コルサの毎日がヒルクライム

2010年12月

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     あけましておめでとうございます。
         今年もよろしくお願いいたします。



画像は「うさぎ年」にちなんで?・・・・式内社 菟足神社(うたりじんじゃ)

所在地は愛知県豊川市小坂井町宮脇2
現在は国道一号線沿いといった方が地元の方にも、わかりやすいでしょうが
実は旧東海道沿いでもあります。
菟足神社は吉田宿と御油宿の間、小坂井と言う町にありますが江戸時代の一時、
小坂井も宿場として機能した時期があるそうです。

祭神は、雄略天皇の頃、穂国造であった菟上足尼命で、葛城襲津彦の四世孫。

拝殿内には大きな、うさぎが鎮座、また、お賽銭箱には
金色で、うさぎの模様の入った金具が付いています。
徳川家康も戦勝祈願など親しく訪れ神領を寄進したとのことです。

※画像は2011年お正月のものではなく2010年12月末の撮影です。

12月30日、17キロほど走行して2010年の走り納めとしました。

今年の総走行距離は・・・・なんと7333キロにもなりました。
今年は前半、異常に気合が入って(笑)少々の雨、夜間、強風にもめげず時間を作っては
走りこんだので、この数年で、もっとも走行距離が伸びました。
(夜間や強風で怖い思いもしたし、走りすぎて?暑い夏には体調も崩したほど)


ところで、この一年、走行距離の多かった自転車は何か?・・・・

まずは少ない方から順番に

①ノートン ミニベロ 借り物       1キロ
②山王 ロード   借り物       2キロ
③79コルナゴ    ロード       58キロ
④72メルシェ    ロード       63キロ
⑤64トーエイ    ランドナー     77キロ
⑥シルク キャンピング         113キロ
⑦ツノダ ピスト             198キロ
⑧BSモールトン 2台目 知人に譲る 199キロ
⑨スイスクロス クロカン        426キロ
⑩リッチーP-21 MTB         426キロ
⑪ルイガノMV C ミニベロレーサー  1184キロ
⑫デローザ アバント ロード     1247キロ
⑬BSモールトン 3台目        3339キロ

走行距離が一番多かったのはダントツで2010年BSモールトン(自己、3台目)でした。
他に知人に譲った自己2代目のBSモールトンでも199キロ走っていますから
BSモールトンでは2台で合計3538キロ走った事になります。


なぜ、こんなに3台目のBSモールトンで走ることになったのか?
気に入っているのは、もちろんなんですが・・・・

今年購入した3台目は、タイヤがまったく変わっており、このタイヤのフィーリングを
確認したかったので走りこんでいたのです。

そのうちに、巷でよく言われるように「ミニベロのタイヤなんて寿命は一千キロぐらい」
なんていう噂を否定する為に?改めてしっかりデーターを取ってやろうと思い始めたからなのです。
(自分は過去のデーターから、もっと持つとわかっていた)
(ホントに寿命が一千キロなら、どんな乗り方してるんや!)
その為にレースのトレーニングにもBSモールトンを使っていたので走行距離が伸びたのです。
まあ、2010年、早々に注文していたルイガノMV Cが7月頃まで届かなかったという
理由もあるのですが(笑)

ただ、新しいモチベーションが見つからない限り、多分、来年の総走行距離は、
うんと少なくなると思いますし車別走行距離も他の自転車がトップになるとは思います(笑)
(BSモールトンのタイヤ寿命については、また、いずれ記事を書きたいと思っています)

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12月29日、サスペンションのオーバーホール及びセッティングの変更しました。
3台目はノーマルサスで、かなりの距離を乗りましたが(2台目はハードサスで、ほとんど乗った)、
ここで、また前後サスともハードセッティングに組み替えてみました。
フロントサスが体重をかけても踏ん張るようになったのでダンシングもしやすくなったかな。
このセッティングで来年、まずは、どこに走りに行こうかなぁ(笑)

