コルサの毎日がヒルクライム

2011年01月

新年が始まって最初の自転車ネタは・・・・

なんとも、「人気のなさそうな部品ネタ」を選んでみました(笑)
自ら不人気ネタと言い切ってしまう理由は・・・
実は以前、私自身「ごっそり捨てて」しまった物だからなのです!
(今考えれば、もったいなかったかも)

まあ、年末、フリーホイールネタが続いたのでと無理やりフリーに近い?スポークディスクと、
こじつけると言う手もありますしね(笑)

そう、今回は「スポークディスク」(スポークプロテクターなどとも呼びます)を取上げてみます(笑)
とは言っても積極的に集めているわけではありませんし、先に書いたように、
以前、たくさんあった物を捨ててしまったので手持ちはたいしてありません。
(まあ、この手の部品はジュニアスポーツ車の装備品と言う感じでマニアの方で付けている人、
 集めていると言う人は皆無と言っても良いほどでしょう)

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では早速、年末の大掃除でガレージや納戸で見つけた物の画像を見てください。
ちなみに70年代のカタログを見ると
サンツアーは「スポークディスク」、
対してシマノは「スポークプロテクター」と書かれています。
(今回、残念ながらシマノのサンプルはありませんが)

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この2枚はサンツアーの製品です。
基本的な形状は、まったく同じで右がスチール製、左がアルミ製になります。
材質は違いますが品番は共通のようで「Model:SD-450」と言います。

形状は、まったく同じながらカタログ重量はスチール製45g、アルミ製21gで
材質を置き換えただけでアルミ製がずいぶん軽い事がわかります。
(材料の厚みが違うことも考えられますが)
両者には「PATENT SUNTOUR JAPAN」の刻印があります。

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アルミ製の型は直径約120ミリほどです。
試しに最大歯数24Tのニューウイナーを載せてみました。
モデルSD-450は多分、サンツアーのこの手の製品で最小径の物と思われますが24Tでは、
やや大きく見えます(カタログに適合歯数の表示なし)
21T程度が適合の設計なのでしょうか?

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これもサンツアーの製品です。
品番は「Model:SD-100」で直径は176ミリほどになります。
このタイプはカタログに適用歯数が28Tと明記されていますし、
製品自体にも「SUNTOUR」の文字とともに「MAX28T」と、ちゃんと表示されています。

このタイプの特徴はディスクがプラスチック、座金が軽合金のハイブリット?タイプと
言うことでしょう。
フリーとハブに挟み込まれる部分のみ軽合金で強度を確保し円盤部分はプラスチックで
軽量化(防錆も?)しようと言う事のようです。

ちなみに、最近のスポークディスクはフリーとハブに挟み込むのではなく
スポーク自体にツメで引っ掛ける物が多いようです。
その為に、32H用、36H用などのタイプがあります。
(ディスクの取り付けツメの位置をスポークに合わせる為に)

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直径147ミリ、適用歯数28TのモデルSD-100に28T相当のフリーホイールを載せてみました。

ちなみに同構造モデルで直径を176ミリとし34Tまでに対応する「Model:SD-110」と
言うタイプもありました。

1985年のサンツアーカタログを見ると(スポークディスク)品番だけで
10種類ほどあった事がわかります。
その中には先ほども書いたような同一品番で材質違いと言うモデルもあり
合計14種類ほどが販売されていました。

その中で欲しいと思っているのは(笑)、
唯一、5本スポークの直径150ミリの製品で「Model:SD-600」と言うモデルです。

対してシマノ1977年の総合カタログを見てみますとスチール製のものばかりで
5種類が載っています。

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3枚目の画像はメーカー不明の物。
直径は、かなり大きくスチール製で、いかにもジュニアスポーツ用に見えます。

じつは、これ1972年頃のプジョーPX8Eに標準装備されていたものです。
歯数は最大28Tのフリーが付いていましたが、それ以上の歯数でも対応出来そうな大きさです。

この製品で残念なことはメーカー名など一切刻印がないことです。
でも、この時代のプジョー完成車に付いていたのなら、
このパーツもフランス製の可能性がありそうです・・・

「うん?フランス製?70年代フランスで小物まで、いろいろ作っていた会社と言えば・・・」

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慌ててサンプレックスの総合カタログ(年代不明、多分70年代後半)を見てみると
そっくりな形の物が載っていました。

穴の数、形もそっくりです。
画像では隠れてしまっていますがカタログに19.5cmと書かれているとおりの直径です。

カタログのイラストにはサンプレックスのマークと「MADE IN FRANCE」の文字もありますが、
ここまでそっくりならばマークと文字が省略されたサンプレックスの製品と言うことで
間違いないのではないでしょうか?

