コルサの毎日がヒルクライム

2014年02月

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先回、ご報告した花丸峠、その東には仏坂峠があります。
(今回の記事は、先日ご報告した花丸峠の帰りに探索したものです)
画像は仏坂峠のトンネル西側になりますが古道(仏坂峠)は、もちろん、
山を越えていました。
現在、東海自然歩道が尾根伝いに、ここ仏坂峠まで通っているのですが
峠からは、このトンネル西側に降りてくるルートになっています。
(これが仏坂峠の旧道西側)
この古道の峠、かつては荷を背負った馬がたびたび転落する危険なルートで
現在は(画像の右側に)階段で降りてくるようになっています。
ただ以前から疑問なのは仏峠から東に下るルート。
記憶では東海自然歩道の「仏坂峠」地点にも西に下る道はあっても東に下る
ルートは痕跡も感じられませんでした。

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これは仏坂峠のトンネルを東側から見たところ。
この画像ではトンネルから尾根までは、ほんのわずかしかないように見えます。
(1、2枚目とも実際より更に画像の方が近く感じると思います)

「これなら迷っても簡単に行けるんじゃないの?」
と思うほど、甘ちゃんではありません。
今までそう思って山に分け入り何度痛い目を見たことか(笑)

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トンネルの東側入り口から少し手前に道があることは以前から
気が付いていました。
その奥はどうなっているのか、今回探索してみます。
(ただし、冬の日暮れは早いので行動時間は1時間と決めて)

おっと、沢があり橋がかかっています。これは古道(旧峠道)の痕跡か?

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ただ、橋はこんな様子。
自転車はここに置き歩いていくことにします。
歩きでもこの橋は危ないので沢に下りて歩いて越えることにします。

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橋から右手と左手と両方向に、古道の「におい」が感じられました。
まずは右手方向に。
(ここが道の跡と思う方がおかしい???)

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すぐに道の痕跡は消えうせてしまいました。
尾根はすぐそこに見えますが・・・
古道の痕跡は感じられなくなってしまったので、こちらは断念。

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橋の近くまで戻って、こんな所を登っていきます。
(ここは結果的に古道ではないと思う。本来は最後の画像の方が古道ではないかと)

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すると沢に沿って溝状の地形が。
これは人馬が通ることによって削られた古道の痕跡ではないのか?

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しかし、まもなく、こちらのルートも、この有様。
それでも尾根までは、もうほんのわずかに見えます。
古道の痕跡はないものの尾根まで行ってみたい衝動に駆られますが・・・
東海自然歩道を歩くハイカーの姿か声が聞こえたら、この先にアッタクしたのでしょうが(笑)
東海自然歩道の難所区間?を真冬の夕方近くに、歩く人などいるわけもありません。
(もともと、前方の尾根が東海自然歩道かどうかも確かではありません)
単独と言うこともあり、本日はこれで断念。

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下っていくと最初の橋からは少し方向が外れた方向に道らしき痕跡がのびていました。
(先ほどの橋は古道の痕跡ではないのかもしれません)
この道を辿っていくと・・・2枚目の画像のトンネルの上部に出て道は途切れていました。
トンネル工事の段階で峠からの古道は失われたのでしょうか。
はじめ(1、2枚目の画像)の、あの橋は林業関係者が古道とは関係なしに
造った物だったのかもしれません。

ここも近いうちに確かめたいものですが・・・
案外、東海自然歩道を西側から登って仏坂峠を再度、探索したら意外に
簡単に古道の痕跡が見つかったりして?(笑)

前回は花丸峠に北西ルートから登った記事を書きました。
今回は花丸峠を下ります。

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南側から見た花丸峠。
峠で休憩、昼食の予定でしたが・・・強風で寒くて耐えられません(笑)
とりあえず風がよけられて日当たりがよいところまで下ることにします。

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さて、峠からどちらに下りましょうか?
南ルートはスタート地点方向に近いけど、ひどく荒れていること
は判っているので単独では精神的に辛い。
東ルートはMTBなら乗れるところが多いものの古道、林道の距離があり
今日のスイスクロスでは振動が厳しい。
来た道を戻るのはつまらない・・・
ということで北西ルートを下ることにしました。

北西ルートはスタート地点まで戻るのに一番遠回りになりますが
以前下った時はMTBでほとんど乗車できた記憶がありますし、
舗装路に出てしまえば遠回りとはいえ、ずっと舗装なのです。
ただ、その北西ルートも以前とは比べようもないほど峠周辺から
荒れているのが気にはなります。

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下っていっても心配どおり荒れていてほとんど乗車することは出来ません。

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やっと乗れそうになってきたと思ったら今度は崩落しています。

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下ってきた道を振り返ります。
真新しく見える石碑ですが江戸時代と思われる年号がありました。

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同じく下ってきた道を振り返っています。
舗装路が近くなってくると石垣など、かつての生活の痕跡が見られるようになります。
前回、書いた郵便配達の人の自転車は、このあたりに置かれていたのでしょうか?
それとも、もう少し下のほうでしょうか?