いよいよ、フリーの最高傑作(サンツアーに限らず世界中のフリーの中でも)とも言われる
「サンツアー ニューウイナー」を取上げます。
(あくまでも私の周辺で聞く感想です)
ただ、複数の方からリクエストまで、いただいた分解(内部)と調整時の画像はありません。
なぜかって?だってフリーをバラすと、後が、めんどうくさいんだもん(笑)


うちのガレージから出てきた中から代表的なサンプルを5点ほど。
恥ずかしながら実は、まだ他にもあります。
実は学生時代、平坦コースのレース用超クロス(12~18T、7速)からサイクリング用の
ワイドレシオまで数セットを購入していたのです。
当時でも、一生かかっても、すり減らしきれないかと思いましたが・・・・
その後レース用にシマノのフリーハブや新しい機材をどんどん使うことになり結局、
ほぼ新品に近いままで30年ほど経ってしまいました(笑)

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奥の列、右から、「6速」、「ウルトラ6速」、「5速」
前列右が「ウルトラ7速」そして「6速ゴールド」

まずは、このゴールドのニューウイナーなのですが・・・
実は私、数年前に、このサンプルを見つけるまでニューウイナーにゴールドカラーモデルが
存在するとは、まったく知りませんでした。
このサンプルはノーマルの6速ですがウルトラなどの他のタイプにゴールドがあったのかは謎です?
このサンプルを発見した某ショップさんにはゴールドモデルが他にも何点かありました。
その中で比較的ワイドなギヤレシオを持つ、この一点をとりあえず買い求めました。
そのショップさんには、その後、訪ねる機会がなく他のタイプがあったのか?
確認出来ずにいます。
(ご存知の方が見えましたらご教授ください)
このニューウイナー、ゴールドカラー、メッキの色目がかなり派手で中級グレードのプロコンペの
ゴールド色の方が上品そうに見えます。

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ニューウイナーの一番の特徴を現すのが、この画像でしょうか?
特徴の、ひとつと言うのが
「一つのボディで5速、6速、ウルトラ6速、ウルトラ7速の全てが組める」
ということです。
画像は左から同じボディで組んだ「5速」、「ウルトラ6速」、「6速」、「ウルトラ7速」です。

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ニューウイナー発売時(1978年中頃と思われます)にショップ向けに配られたマニュアル。
サイズは縦×横(およそ36.5×51.5cm)の大きな物で裏表に印刷です。(英文)
片面にはスプロケットの分解方法、内部の構造及び調整方法などが書かれています。
もう一面にはギヤの組み合わせ、スペーサーの組み合わせがわかりやすく?書かれています。

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ただ、この特徴が・・・・弱点にもなってしまうのです。
それは替歯の複雑化でしょう。
(多分。当時、ショップさんがニューウイナーは複雑過ぎる、と愚痴っていたのを何度も聞いた)

それでは、1985年当時のカタログをみてみましょう。
先にアップしたデビュー当時の1978年頃とは替歯の種類、品番などに少々違いがあります。
ただ1985年当時のカタログの方が1978年のマニュアルより
替歯の種類、品番の違いがわかりやすいのです。

見にくくてすみませんが左の二つはアルミスプロケット+アルミボディで
超軽量を誇った「マイクロライト」です。
(今回は、マイクロライトには触れません)


では中央のニューウイナーの図(4種類)から替歯のバリエーションを拾っていきましょう。

・タイプ A(以降、Aなどの品番はカタログどおり。品番は18Tなら「A18」などと表示)
全速共通。スプライン式ギヤ板。13種。
(17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、28、30、32T)

・タイプ V
5速専用スプライン。1種のみ。
(15T)

・タイプ P
ウルトラ6、7速専用ネジ大径。1種のみ。
(14T)

・タイプ N
5速専用ネジ大径。1種のみ。
(14T)

・タイプ R
全速共通ネジ大径。7種。
(15、16、17、18、19、20、21T)

・タイプ T
全速共通ネジ大径。5種。
(15、16、17、18、19T)

・タイプ X
ノーマル用トップねじ込み2段ギヤ。3種。
(14、15、16T)

