コルサの毎日がヒルクライム

2012年06月

先日、ダホン オビワン ホイール交換(重量編)と言う記事をアップしたのですが・・・
重要な重量の記載に誤りがありました。
(以前の記事はいったん、削除しました)
眠い目をこすって記事を書いた・・・と言う言い訳はありますが(笑)
お詫びして訂正した記事をアップします。



<ダホン オビワン 8,8㎏への道>、 「その5」は
ダホンのホイール交換の結果についてです。

先回、ダホンのホイールを「LitePro」(ライト プロ)という製品に
交換したことをご報告しました。
皆さんが、外観が変わったこと以外に一番興味があるのは、どのくらい軽くなったのか?
ということだろうと思います。
今回はダホン オビワン(日本名 ビィスク/ビスク)の純正ホイールと
重量の比較をして見たいと思います。
(お待たせいたしました)

その前に(笑)交換したライトプロホイールの画像を改めてアップしておきます。
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さて重量の報告ですが、いずれも①クイックレリーズ、②リムテープは除外して計測しています。

まずはダホンの前輪重量、499.5g、ライトプロは420.5gと
その差、マイナス79.0gでした。

それでは後輪重量は・・・
ダホン純正が907.5g、ライトプロは非常に軽く600.0gと、
その差はなんと307.5gもあり大幅に軽量化されています。

前輪がマイナス79.0gであったのに対し後輪が307.5gと大幅に軽かったのは
カセットフリー本体がアルミ製になり大幅に軽量に仕上げられていることによるもののようです。

いずれにしても「前後輪、合計の軽量化が386.5g」と大きいのは非常に嬉しい結果でした。

また画像を撮り忘れてしまいましたがライトプロホイールにはライトプロネーム入りの
リムテープ(チューブとリムの間のテープ。チューブの損傷を防止する)も付属していました。
これもダホン純正と比べるとダホン純正が40.5g(2本)、
ライトプロが22.5g(同じく2本)と、こんな簡単なものでも18g、
軽量化されていました(意外と嬉しい・・・笑)

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以前、ご報告したタイヤ+チューブの軽量化(自分が新車時に付替えた
CSTタイヤ+シュワルベチューブに対してパナレーサー ミニッツライトタイヤ+R-Airチューブに
交換の結果)がマイナス265.5gでしたから合計するとホイール関係でトータル670.0g!!!
(ホイールマイナス386.5g)
(リムテープ マイナス18g)
(タイヤ チューブ マイナス265.5g)
もの軽量化が図れたことになります。

回転部分(特にホイール)の軽量化は一説には回転部分以外の場所に比べて3倍以上の効果?
があるといわれます。

これは、いよいよ走りが楽しみになってきました。

走りも期待できますが・・・
もちろん、持ち上げた時にも、これだけ違うと、はっきりと感じ取る事が出来ます。

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さて、上の画像は以前の記事で書いた130ミリ幅のハブ(後輪)を135ミリの
エンド幅のフレームに合わせる為の小物。
この重量は・・・新ホイールに入れていません。
とは言っても数グラムの物ですから、たいしたことはないのですが・・・
しかし、エンド幅の違いが、ちょっと問題になる事もありました。

実は後輪のクイックレリーズシャフトのことなのです。
(もちろん、フロントはエンド幅は変わらないので問題なし)
ライトプロの後輪用QRシャフトはダホン オビワンのオリジナルと比較してみると
5ミリ短いのでした。
(ライトプロホイールは130ミリエンドフレーム用なので)
これでは少し不安になるので今のところ、ライトプロ付属のQRは使用せずQRは前後とも
オビワンの純正ホイールに付いたものを使っています。

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黒のQRセットがダホン オビワンに付属していた物。
シルバーのQRセットがライトプロホイールに付属していた物。

