コルサの毎日がヒルクライム

2011年01月

1月29日は「普門寺旧境内確認調査」の現地説明会に行ってきました。
普門寺は豊橋市雲谷町にある真言宗の古刹です。
(JR東海道線二川駅北東辺り)

由来では727年、行基が船形山を訪れ霊気を感じ自ら聖観音立像を刻み、
それを本尊として山頂に寺院を建立し開山したと伝えられているそうです。
その後、平安時代に天台宗僧との勢力争いで全山焼失し衰えたのですが源頼朝の
叔父、化積上人が平家追討祈願の為、当寺を再興し頼朝の厚い保護を受けたそうです。
(1190年、頼朝が京にのぼる際、宿泊したとの説もあり)
平安時代の後期から鎌倉時代には鎌倉往還(街道)が普門寺付近を
通っていたとも言われ(普門寺峠?)交通の要衝にもあたっていました。
また、戦国時代には三河と遠州の境界という立地から今川、徳川両勢力の
衝突地帯となり(普門寺のある船形山山頂に船形城が築かれた)再び全山焼失するものの
今川氏によって再興、江戸時代には徳川家の保護を受け格式の高い
寺院として有名だったのだそうです。


普門寺のある船形山山中には200もの平場と呼ばれる人工的な平らな土地があるそうです。
それらはお堂や祠の跡、僧の住まい、畑などが有ったのだと推測されています。
今回は、それらのなかで「元々堂」(12世紀頃の建物跡)、元々堂の尾根筋南にある
建物跡(G-23平場)などを巡ります。

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「説明会の告知に急な斜面を登る」とありましたが思った以上の急坂でした(笑)

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G-23平場(調査上の整理番号らしい)
柱跡と思われる岩盤に掘り込まれた穴が見つかり大きな建物が一棟、又は
小さな建物が複数建っていたのではと推定されている場所。
参加者が少ないように見えるのは先の画像の急斜面を登ってくる人達の到着を待っている為。

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G-23平場の下部から検出された石組み。
斜面を補強する為の物らしい。

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元々堂の南側斜面から見つかった石段。

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石段の前から振り返ると太平洋が見えました。(右手が愛知県二川、左手が静岡県新所原方面)
かつては手前半分くらいまでは大寺院普門寺の所領だったのでしょうか?
(現在でも8万坪の境内を持つとのこと。ただし、ほとんど山林らしい)

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階段の上、元々堂の南側の平場。
こうやって見ると何か出たように見えますが残念ながら僅かな柱跡が見つかった程度で
「何もなかった事がわかった」、「何もなかったと確認出来たのも成果の一つ」とのこと。

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上の平場のはずれにあった「僅かな柱跡」のひとつ。
岩盤に掘り込まれた柱穴だという事がわかります。

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元々堂。
手前に転々と見えるのが元々堂の礎石。
6×6ヶ所、規則的に並んでおり大きな建物が建っていた事がわかります。
奥のテントは山奥の発掘調査の為の事務所?代わりのもの。

ここまでが今回の説明会のコースでしたが・・・
健脚者及び希望者の為に更に案内してくださるとのことです。
もう、お昼時間近く、更なる山道なので(年配者も多かった)オプションコースの参加者は、
それほどいないのでは?と思ったのですが意外や多くの人が参加するようです。
もちろん、私も参加します。

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船形山の尾根筋まで登り「船形山城址」(舟形とも書く)に着きました。
右手の部分が小高いのは城の土塁の痕跡なのだそうです。

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船形山の尾根筋を東に進むと(自然歩道あり)望寺岩(ぼうじいわ)と呼ばれる自然石があります。
尾根筋にある、この岩は、かつて信仰の対象だったと考えられているようです。

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船形山の尾根筋から普門寺側の南に下ります。
途中の斜面にある「薬師岩」
手前に平場、人工的な石組みがあり、かつて建物があり修行の場だったと推測されています。
ここは今後、調査されるようなので楽しみです。
私としては奈良時代や平安時代よりもっと古い縄文時代前期くらいの遺物が
見つかることも期待しているのですが(岩陰遺跡)。

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元堂。
ここは以前、調査された事がありますが現在出ている部分は比較的
新しいようです(15、16世紀くらい??)。
下部には更に古い時代の痕跡があると推測されているようで、
ここも今年、再度調査されるようなので楽しみです。

この後、普門寺さんのご好意で普段は開放されていない
宝物庫を(釈迦如来坐像など重要文化財多数)見学させていただきました。
こちらは残念ながら撮影禁止なので画像はありません。