・タイプ L
ウルトラ用トップねじ込み2段ギヤ。3種。
(13、14、15T)

・タイプ E
ノーマル用トップ。5、6速兼用。3種。
(13、14、15T)

・タイプ U
ウルトラ7速専用トップ。3種。
(12、13、14T)

・タイプ S
ウルトラ6速専用トップ。2種。
(13、14T)

このように替歯の種類は42種類もありました。
そしてスペーサーはノーマル系3種類、ウルトラ系5種類もありました。
部品点数の複雑化はサンツアーにコスト高、販売店、ユーザーに少なからぬ混乱を招いたと思われます。
(販売店では管理しきれず在庫切れなど)

余談ながら非常に興味深いことにニューウイナーが発売された1978年、その年のサイクルショーには
デュラエースEXが発表されています。
デュラエースEX6速用は6速しか組めませんでしたがトップ以外のギヤは全て共通、スペーサーも
1種類?のみというニューウイナーに比較すると、とても簡素な構成でした。

フリーボディ構造でナロー化し7速を実現、なおかつ一つのボディで5~7速まで組替可能の
究極のフリーを目指したサンツアー、
当時はまだ6速専用ながらシンプルなフリーハブ構造で部品点数を最少化し
メカニックやユーザーの負担軽減を追求したシマノ・・・

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さて、今更ですがニューウイナー発売当時のサイクルスポーツ誌の広告を見てみます。

上の画像、78年6月号には「ウルトラ6」の広告が出ています。
これは5段用のフレーム(Rエンド巾120ミリ)、ハブのままフリーとチェーンを
替える事により6速に出来るというものでした。
ウルトラ6にはウイナータイプとパーフェクトタイプの2種が用意されていた事が判ります。
(ウルトラ6の発想が原点でニューウイナーへ発展して行った事が考えられると思います)

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そしてニューウイナーがサイスポの広告に登場するのは・・・
なんと78年7月号なのです。
つい、先月号までウルトラ6の広告が出ていて翌月、ニューウイナーが出るのですから、
ちょうどその時、ウルトラ6を買った人(特にウイナータイプ)はショックだったかもしれません(笑)

ちなみにパーフェクトタイプ ウルトラ6は廉価版として、その後もしばらくカタログに
載り続けますがウイナータイプ ウルトラ6はニューウイナータイプに統合され
比較的短時間で姿を消し、そのせいか現在、見かける数が少ないように思います。


さて、サンツアーの超意欲作、ニューウイナーの特徴について当時の広告を見て簡単に
特徴をまとめてみたいと思います。
(下記①~④は、かなり要約しているもののカタログの表現を出来るだけ引用したつもりです)

①一つのボディで、わずかな替歯とスペーサーを準備するだけで5、6、7段に自由に組替られる。
 (上記に今回の記事に書いたとおり)

②今までのようにネジフタ部分に調子板を入れてガタを吸収するのではなくダブルナットにより
 100分の1㍉の微調整まで出来る。
 (この機構がニューウイナーを最高とする理由の一つに上げる人も多い)
 
③機械加工、熱処理後の最終行程で玉当たり部分に矯正研磨をほどこし、全ての歪をなくす。
 (この行程をニューウイナーを最高とする理由の一つに上げる人も多い)

④レシオや段数に影響されずクロスレシオもワイドレシオも同一のボディに組み立てられる。
 (12Tから組めるのは7段のみでしたが13Tからなら、どの段数でもクロスレシオが組めた)


サンツアーニューウイナーを最高としてあげる人達の理由は②と③が
多いのではないかと私は思います。
②については専用の工具も発売されており微妙な締め合わせでフリーの調子(ガタ調整)を
 出せる機構は選手やマニアに歓迎されていたと思われます。

③の矯正研磨については「回転部分は○マノよりサンツアー」と当時からよく言われていました。
 82年カタログによればニューウイナーフリーをはじめ高級グレードのハブ、ペダル、
 ヘッドパーツ、BB、固定ギヤハブ当り面などに施されていたと書かれています。
 矯正研磨が施されたピスト用のシュパーブハブなどは現在でも競輪選手が探して
 使うほどの人気があります。