QRセットも重量比較をしてみましょう。
フロントはダホン オビワン純正が50.0g、ライトプロは47.5g。
リヤはダホン オビワン純正が60.0g、ライトプロは56.0g(5ミリ短い)という結果で、
いずれもライトプロが軽いものの、その差は僅かでした。
形式、形状が、ほぼ一緒なのでチタンを使うなど材質でも変えない限り、
ここは大きく重量が変わることはないのでしょう。

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QRは、しばらく適当な手持ちの物を使っておき、何か軽量な適当な物でも見つけたら
交換するとしましょう。

そうそう、ダホンは折り畳み時にホイールを外す必要はないので上の画像のような
レバーがない6角レンチ式などの軽量な物でもよいかもしれません。
ただし、一般向けとするとフロントはネジを切った上で短く加工する必要があります。
(ダホンのフロントエンド幅は73ミリ程度しかない為)
またリアは135ミリエンドのMTB用の長い物が必要となります。

でも、6角レンチ式のシャフトなどにしているとパンクした時に予備チューブほか修理道具一式は
持っているのに6角レンチがなくてホイールが外せないとかになるんだよね(笑)

※次回は軽量ホイール+軽量タイヤによる走行のインプレッションを。
(例によっていつになるかは、わかりません)

奈良県側から国道166号線をメインに走り旧道の高見峠、国道から少し外れて加杖坂峠と、
二つの峠を午前中に、チャイチャイ?と越えて、
その後は奈良県の史跡、小さな峠でも少し・・・
なんて軽く考えていたら高見峠は奈良県側、三重県側とも通行止め、加杖坂峠は西側からの
ルートは、やはり通行止めとのこと。
仕方なく、いったん車に戻り加杖坂峠の東側から登坂を試みることにしました。

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さて、なんとか高見トンネルを通って車に戻り、東側の加杖坂峠登り口まで車で移動しました。
国道166号線から少し入った地区に車を置き登りはじめます。
しかし、画像の通り、山は険しく・・・
天気まで悪くなってくるし(朝方は日もさしていたのに)・・・不安(笑)

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まずは蓮ダム(奥香肌湖)を目指します。
画像の中腹に写っているのがダムの管理事務所でした。

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蓮ダムを右岸側から見たところ。

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蓮ダムを上流から見たところ。
ダム湖は奥香肌湖となんだか色っぽい、名前が付いています。
(ちかくに奥香肌峡などもあります。こちらに、ちなんだ名前でしょうけど・・・?)

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ダムから数キロ走りダム湖の水もなくなってきて川状態になってきました。
巨石がゴロゴロ。

ダムから7、8キロは軽いアップダウンの連続だけでしたが養鱒場?あたりからの
3キロほどは凄い登りになりました。

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廃村となってしまった、かつての青田集落辺り?で見た謎の建物。
(青田集落はダム建設でダム湖に沈まなかった家も含め全戸移転したとのこと)
門のようでもありますが他に建物はなく・・・
反対側も同じような作り・・・
両側には何もなく広場が広がっていました。
建物自体はそれほど古いものではなさそうでしたが用途がわかりません。
一体何なのでしょう。

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峠のトンネル手前に旧峠道らしき道がありましたが、またも通行止めの標識があり、
また重機の音もしていたので、とりあえずトンネルで西側に出てみました。
加杖坂トンネル西側。
右手に延びるのが峠に向かう旧道。

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加杖坂トンネル西側から西を見たところ。
ここは県境ではなく西側も三重県です。
(奈良県境から少し東に入った所に有る峠です)
残念ながら加杖坂トンネルの西側も東側も展望は良くありません。

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西側から加杖坂峠を目指して登っていきます。

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トンネルからは僅かな登りで加杖坂峠に到着。
西側から東側を見たところ。
切通しの向こうを左手に延びるのが峠道で右手(南側)に延びるのは林道らしい。

