コルサの毎日がヒルクライム

2011年08月

8月7日は富士スバルラインを自転車で登りました。
がんばりすぎて少し休んでも脚がガクガクしていますが(笑)
以前から行きたかった河口湖自動車博物館の飛行館に行って来ました。
(博物館は集合地点の北麓公園から、すぐ近くにある)

↓ 河口湖自動車博物館 飛行館
http://www.car-airmuseum.com/ZeroFighterMuseum.html

ゼロ戦や一式陸攻など第二次大戦に関連した機体(エンジンなど)も展示されています。
これらを戦争の道具としてのみ、とらえると悲しく複雑な気持ちになりますが
極限を目指したエンジニアの作品として尊敬の気持ちを持って見学しました。
もちろん、戦争とは関係ない機体、資料も多く収蔵されていますので念の為。

飛行機に関しては興味は有るものの詳しくないので画像、あるいはミュージアムのHPを、ご覧ください。
(※なお、撮影に関しては制限はあるものの許されています)
(※飛行館に関しては8月のみの営業です)
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

8月7日、昨年に続いて富士スバルラインを登ってきました。

メンバーはブログ仲間「つり人」さんの呼びかけで集まったサイクリストの皆さんです。

みなさん、分別のあるツーリストの方々でスバルライン登坂といってもタイムを争ったり、
まして着順を競ったりするような催しではありません。
そんなところへ空気も読まず、ひとりカーボンフレームのレーサーを持ち込み、タイムアタックして
ひんしゅくを買っているのが私なのです。
(みなさん、ごめんなさい!)

一応、反省しているようなフリはしても、結構マジで、この日を迎えたのでした(笑)

昨年のタイムが1時間43分20秒程度だったと言うことで
今年の「目標を1時間40分を切る」と設定します。

もちろん、若い人たちやバリバリのヒルクライマーの方達から見ればレベルの
低い目標である事はわかっていますが50歳代に突入した、
普通の?おっさんヒルクライマーの目標としてなら、まあ、ご理解いただけるレベルかと(笑)


さて昨年の記録と記憶を頼りに事前に作戦を練ります。
その作戦がこれ。各合目毎の目標タイムです。

1合目     23分13秒
2合目     38分42秒
3合目     56分07秒
4合目 1時間21分17秒
5合目 1時間39分59秒

目標タイムが1時間40分以内ですから5合目のゴールタイムを1時間39分59秒と設定しました。

当日は、集合時間1時間前ぐらいに到着して「入念にアップ」、「怪しい薬もしっかり飲んで・・・」
と考えていましたが結局、集合地点に到着したのは30分前を切ったぐらい。

あわてて、自転車を降ろし着替えて、なんて準備しているうちに時間です。
結局、アップも出来ず、高いお金を出して買っておいたパフォーマンスが上がるという薬も
飲み忘れてしまいました(笑)


ではスバルラインタイムトライアルの様子はどうだったのか・・・・

スタートは最後尾から、ゆっくりスタート。
アップ出来ていないので極力、軽めのギヤで脚をほぐしていきます。
ただ、ゴール時間の事もあるので、あまり時間をかけてアップして行くわけには行きません。
10分後くらいから、ギヤを少しかけてスピードを上げていきます。
20分過ぎあたりから1合目の看板を気にしながら登って行きます。
おっと看板が見えてきましたが、見えてから意外に到着までには時間がかかり
1合目の目標タイムとの時間差は15秒遅れ。

この段階では、まだ自分の調子が良いのかどうかはかりかねていました。
とりあえず2合目に向けて真剣にペダルを踏んでいきます。
一緒にスタートしたmako10さんが一人、先行しているはずですが、すでに視界からは
消えています・・・・。
そして2合目では12秒挽回し目標タイムとの時間差は3秒遅れ。

この後、先行していたmako10さんが見えてきました。
どうやら、道路右手の駐車場の奥まで景色を見に行ったようですが期待するような
展望はなく自転車から降りず道路に戻ってきたようです。
そのタイムロスで開いていた二人の差が、急速に縮まったのです。
この後、一時、また差が開くかと思ったりもしたのですが、がんばって踏んでいると
徐々に差が詰まってきました。
そして3合目手前あたりで、ほぼ追いつきました。
とりあえず、後ろについて息を整えます。
順調に来たかと思った2合目から3合目ですが3合目のタイムは目標から19秒遅れ。

