コルサの毎日がヒルクライム

2014年03月

3月16日に豊橋市で「古墳でたどる穂の国の古代」という魅力的な
イベントが開催されました。
(穂の国とは愛知県東部、東三河地区の古代の呼び名)

その日は別のイベントに参加要請があり残念ながら参加できなかったのでした。

後でチラシを見ると、コースには名前は知っていたものの行ったことのない
古墳もコースに入っています。

そこでコースにはなかったようですが近くで気になる古墳と合わせて(23日に)
サイクリングで探索に行くことにしました。

ただし、行動時間は午前中、昼までに戻らなければいけないので時間(行動範囲)
は限られてしまういます。
その為、目的ポイントは二か所だけにしておきました。

イメージ 1

豊橋市街地から田園地帯をのんびり走り石巻地区へ。
右手の権現山には権現山古墳群があります。
(ちなみに権現山には戦中、ここに高射砲が作られた)
左手の山が今回の最初の目的地。

イメージ 2

白山神社の境内から山頂に登っていくと勝山1号墳が見えてきました。
先に書いたイベントのコースには権現山古墳群が入っていましたが、
こちらは特にふれられていませんでした。
ただ下草が刈られていましたし隣接しますから見学コースに
入っていたのかもしれません。

イメージ 3

この勝山1号墳、3世紀後葉の築造ではないかと考えられ
東三河で最古の古墳とする資料もあります。

形状は前方後方墳(前方後円墳ではない)と言われていますが
後方部とされる部分は見ただけでは後円に見えてしまいます。
全長は約44m、葺石は検出されていないそうです。

イメージ 4

現在は林の中に立地する勝山1号墳ですが作られた当時は四方が
見渡せたのではないでしょうか?

北側には豊川越しに本宮山が見え当時も豊川沿いの湿地では稲作が行われていたのでしょう。

イメージ 5

東側には豊橋市では最大の馬越長火塚古墳(中央の森)を中心に口明塚南古墳、
大塚南古墳など多くの古墳が点在しています。

イメージ 6

さて次の古墳に向かいます。
先ほどの勝山1号墳から河岸段丘?沿いに走ると見えてくるのが照山城址。
ここは、ちょうど今頃、咲くカタクリの群生地として知られています。
(写真愛好家に聞いたところ23日には、まだ早かったとのこと)

イメージ 7

照山城址から少し登ったところ。何の変哲もない田舎の風景。
このガードレールの外に小さく見えるのが九太夫塚古墳(くだゆうづかこふん)。
この方向からは道路脇の小山にしか見えませんが・・・

イメージ 8

石室の入り口側に回ってみると立派な石室を持つ古墳でした。
玄室の保存状態はとても良好ですが羨道は天井石が失われ床面は
土砂で埋もれています。
本格的な発掘調査は行われていないようで副葬品なども知られていないようです。
(早い時期に盗掘されていた?)

イメージ 9

案内板もちゃんと整備されていました。

イメージ 10

石室入口から内部の様子。
しっかりとした石組み、巨大な岩による奥壁と天井石です。

古墳の規模としては、この辺りでも、たいしたものではないかもしれませんが、
これだけの石を運搬し組み上げるのは大変な作業だったでしょう。
(昔は羨道部分があり、もう少し大きかったと思われますが)

イメージ 11

石室内部から外を見たところ、玄室内部は、ぎりぎり立てるか立てないか
くらいの高さがありました。


今日は昼までしか時間がありませんので、これで帰ることにします。
半日ですが順調に二つの古墳を見学でき大満足です。

イメージ 12

十数キロ走って豊橋市の中心地へ。
大きな建物は豊橋市役所、手前の小さなのは吉田城(再建)
豊橋市民でも、この方向から見たことのある人は意外に少ないのでは。
そういえば吉田城址も、もう何十年も?行ったことがないような。
今度は城跡の様子を探索してみるのも面白いかも(笑)

イメージ 13

今回の使用車はダホン オビワン。
最近はサドルをフランスのイデアル90(1990年製)に交換して乗っています。
近日中に、また他の古い革サドルに交換予定?(笑)

その1の記事をアップしてから、ずいぶん時間が空いてしまいました。

さて、前回の記事の通りリベットを用意しなくてはなりません。

いろいろ探してみたものの簡単に流用出来そうなものは見つからず
結局、アルミ棒から作ることにしました。
当初は知人に旋盤で削り出してもらおうと思いましたが、ここまで自力でやってきましたので
最後まで自分で何とかしてみようと思ったのです。