当ガレージでは自分で乗る分だけでなく友人、知人の自転車のカスタム、修理、組替、
果ては近所の人のママチャリの修理までと(笑)多くの廃タイヤが発生します。

チューブラやケブラービートのロードタイヤなどは、その都度、処理してきましたが・・・・

ご存知のとおり普通のタイヤには丈夫なビートワイヤーが入っており、
それは簡単には切断したりすることは出来ません。
それで、ついつい、そのままガレージ脇に積み重ねたままとなり増え続けてしまいました(笑)


結局、年末の大掃除の時期には時間切れで何も出来ませんでしたが年も明け
しばらくたって落ち着いた?ところで、やっと重い腰をあげることにしました。

まずは切断して処分しやすいように廃タイヤの容積?を減らしたいのですが、
先にも書いたとおり簡単には切断できません。

そこで友人(フレームビルダー&一般修理もするショップさん)から
道具を借りてくることにしました。

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借りてきた道具がこれ。
大型のワイヤーカッター?を友人がベニヤ台に固定したタイヤ切断専用機1号(笑)

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この道具で丈夫なビートワイヤーはもちろん、ゴム部分も一緒に切断!!
太いMTBタイヤも工夫して挟み込めば一発切断出来ます!!!

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作業の結果が、この様子。
電動アシスト車の頑丈なタイヤから太い荷物運搬用の一輪車のタイヤも切断完了。
(以前、何台も電動アシスト車を改造した事もあるのです)
それにしても、どれだけ貯め込んでいたのか?自分でもあきれてしまう(笑)

これで、ガレージの回りも少しはすっきりした?

余談ですが、雨が、ほとんど降らず乾燥した時期に作業したのは正解でした。
廃タイヤは雨ざらしですから普段なら中に水(くさくて汚い)が
貯まっていたりするものですが、今回は、まったく水が貯まっておらず綺麗?に
作業する事が出来ました。
廃タイヤ処理作業をお考えの方は今がチャンスです(爆)

23日はkokoさんが企画してくださった愛知県半田市のポタに
参加させていただきました。
(kokoさん、幹事役、お疲れ様でした)

半田市は私が住む豊橋市と同じ愛知県ですし距離にして60キロ程度しか
離れていない町ですが、たまに通過した事がある程度で、正直あまり知らない町です。
しかし実際、尋ねてみると水運、醸造などで古くから栄えた町のようで
見所がたくさんありました。

ただ、この手のポタだと「見所多く内容は濃い」のですが・・・
(kokoさんの準備が、しっかりしているので)
走行距離が、私には、やや少ないことが多いのです(笑)
そこで集合時間の2時間ほど前に現地に行って25キロほど周辺を走ってから
皆さんと合流することにしました(笑)

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寒い時期にもかかわらず観光客らしき人も多いのに驚きました。

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2枚目の赤レンガの建物はビール工場の跡だそうです。
その中で非常に気になったのが、この壁の痕跡。
説明版によれば、これは大戦後半、米軍のノースアメリカンP-51の機銃掃射の跡だそうです。
(ノースアメリカンは飛行機の製造メーカー名)
(P-51「マスタング」は米陸軍戦闘機で傑作機)
P-51には「20ミリ機銃×4」や「12,7ミリ機銃×6」を装備していた
機体などがあるようでが、この跡はどちらでしょうか?(笑)
(そういえばP-51は米陸軍機)

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今回のポタは車種限定の集まりでテーマは「モールトン」、参加者は6名でした。
私はここのところ、いつも乗っているBSモールトン(画像手前から3台目)で参加しました。

他はと言えば、Fフレーム車が3台という濃さ?(笑)
後はTSR(画像一番奥)が一台に・・・
「あれ、奥から2台目に変な(失礼)自転車が写っています」
これはN氏が乗った和製トラスフレームのBSトランジット スポーツ
(モールトンとの直接の関係はない)
N氏は、いわゆる、お城製のトラスフレームモールトン、BSモールトン(当日、持参)も
お持ちなのですが今日は入手後、整備して間もない、この自転車に、どうしても?
乗りたかったようです?(笑)

以前、乗っていた「TREK・Y FOIL77」です。
(多分、1998年式だったと思います。パーツは組替済み)
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一般のダイヤモンドフレームに比較して34%もの空気抵抗低減を達成と宣伝していましたが
後に公式ロードレースでは規則(シートチューブのある自転車でないといけないらしい)により
使用できなくなりトライアスロンなどの使用に限られてしまいました。
いずれにしてもカーボンの特性がなければ、まず達成できない、そのスタイルは当時、
大変なインパクトがありました。