 簡単でしたが・・・ニューウイナーは、これで終わりです。
 次回はマイクロライトと行きたいところですがサンプルが一部見つからないので
 しばらく、マイクロライトは無理かもしれません。
 では、何にいこうか・・・そうだ、フリーつながりで?あれでも??(笑)


※ 当方の間違いなどありましたら、遠慮なく、ご指摘ください。

今回、うちのガレージから探し出してきたサンツアー「ウイナー」シリーズ。

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前列、左が「ウイナーS 5速」(スチールスプロケット)
前列、右が「ウイナー 5速」(アルミスプロケット)

2列目、左が「ウイナープロ 6速」
2列目、右は「ニューウイナー 6速」(ゴールドスプロケット)

後列の4個は全て「ニューウイナー」です。


左から順に
5速(レギュラー)
6速(ウルトラ)
6速(レギュラー)
7速(ウルトラ)
以上のニューウイナー4種類はスプロケット構成はそれぞれ違うもののボディは
共通という特徴があります。
(次回、ご紹介予定?)

以上でサンツアーのウイナーの歴代主要モデル?はほぼ揃っていると言って
良いと思いますが・・・
(ウイナー、ウイナーSの6速仕様及びウイナープロのバリエーションは除く)

実は、もう一つ、私にとって幻の(大げさすぎるか)ウイナー?があります。
それは「ウルトラ-6」なのです。
「え、ウルトラ-6??ウイナーじゃないじゃん」と言われるかもしれません。
ところが・・・当時の雑誌広告などを見ると・・・
ウルトラ-6が2種類載っています。
それはパーフェクトタイプとウイナータイプです。
パーフェクトタイプ・ウルトラ-6の方は、しばらくの間、カタログに載り続けるのですが
ウイナータイプ・ウルトラ-6は短命だったようです。
その理由は・・・先に書いたとおり、その後、一つのボディで5速から7速まで
組み替えられるニューウイナーに取って代わられたからではないかと思われます。


さて、今回は前列の「ウイナーS」と「ウイナー」を見ていくことにしましょう。

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左がスチールスプロケットの「ウイナーS」右がアルミスプロケットの「ウイナー」です。
ウイナーがいつから市販されたのか定かではありませんが
73年頃のサイクルスポーツの広告には登場してきます。
(市販は、もう少し前でしょう)

余談ながら当時の広告に一緒に登場するのは・・・
FDのSL、そしてRD、Vラックスです。
ウイナーとラインナップするには少々見劣りするような気もしますが考えてみれば
SLはプレートに軽合金を使用していますしVラックスも一代前の「V」(主要部品の一部が、まだ鉄)
から全軽合金製に進化していますから、それほど不自然ではありません?
(サイクロンセットが出るのは、もう、ほんの少し後になる)

サンプルは、ともに5速使用ですが75年頃には両者とも6速仕様が追加されていました。
画像のウイナーは全てのスプロケットがアルミ製ですが75年のパンフレットには
5、6段用ともトップはスチールと書かれています。
ただ75年パンフレットのカラー画像もトップからローまで
同じ色(同じ材質=アルミ製???)に見えます。

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「ウイナーS」と「ウイナー」を裏面から見たところ。
右がアルミスプロケットの「ウイナー」です。
(スプロケットのデザイン上の違いは歯数の違いか、あるいは材質によるデザインの違いか)
この二つ、ともにボディは同一の物と思われますがギヤとボディの境い目を、よく見てください。
右のウイナー(アルミスプロケット)は段差がないほどスプロケットが厚いのに
左のスチールスプロケットは段差がはっきり現れています。
(スチールスプロケットは、ごく普通の平板なもの)

この部分に限らず強度対策の為なのかアルミスプロケットの中央部近く(ボディ側)も、
ほとんど厚めに作られています。

今回はサンプルの歯数が全然、違う為、比較しても意味がないかもしれませんが・・・
(その為、あえて重量は計らなかった)
アルミスプロケットのわりに、ウイナーが、それほど軽く感じないのは今書いたとおり
アルミスプロケット中央部の肉厚が、かなり厚いせいかもしれません。