イメージ 1

7か8ミリの太い物から削り出すことも考えましたが
結局、一番簡単そうな方法で行くことにしました。
まずは6ミリの丸棒を適当な長さに切ります。

イメージ 2

それを万力にしっかり固定して・・・
ハンマーで叩いて少しずつ加工していきます。
ホームセンターで売っている「普通の」アルミ材なので簡単に変形していきます。

イメージ 3

そこそこの大きさになってきましたのでヤグラ部に挿入してみます。
少し長かったので赤いマークのところで切断し切断部分をたたいていくことにします。

ところが叩く反対側の方の形状が意外に複雑で、うまくリベットの頭が
金床に当たりません。
やすりなどを台にしてリベットの頭が固定できるようにして叩いてみます。

イメージ 4

しかし、叩く方法では、あと少し「かしめ」の部分が、しまりません。
そこでリベットの頭部分両側に6ミリのナットをうまくかまして
万力で圧縮してみます。

イメージ 5

これが、うまくいって「かしめ」部分が、しっかり固く締まりました。
こちら側はナットの位置がドンピシャで中央はナットの穴で盛り上がっていますが
周囲は、うまくナットに押しつぶされて綺麗に成形されています。

イメージ 6

反対側の「かしめ」部分。
ナット位置がセンターからずれ汚い仕上がりですが、まあ、しっかりつぶれています。
仕上がりは綺麗ではありませんでしたがサドルを付けてしまえば
板ベースに隠れて見えません(笑)

これで、作業は終了。
まあ、ふつうに使う分には強度も心配ないと思うのですが・・・

次回は27.0ミリ径のピラーを27.2ミリに改造しようかな~。

イメージ 1

前回、ご紹介した藤田サドル工業の板ベース用シートピラー。
今回は、このピラーを改造してみます。

ピラーを改造するきっかけはピラー径サイズ違い。
気に入ったピラーを手に入れても使いたいフレームと
サイズが合わなければどうしようもありません。

今回は26.2ミリ径のベルトピラーを26.8ミリに改造します。

イメージ 2

選んだのはパイプの上部まで、ひどい傷のあった旧型。
前回の記事でも書いたヤグラ後部にリベットが打たれていないタイプです。

まずは複数の直径のドリルを用いリベットの頭を削っていきます。
サドルを組んでしまえば見えないところとはいえセンターがずれたり
本体を傷つけないように慎重に。
リベットはアルミ製で、わりと簡単な作業でした。

イメージ 3

片側が削れたところで適当な鉄の棒で打ち出していきます。

イメージ 4

先にも書いた通り、これでパイプとヤグラが分離できるはず・・・
と思ったのは早計でした。
画像をよく見ていただくと穴の周りにパイプ状に見える部分がありませんか?
これ、実は見えるだけでなく本当にパイプが打ち込まれていたのでした。
これを、うっかり見逃した為、後で少し苦労することになります。

イメージ 5

下側の潰れたのが大失敗の証拠。
これが穴の周りに打ち込まれていたアルミパイプ。
ヤグラを取り除こうとパイプ下部から鉄棒を入れプラスチックハンマーでたたくと・・・
動く感触があったのですがヤグラは全然動いていません。
あれっと思って、中をライトで照らすと何かつぶれています。
まあ、仕方ないのでとりあえず叩いて打ち出しました。
何か代わりになる物をと探すと外径、内径ともほぼ同寸法のステンレスパイプが
ジャンク部品箱にありました。
やれやれ助かりました(笑)

イメージ 6

やっとヤグラとパイプが分離しました。

イメージ 7

これがパイプの上部、ヤグラがついていた部分です。
ある程度予測していたといえ困ったことになりました。
画像をよく見ていただくと26.2ミリのピラー径に対しヤグラがついていた部分の
寸法がほんのわずか細いだけだということがお分かりになるかと思います。

実は一本ピラーの上部にベルトピラーのヤグラをつけようと考えていたのですが
一本ピラーの絞込み部分は細すぎます(これがA案)。

B案は26.8ミリ径のピラーの上部の細く絞り込んである部分を切断し外形をヤグラが
入るまで削り込もうという作戦でした。
しかし、流用するつもりだったカロイ製の一本ピラーの各部を計測してみると
ピラー肉厚が1ミリを切ることになり強度的に不安が残ります。
まあ、パイプを一本ピラーなどを流用するなどというチープな改造ではなく
旋盤でそれ用にパイプを削り出せるなら悩むこともないのでしょうが。