16日は日中、数時間なら自転車に乗れそうです。
遠くまで出かける時間はありませんが家周辺の練習コースではつまりません。
15日の夜に、そんなことを考えていると・・・
豊橋の北部に隣接する新城市の遺跡(まだ行った事がない)に行くことを思い立ちました。
冷え込むとの予報ですが新城の中心部に近い地域ですし豊川沿いなので、
それほど心配する事もないでしょう。

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自宅から自走する時間も気力もありませんので市境近くまで車で出かけます。

そこからスタートして新城市中心部の南部「桜渕公園」辺りまで来ると積雪があります。
まあ、何とかなるだろうと進むと・・・
JR飯田線 三河東郷駅の近くまで行くと、こんな雪景色。
他の地域ではたいしたことはないでしょうがこの地方(東三河)では、これだけの
雪は滅多にありません。
(ちなみに画像の場所は1575年の長篠の戦の一番南側に当たる古戦場)
道路の積雪は日影以外は、たいしたことはないし目的地は、もう近いので注意して進みます。
(既に、ここまでに日影の凍結で一回、転倒・・・)

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目的地と思われるところに到着しました。
雪景色の中を探索します。

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それにしても雪道に最も向かない自転車で来てしまったようです。

泥除けはないし、もともと舗装路向けのタイヤは3千キロ以上の走行でツルツルだし、
RDやチェーンなどは地面に近く汚れやすいし、これなら同じスリック系のタイヤでも
駆動系が地面より離れている分、ロードの方が、まだよかったかも(笑)
後で、しっかり掃除、メンテしないといけませんねぇ。

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おっと、自転車の話になってしまいましたが・・・

今日の目的地は、この奥辺りでした(北側から南側を望む)。
現在は、ただの畑です。
説明版もありましたが1986年に立てられたままのようで、ほとんど読み取れませんでした。

では、ここは何かと言うと萩平遺跡(はぎひらいせき)といい
「旧石器時代の石器が見つかったところ」なのです。

(当初、石器の採集地点により萩平上の段遺跡と萩平下の段遺跡とされたが後に遺跡の区別を
 明確にする為、前者を加生沢遺跡(かせいざわいせき)、後者を萩平遺跡と呼ぶようになったそうです)

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遺跡の北西側(森の間の辺りらしい)が加生沢遺跡のようです。

現在、愛知県下で旧石器時代の遺物とされる物が出土した場所は100ヶ所をゆうに超えています。
しかし、資料がまとまって出土した遺跡は少なく、ここ加生沢遺跡、萩平遺跡の他には
10ヶ所程度のようです。
(北設楽郡の茶臼山遺跡、岡崎市の五本松遺跡、犬山市の入鹿池遺跡、豊川市の駒場遺跡など)

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一つ上の画像の右手には萩平古墳群があるようですが、よくわかりませんでした。
ちなみに右手の小山自体は自然地形で古墳ではないようです。
ただ、小山の上には「山の神」とされる小さな祠がありました。

萩平古墳群を探して近所を探索したいところですが・・・
シューズカバーを忘れて、ただでさえ、爪先が冷たくて仕方ないのに雪解け水を
巻き上げて濡れた為、辛くて仕方ありません。
とりあえず、加生沢遺跡、萩平遺跡の立地を確認出来たので引上げることにします。

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ところが時々のぞいていた晴れ間が、いつの間にか猛吹雪に(笑)

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しばらくすると雪も小降りになったので帰り道の途中の遺跡を下見に行きます。
またまた、BSモールトンに似合わないルートになってしまいました。

ここは豊川市と新城市の市境にある旗頭山の中腹です。
旗頭山には1573年、野田合戦の際、徳川家康が陣を置いたとも言われています。

ここを訪ねた目的は「徳川家康が陣」を置いた事には、まったく関係なく(笑)
もっと、古代の遺跡があるのです。
ただし、ここは「NEWちゃん」と訪ねる約束をしているので登り口を確認して今回は撤退します。

まあ、本当は寒かったのと時間切れだったんですけど(笑)


それにしても大事に3千キロ以上乗ってきたBSモールトンですが今日は凍結で転倒したり
強風で倒されたりして散々でした。

大切に扱ってきたのに今日一日で両方のペダル、バーテープ、ブレーキレバーの先端など
キズがたくさん付いてしまいました。
これがMTBやシクロクロスなら、どうって事ないんですけど、ちょっと悲しい(笑)

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そんなことを16日の深夜、書いていたら・・・
17日朝には自宅周辺まで積雪が。
愛知県東部で積雪がある事はほとんどありません。
(昨日行ったあたりは今日はもっと凄いことになっているでしょうね)
この地区では(遠出する車以外)冬用タイヤを付ける人は、ほとんどいませんから
朝から大混乱です。

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