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舗装路に出ました。
左手が花丸峠から下ってきた道になります。
道端ですが日当たりがよく風も遮られるので、ここで昼食、休憩。

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あとは、ぐるっと山裾を回って仏坂峠に向かい海老方面まで舗装路を行くだけですが・・・
強風の為、とても辛かったのは想定外でした。
(画像は既に神田、月地区周辺まで走ったところ)
今日は、わざわざ、風の影響が少ないと思い山間部に走りに来たのですが(笑)
(ここは例外的に道が良い区間、ほとんどは崖下の曲がりくねったセンターラインもない道が続く)
この辺りでは谷を抜けてくる風が強烈で思わず足を付いてしまうほどでした。

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仏坂峠に向かう道。
見えてはいませんが正面奥の山の向こう辺りが花丸峠でしょうか?

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信じられないかもしれませんが「その1」の最初に書いた
「東ルートの南にあるルート」は、この山中の尾根近くを通っています。
今シーズン中(草木がはえず、山ヒル、虫、蛇の出ない冬の間)に、
なんとか探索してみたいと思っています。
画像の舗装道路は広く見えますが・・・
たまたま、ここだけで
後はほとんど崖沿いの狭い曲がりくねった道です。
その為、近年まで道は山中の尾根近くにしか作ることが
出来なかったようです。

さて、次回は久しぶりにMTBで東ルートを下るか・・・
それとも峠を通らない南ルートを探索するか・・・
でも、その時は、どこから登りましょうか?
距離的には南ルートですが・・・
高低差もあるし倒木もおおいし荒れ果てて辛いしなぁ(笑)
そうそう、安全の為に同行者も募らないと。

先日、久しぶりに奥三河の花丸峠に行ってきました。
この峠、何度かたずねていますが、まだ通ったことのないルートもあります。
また一度通ったルートも年月がたち印象も薄れていますので、これから、
また何度かたずねることになりそうです。
奥三河の小峠に過ぎない花丸峠に、なぜ、こだわるのかと
言われる方も見えるでしょう。
しかし、この峠は奥三河の、いくつかの里、海老、田口、東栄、豊根などを結ぶ
ルート上にあり車移動、車輸送が中心になる以前は、多くの人が歩いて越えた
重要な峠の一つなのです。
この峠、現在は、迂回する形で自動車の通れるルートが整備された為、
険しい地形にある花丸峠は昔のまま(開発もされず)さびれていき今では
踏み跡すらあやしいほど荒れています。


この際ですから花丸峠周辺の道について書いておきましょう。
まず峠を中心に4方向にルートがあります。
北側には田口方面に向かう道があり、これを①北西ルート、
北側には、もうひとつ豊根方面に向かう②北東ルートがあります。
峠から東には東栄町に向かう③東ルート、峠から南には④南ルートがあります。
(ルート名は私が勝手につけたもの)
また峠は通らないものの南ルートの途中から分岐して東に抜ける険しい
ルートなどもあります。

この中で南ルート+北東ルートは郵便物も運ばれていたと地元の方に
聞いたことがあります。
その方法は海老方面から自転車で花丸峠の麓まで来ると、そこから徒歩で峠を越え
反対側の麓においてあるもう一台の自転車に乗り換えて更に先に
配達に行ったのだそうです。
(海老側の仏坂峠は、どうしていたのでしょうか? やはり徒歩しかないような)
また北西ルート+東ルートは現在の豊田市、足助町地区方面から花丸峠を
こえて東に向かい東栄町から浦川を通り更に山越えして天竜の秋葉神社に向かう
信仰の道でもあったようです。

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海老地区から四谷の千枚田を眺めながら仏坂峠を目指します。