息が少し整ってきたのでペースアップすることにします。
少し傾斜がきつくなったところで、それまでほとんどしなかったダンシング走行で
ペースアップを試みます。
mako10さんを追い越し、シッティング走行に戻したところでもペースを緩めず踏んでいきます。
あわよくばmako10さんを振り切ってと思ったのですが、そうは甘くはありません(笑) 
もちろん mako10さんは余裕でついてきていました!

すぐ後ろに mako10さんがいると思うと、だらけた走りは出来ません。
そのおかげか3合目からのペースは順調なようです。
 
そして4合目の到着時間は目標より、なんと2分少々も、先行しています!
まだ6キロ以上あるのですが、これはいけると思いペダルに力を込めます。
徐々に残り距離は少なくなっていきますが目標タイムへの残り時間もせまってきています。

そして、残り後わずか、それまで緩い登りだったところから少し最後に傾斜がきつくなります。
ここで、シッティングでの引き足もダンシングの力もほとんど残っていませんでした。

そして、ゴール・・・タイムは1時間43分17秒でした(泣)
昨年よりは3秒速いものの目標には3分以上、及びませんでした。
(もちろん、mako10さんは十数秒先行してゴール)

後で考えてみると・・・
4合目で目標タイムを2分も上回っていたのに4合目から5合目の
短い距離の区間で大きく遅れてしまったのか?

4合目で予定より早かった為、欲が出てしまい、ペースを上げるペダリングに切り替えるのが
早過ぎて体力を使ってしまい、かえってゴール手前で失速してしまったのが原因かもしれません。
(そのまま、あせらずゴール直前までペースを維持していくべきだった?)

・・・・うん?まてよ、目標タイムの設定に問題があったのかも?
4合目と5合目の設定区間タイムを見直すべき???(笑)

でも、もうタイムアッタクして登るのは疲れました~
来年登るとしたら、もう、のんびりの方がいいかなぁ(笑)


まあ、目標には全然、及ばなかったものの去年と、ほぼ変わらないタイムで登れたので
一安心。
実は、6、7月と不調で自信を、かなり、なくしていたのです。
(特に渋峠の不調と言うか疲労感は・・・)
さて、河口湖周辺で一泊して明日は、どこの峠に行こうかなぁ~
(実は翌日、休暇を取ってあったのです)

イメージ 1

富士山五合目簡易郵便局前(標高2,305m)にて
私はデローザ アバントを使用。

左に見える「お買い物自転車」?(笑)はデモ鳥さんのBSモールトン。
フロントには藤製風カゴ付。
彼はサンダルで登りきりました!!

イメージ 2

夕方17時頃、河口湖の北側から見た富士山。

今回は前回に続き1975年製と思われるミヤタ エディメルクス ロードレーサー
「MX-RRDX-B」のフレーム各部を見ていくことにします。

イメージ 1

このエディメルクス レーサーのフレームを見て、ほとんどの人が、がっかりするのが、
このフォーククラウンです。
ボテッとしてエッジがたっていない、このクラウン。
もちろん、プレス製なのですが、この部分だけを見れば当時の普及版クラス自転車とほとんど
同じレベルだと思います。
当時のトップクラスのレーサーとして、ここは手を抜いて欲しくなかったですね。
(コストダウンの為とはいえ)

同じ時期のシルクR2-Xは、ずっと高級感があるロストワックス製と思われる
フォーククラウンを使っていました。
翌76年販売のフジ オリンピッORDは、いわゆるチネリタイプなで肩クラウンを使用。

イメージ 2

プレス製フォーククラウンの下側。
フォークブレード裏側には補強版が付けられていましたが、補強板に良くある
穴加工などは施されていません。

イメージ 3

1975年当時のロードレーサーとしては革新的?だったストレートドロップエンド。
(シマノSF-Rエンド)
当時のロードレーサーは、ほとんどが、まだロードエンドを使っていました。
国内、完成車メーカーが高級ロードでストレートエンドを使ったのは
ミヤタが最初だったのではないかと思います。
翌76年販売のフジ オリンピッORDなどもストレートエンド(こちらはサンツアー製)を採用しました。

