コルサの毎日がヒルクライム

2015年03月

いまだ病気治療中ですがお医者さんも「自転車に乗ってはいけない」と
言ってはいないようなので?(笑)
久々にMTB+低山登山に隊員と出掛けました。


今回は豊橋の東部、愛知県と静岡県の県境にも近い、
新城市中宇利地区がスタート。
(東名高速の渋滞の名所???宇利トンネルの近く)

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まずは、いきなり福津峠に登る。
久しぶりで意外に長くきつく感じる(笑)

ここから東に下り国道257号線、下吉田地区へ。
下吉田地区から、すぐに国道を離れ山道を登る。

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建設中の新東名高速道路高架下を抜け小阿寺川沿いに山道を
登っていくと分岐。
これを東に急坂を上っていけば右手に大森山の登山口がありました。

この辺りから、雨がポツポツ落ちてきました。
しかし、なぜか4人とも大雨にはならないと変な自信?があって天候を
楽観視。
これが、帰路、大変なことになろうとは。

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ここからは自転車を持って行っても役に立ちそうもないので
登山口に自転車を置いていくことにします。

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大森山登山道は・・・あまり登る人も多くないようで、ところどころ
踏み跡も怪しい。
ただ、ピンクのテープなどが結構巻き付けてあり、大きく迷うことは
ありませんでした。

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だましピークを過ぎて更に登っていくと「カエル岩」
まあ、左に向いているカエルの姿に見えなくもないが(笑)

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更に登っていくと、こんな山奥に石垣などが。
近くには窪地?のような所もあり
どうやら、住居などではなく炭焼き窯の跡のようです。

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炭焼き窯らしき痕跡を過ぎれば、あとわずかで大森山山頂(514m)でした。
山頂からの展望は残念ながらありません。

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山頂の更に先、少し低いところから何となく展望がありそうで
見に行きますが残念ながら木々の間からわずかに新東名高速道路、
引佐ジャンクションあたりが見える程度でした。
(それも写真にはならない程度しか見えない)

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頂上で食事、休憩、あとは来た道を折り返し下るだけです。
若干、道を見失う区間もあったものの無事、道まで下山。

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道に出ましたが、すでにかなりの雨が。
画像ではわかりにくいのですが、すでに雨で路面は滑りやすそうな状態に。
雨の下り、以前の古いMTBだったら下りのブレーキングに苦労したことでしょうが
新しいMTBのディスクブレーキが早速、役に立つことになりました。
(逆にブレーキの効き過ぎでロックに注意?)

この後は、かなりの雨の中、福津峠を登って下り中宇利の車を置いたところに
戻るだけですが・・・
すでに道路には大きな水たまりや川状?のところまで。
結局、下着まで、びしょ濡れになって、やっと車にたどり着いたのでした。

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仲間へのお披露目走行で、いきなり大雨に見舞われた新MTB。
まあ、以前の古いスチールMTBならサビが心配なところですがカーボンフレームなので
サビの心配がないだけでも、ありがたい??(笑)

記事のアップが遅くなりましたが・・・
3月22日はモールトンポタに参加させていただきました。
走行距離はわずかで病み上がりには、かえって好都合?(笑)


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集合スタートは名古屋市緑区大高緑地。
周囲の喧騒?からは想像もつかない、のどかな空間。

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新旧のモールトン、6台が集合。

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自分は、ほぼ最終形(自分なりの完成形)となったAM-7で参加。

以前の仕様から
ステム、ピラー、サドル、チェンホイールなどを変更。

そうそう、外見上は、あまり目だないものの一番、重要な変更は駆動系を
10速から11速に変更したこと。
シフター(STIレバー)、RD、スプロケ、チェーン交換など金銭的にも大変ですが
10速対応のハブには、そのままでは11速スプロケットが収まらないので
その辺のクリアが意外に大変。

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「桶狭間の戦い」古戦場。
周囲は住宅、商業地域になってしまっているので、かつての戦を
しのぶのは難しい。

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織田信長、今川義元の両雄も、今は並んでいました。

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東海道 鳴海宿(有松町)
江戸時代からお土産などとして人気だったという有松絞り(ありまつしぼり)で
有名な有松町は古い町並みも残っています。
(江戸時代にブームとなったお伊勢参りのお土産に有松絞りの手拭などが人気)

病み上がりで(というか治療中)の為、がっつり走りに行くというわけには
行きませんが新しいMTBも来たので乗ってみたくて仕方ありません。
そこで、自宅近くの海岸と戦争遺跡の探索に行ってきました。


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自宅から数キロなのに久しぶりに来た豊橋市西赤沢の太平洋海岸。
中学生の頃は化石採集や浜遊びに時々来ていたのですが。
サーファーの友人を探すものの今日は来ていないみたい。


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海食崖の中腹から見た太平洋。
中腹でこの落差ですからてっぺんからの標高差は数十m。
落ちた体力でも超ワイドなギヤ比で何とかクリア(笑)


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豊橋市西赤沢町の貴船神社。
まずは参拝して戦争遺跡の残るという裏山に入ります。


ここは先ほどの海岸から、1キロ足らずの場所にあります。
第二次世界大戦後半、太平洋からのアメリカ軍の上陸を迎え撃つべく(本土決戦)
築かれた遺構だということです。
(豊橋市はかつて歩兵第十八聯隊、海軍航空隊基地などの軍都でした。)