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仏坂峠に到着。

このあと、今回は先にご説明した4ルートのうち北西ルートから峠を
目指すことにします。
本来なら古道は南ルートを登るのですが悪路なのは判っているので
回り道をしてでも楽と思われる、そして初めて通る北西ルートに回りこみます。

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今回、乗ったのは、どうせ峠の古道では押すことになるし・・・
アプローチの舗装路を重視したスイスクロス。
タイヤはパナレーサーのパセラ、トレッドは舗装路向けなながらアメサイドで
丈夫なので悪路も、そこそここなせます。

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地形図で目星をつけておいた辺りに来ると右に登っていく道を発見、
これは順調、順調(笑)

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最初は車で入れる道でしたが、それもまもなく終わりシングルトラックになりました。
更に進んでいくと、いかにも古道の跡らしい良い雰囲気の道になってきました。
こんな石積みのところもあります。

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尾根も近くなってきて、これは楽勝かな~、なんて思いだしたら、こんな様子に。
以前、峠に登ったときには北西ルートが一番道が、
しっかりしているように見えたのですが・・・
「まさか、ここまで登って道が違った?」

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自転車を置いて探索に出かけると・・・
荒れてはいましたが峠に至る道に間違いないことがわかりました。
やれやれ(笑)

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ここが花丸峠です。(北側から見たところ)
峠自体がここまで荒れているのですから、峠道も荒れてしまっているのも
仕方ないことでしょう。

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峠を南側から見たところ。
わずかな切通しが古道。中央の高い所に茶店があったようです。
茶店の手前、右手方向に東ルートがのびています。


さて、これからどうするか・・・つづく。

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ニューサイクリング誌 Tシャツその2
今回も前回に引き続きニューサイクリング誌で企画され販売されたTシャツです。
(前回の記事 シリーズその24)

いつ頃のものか、これも前回のまま・・・
バックナンバーを調べれば、判るはずですが、大体の時期も
思い浮かびませんので調べてはおりません。
(80年代中頃ぐらいの物だったでしょうか???)

※前回の物は「80年代の物」とのコメントをいただきました。


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前面には綺麗な色使いの版画風?イラストが書かれています。
背面は文字もイラストもないシンプルなものになっています。

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今回のTシャツのサイズ表示は前回のTシャツのサイズ表示と
形式が違うことから・・・

①年代が違う。
②製造工場が違う。

などが考えられますが・・・

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東谷橋を渡って国道155号線沿いの志段味古墳群に戻り、白鳥一号墳を探します。
交通量の多い国道沿いに、ひっそりと入り口がありました。

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白鳥一号墳、6世紀後半の円墳で直径は17mほどとのこと。
のどかな立地に見えますが、すぐ向こうは国道155号線なので往来する車の騒音が・・・

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白鳥一号墳は名古屋市内では唯一、横穴式石室が完全に残る古墳で
市の史跡に指定されています。

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白鳥一号墳の石室の石組みの様子。
案内板には平面徳利型、無袖式とありました。

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次に向かったのは勝手塚古墳。
すぐ北には大型書店、ドラッグストアーなどがすでに立っています。

これは帰りに遠方から撮った画像で勝手塚古墳です。
いつの時代にか神社が建てられた為、古墳自体は、
かえって良く保存されています。

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勝手塚古墳、右が後円部、左が前方部、形状は帆立貝式古墳(墳丘長53mほど)
で6世紀はじめとのこと。
この古墳も後方部に対して後円部が極端に高い。

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神社の裏手に回ると周濠が、よい状態で残っていました。
ただ、もともとは二重の濠がめぐっており、これは内堀とのことです。

さて次は大久手池周辺に向かい古墳を探します。

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大久手池周辺の東大久手古墳。
形状は帆立貝式古墳(墳丘長37mほど)で5世紀末とのこと。

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しかし、墳丘は大きく破壊されていました。

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今度は西大久手古墳。
案内板がなければ、ここが古墳とわかるような盛土は、まったく見られません。
ここは帆立貝式古墳(墳丘長37mほど)で5世紀中頃とのこと。
このような現状ですが発掘調査で人や馬の形をした埴輪が見つかっているそうです。
(東日本では一番古いという)

他にも大久手池周辺には古墳がいくつか存在したはずですが・・・
それらしい場所は見つけましたが案内板もなく発見できませんでした。
それでも、今日は貴重な古墳を、いくつも見ることが出来たし大満足の散策でした。
さて、そろそろ帰るとしましょうか。

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