イメージ 8

で、結局「A案+スペーサー作戦」
一本ピラーの上部にベルトピラーのヤグラがつくようにスペーサーをかぶせます。
といっても簡単に寸法が適当な素材が見つかるはずもありません。
ジャンク箱をかき回しハンドルやピラーの切断した端材を探します。
すると3Tのハンドル中央部(ステムクランプ部で肉厚な部分)が内径的には
使えそうなことがわかりました。
外径は少し太いのですが、これは、あとで何とかすることにしましょう。
画像は一本ピラーに3Tのハンドル中央切断部分を叩き込んだところ。
当初、かなりきつそうだったのでハンドル内部を少し半丸やすりで削りました。

イメージ 9

加工中のピラー上部。
内側が一本ピラーの上部、外側が名付けて
「自作・ハンドル中央部切断パイプ利用式スペーサー」(長い!)

さて、今度は外径をヤグラ内部の径に合わせなければいけません。
だいたい1ミリぐらい細くする必要がありまそうです。
通常なら旋盤で、ということになるのでしょうが、もちろん旋盤はうちにはありません。
それにピラー+自作スペーサーで精度が出ているとは思えません。
となると旋盤で削ろうと思ってもセンターがうまく出ずきれいに
削れない可能性もあります。
といことで「やすり」と布ペーパーでしこしこと手加工で削ることにしました。

イメージ 10

右側から無加工の一本ピラー、
左側がベルトピラーからヤグラ部分を外したパイプ部分。
中央が一本ピラーに自作スペーサーをかませ、外径を手加工で削ったピラー。

ここまでくれば、かなり先が見えてきた気がします。
でも、リベットなど簡単に流用できそうな心当たりのない部品もあります。
さて、この後どうなるのか・・・

※この記事をアップした時点では、まだ作業中。次回の記事はいつになるのか???

70年代から80年代のサイクリング車を愛好する人に人気のあるサドルに、
いわゆる板ベースサドルがあります。

イメージ 1

念の為、ご説明しておきますと通常のサドルがワイヤー(丸棒)を使っていて
ワイヤベースサドルと呼ばれるのに対し
板ベースサドルというのは画像のようにアルミの板を使ってサドルを
構成しているサドルのことです。

有名で特に人気のあるのはイデアルですが日本にもいくつかのメーカーが
販売していたようです。
(上の画像は藤田のハイエスト クオリティという製品)

この板ベースサドルには付属のヤグラを使って一本ピラー(引き抜きパイプピラー)
に取り付けるか板ベース専用のピラーを使用してフレームにセットすることになります。


板ベース専用ピラーには私の知る限り藤田のベルトかスペインのゼウスしかなかったようです。

藤田は板ベースサドルを作っていたので専用ピラーを作っていたのは、
理解できますがゼウスはどうだったのでしょうか?
ゼウスはフレームも自製、完成車販売もしていましたし部品だけで見ても、
カンパやシマノ、サンツアー以上?のコンポメーカーだったので、
もしかして板ベースのサドルも作っていていたのでしょうか。
(ゼウス製のユニカタイプ?、ロードレース用サドルは日本にも輸入されていました)

イメージ 2

藤田サドル工業(株)のベルトNo.2タイプシートピラー。
サンプルは、このような綺麗な箱に入っていました。

箱に、ちゃんとNo.2,TYPEと書かれていますから専用の箱が
準備されていたことがわかります。 

ちなみに、ふつうのワイヤベースサドル用のピラーはNo.1タイプシートピラーと
呼ばれていました。

イメージ 3

サドルを固定する為の専用のスパナが付属しています。
ただ、ナットサイズに対して、あまりに短く締付けトルク不足になることは、
あきらかです。

イメージ 4

さて、ベルトNo.2タイプシートピラーのサンプルを探してみました。

あまり流通していなかったので、ほとんど知られていないと思いますが
違いがいくつかあります。
(例によって、どうでもよいような些細なことばかりですが・笑)

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

一番大きな違いは、この板ベースの取り付け部分。
分解してみると、こんな具合。

3枚の画像とも右側が新しい製品だと思われます。
なぜ、このような変更が行われたのかは考えても理由がよくわかりません。

イメージ 8

古いタイプの側面には他のフジタ製品と同じく目盛りが入っています。

イメージ 9

下側が新しい製品ですが下部側(画像右側)には「MINIMUM INSERTION」
の文字などが刻印されています。

また画像からも輝きが違うのがお分かりになると思います。
これは経年変化の影響も、ありますが
もともと仕上げの方法か材質にも違いがあったように思われます。

イメージ 10

ヤグラ部分、後ろ側にも違いがあります。

左が古いタイプで右が新しいタイプです。
新しいタイプには(ブラインド)リベットが打たれています。

イメージ 11

この部品画像は先ほど板ベースの取り付け部分の違いで出した画像です。

両タイプの向かって右側のリベット部分を見てください。
リベットの「つぶし方」だけでなくリベット周辺の、形状も違うことがわかりますね。
(どうでもいい細かすぎる違いですけど)