イメージ 4

この画像ではリヤエンドではなくチェンステーのRDアウターストッパーに注目してください。
形状からプレス製ではなく機械加工で造られた物だと思われます。
面白いのは「割り」が入れられていること。
リヤブレーキアウターストッパーでは「割り」が入っている物は時々ありますがRDでは少ないと思います。

BBラグ下側に大きな穴をあけていたにもかかわらずエンドに
泥除けステー用ダボ穴が付いたままになっています。
これなら?雨の日のトレーニングには泥除けが付けられますしスポルティーフとしても使えます?

イメージ 5

そういえば何度もリヤエンド周りの画像ばかりでしたね。

リヤエンド巾は126ミリになっており6段フリーがセットされていました。
ロードレーサーのリヤエンド巾が120ミリから126ミリになり5段フリーが6段になっていくのも、
ちょうど75年頃が一般的な始まりだと思います。
(1975年当時、リヤ120ミリ5段フリーの方が、まだ一般的だったと思います)

イメージ 6

BBラグ下の穴明けにも驚きましたが、ミヤタ エディメルクスで私がもっとも驚いたポイントが、
この画像。

注目はラグではなくシートピラーの刻印です。
よく見ていただくと「26.7」の文字がありますが、この数字が何を表しているか、ご存知ですか?
これはシートピラーの径(パイプの内径)なのです。
「変わったピラー径だなぁ」と思われた方は普通の人?この数字にピンと来た方は、
かなりのマニア?でしょうか!?(笑)

この変わった内径を持つパイプ・・・これは海野のD2×D2(通称 デイバイデー)という
パイプにのみ?有ったサイズなのです。

このパイプ、特許を持つ独自の製法で作られ高精度ながら、ある時期レイノルズ531より
高価だったとも言われ1970年代中頃までオーダー車や競輪のフレームに使われていたように
記憶しています。
(その後はご存知のように国産パイプは丹下と石渡がほとんどになる)
海野のD2×D2をマスプロメーカーが採用していたのは75年発表のシルクR2-Xが最後だと
思っていたので、これには驚きました。
この件に関してミヤタはカタログにうたっていたのでしょうか?
サイクルスポーツ誌1975年9月号に、このミヤタ エディメルクスが取上げられた時の解説には
「クロモリダブルバテッド」とだけ書かれ、この記事では、どこのパイプかは判りません。
(本当に海野のD2×D2だったのか?どなたか、ご存知の方、ご教授ください)

ちなみにD2×D2パイプ採用と、はっきりカタログに書いていたシルクR2-Xはリーマーが
通されていたのかピラー径は、普通の26.8㍉径だったのですが。

(部品より、の話ですが)このD2×D2パイプ用のピラーとしては藤田のヒューペルライダーと
ベルトに26.7㍉径の製品が用意されていたと思います。
しかし、このようなサカエの26.7㍉径のピラーが有ったとは全然、知りませんでした。
(このピラーにはステムと同じ色入れがされており差換えた物でないことは明確だと思います)


※次回は部品を見ていきます。

今回は1975年製と思われる
ミヤタ エディメルクス ロードレーサー「MX-RRDX-B」の
フレーム各部を2回にわたって(その2、その3)見ていくことにします。
(画像は思い付き順で取上げていきますので、見にくいかも知れません)

イメージ 1

アルカンシェルラインに囲まれてエディメルクス氏がデザインされたヘッドマーク。
アルミ板で作られておりリベット止めされています。

イメージ 2

ダウンチューブ下側に形式が書かれたステッカーが貼られていました。

イメージ 3

何度も出てきた画像ですがBBラグ下には、このような大穴が開いています。
完成車メーカーのカタログモデルとしては、かなり大胆な肉抜きと思えますが・・・
皆さんからの情報によると、このような肉抜きはエディメルクスだけのものではなく、
その後のミヤタ製ロードのいくつかにも施されていたようです。
(同様の丸穴の物もあれば「M文字型」の物もあった)