画像、左手には崖に掘り込むようにして小さなお堂を作り、お地蔵さんが
祭られていたらしいのですが現在はトンネル西側出口に(峠の東西両地区の世話役などによって)
移動してお祭りされていました。
その理由は案内板によると「トンネルが出来、峠道は役目を終えた為、トンネル入口に移した」
とのことでした。
ただダムが出来た為、東の村は全戸移転してしまい現在は、そのトンネルを通る車さえ、
ほとんどないようでした。
(ダム湖から峠往復の約20キロで工事関係者、渓流釣らしき数台の車しか見なかった)

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峠から見た東側の峠道。
数キロで加杖坂トンネル東側に出るはず。
下りたかったのですが先ほども書いたとおり、東側入口に通行止めの看板があったのと
撮影している今も重機の音が響いているので、下るのは断念しました。
(トンネルをくぐって戻った)

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加杖坂峠から南に延びる道をのぞいてみると、ダイナミック?な景色が広がっていました。

とりあえず加杖坂峠には登れました。
今、登って来た道を下り車まで戻ります。。
ただ、ダム湖下流の車を置いてきた集落まで戻っても周辺に、
これと言った峠も遺跡もありませんし(知りませんし?)・・・
加杖坂峠ひとつでは、物足りませんが?今日は帰る事にしましょう(笑)
(今回の関西行き報告は、これで終わり)

10日は午後から奈良の古墳をたくさん回りましたが、まだまだ回りたいところが有ります。
しかし、当初の予定通り11日は峠を走りに行きます(笑)


場所は奈良県と三重県の県境、高見峠と高見峠の東側にある加杖坂峠(かつえざかとうげ)です。
奈良県桜井市から国道166号線を東に向かい佐倉峠を越えた辺りで自転車を降ろし走り始めます。

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国道166号線、道は良いものの交通量は驚くほど少なく傾斜を苦にしなければ?
走りやすい道です(笑)
どんどん登っていくと、やがて高見トンネルが近づいてきます。
そのトンネルの少し手前に旧道への分岐がありました。

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旧道に入って後は、がんばるだけと登りはじめたら、すぐに・・・
通行止めになっています。
ゲートのところにあった案内地図を詳細に見てみると
「車はもちろん、歩行者も通行できず」とあります。
どうやら高見峠のある高見山は登山で人気の山のようで歩行者も多いようです。
歩行者もダメと書かれているし(違うルートで登山してくださいとのこと)・・・
今日は月曜日だし(工事関係者がいる可能性が高い)
「今日はあきらめるしかないか」
そうは言いながらも、あきらめきれずに(笑)
案内地図を見ていると「三重県側も通行できません」とあるではありませんか!
残念ながら今回は高見峠をあきらめるしかなさそうです(泣)

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旧道の峠はあきらめ、
国道166号線、高見トンネルを三重県側に出ると、こんな看板がありました。
旧道だけではなく新国道166号線も、三重県側は、すごい道のようです。
(奈良県側は直線の所も多かった)

奈良県側には「三重県側も通行できません」と書かれていたのは先ほど書きましたが、
もしかしたら間違いかもしれませんので(笑)
念の為、三重県側から確かめに登っていきます。
しかし、本当に三重県側にも通行止めの標識が出ており、
仕方なく高見峠は、あきらめることにして次の目的地、加杖坂峠に向かいます。

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加杖坂峠は西側から登ると国道166号線から3キロほどでトンネルに着くはずです。
「まあ、加杖坂峠に登ったら高見峠の代りに一度車に戻り反対側の佐倉峠などを
登りに行けばいいや」などと考えながら国道166号線から道を折れると・・・
何と、こちらも通行止めではありませんか!
ガードマンに聞いてみると「2ヶ所崩壊しているので9月まで通行止め」とのこと。
今日の目標の峠が二つとも通行止めとは・・・
「何とか歩き(押して)でもいけないのか?」とか聞いていると
「東側からなら、峠のトンネルまでは行けるはず」との情報を教えてくれました。

ただ、ここから東まで回ると距離が長すぎて自転車では無理でしょう。
仕方なく一度、車まで引き返して加杖坂峠、東側の登り口まで移動することにします。
(画像は国道166号線まで戻った後、規制をかけている場所を撮ったところ)

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三重県側から見た尾根。
あの低い所が高見峠でしょうか?