実は、これ、「こんな、でっかいのいらない」と、一度は屑箱に捨てた物なのですが・・・
それでも70年代のプジョーに付いていた物なのだからと廃棄直前に抜き出した物なのです。

今になって「サンプレックスの製品かも?」と思うと急に大事に思えてきてしまいました(笑)

車塚遺跡と岩津第一号古墳の見学を終えた後、私は矢作川にある念願の物を、
くさやんさんにお願いし案内していただくことにしました。

くさやんさんは以前に(念願の物を)見ていて、その際の資料をいただいた私は、
ずっと気になってしょうがなかったのです。
「矢作川なら近いのに、なぜ今まで見に行かなかったの?」
と疑問の声も聞こえてきそうですが、それには訳があるのです。
それは・・・まあ、この後の画像を見ていただければお判りになるはずです。

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おっ、この程度の水量なら少しは見えそうですよ!(笑)
全てでは有りませんが川底に突き出している黒っぽい物体が目的です・・・・

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じゃ~ん、これが念願だった物の画像です。
「えっ、何これ?ただの木の根っこじゃん?」と言われそうですが・・・
そう、これが私の見たかったものなのです。

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少しアップにして見ましょうか?

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さらにアップにして見ましょう。
お判りになりましたか?
そう、ただの木の根元部分なんです(笑)

これがなぜ、念願の物だったのか?
それは、この「立ち株」の年代にポイントがあります。
(人が切ったのではなく自然にこの姿になったものなので切り株ではなく立ち株と呼びます)
各種調査の結果、この「立ち株」の年代は約3000年前(縄文時代晩期)~約2800年前のものと
されているからなのです。

矢作川の天神橋、下流域を中心とした川床に古そうな立ち株や倒木が存在することは
古くから知られていたそうです。
そこで平成17年から豊田市、岡崎市の元で調査委員会が組織され約2年間の調査研究が行われました。
その結果、約3000年前の落葉広葉樹林の痕跡で約2800年より新しい物がない為、
その時代に洪水などで埋没したと考えられています。
その後、地下に埋もれたままだった森林は近年の川床低下により再び地表(川底)に
姿を現したのだそうです。
調査委員会は、この縄文時代の森の痕跡を「矢作川川床埋没林」と読び樹木、
土壌のサンプリング、ボーリング及び測量などの調査を実施したのです。

今回の水量は、それほど多くなかったとは言え調査委員会の調査時には、
ずいぶん水量が少なかったようで(上流のダムの協力か?)当時の画像を見ると、
もっと多くの立ち株や倒木が見えています。
もちろん、いくつかは調査、研究、保存の為、調査委員会に持ち去られているはずです。
(そう、念願の物は水量が少なくないと見られないのです)
調査の際に確認できただけでも50以上の立ち株や倒木があったようで、
倒木の中には長さ17mもあるものも確認されています。
今回、自分達も数ヶ所の痕跡を川底に見つけました。
ただし、水中の物や岸から遠い物がほとんどだったので写真は上のものしか撮れなかったのです。

この立ち株や倒木、もちろん古いものですが約3000年程度ですから
化石化(石化)しているようなことはまったくありません。
ここから持ち出せば、ただの木片にしか見えません。
これを読んで見に行かれる方は、持ち出そうとか考えず、
いためない様に、ご注意くださいね。

8日は岡崎市岩津町の車塚遺跡の現地説明会があるということなので
出かけることにしました。
場所は「くさやん」さんの家の近くなので誘ってみると忙しいけど
興味はあるので時間を作るとのこと。
それではと私は、くさやんさんの家まで車で行き、そこから二人で
自転車で出かけることにしました。
(車塚遺跡の位置は有名な岩津天満宮の、西側になります)

受付に行くとカラーコピーのわかりやすい資料をいただく事が出来ました。

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資料1の表面
右の表紙は遺跡の位置関係がわかりやすいカラー写真。
左には周辺の遺跡マップ。
全てが古墳と言うわけでは有りませんが周辺に多くの遺跡がある事が
小さな画像でもわかっていただけるかと思います。

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資料1の裏面(内側)
古墳と出土品の位置関係などがわかりやすい資料。

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資料2の表面
狭い範囲に(サッカーコートの半分以下と新聞には表現されていた)
8基の古墳が密集している様子。
この画像をどうやって撮影したのかは質問し忘れた(カメラ搭載ラジコンヘリコプターか?)

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資料2の裏面
出土品の画像。
必ずしも古墳時代の物とは限りません。


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車塚遺跡の古墳群は、ずいぶん前に開墾されて茶畑などになっており
墳丘部分はほとんど失われていました。
その中で、一番保存が良かったと思われるのがこの「1号墳」(仮称)それでも
画像の部分が残っていたに過ぎず上部は(過去に)破壊されてしまっていました。

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「7号墳」(仮称)も、今回の発掘範囲では比較的、良く残っていたほうです。

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金色に輝く「耳環」も発掘されました。
先(上)の画像は今回の発掘品。
後(下)の画像は2009年の発掘品で今回よりもう少々、北の区域で見つかった物とのこと。

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今回は車塚遺跡の古墳の説明会でしたが、近所にある「岩津第一号古墳」の石室も開放されました。
(普段は施錠され内部には入れません)
(古墳までの配布用の地図も、ちゃんと用意してありました)
古い写真を見ると、かつては天井石などが露出していたようですが
羨道等を含め現在は少々手直しされているようです。
直径約18mの円墳ですが石室内部は思いのほか広く立派で(二室構造だそうです)
羨道、前室、後室で約10m(最大高は2.9mほど)もあるのだそうです。