イメージ 4

ヘッドラグ
厚ぼったいラグは高級車?とはいえ当時の完成車メーカーでは標準的な仕上げといえるでしょうか?
ラグの上側には穴明けが施され黒いペイントが入れられています。

イメージ 5

シートラグ回り。
ヘッドラグと同じように上側の穴明には黒いペイントが入れられています。
シートピン回りを見ればプレスラグだという事がわかります。
シートステーのフタは、この頃から、はやりだした仕上げ。

イメージ 6

BBラグ
BBラグも標準的なもの。
シマノ製の「カンパタイプ」?ワイヤーリードが直付けされているのも、
この頃の高級ロードの一般的な工作です。
(シマノ製のカンパタイプと言う言い回しもどうかと思いますが)

イメージ 7

シートステイブリッジ
菱形の補強版が、ちゃんと付けられています。
ブレーキの固定は、まだ隠し止めにはなっておらずナット固定のままでした。
(多くのレーサーが隠し止めに移行していくのは1976年頃からか)
ちなみにチェンステーブリッジもありますが補強版は付いていませんでした。
(BBラグの画像参照)

イメージ 8

チェーンステーには「プロフェッショナル」の文字があります。
これは当時、プロ供給された物で云々・・・と言いたいところですが
アマチュア(高校 自転車競技部所属)が購入したものです(笑)

※フレーム各部については次回に続きます。

イメージ 1

先日アップした、この穴のあいたBBラグ・・・・
(車体ナンバーは一部、画像処理で消してあります)

イメージ 2

イメージ 3

正解はミヤタ エディメルクス ロードレーサー「MX-RRDX-B」でした。
上の画像は知人が最近、中古で友人(初代オーナー)から入手したままの状態で
ダウンチューブの大きなエディメルクスステッカーなどが失われています。
(シートチューブの小さなステッカー類もない)
部品に関しては前後の変速機がオリジナルではありませんが、それ以外は比較的、
良くオリジナルを保っていると思われます。

このロードレーサーは当時のミヤタが非常に力を入れて発表した、
エディメルクス シリーズのトップモデルです。
エディメルクスシリーズはロード、ピスト、キャンピング、ファーストライディングそして
サイクルサッカー用まで、あらゆる車種を網羅していました。
(エディメルクス シリーズは1973年9月頃から販売を開始したようです)

ロードレーサーのトップモデルは当初、「MX-RR-A」という形式でしたが1975年に
モデルチェンジが実施されたようです。(他車種については不明)
今回のサンプルは1975年にモデルチェンジした「MX-RRDX-B」(1975年式と思われる)になります。

ミヤタのトップモデルらしく当時の定価150.000円は非常に高価で
別格ブリジストンのグランヴェロ245.000円(オールカンパ、チネリ、クレメンなど)を
のぞけば金額的には最高クラスのロードレーサーでした。
ちなみに当時の片倉シルクのトップモデルはR2-Xで 145.000円、
76年に販売開始のフジオリンピックORDロードは16万円とミヤタ エディメルクスを上回りました。
(古雑誌を調べてみたところ先代?の「MX-RR-A」は15万5千円だった。これでも少し値下げ?されたのか)


イメージ 4

イメージ 5

早速、当ガレージで一度、総ばらしして磨き組みなおした状態。
(サドル、ペダルは他のものに一時的に交換済み)
(知人の自転車ですがポジションは私に合わせてあります。笑)

はじめに書いたとおり、前後変速機がカンパに交換されていますが本来はデュラエースでした。
(RDはクレーンという変速機で当時、デュラエースシリーズに組み入れられていた)

その他、メインパーツは
シマノ デュラエース(ヘッドパーツ、チェンホイール+BB、変速機3点、ブレーキセット、ハブ)、
ハンドル、ステムは日東(ユニバーシアード104、パール)、ピラーはサカエ、
サドルは藤田、リムはアラヤ等がアッセンブルされていました。

※次回はエディメルクス ロードの「フレーム各部」を見ていくことにしましょう。

このページのトップヘ