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あそこまで登るのか?・・・
三重県側、国道166号線高見トンネル手前。
目標の峠、ひとつも超えず車に戻る足取りの重いことといったら(笑)

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一枚前の画像のループ上のところまで登り撮影地点付近を見下ろした所。

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さて、なんとか高見トンネルを通って車に戻り、東側の加杖坂峠登り口まで移動しました。
国道166号線から少し入った地区に車を置き登りはじめます。
画像の通り、山は険しく・・・天気まで悪くなってくるし・・・不安(笑)

佐記盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)を目指します。
佐記盾列古墳群では60以上の古墳が確認されているようで中でも前方後円墳が17基、
そのうち全長200mを越えるものが8基もある巨大古墳群です。

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交通量の多い国道24号線を北上すると目の前に現れる巨大古墳。
まずは全長約255mの前方後円墳、ウワナベ古墳です。
佐記盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と呼ばれる奈良県北部の古墳群です。

ウワナベ古墳は江戸時代には元明天皇陵とされていた事もあったそうで、現在も
宮内庁は陵墓参考地として管理、その為、学者による調査、立ち入りもできません。
陵墓参考地という形で、あやふやなまま管理するなら日本の歴史解明の為にも調査しても・・・

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ウワナベ古墳の西に航空自衛隊の敷地を僅かにはさんで、あるのがコナベ古墳。
全長約207mの前方後円墳です。
コナベ古墳も江戸時代には元正天皇陵とされていた事もあったそうで、
ここも陵墓参考地になっています。

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コナベ古墳の、すぐ北側にあるのがヒシアゲ古墳。
全長約219mの前方後円墳。
巨大古墳が次々現れます。

ここは、宮内庁により仁徳天皇の皇后の陵墓(平城坂上陵)とされており調査できませんが
外堤の調査では円筒埴輪列が発見されています。
(もちろん、画像の円筒埴輪はレプリカ)
多くの天皇陵、皇后陵などがそうであるように、ここも被葬者に関して学会では疑問視されています。
(宮内庁の陵墓の治定は江戸時代などの古い資料を基にされている為らしい)
ヒシアゲ古墳は巨大なのですが内濠の周りが林になっているところが多く
全景の画像が撮れませんでした。

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ヒシアゲ古墳の北側を回ってから南下。
次の古墳を探していると、あれっ、平城京跡に出ました。
(今回は平城京跡はスルーです。 笑)

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平城京遺跡の北に接するようにあるのが平城天皇陵(楊梅陵)、ただ一般的には
市庭古墳と呼ばれています。
この古墳、航空写真や地形図で見ると円墳のように見えるのですが周辺の調査により
全長約252mもある巨大な前方後円墳なのだそうです。
これは南側の平城京造営の際に前方部が削られてしまったようです。
ただ、そうなると平城京造営以前にあった古墳が、その後の平安時代の平城天皇の陵墓とするには
無理があり(年代的に合わない)否定的な意見が学会では多いようです。

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先に書いたとおり平城天皇陵(市庭古墳)で現在残るのは、前方後円墳の円墳の部分のみ。
ここから、かつては更に後方部がのびていたらしい。

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日曜日の夕方、賑わうショッピングセンター出入口に辟易としながら県道52号線に出ると
左手にいきなり?拝所が見えます。
ここが第46代・孝謙天皇陵(高野陵)(後に再度、即位して第48代・称徳天皇)でした。
ただ孝謙天皇は前方後円墳の作られなくなった8世紀の人物であり天皇陵と呼ぶよりは
一般的な佐紀高塚古墳と呼ぶべきでしょうか。
全長約127mの前方後円墳だそうです。
画像では長閑に見えますが背後は交通量の多い県道52号線、向かって右手は
ショッピングセンターで混雑しています。

