コルサの毎日がヒルクライム

2011年08月

前回より続き。

毛無峠に寄り道?した後、今度は万座峠に向かいます。

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万座峠の手前で群馬県に入ります。

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県境から、しばらくアップダウンをこなし、そして、下ったところが万座峠(標高1827m)でした。
(現在の舗装道路は昔の峠道とは、あまり関係ないようです)

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万座峠の北側にのびる林道山田入線。
ここを下ると七味、五色、山田などの温泉地に下る事が出来ます。
万座道は湯峠でもあったと聞きます。
(先に書いた長野側の温泉等に行くだけではなく群馬側の万座、草津等に、
  この峠を通行した人もいるでしょう)

この道が古くからの万座道のルートに近いと思われます。
(湯峠=湯治など温泉に通う人が通った峠のこと)
ここはゲートが締まっていますね。
谷をのぞくと、かなり急峻な峠道のようでした。
MTBなら下って見たい気もしますが。

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万座峠の、お地蔵さん・・・
何か後ろの石碑??が妙な事になっています。
金属の補強?見たいな物も見えますが、どうなっちゃってるんでしょう。


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万座峠を過ぎれば万座温泉はすぐ近くです。
硫黄の匂いが鼻をつきます。
それもそのはず、谷には硫黄などが噴出したと思われる所があちこちに。

さて、万座温泉から国道292号線に出て山田峠、渋峠に向かいたかったのですが
時間も時間ですし疲れてきましたので断念。
今日はここ万座温泉で泊まりたい・・・ところですが貧乏旅行なので車まで引き返します。
(いつものように車中泊)
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帰り道、また霧が流れてきました。
早く帰ろうっと(笑)


車に戻ったら明日のスタート地点に近い飯山市あたりまで移動しておくつもりです。

27、28日と、またまたサイクリングに行ってきました。
この歳になるとハードなヒルクライムが?いつまで続けられるか心配になってきて
行けるうちに行っておこうと言う訳なのです(笑)

今回のコースは初日、長野県と群馬県の接する区域(北部)の万座峠、毛無峠に登り
二日目は車で移動し長野県北部地域の峠を登ります。

初日、車を三百数十キロ走らせて須坂長野東インターで降ります。
そこから東に向かい上高井郡高山村牧地区で車を停め、ここから県道112、466号線で
毛無峠、万座峠まで登るつもりです。

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峠に登るコース脇には、こんな標識があります。
ここは「第70号」ですがスタート地点付近は100号を、ゆうに越えていたような。
ということは上に行くほど号数が少なくなると言うことですね。
とはいえ、まだ70も有るのか・・・・

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コースの雰囲気。

このルート、牧地区から、すぐに10%前後の登り、それが過ぎても、
ずっと数%以上で休むところがなく思った以上にキツイルートでしたね。
(中盤まで5%以下の所はほとんどなかったような気がします)

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山頂付近も雲と言うか、なんというかガスってます。
いつ雨が降りだしても、おかしくない天気が心配されましたが
幸い、かるくパラついただけで雨は降られずにすみました。

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「第39号」カーブ、通称「一本松カーブ」
一本松カーブの松の木として親しまれてきた松も道路改良工事に伴い二代目の松なのだそうです。
右手からキリが流れているのがわかりますか?

この先の「万山望」(晴れていれば山々が望める)で休憩していたサイクリストに話しかけられました。
彼は須坂の駅から登ってきたそうですが、かなり疲れてしまい万座峠までいけるかどうか思案中でした。
よくよく話を聞いてみると、なんと初心者だそうで今朝、輪行して埼玉県から来たそうです。
それにしても初めて登るには、ずいぶん、きつい峠を選んでしまいましたね~。
でも須坂の駅からスニーカーで登ってきたのですから、たいした体力です。
自転車になれれば(出来たらビンディングの靴に変えて)ずっと楽に峠に登れるようになるはずです。