「ウイナーS」と「ウイナー」を語るとしたらボディの特徴をあげるべきかもしれません。
2枚目の画像を見直していただきたいのですが・・・通常、ふた部分にある穴がありません。
(ふたをカニ目スパナで回す為の二つの穴)
通常のフリー(ウイナーより設計が古い同社のパーフェクトなど、またサンツアーに限らず他社製品フリーも)
は外側からフタを開けます。
しかし、「ウイナーS」と「ウイナー」は、こうした構造をとっていません。
3枚目の画像に見える裏面から調整するのです。
画像ではわかりにくくて申し訳ないのですがボディ裏面外周にある切り欠きを使って緩めたり締めたり(逆ネジ)するようになっています。
ただ、この切り欠きを利用して調整する専用工具は私の知る限り市販されていないと思います。

その為、皆さんからリクエストをいただいても・・・・
どうも「ウイナーS」と「ウイナー」のボディをバラしたりする気にはならないのです(笑)

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ウイナー5速(アルミスプロケット)

ウイナーに限らずサンツアーではマイクロライト
(70年代、他にレジナ、ゼウス、マイヨールなどにもアルミスプロッケットの製品があった)
(カンパのアルミフリーは私のイメージ的に、やや後に感じます。その分、設計は新しい?)
などのアルミスプロケットの製品を使いましたが、どれも傷み(と磨耗)が激しいものでした。
中には磨耗が激しいだけではなく変速性能の低下も著しい製品もありました。
ところが90年代、TA(あのチェンホイールメーカーの)などのアルミスプロケットは
繊細な?9速SISシステムに対応し実用上、十分な変速性能を確保していました。
さすがに磨耗はスチールスプロケットには比べるべくもありませんでしたが
それでも70年代~80年代の製品より、ずいぶん少なくなっているように感じました。
一言でアルミスプロケットといっても年代が違えば設計、材質などで
大きな進歩をしていたのでしょうね。


※当方の間違いなどありましたら、ご遠慮なく、ご指摘ください。

「本当に有ったんだ」!

この夏、発掘が行われ斉明天皇と、その娘、間人皇女(はしひとのひめみこ)の
合葬墓と研究者に事実上、認められた牽午子塚古墳。(けんごしづかこふん)(7世紀後半)
夏の見学会には残念ながら参加出来ませんでしたが
今回は、なんとしても?駆けつけなければなりません(笑)


なぜなら・・・・
牽午子塚古墳の発掘調査の最終段階で行われた調査で
「牽午子塚古墳の墳丘裾部から同時代の新たな古墳が発見されたから」なのです。
(地名から越塚御門古墳「こしつかごもん」と命名された)

これが、なぜ重要なことなのか?
それは、日本書紀に「皇孫大田皇女を陵の前に墓す」とあるのだそうです。
すなわち日本書紀の記述と完全に一致する遺跡となったからなのです。

夏の調査で、その形(天皇、皇子クラス?にしか許されないとされる八角形の墳墓と確認された)、
内部構造(二つの棺を安置する構造=斉明天皇と間人皇女を合葬したと日本書紀の記述にあるとおり)
から斉明天皇陵とされた古墳の前から今度は
「更に」日本書紀の記述にあるとおりの古墳(皇孫大田皇女の墓であろう)が新たに
発見されたということなのです(かえって、くどくてわかり難かった?)