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この周辺は、古墳が連なっていますが特に、佐紀高塚古墳、佐紀石塚古墳、佐紀陵山古墳は、
ほとんど、「ひしめき合う」と言ってもいい状態です。
上の画像が、そのなかの佐紀石塚古墳。
ここは宮内庁により第13代・成務天皇陵(狭城盾列池後陵)とされています。
全長約218.5mの前方後円墳。
画像は濠の外側の拝所から見た古墳の後方部ですが・・・
この画像では、どこの古墳かも判りませんね。
(日暮れが近く時間がなかったのと大古墳が隣接しているなどで引いた画像が取れなかった)

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左手が成務天皇陵(狭城盾列池後陵)(佐紀石塚古墳)、右手が佐紀陵山古墳。
このように道をはさんで両古墳の周濠があるほど隣接しています。

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成務天皇陵(狭城盾列池後陵)(佐紀石塚古墳)の東側に隣接する、佐紀陵山古墳の拝所。
こちらは垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)の狭木之寺間陵とされています。
全長約206mの前方後円墳。

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佐記盾列古墳群の北西にある大古墳。
仲哀天皇神功皇后陵(狭城盾列池上陵)、佐記盾列古墳群で一番大きな前方後円墳で
全長約275mもあるそうです。
一般的には五社神古墳(ごさしこふん)と呼ばれています。
遠景は古墳、北東側から見たところ。
右が後円部、左が前方部分。
この古墳も陵墓として宮内庁の管理にあり立ち入りは出来ませんが、短時間ながら例外的?
に立ち入り調査が実施されています。

さて、周辺には、まだまだ興味深い古墳が、いくつかありますが既に時間は17時半近くに
なってしまいました。
ここから車までは距離の近い奈良市街地(交通量が多い)を通っても15キロ程度あり、
完全に暗くなるもでの時間を考えても、もう戻らないといけません。

ということで今日はこれまで。
やはり、最低、あと1時間早く走りだすべきでした(笑)
(結局、車に戻ったのは18時40分頃)

ダホン オビワン 8,8㎏への道 その4
はダホンのホイール交換についてです。
(お待たせいたしました)

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中国在住の知人が中国で入手して送ってくれたホイールは「LitePro」と書かれた
ステッカーが貼られていました。
私、自身詳細に見比べたわけでは有りませんが知人いわく、
実質的にダホン プロホイールやキネティック(キネティックス)として売られている物と
同じだろうとのことでした。

まあ、詳細に見れば違いはあるのかもしれませんが画像のようにスポーク本数は少なく、
またスポークアレンジも攻撃的なスタイルです。

カラーは私が選択したシルバー以外にブラック、レッドもあるとのことでした。
レッドはいかにも交換したとアピールできて面白いかとも思ったのですが知人の
「レッド アルマイトは処理が悪いのか色が褪せやすいので避けた方がよい」
といわれ軽快な(無難な)シルバーを選びました。


さて、届いて最初にしなければいけないのはリヤハブのエンド幅と構造の確認です。
前回の記事に書きましたがホイールのエンド幅は(やはり)当然?130ミリでした。
(私のダホン オビワンはエンド幅135ミリ。多分日本仕様のビィスク/ビスクも同じですよね)
ホイールのリヤエンド幅は130ミリでしたから今度は135ミリに改造出来るのか?
構造の確認です。