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社殿の裏山に入るとすぐに、それらしい溝がありました。

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これが塹壕(交通壕、生存壕)の一部と思われます。

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画像ではわかりにくいと思いますが・・・
さらに裏山を探索すると丸い穴が、いくつかありました。
ここには機銃などを置いた(あるいは置こうとした)跡かも知れません。
この辺りの地形は北に向かって緩やかに傾斜していますので(海岸は南側)、
迎え撃つというよりも、いったん上陸した(された)アメリカ軍を背後から
攻撃しようとしたのかもしれません。
(現在、貴船神社の裏山の北側は国道42号線が東西に通っていて丘は断ち切られています)
まあ、いずれにしても、この辺りが実際の戦場にならずによかったですね。

オフロード用に最新鋭戦闘機を導入しました。
(支払いのあてもないのに・・・)


まあ、中級クラス機なのに、ついうかれて「最新鋭戦闘機」と
書いてしまったのには・・・
これまでのリッチーMTBが1993年式(すでに22年前・・・)で
フロントサスペンションもディスクブレーキも装備されていない為。

というか・・・ブレーキゴムは20年前に買った新品???だし、
シフターはもう何度注油しても(ワイヤーも変えて)動きが怪しいし(笑)

これでも一人でパスハンに使っているだけなら(フロントサスなしも)
軽くて良かったのですが、ここ2、3年、また仲間と山に行くことが多くて。
そうすると林道ではサスなし、ほとんど効かないブレーキでは仲間に
ついていくのは辛くて辛くて。
また怪しいシフターでは登りはもちろん下りでも変速のリズムが乱れ
体力を消耗してしまいます。

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そこで、導入したのがジャイアントの中級機(XTC ADVANCED 27.5 2)です。
しかし、中級機と言ってもフロントサスペンションにディスクブレーキ装備、
カーボンフレームと言うことで「三階級特進」したぐらいの気持ちなんです(笑)
そのうえホイールサイズは走破性が高くバランスが良いとされる
「27.5インチ」なんです!!
(ちなみに27.5インチは650Bとビード径が同じ)


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カタログ重量ではペダルなし(ペダルは付属しない)で「11.0㎏」となっていましたが
実測値は11.20㎏でした。
これは27.5×2.1のホイールサイズを考えれば、まずまず。
というかフロントサス付き(今や当たり前ですが)、27.5インチホイールの
マウンテンバイクの実測値としては、なかなか軽量な方なのでは。
やはりカーボンフレームのおかげ?


ということでテンション上がる、コルサなのでした。
ところが・・・病気治療が長引きそうで、いつのなったら思い切り乗れるのか。
(軽く?乗るのは医師の許可が出ていますが)

3月15日は吉田城址(よしだじょうし)の発掘説明会に行ってきました。

豊橋周辺の方なら、ご存じでしょうが・・・
少し説明しますと豊橋市の市役所東側に広がる豊橋公園が、ほとんど吉田城址の
跡地になるのだそうです。
豊橋公園内には現在、公園のほかに豊橋市美術博物館、豊橋球場、陸上競技場なども
作られた広い場所ですが、かつての吉田城は更に広かったようです。

1505年に現在の豊川市の豪族、牧野古白(まきのこはく)によって築かれ
当初は今橋城と称していたのだそうですが後に吉田城と改称されたのだそうです。


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今回の発掘調査は美術博物館の増築工事にともなうものだそうです。
右手に見える建物が現在の豊橋市美術博物館。
今回発掘されたのは吉田城の三の丸あたりだそうですが
江戸時代の遺構は少なく大半は戦国時代の遺構だそうです。

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ボコボコ穴が開いていますが・・・
これは大半が戦国時代の屋敷跡の柱穴だそうです。
(複数の建物が何度か建て替えられたので、たくさんの柱穴が残る)
地面に直接柱を埋めて建てた屋敷と聞くと、ずいぶん貧相に思えますが
日本の当時の標準的な建築方法なのだそうです。
(伊勢神宮なども同じ。掘っ立て柱式)

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これは戦国時代の土師器の鍋。
これ以外にも戦国時代の土師器の皿、平安時代の灰釉陶器、戦国時代の
土壙墓なども発見されたそうです。

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発掘説明会の後、吉田城址の案内、説明もありました。
個人的にあとで回ろうと思っていたところを学芸員の方の説明付きで
案内していただけるのですから、ありがたい。

画像は三の丸、二の丸を経て、いよいよ本丸へ突入するところ(笑)
やはり、お城見学は攻め入る足軽の目線で(笑)
ここには立派な石垣があります。

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本丸から復元された鉄櫓を見たところ。
そういえば・・・周辺にはたびたび来ているものの(市役所もあるし)ここまで
来たのは数十年ぶりかも(笑)
公園内には戦争遺跡もあるので、後日、もう一度、探索に来ることにしましょう。

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本丸内から南側を見たところ。
樹木の陰に見えるのは豊橋市役所。

自分が所属していたボーイスカウトでは毎年、冬休みに入る日(12月24日だったか)の夜、
夜間訓練(だったと思う)を行っていました。
石垣をロープで降りたり石垣の間に張ったロープを渡ったり今考えると
ずいぶんワイルドな訓練をしていたものだと思います。

訓練の後は父兄の作ったトン汁をいただくのが、お楽しみになっていました。
さらに信じられないのは全員ではなかったと思うのですが何人かは、
この場所にテントを張って野営し翌日、片付けを行っていたような・・・
私も真冬にテント泊し、あまりに寒く学生服まで着て(二学期の終業式の帰りだったのだろう)
寝袋で震えて寝た記憶があります。
よくもまあ、こんな場所で、また真冬にテント泊までしたものだと思います。

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今回はBSモールトンに乗って行きました。
最近はアレックスモールトンAM-7ばかり乗っていましたが、BSモールトンも、
やっぱり楽しい。
二台のモールトン、17インチホイールつながりという共通項を持ちますが、
見た目も乗り味も、それぞれに個性があり甲乙つけがたい(笑)

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