イメージ 12

サドルの固定には14ミリのナットが使われています。

そして、ギザの角度がすごい緩み止めワッシャー。

3枚目の画像で出てきた付属のスパナで締め付けるには、
このくらいのギザギザの緩み止めワッシャーでないと簡単に
動いてしまうのかもしれません。
(こんなワッシャーでも付属のスパナではトルク不足で動いてしまうでしょうけど)

このワッシャー、緩み止めには効果があるのでしょうが
あまりに締めたり緩めたりの感触が良くありません。
(ナット、本体も、このワッシャーで削れてしまう難点もあった)
その為、私は普通の平ワッシャーに変えて、ちゃんとした長さのあるスパナで締めていました。
これで、動いたりしたことは特にありませんでした。

余談ながら、このピラー(ただし、ワイヤーベース用)をレースに使用していた私は、
更に少しでも軽くしようと、このナットを軽合金化していました。
杉野のクランク固定ボルトのボルト部をカット、中心に穴をあけネジを切って
ナットに加工し使っていました。
ただ、そのままだと15ミリなので狭いヤグラ部分で締めたり緩めたりしにくく
削り込んで14ミリ化していました。
(藤田ヒューペルライダーや杉野マイティの2本止めよりベルトの方がもともと軽い)


今回は、これまで。
いずれ機会がありましたら、このピラーで遊んでみた?(改造)記事をアップしたいと思います。

仏坂峠旧道探索は大変だったものの距離が短く順調に終わりました。
まだ夕暮れまでは時間があるため、もう少し周辺を探索してから帰ることにします。

いくつかプランは浮かびましたが単純に距離を延ばすことよりも
仏坂峠に続いて古道の峠を訪問することにします。
(以前にも記事をアップしたことがある峠道です)

イメージ 1

仏坂峠を西側、海老方面に下ると連谷小学校ちかくのヘアピンカーブから見える尾根、
ここが次の目的地。

ただ、こちらから登るのは厳しいので(笑)別ルートから登ります。

イメージ 2

現在の車道から登って、いきなり峠のトンネル画像。

ここは(現在の)与良木峠といいます。
トンネルの上部には古道が一部残っていますが旧与良木峠は、
ここではありません。
トンネルの上部に旧の峠が存在しないという珍しい?峠になります。
では、旧の与良木峠はどこにあるのか?

旧与良木峠は、ここから東の山の中にあり、画像には映っていませんが
右手に伸びる道を進んでいくと旧道に合流します。

イメージ 3

尾根に近いものの山深く日当たりもあまり良い土地ではありませんが
水田の跡が残っています。
昔の人は米を収穫する為、こんな山深い所にも水田を開墾したのでしょう。
(杉の植林がされる前は今より日当たりが良かったのかも)

イメージ 4

雰囲気の良い古道が残っています。

イメージ 5

水田跡から離れると道は登りはじめ杉林の中に伸びています。

イメージ 6

ここが旧与良木峠。
でも、この峠の特徴は画像左手にあります。

イメージ 7

旧与良木峠の石仏群。

この場所には、かつて2軒の茶店があったそうです。

イメージ 8

イメージ 9

前回、アップした仏坂峠の西側に位置する与良木峠も三河と信州を結ぶ
重要なルートの一つでかつては往来する人馬がたくさんいたようです。
その安全を祈って周辺の商人がお金を出し合って作ったのが、この石仏群。
もともと、ここにまとめてあったのか峠道各所にあったものを、のちにここに
集めたのかは未確認。
(周辺の商人といっても近くには集落はなく海老、清崎、田口あたりでしょうか)

イメージ 10

旧与良木峠を東側に下っていきます。

峠に一番近いところにある民家。(今は住む人もなさそうな)
道は、この家の前で曲り更に下っていきます。

イメージ 11

そして下っていくと仏坂峠から下ってきたこの場所に。
(この記事、最初の画像と同じ)

尾根の近くに2軒ほどの民家と電柱が写っているのですが画像では
確認できないかもしれません。

現在の与良木峠トンネルが出来る前、また稲目トンネルが通れるようになる前は、
この峠道を越えるぐらいしかなかったのでしょう。
(稲目トンネルは、もともと田口線のトンネル。廃線後、整備され車の道となった)

このページのトップヘ