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万座望から、数キロ登りピークを下った所で道は二筋に分かれます。

左が万座温泉方面ですが、先に毛無峠に行くことにします。
道端に、こんな案内板が。
「根性と力の授かる六千尺地蔵尊」と有ります。

この方向が毛無峠です。
ちなみに「根性と力の授かる六千尺地蔵尊」に行く前に私の「根性と力は尽きて」しまいましたが(笑)
根性と力を授かる以前に根性と力がないと行き着けないのでしょう。

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分岐から毛無峠への道。

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毛無峠(1823m)に着きました。
この大きな木が生えない地形から「毛無」の名前で呼ばれるようになったと思われます。

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峠付近に残る、かつて硫黄を採取していた小串鉱山跡の施設。
毛無峠は高山村牧と嬬恋村大字千俣を結ぶ歴史の有る毛無道の峠だそうです。

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毛無峠から西に向かうと灰野峠という、これまた古くからの峠があったそうですが
大正末期には廃道となったそうです。
さきほどの六千尺地蔵尊は、この先なのでしょうか?
灰野峠も六千尺地蔵尊も今回は?断念します。

この毛無峠、分岐の標識に行止りとはっきり書かれていますし
荒涼とした雰囲気ですが意外に、にぎやかでした。
登山、トレッキングのベースや暑さを逃れて高地に涼みに来たドライブ客でしょう。
(ただし、この日は寒いくらいでしたけど)

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毛無峠のすぐ東にある林道湯沢線
「一般車輌の進入を禁止します」とありますがポールは開いていましたので、
いつものクロカン用タイヤを履いてくれば下る事が出来たかもしれません。

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林道湯沢線を現在の車道林道から見たところ。
画像ではわかりにくいと思いますが、ところどころ林道が見えています。
眼下に見える、こちらのルートが古い峠道に比較的近いと思われます。
(今回、登ってきた道は硫黄搬出用に開発されたルート???)

さて登り返して万座峠に向かうことにします。

※つづく

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ブレーキレバーの「赤玉」を見て、
「なんでブレーキレバーはダイアコンペなの?」
と思われた方がいるかもしれません。

でも、これってシマノ製なのですよ。
それも正真正銘のデュラエース!
画像では確認しづらいと思いますがシマノの文字の下にデュラエースの文字が入っています。
この、あまり知られていないデュラエースのバリェーションについては、
いずれ記事をかければと考えています。
(バリエーションなんていっても、たいした違いではないのですけど)

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ブレーキセ本体も、もちろんデュラエースですが・・・
実は、ここにもブレーキレバーと同じくネタ(バリエーション)があります。

最近、雑誌にも書かれたりしましたのでごく初期のデュラエースにセンタープルや
セーフティレバーがあったことは知られるようになりましたが初期のサイドプルと
先にも書いたとおり、初期のブレーキレバーにバリエーションが有ったことは
あまり知られていないようです。

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フリーは6段のデュラエースがセットされていました。
歯数は13T~20Tです。
わずかな違いとは言え、せめて21Tが有っても良いと思うのですが
20Tどまりというのが時代ですね。

この画像ではRDのスプリングワイヤーやハブQRのコニカルナット等のサビがひどいのがわかります。
この後フリーのスプロケまでバラして磨きました。

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リムはアラヤの古いチューブラタイヤ用リムです。
面白いのはニップル穴だけではなくバルブ穴にもハトメが付いていること。
もう一つは「BIA」の刻印があること。
BIAの刻印は競輪認可の印なのですが現在のNJSになる前の古いものです。
先に書いたバルブ穴のハトメも古い物の特長なのです。

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ハンドルはステムと同じ日東製が使われています。
しかし普及品に多いバルジ加工の「ユニバーシアード104」がアッセンブルされています。
これは「コストダウンの為にフェルール加工の物より価格が安いバルジ加工の物を使った」と言うより、
「強度は若干劣る物の、わずかに軽量なバルジ加工の物を採用した」と思いたいところです(笑)