余談になりますが私のブリジストン モールトンはエンド幅が
2種類あるうちの135ミリの方で130ミリのロード用ハブを使っています。

その方法は
①ロードハブの中空シャフトを外す。
(シマノ 旧アルテグラハブ使用)
②MTB用の135ミリエンド幅用、中空シャフトに組み替える。
③ハブ左側に5ミリ厚のスペーサーを入れる。
④ホイールセンターを左に2,5ミリ寄せる(ずらす)
このようにして、もともとは130ミリのロード用リヤハブを135ミリエンド幅のフレームに
使っています。
この手法が使えないかと考えていたのですが・・・

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画像はLitePro・ライトプロ ホイールのリヤ左側。
ご覧のとおり・・・先に書いたシマノハブの改造手法は使えそうにありません(泣)

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そこで使うことになった小物がこれです。
(日本国内でも使われているのでしょうか?)
知人が上海の小径車専門店!?で見つけてくれた小物です。
形としては単純な物なので旋盤があれば簡単に削りだせるでしょう。

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先ほどの小物を裏返してハブの左側に被せます。
これでリヤエンド幅が、
「あ~ら簡単、130ミリから135ミリに変わりました!」
なんとハブ左側にアルミの小物を被せクイックシャフトを通すだけという、
ちょっと心配になる方法ですけど。

しかし、この小物、もともとはフロントホイール用に考え出された物らしく、
73ミリのダホン専用フロントホイールの両側に、
この小物(形はほぼ一緒ですが、もちろんサイズは違う)を付ければ
100ミリのエンド幅のフレームで使えるという代物だったようです。

被せただけでガタはありますし少し心配ですが、他に考え付かないので、
この方法で行くことにします。

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小物とハブはガタがあり、このままでは簡単に取れてしまいます。
出先でのパンク修理や整備中に落としてしまい転がってなくしてしまう事も
考えられますので念の為、ボンドで接着しておきます(笑)
(強度的にはクイックシャフトを通しフレームに固定してしまえば特に問題はなさそうです)


さて、これでリヤホイールのエンド幅は130ミリから135ミリになりました。

でも、これで使えるようになった訳ではありません。
ハブ左側のみ5ミリのスペーサーが入ったのですからホイールのセンターが狂ってしまいました。
ホイールセンターを左に2,5ミリ寄せてホイールの左右センターを出さなければいけません。

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さっそく、ホイールのセンターを調整しようと思いホイールを見てみます。
ライトプロホイールのスポークとリム部分。
「あれっ、ニップルが有りません?」

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ライトプロホイール(その他の、この手のホイールも同様)はニップルが
リム内部側にあります。
その為、ニップル調整はタイヤが付いていると行えません。
タイヤを付ける前に、このような「T字型」のニップル回しで調整していきます。
ホイールセンターを変更する前に縦横のフレを確認してみましたが・・・
まあ、こんなもんか?と言うレベルでした。
リムの継ぎ目の精度は、それほど悪くはなさそうです。

左にスペーサー5ミリを入れたのでセンターを2,5ミリずらしながら
ホイールセンターを出していきます。
もちろん、センター調整の作業の影響でホイールの縦横のブレも少々、出ますし、
もともとあった細かいフレも少しずつ目立たないよう調整していきます。
と、まあ偉そうな事を言いましたが最後の詰めが、なかなか決まらず(笑)
スポークの本数が少ないのとアレンジの関係で細かい、調整がなかなか出ません。
まあ、どうせ少し乗れば馴染みも出てフレもまた少し出た頃、タイヤのローテーションを
兼ねて再度フレ取りをすればいいや、と適当?な所で切り上げました(笑)

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リヤホイールの話ばかり書いてきましたがフロントの画像も。
まるで、おもちゃの様なフロントハブとスポーク。
フロントの縦横のフレは調整せず。
ざっと見たところ、気になるフレはなかったので少し乗り込んで
馴染みが出た頃、タイヤローテーションをしながら微調整をするつもりです。
(当然、リヤと一緒の次期ですね)


さて、ホイール交換による軽量化の結果は、そして軽量タイヤとあわせた
試乗のインプレッションは・・・
また、後日、次回の記事と言うことで。

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