先日、ご報告したとおり、11月20~21日に奈良、大阪県境の峠を走ってきました。
21日に走った竹内峠の西側は磯長谷(しながたに)と呼ばれる地域で多くの天皇陵他がありました。
今回は、その磯長谷と香芝市(穴虫峠の北東地域)の天皇陵をご紹介しましょう。
まずは竹内峠を大阪側に下った太子町の天皇陵です。
21日に走った竹内峠の西側は磯長谷(しながたに)と呼ばれる地域で多くの天皇陵他がありました。
今回は、その磯長谷と香芝市(穴虫峠の北東地域)の天皇陵をご紹介しましょう。
最初にあるのは第36代「孝徳天皇」、「大阪磯長陵」(おおさかのしながのみささぎ)です。
陵形は円丘とのこと。
この陵について、かの清少納言が枕草子の中で「みささぎは、うぐいすの陵」と書いているそうです。
(みささぎの中で一番は孝徳天皇陵との意)
ということは清少納言は、この陵を見た事があったのでしょうか?
現在は樹木が茂り陵形も良くわからないのですが・・・
ここは斜面にあり「ひき」の画像を撮ろうにもスペースがなく、こんな画像しか取れませんでした。
孝徳天皇陵から山田の集落を南下すると
第33代「推古天皇」、「磯長山田陵」(しながのやまだのみささぎ)があります。
陵形は方丘とのこと。
二子塚古墳から眺めた推古天皇陵。
推古天皇陵から西に2キロほど移動すると見えてくる丘の北側が
第30代「敏達天皇」、「河内磯長中尾陵」(こうちのしながのなかおのみささぎ)です。
陵形は前方後円とのこと。
敏達天皇陵から穴虫峠に向かう為に太子町を北東に走ると途中に
第31代「用明天皇」、「河内磯長原陵」(こうちのしながのはらのみささぎ)。
用明天皇陵は住宅地の中で拝所の位置(南向きでした)が、なかなかわかりませんでした。
画像を撮っている背後も新築の工事が進んでいました。
陵形は方丘とのこと。
用明天皇は厩戸皇子(聖徳太子)の父君。
ちなみに聖徳太子御廟所は用明天皇陵のすぐ北西にある磯長谷叡福寺にあります。
(太子、母、妃を一緒の石室に葬っているということで三骨一廟と呼ばれる古墳)
→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/34207375.html
「王陵の谷」と呼ぶそうです。
また、以上の5基の所在位置を梅の花になぞらえ「梅鉢御陵」という呼びかたもあります。
天皇陵2基を探索します。
住宅地の、ど真ん中にある
第23代「顕宗天皇」、「傍丘磐坏丘南陵」(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)
フェンスと陵の間に交通量の多い道が横切っています。
また画像を撮っているのは新たに通る道路の工事現場。
画像に写る送電線?の多さが市街地ということを表していると思います。
陵形は前方後円とのこと。
香芝インターのすぐ南にあるのが
第25代「武烈天皇」、「傍丘磐坏丘北陵」(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
陵形は山形?とのこと。
樹木は画像の外、左手にも続いており広大に見えますが画像左手は
式内社「志都美神社」(しずみじんじゃ)の敷地のようです。
今日は一日で6基の天皇陵を回る事が出来ました。
これにて今回の1泊2日サイクリングのご報告は終了です。
これにて今回の1泊2日サイクリングのご報告は終了です。