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サドルは藤田シームレスの「ヌバック」と呼ばれた(茶系)表皮の物が使われていました。
前回の記事で磨き後の画像は撮影用にサドルを別の中古に付替えています。

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ペダルは三ヶ島のユニークロード(ブラックプレート)
当時の極東プロエースと並ぶ国産、高級ペダルでした。

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オリジナルでは有りませんが当面、このままでいくということなので
カンパの前後変速機もオーバーホールします。
この時代のカンパは部品構成が簡潔ですが性能もまずまず。
(それで格好良いのですから)
ホント、よく考えられて作られているなぁ(RDの限らず)と、いつも思います。
この頃のRDなら目をつぶったままでも組み立てられます?(笑)

※宮田 エディメルクス これにて、一区切り、終わりとします。

サイクリング報告などで、しばらくお休みしましたが
ミヤタ エディメルクスの紹介を再開いたします。

今回は1975年製と思われるミヤタ エディメルクス ロードレーサー「MX-RRDX-B」の
部品を見ていくことにします。

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部品それぞれを見る前に・・・・当ガレージに来た際の全体像を。
画像では、あまり感じられないかもしれませんが初めは結構ひどい状態でした。

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たとえばブレーキ回り。
ひどいサビです。

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総バラシしてサビ落とし+磨き上げていきます。

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ヘッドパーツもバラして点検後磨きます。
ヘッドパーツはデュラエースです。
目立たないのでコストダウンの為に安い物が付けられている事が多いヘッドパーツですが
ミヤタ エディメルクスは、ちゃんとオール デュラエースです(笑)

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一通り磨き組み付けたところ。1枚目の画像と見比べてください。
「えっ、あまり違わないって?」
それは厳しいなぁ、結構がんばったんですけど(笑)

(※サドルだけは綺麗にならないので撮影に用に他の中古に付替えています)

それでは、気を取り直して各部の部品を見てきましょう。
(画像は入手時の状態のままの物と磨き後の物と混ざっています)

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デュラエース チェーンホイールのブラックリングを穴明け加工した物。
もちろん、後で付替えたり加工したのではなくメーカー(ミヤタ)でアッセンブルされた物。
穴は貫通しておらず途中で止まっています。かえって加工が面倒くさそうです。

そういえば同時代のツノダ サターンエースにも同様のチェーンリングが付いていました。
あれって、どういったものなのでしょうか?同じ物???
(それぞれを詳しく比較検討は、まだしていません)
①ミヤタ、ツノダで、それぞれ独自に同じような加工をしていた?
(それぞれの社内、あるいは別々の外注工房)
②ミヤタ、ツノダで同じ所が製作していたものを仕入れて使っていた。
(シマノ製?それともシマノ以外での同じ工房での加工なのか?)
③その他

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日東パールステムとサカエ シートピラー。
両者とも肉抜き加工の後、同じ色目のペイントが入れられています。
これは、ミヤタの指示にもとづくものなのでしょう。
パールは4本の溝が掘られていますが、これが意外に深くて見た人(さわった人)は、
皆さん驚かれます。
日東でサイドに溝を入れた(左右で2本の溝)「パールG」というタイプもありましたが
エディメルクスにアッセンブルされた、こちらの方が肉抜きは、かなり大胆ですね。

サカエピラーは8本もの溝が掘られていますが、こちらは、肉厚の関係もあるのか、
それほど深く彫られていません。

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栄製ピラーのヤグラ部分を上から見たもの。
ヤグラ部分の真ん中を前後切通し状?にゴソッと肉抜きするのはサカエの特徴。
カンパの古いレコードピラー(鉄製)にも同じような加工がされていました。
ヤグラ部分の小物4点(サドル受け、ベースワイヤー押さえ)は、もともと黒く
アルマイト加工されていたようですが長い時間で色あせてしまったようです。

