コルサの毎日がヒルクライム

2015年09月

※まだシルバーウィーク、サイクリングの二日目午後の報告をしています(笑)


午前中、高取山(高取城)を満喫。
休憩後、午後は、また古墳巡りに。


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「歴史に憩う橿原博物館」
ここは、新沢千塚古墳群の一角にある資料館(昨年リニューアルしたばかり)。
新沢千塚と呼ばれるぐらいですから・・・橿原市南西部の丘陵に約600基の
古墳が連なっています。
この古墳群は大雑把に言って4世紀の後半から6世紀の終わりごろまで約200年に
わたって作り続けられていたようです。
数が多いだけでなく古墳の規模(大きさ)も形もいろいろあります。
なかでも126号墳からはササン朝ペルシャからもたらされたと考えられている
ガラス器を含む貴重で素晴らしい遺物が見つかっており興味深い古墳群です。
ここではボランティア説明員の方(女性)も見えて疑問に答えていただいたり
面白い話をたっぷり聞かせていただくことが出来ました。

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外観は、これといって特別な古墳ではありませんが貴重な遺物が多数
見つかったことで有名な126号墳。
周辺にも多数古墳が見えます。

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振り返っても古墳、また古墳(笑)

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新沢千塚古墳群に隣接?した鳥屋ミサンザイ古墳(前方後円墳)。
宮内庁は宣化天皇陵としています。
この古墳も宮内庁管轄の為、調査されていませんが新沢千塚古墳と同時期に
築かれたようです。
この古墳には奈良の古墳巡りを始めたころ、一度来ましたが・・・
それから少しは勉強して知識も増えたため?以前とは違った感慨を
もって眺めました?(笑)

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鳥屋ミサンザイ古墳の奥(南側)にある枡山古墳。
ここは宮内庁により崇神天皇皇子、倭彦命墓とされています。
画像右手が前方部、左が後円部の前方後円墳のように見えますが・・・
これは江戸時代の仕業(笑)
幕府が朝廷のご機嫌取り?に天皇陵など
(天皇陵だけではなく皇后、皇子の墓なども)を整備した「文久の修陵」の際(だったと思う)、
方墳を丸く成形し更に後方部をつけたして前方後円墳に仕立てた
ものとされています。

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枡山古墳の後円部側、本来の方墳部分を見たところ。

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この枡山古墳は倭彦命墓として宮内庁が管理していると先に書きましたが
面白いことに古墳を横切ることが出来ます。
(通常、宮内庁指定の古墳は立ち入りが一切禁止されています)
画像は墳丘を横切っているところ。
画像左手が本来の古墳(方墳)である枡山古墳、
右手が前方後円墳(倭彦命墓としての)の前方部分。

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なぜそんなところを横切ることが出来るのかと言うと宮内庁は現在、
倭彦命墓として江戸時代に付け加えられた前方部分を指定している為。
本来の古墳(被葬者は不明)部分は指定から外れているからなのです。

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新沢千塚古墳から車で移動。
夕暮れの飛鳥に戻り・・・明日香村埋蔵文化財展示室。
レプリカが多いものの手軽(無料・駐車場もある)に明日香村の埋蔵文化財の
概要を知ることが出来ます。

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17時頃の欽明天皇陵。
普段なら人っ子一人いない?夕暮れですが、この日は(シルバーウィーク中)
こんな時間にも家族連れから古墳女子まで(笑)

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もう日没ですが(17時半頃)この日最後の古墳に(笑)
橿原市の沼山古墳。
(有名な巨石遺構、岩船の近くの住宅地の公園内にあります)
公園内の雑木林の中にある為、この時間では蚊の襲撃が凄い。

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扉の隙間から石室の撮影を試みるもカメラ不調?
結局フラッシュがつかず石室の画像はブレブレでした。

明日、三日目は帰宅する日。
それでも午前中は、どこかを回ってから帰ることにします。
どこを見学していこうかなぁ。

※まだシルバーウィーク、サイクリングの二日目午前中の報告をしています(笑)


二日目は日本三大山城(その中でも一番と言われる)の一つ、高取城まで登ります。
高取城が日本一と言われるゆえんは・・・
三代山城の中でも、ふもとからの標高差が446mと最も高いこと。
また、その石垣などの規模も物凄いこと。
(ちなみに高取城の標高は583mまたは資料によっては584m、583.9m)


近鉄吉野線、壺阪駅近くから自転車で登り始めます。
国道169号線から県道119号線に入ると交通量はぐっと少なくなり静かで
走りやすくなりますが・・・登り坂はきつくなります。
特にきつかったのは残り2.8キロの標識からの1キロ。
ここは、この登りの最大の難所、何とかふもとからノンストップで
登りきることが出来ました。
(BSモールトンはサスペンション付きでダンシングしにくいので登りで辛い)
(以前はハードサスキットを入れていたので多少出来たけど今はノーマルなので)