実は○○天皇陵と呼ばれている古墳(宮内省の治定による)も、実際は、ほとんど
定かとは言えず(多くは江戸時代に当時の伝承や学問レベルで決めたものがベース)
学者の研究とはズレがあるものがほとんどなのです。
その点、今回の発掘調査で、ここまで日本書紀の記述に一致、すなわち被葬者を
特定できたということは「すごい」ことなのです。

ちなみに宮内省が斉明天皇陵と現在、治定している場所は・・・
この牽午子塚古墳から西に数キロの車木地区にあります。
(車木ケンノウ古墳、近くに大田皇女の墓とされる場所もある)
しかし、多くの学者の間では
「江戸時代に指定されたもので発掘調査も行われていない」
「立入出来ない為、古墳かどうかすらわからない」
「周辺に多い群集墳のひとつではないか」
とされています。


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11日は少々、雨も降ったという天気にかかわらず3千人以上の人がつめかけたそうです。

私は12日に行きましたが・・・
明日香駅の西にあたる、このあたり観光の村とはいえ普段は静かな地域のはずですが。

これは行列に並んで既に30分以上たった頃。
中央奥の小高いところが牽午子塚古墳、越塚御門古墳。
まだまだ人の列が続いています。
後、どのくらいかかるのでしょうか?(笑)


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行列に並んで1時間20分ほど経過、いよいよ古墳の手前まで来ました。
(食事や買い物で並ぶのは大嫌いな私ですが)

左奥の老人ホームの建物より更に向こう(見えない)から私は列に並びましたが・・・
今現在、更に列は延びているようです。
私が、こんなに並んだのは2005年の愛知万博ドイツ館以来です?(笑)
それにしても、こんな多くの考古学ファンがいるとは!


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右側の小高い部分が以前から知られていて、この夏の調査により研究者の間で斉明天皇陵と、
ほぼ意見が一致した牽午子塚古墳。

牽午子塚古墳の左、中央の人がいる部分が今回、発見された越塚御門古墳。
(地元の伝承もなく、まったく知られていなかった新発見の古墳)

先にも書いたとおり日本書紀に「皇孫大田皇女を陵の前に墓す」とあったのですから
牽午子塚古墳が斉明天皇陵とされた時点で、
研究者の人たちは、「どこか、この近くに皇孫大田皇女の墓があるはず」と考えていたはずです。
でも、まさか(あるとしても)こんなに近くにあるとは思っていなかったのではないでしょうか?
(実際、今回の発掘調査の責任者の方も斉明天皇陵のテラス部分ぐらいに考えていたらしい)


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約1時間30分待って、たどり着いた古墳部分も、ほとんど立ち止まる時間も許されません?

ここは牽午子塚古墳の石室入口。
巨大な岩をくりぬいて石室とし(床石と組み合わせて)ています。
手前の斜めになっている岩が、かつては石室を封印していたのでしょう。
しかし、この巨大な岩をよく運んできたものです。
(加工もすごいが)


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これが越塚御門古墳の石室部分。
床石は、しっかり整形され綺麗に残っていましたが石室を構成していたはずの岩は
奥に見える部分をのぞいて、ほぼ破壊、持ち去られてしまっていました。
(古墳の石が後世、持ち去られるのは珍しいことではありません。とくに中世、城作りなどでよく使われた)

石室の位置に対し墓道(手前の敷石部分)の中心線がなぜか大きくずれているのが気になります。


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ここでは撮影の為、立ち止まるのも、ままならぬほどです。
そのうえ、特に説明があるわけでもなく、当然?質問も出来ません。

でも、やはり現地に行って現地の地形を確認し現物を見ることは重要だと思います。
無理しても、やっぱり行って良かった(笑)

※13日以降は(調査終了の為)埋め戻されてしまうので現地に行っても見学できません。
 もちろん、作業が終われば牽午子塚古墳の墳丘は見る事が出来るはずですが。

今回の古墳の構造を見ると昔から明日香の観光スポットとして知られていた
場所が気になります。
それは「鬼の俎板」「鬼の雪隠」と呼ばれる場所です。
あきらかに「鬼の俎板」は古墳の床石であり「鬼の雪隠」は逆さまになっていますが
岩をくりぬいた石室に間違いありません。
(要するに、「鬼の俎板」「鬼の雪隠」は古墳の石室が破壊されたもの)
この二つ、時代的にも構造的にも今回の牽午子塚古墳、越塚御門古墳と似かよっています。
場所も、わずかしか離れていません。
だとしたら・・・「鬼の俎板」「鬼の雪隠」は誰を葬った古墳だったのか?

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