※つづく

※前編よりの続き

今回のリーダー、けったさんのHPにも記事がアップされましたのでアドレスを貼っておきます。
コースの概要、標高などは、けったさんのHPに、わかりやすく出ています。


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山住神社山門
狛犬は山犬(狼)なのだそうです。

山犬(狼)と聞くと人をも襲って恐ろしいと言うイメージですが・・・
山間部で農業を営む人たちにとって山犬(狼)は田畑を荒らす猪、鹿などを退治する益獣であり
天竜区や奥三河一帯には山住神社の山犬信仰が浸透しているとのこと。

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山門を入ると「静岡県指定天然記念物」の2本の大杉。
この画像は山門側からではなく社殿側から撮ったもの。

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「のぼり」には徳川家の葵のご紋。(神社の御神文が葵らしい)
かつて徳川家康が武田軍に追われ山住に逃げ込んだ時、山全体が鳴動、山犬の大音声が
おこり武田勢を退散させたという。
以来、徳川家康の崇敬を受けたという。

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山門から入っていくと、なぜか横向きの社殿があります。
向かって左手が拝殿、右手が本殿。
拝殿のさらに左手は、すぐに柵があり、その先は急斜面ですから
神門から横向きに社殿があるのは地形上の制約かもしれません。

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拝殿。
山住神社の歴史は大変古く709年伊予の大山祇神(おおやまづみのかみ)を勧請して
山住(やまずみ)大権現と称したのが始まりらしい。
(何ヶ所か場所は変わり、もともとの場所は違うとのこと)

画像でも薄暗く、人の気配もなさそうですが実際には社務所には人がいて拝殿には
明かりが灯され、おふだなどは、ちゃんと販売されていました。
(そういえば以前来た時は好天の土曜日だったせいか人出が結構あった気がする)

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山住峠からは水窪町方面へは長いダウンヒル。
雨はそれほどではなく私は防寒対策も兼ねカッパ上下着用ですが二人は上着のみ。

下りの途中にある「布滝」
いつ見ても、わずかな水の流れながら、かれることはないらしい。
それにしても、岩肌の途中から落ちる水が、どこから流れてくるのか不思議な感じ。

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ほぼ下りきると水窪の南、向市場(むかいいちば)の集落。
JR向市場の駅からは輪行・・・ではなく無人駅なので立ち寄ってホームまで入って見ました(笑)

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水窪(向市場)からは天竜川沿いに、下り基調。
国道152号線を下り途中からは交通量の少ない県道285号線を下ります。
(対岸の152号線を利用するので車の通行はほとんどない)
ところが途中、土砂崩れで通行止め。手前の橋で国道に渡り下っていくと対岸に土砂崩れ箇所発見。
そこを過ぎると、ちょうど良いことに県道285号線に戻れる吊橋がありました。

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こんな規模ながら自転車では問題なく通れるので県道に戻ります。
とはうえ、ギシギシ音を立てるし、ところどころ新しい木に張り替えられているので
(と言うことは古くて折れたから???)
ちょっと、不安(笑)

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吊橋を渡れば後はわずかなアップダウンと、わずかな距離で秋葉ダムに到着しました。
この画像はタキちゃんが撮ってくれたもの。
左がけったさんで右がコルサです。
けったさんはガード付のトーエイ スポルティーフ、コルサはツーリング用&パスハン用の
リッチー スイスクロス(シクロクロス レース車・改)、
タキちゃんはデローザ ロード(デローザ複数所有のタキちゃん、雨用デローザ?笑)に
ビニール製リヤマッドガード付きで走りました。


雨が心配され実際、少々降られたものの、たいしたことはなく思い切って行って
良かった山住峠サイクリングでした。
アップも含めれば久しぶりの100㌔超サイクリングで満足満足。
けったさん、タキちゃん、お疲れ様でした。また、どこかへ走りに行きましょう。

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