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とにかく、ふもとからの標高差446mの山中によくこんな石垣を持つお城が
作れたと驚くばかり。

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当然標高も高いので景色もよい。
多くの登山者でにぎわっていました。
(車で登ってきた人も多かったけど)

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高取山(高取城)では、もう一つ大事なものが。
高取城、二ノ門外にある猿石。
これがどこにあるのか探していたんですが、けっこう最近になって高取城に
あると聞き見に来たんです。
なぜ、この猿石が気になっていたかと言うと飛鳥の欽明天皇陵近くの
「吉備姫王の墓(きびひめのみこ)」にある有名な4体の猿石とかつては
一緒にあったらしいのです。
それが高取城の築城の際、他の石材と一緒に高取山に運ばれてしまった
ということです。
離れ離れになった猿石をぜひ見て見たかったのです。

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順番は違いますが、この日の夕暮れ時に4体の猿石を久しぶりに見に
行ってきましたので画像をここに載せておきます。

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登りでは原則、止まらない主義なので下りに、あちこち立ち寄ったり
写真を撮ります。
ここは登りの途中にある壺阪峠。
この峠のある道は現在、大淀古道と呼ばれる古代の重要な道の一つ
だったそうです。

今回のスタイルは・・・
水分はヘッドチューブにつけたペットボトルで補給。
フロントバッグにはカメラ、資料本、パンフレット、地図、貴重品を入れ
自転車を離れるときは、このバッグを持参します。
テールバッグには予備チューブ、工具類、そして食料を入れてあります。

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高取山には他にも見ておきたいものが。
これが五百羅漢。
ここの五百羅漢は自然石に刻まれている珍しいものです。
(道路からは200mとの標識がありますが、もう少しあるような気も)

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五百羅漢を見て少し下ると壷阪寺。
見どころも多いお寺と言うことで、この日も賑わっていましたが・・・
自分の興味からは少し外れるので今回は道路から画像を撮るのみ(笑)

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下って、ふもとまで来ると中世の風情を残す土佐の街、土佐街道。
見どころのある街ですが・・・今日は素通り(笑)


これで、二日目、午前の部?は終わり。

※二日目午後の部へ続く。

9月27日は豊橋で「豊橋万場クリテリウムロードレース大会」がありました。
私も人数合わせ?(笑)で参加要請があり参加することになりました。


種目は、いつもの4時間耐久レースかと思っていたら
チームタイムトライアルにもエントリーされているとのこと。
耐久レースだけでも走るのが大変なのに、その前にチームタイムトライアルも
走らなければならないとは。


しかも当日は雨、天気予報では良い天気、悪くても朝には雨が
上がっているつもりだったのに(泣)
当然、雨でチームタイムトライアルは「参加取り止め」になると思って車で
寝ていたら、なんとメンバー全員「走る」と言うので慌てて準備する。

まあ、「チームの若手二人に先頭交代させて後ろで楽していればいいや」
と考えていたらスタートで2番手につく予定の若手が、なかなかペダルが入らない。
仕方なく自分が2番手に入る。
まあ、「交代の順番が回ってきたら少しだけ引いて、すぐ変わっちゃおう」
と思っていたところ、ちょうど先頭の順番が回ってきたところがチームのピットの手前。
「ここはカッコ良いところを見せておこう」と少し長い距離を引いて・・・
これが裏目に出て最後、疲れてヘロヘロでゴール。

アップもしてない上に雨の為、気温も低くて足が動かなかった。
でも、とりあえずカッコはついたし無事切れることもなく終わったんで、まあいいや(笑)

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画像はチームタイムトライアル直後。
雨の為、びしょ濡れです。
でも、この時点の方がまだ「まし」だったとは・・・

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4時間耐久レース、うちのチームは4人で走ります。
このコースはコース脇ですぐ交代出来るので通常は一人30分ずつ全力で走り
交代していきます。
その為、一人当たり30分走行が2回になります。
ただし、今日は雨なので一度走ってしまうと次の走行時間まで着替えないと
待っていられません。(一度濡れると気持ち悪いし冷えるから)
また着替えを持っていても2着が泥だらけになってしまいます。
その為、どうせ表彰台までは届かないことはわかりきっているので・・・
今回は多少ペースは落ちてしまっても一人、1時間ずつ走行する作戦に変更。

レース開始直後は雨だったものの雨が止んできたので
「1時間もすれば乾いてくるのでは」
と考え自分は2番手で行くことに。
(3、4番手なら、もっと確実に乾くでしょうが待っているのが面倒だし・笑)

ところが、これが完全に裏目に。
濡れた路面の泥が跳ねるのに雨は止んでいるので体や車体から流れず汚れる一方。
上の画像は2番手で1時間走った直後のもの。
靴も足もドロドロです。
右足の足首だけ汚れていないのはタイム計測のチップを付けていた為。
(結局、自分の後に走った選手の方が全然汚れていなかった)