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先に入った人達は「暗くて何も見えなかった」と言っていましたが石室内には
照明設備などないのですから当然です。
(今回、ここが開放されるのは事前には知らされていなかったのでライトを持参した人はいなかった)
そこで、私が、おもむろに車の鍵に付けている超小型LEDライトを出して
皆さんの前方を照らし出すと・・・
「石組みや床石まで良く見えた」と大好評でした(笑)

画像は奥壁の石ですが先ほど見学してきた車塚遺跡の古墳より、かなり立派な石組みに見えます。
そういえば、以前、読んだ本によると、この古墳からは「銅鏡」、
「豊富な装飾須恵器群」が出土したとありました。
石室の石組みが立派なのは、この周辺の古墳の中でも被葬者が、
より実力者だったのかもしれません。

くさやんさんにも車塚遺跡と岩津第一号古墳見学は満足していただけたようでした。
このあと、くさやんさんの案内で更に「念願の珍しい物」を見に行きます。

その模様は次回に。

(残念なことに車塚遺跡は県道予定地で、いずれ滅失してしまう、と思われます)
(岩津第一号古墳は県の指定遺跡になっており心配はありません)

3日は恒例の新春ミーティングに参加させていただきました。

まあ、新春ミーティングの様子は多くの方のブログ、HPに
ご紹介されていると思いますので、ごく簡単に(笑)
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フランス、イギリスのこんな洒落た旧車で参加の方も見えます。
皆さんの素晴らしい自転車だけではなく車もあわせて楽しみたいですね?


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正月、早々、こんな、おバカな人も・・・・はい、実は私です(笑)

この日、集合地点の「昭和の森」付近は朝9時頃でマイナス3度!?
この車、ヒーターだけは?よく効いて真冬でも今まで、
あまり寒いと思ったことはなかったのですが・・・この日の朝はホント寒かった!

それでも、皆さんに笑っていただけたので、この車で行った甲斐がありました??(笑)
「えっ、来年も笑わせてくれって?」
正月早々、真冬の往復約180キロは結構きついんですから!来年は・・・・

1月2日は忙しい正月休みのスケジュールをぬって?(遊びみたいなことばかりですが)
「走り初め」に行くことにします。
とは言っても時間が14時過ぎから夜の約束までの時間ですから実質
走れるのは2時間少々でしょうか?
いつものトレーニングコースではつまらないので15キロほど車で移動して
渥美半島の泉福寺に行って見ることにします。
ここは自宅から30キロ程度なのですが、今まで一度も訪ねた事がありません。

建物は新しいもののようですが歴史自体は古いようなので一度行ってみたかったのです。
15キロ程度手前まで車で移動して向かい風の中、走り始めます。
泉福寺の登り口に着いたのは、すでに16時近く。
ここから標高差約150m程度、登らなければなりません。
そのうえ道はダートでした。
16時20分までに着けなかったら、また日を改めて、と決めて登りはじめます。

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麓には巨岩があり、雰囲気を盛り上げます?(笑)
既に日暮れが近い事がこの画像からも感じられるかと思います。

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人の気配のないダートの道を、登っていきます(ただし、ほとんど押しですが)
時間切れ直前、やっと泉福寺 本堂が見えてきました。

案内板によれば、この泉福寺、創建は743年の伝承があり平安、鎌倉時代は
比叡山延暦寺の直末寺として、この地方の天台宗寺院の中核をなしていたそうです。

また徳川家康から寺領安堵され二代徳川秀忠が鷹狩りに訪れた際には宿泊所になったのだそうです。
ところが昭和37年、火災により本堂などを消失(残念)、現在の建物は昭和47年に
再建されたものとのこと。

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さて、日暮れもせまり帰ろうとすると、お寺の東に中世の墳墓(古墳ではない)があるとの
案内板が見えるではありませんか!

すでに薄暗く、そんな中で一人でお墓?と言われるかもしれませんが遺跡好きの
血が騒ぎ?探索に山に入ります(我ながら物好きだと思う)
ここは鎌倉時代から室町時代の墳墓、約90基ほどが確認され地元、渥美の窯のほか
瀬戸、常滑の骨蔵器などが見つかっているのだそうです。
地元の渥美窯製の骨壷ばかりではなく瀬戸や常滑の骨壷が使われているのが興味深いですね。

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「泉福寺中世墳墓」南端部は歴代住職の墓石、五輪塔などが並んでいます。

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さて、思わぬ寄り道をして薄暗くなってきましたし気温も下がってきました。
一気に下りたいところですが、車も通らぬ山寺からのダート道ですから慎重に下ります。
(転んで怪我しても誰も助けてくれませんからね)

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山を下り国道259号線側に抜けます。
とはいえ国道は交通量が多いでしょうから国道手前の農道をぬって帰る事にします。
日没直前、先ほどの泉福寺がある山々を北側に回りこんで眺めます。
(寺は南側斜面にあります)

すぐに日は完全に暮れて暗くなってしまうでしょうが、
あと車まで10キロほど、追い風に乗って「ぶっ飛ばして」帰りましょう(笑)

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