う言葉を聞かれた事があるかもしれません。
このあたりが、まさに古代から中世にかけて栄えた猿投焼の場所なのです。
(猿投山西南地域は当時、一大窯業地帯だった)


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フェンスで囲まれていますから網目から中を、うかがうしか、ありません。
案内板には「灰彩(かいゆう)」のかけられた多くの陶器が産出したとありましたが、
どこに保管されているとか、どこで見られるかとかの案内はありませんでした。
ちょっと残念。
せめて出土品の写真ぐらい現地にあれば良いのに。


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ぐるりと回りを探して見ましたが、まったくと言っていいほど破片も落ちていませんでした。
それでも、何とか見つけたのは、この4点。
右下は陶片、他の3点は窯壁か何かのようでした。
右上と左のものの一部には鮮やかな青い部分が見えます。
この猿投窯の特徴は「日本で初めて高温での灰彩陶器の焼成に成功」したことだそうですが
ここに見える青い部分は自然灰(しぜんゆう)が高温で焼かれたことで偶然変化したもののようです。
(灰彩陶器は高級陶器として全国各地に流通したとのこと)


今日は短いものの(38キロ)充実したサイクリングでした。
(偶然、S氏にも会えたし)
さて、帰るとしますか。

3日、オーストラリアで行われた世界選手権プロロードレースで
日本の新城選手が世界の強豪相手に9位に入りました。

過去、日本のプロ選手の最高位は市川選手の40位でしたが大幅更新。
優勝はノルウェーのトール・ヒュースホウト。

生中継で見ていて新城選手のゴールスプリント9位には鳥肌が立ちました。

 
        おめでとう、新城選手!!!!


新城選手の凄いところは9位でゴールしながら悔しそうな顔をしていたところですね。

最終回まで先頭集団にいた別府選手は30位、後半集団から切れた土井選手も
72位で日本勢、全員完走。凄い。

※前回からの続き



平井寺トンネル南側からの旧道探索は、あきらめて北側から探ることにします。
自転車50円也を払ってトンネル北側に。


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短い有料トンネルにしては立派な?管理事務所を過ぎると道標が。
「右 山みち」とあります。これこれ、このルートですね!


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道標からUターンするように折り返し料金所を過ぎた所から平井寺峠を探します。
見えているのはトンネル北側。
地形図等によればトンネル西側(画像左手)に旧道が通っているようなのですが、
たしかに尾根に低い所があります。
あそこが平井寺峠でしょうか?


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トンネル北側の近く(トンネル上部)に別れ道があります。
右手は新しく作られた林道ですから左手の旧道に向かいます。
まあ、舗装は途切れてしまいましたが道跡はしっかりしていますから(笑)
(ここまでは間違いないはず)


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木漏れ日・・・なんか、いい感じの道が続きます。


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ところが・・・
前方、沢伝いにも道跡がありそうですが探索の結果違うようでした。
左手にも道跡らしき痕跡があるので、とりあえず自転車を置いて探索に行きます。


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もう尾根は、すぐ近くに見えているのですが・・・
この有様。
これが旧道なのかどうか、わかりませんが歩いてなら、なんとか峠まで行けるかもしれません。
しかし自転車を持っていくには厳しすぎます(体力、時間がかかる)。
旧道と確信出来る痕跡が確認できたなら無理しても行ったかもしれませんが確信が持てなかったので、
ここで平井寺峠も断念(泣)


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断念と決めて振り返ると・・・、
こんな所、登ってきたのか?
ここって本当に旧道の跡なんだろうか?


さて、ここからどうしたものでしょうか?
朝、会った、おじいさんの情報は鳥屋峠、所沢峠、平井寺峠ともに、ほとんど聞いたとおりでした。
だとすると、おじいさんが名前すら知らなかった熊沢峠は、かなり、やばそうです。
と言う事で熊沢峠は登り口すら探さず断念(笑)
あるいは次の峠をうまく越える事が出来たら熊沢峠の入口を探すことにします。

次は平井寺峠からいったん北に向かい、その後、西に進んで別所温泉の手前から南下、梅ノ木峠
(+梅ノ木峠西側の市峠も)を北側から攻めることにします。
(梅ノ木峠、位置的には平井寺峠の西側)


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ここ塩田平には鎌倉道と推定される道跡が残っています。
鎌倉道は塩田平の塩田北条氏の館を起点とし東に向かい砂原峠、丸子、佐久を経て碓氷峠を越え
関東平野に出て幕府のあった鎌倉に通じていたのだそうです。
いわゆる「いざ鎌倉」という時に鎌倉に駆けつける為の重要ルートだったわけです。


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安曽神社の脇に残る鎌倉道は特に雰囲気がありました。


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いよいよ、この先が梅ノ木峠、市峠です。
(両峠、北側の入口は、はじめ一緒で途中で分岐するらしい)
さあ、今度こそ、越えるぞ(笑)


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ところが・・・無情にも、いきなり、この標識。
今度は「がけくずれ」か・・・
この程度の「脅かし」ぐらいでは?あきらめきれませんから先に進みます。

右に折れ道が細くなった所で小型トラックの対向車が来ました。
道の情報を聞いてみると「がけくずれ現場には行ってないけど、とても通れないって聞いたよ」
とのこと。
この一言で梅ノ木峠、市峠も断念。
まあ、ここまで来るのに思った以上に時間をロスしていた事もあり、この先、道が不確かの
峠道探索に入っていたら帰りの(愛知県まで今日帰る)時間にも影響があるだろうと、
あきらめることにしました。
こんな、ことなら最初から、峠ではなくて周辺の有名な寺社を訪ねておけばよかったかも(笑)
このあたりの寺社仏閣には国宝、重文が多数あるのです。
どうやら例の鎌倉道で人々の往来、物資の流通だけでなく文化も鎌倉からもたらされたらしい。


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帰りは平井寺トンネルを通らず前述の通り鎌倉道でもあったという砂原峠を越えて丸子町に
出ることにします。
砂原峠遠望。


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砂原峠頂上手前(西から見たところ)


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峠近くにあった古いお地蔵さん?風化の具合が歴史を感じさせます。


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標高差もたいしたことない小峠と思っていたら意外に急勾配(笑)
途中、アスファルトではなくコンクリート舗装もあったぐらい。
画像は峠から西側を見たところ、意外に急勾配だった事が判っていただけますか?


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砂原峠から東側の丸子町への道は少々路面は荒れているものの快適な下り。
左手に見えているのは昨日、登った湯ノ丸高原かなぁ?(笑)


丸子町まで下れば車まではあとわずか、三日間のサイクリングも、これで終わりです。

最終日の結果・・・2勝5敗?(笑)

①鳥屋峠   南側から探索するもブッシュに阻まれ断念。
②所沢峠   南側から北側へ無事、越えた。
③熊沢峠   地元のおじいさんの情報で戦わず?して断念。
④平井寺峠  南、北両方から探索するも断念。
⑤梅ノ木峠  崖崩れの標識とドライバーの情報で断念。
⑥市峠    崖崩れの標識とドライバーの情報で断念。
⑦砂原峠   西から東へ越えた。

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