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自転車もこのありさま。
シクロクロスの後ではありません。ロードレースの後なんですけど。
タイヤサイドのマークも読み取れないほどの汚れ。
フレームやパーツもひどいことになっています。
そのうえ、この泥なぜか、乾くと頑固にこびりついてなかなか取れません。
結局、ばんばん水をかけて車の洗車ブラシでこすって汚れを取る羽目になりました。

さて、レース結果は・・・
用事があって先に帰ってきたのでわかりません。
まあ、どうせたいしたことはないので・・・でも楽しかった(笑)

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宮山古墳の様子です。
後円部の八幡神社から登っていくと竪穴式石室の開口部があります。

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周辺には郵便ポストを利用した中に懐中電灯が。
これで、石棺周辺や内部も観察できるという、うれしい配慮。
ただし開口部は狭く写真撮影もままならない。

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縄掛突起がついた巨大な長持形石棺。
中央の穴は盗掘坑ですが、これで人が出入りできたのか?
と思うほど小さい。

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盗掘坑から見た石棺の内部。

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これは「ゆぎがた埴輪」と呼ばれる形の埴輪。
この手の埴輪以外にも家型埴輪などが並べられ葺石も
施されていたとのこと。


さて、ここで16時、日暮れまでは、まだ時間があるので周辺の古墳を
まだまだ回ることにします。


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国道を北上して見えてきたのは孝昭天皇陵。

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天皇陵は基本、こんな木札が掲げられているだけで特に説明板も(アクセスの)
案内板もない。

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他に遥拝所が設けられているだけです。

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地図を見ると孝昭天皇陵から東(帰路方向)に孝安天皇陵があるので、
そちらに向かって探します。
先ほども書いた通り天皇陵は、まず案内板がないので近くまで来たと思ったら
人に聞くかまわりを観察して最後は勘が勝負です(笑)
結果的に、こんもりとした画像の森が天皇陵でしたが入り口はどちらか?
今回は勘が的中しました。

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こんな道を登っていくと・・・

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孝安天皇遥拝所。
先ほどの孝昭天皇陵も孝安天皇陵も宮内庁管轄で調査されていないので
詳細は一切わからず。

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ここまで順調でしたが、さすがに日暮れが迫ってきたので帰路沿いの
最後の古墳を探します。
地形図の読み違えで少し迷いましたが掖上鑵子塚古墳(わきがみかんすづかこふん)
を見つけました。
白い案内板らしきものが見えるのであぜ道を歩いて見に行ってみました。
案内板によると南葛城地域では今日行ってきた宮山古墳に次ぐ規模の前方後円墳で
全長は約150mあるそうで築造は5世紀後半とのこと。

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墳丘に入ってみましたが、ご覧の通り。
すでに17時過ぎで実際の感覚は画像よりもっと暗く感じ探索は断念しました。

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掖上鑵子塚古墳を別方向から。



これにて本日の古墳巡りは終了。
あとは車を置いてある高取町まで戻るだけです。

明日はどこへ行こうかなぁ~。

巨大豪族、葛城氏の本拠地、御所市、葛城市にも多くの古墳が
あります。

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日本武尊、三陵のうちの一つ、日本武尊琴弾白鳥陵。

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柵の外から墳丘を見た様子。
ここは宮内庁の管理下にあり調査されていませんので古墳としての
詳細は分かりません。

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條ウル神古墳(じょううるがみこふん)。

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條ウル神古墳、現在の見た目はこのあたりなら、どこにでもありそうな
古墳ですが・・・
(古墳の形は築造時を保ってはいないが)
石室、石棺の規模が最大級の大きさを持つということで注目を集める古墳です。
被葬者は巨勢氏一族とする説が一般的なようです。
(私有地の為、見学不可、道路から観察するのみ)

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條ウル神古墳の南西には巨勢山古墳群が広がります。
その数は700基とも800基とも言われる国内最大級の群集墳なのだそうです。
画像は条池支群。

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巨勢山古墳群(条池支群)を偵察に行くと・・・
ヤブ木の間に石室らしきものが見えます。
藪は突破出来そうもないので登っていくと小さな祠がありました。
この裏手に石室に降りていく道がありました。

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條庚申塚古墳(642号墳)の石室が庚申塚のヤブの中に開口していました。
条池支群には続いて二つの古墳がありますが道は草に覆われており偵察は
断念しました。

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そして、いよいよ本日のメイン?宮山古墳。
(室大墳古墳、室宮山古墳と呼ばれることもあります)
大きすぎて画面に収まりません。
向かって右が後円部の巨大前方後円墳、築造は5世紀前半と考えられて
いるようです。
全長約238mもあり南大和最大、全国でも18番目と天皇陵に匹敵する大古墳。
被葬者は葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)あるいは、
その父、武内宿禰(たけのうちのすくね)とする説が有力なようです。

※つづく

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