※まだシルバーウィーク、サイクリングの二日目午後の報告をしています(笑)
午前中、高取山(高取城)を満喫。
休憩後、午後は、また古墳巡りに。
休憩後、午後は、また古墳巡りに。



「歴史に憩う橿原博物館」
ここは、新沢千塚古墳群の一角にある資料館(昨年リニューアルしたばかり)。
新沢千塚と呼ばれるぐらいですから・・・橿原市南西部の丘陵に約600基の
古墳が連なっています。
この古墳群は大雑把に言って4世紀の後半から6世紀の終わりごろまで約200年に
わたって作り続けられていたようです。
数が多いだけでなく古墳の規模(大きさ)も形もいろいろあります。
なかでも126号墳からはササン朝ペルシャからもたらされたと考えられている
ガラス器を含む貴重で素晴らしい遺物が見つかっており興味深い古墳群です。
ここではボランティア説明員の方(女性)も見えて疑問に答えていただいたり
面白い話をたっぷり聞かせていただくことが出来ました。

外観は、これといって特別な古墳ではありませんが貴重な遺物が多数
見つかったことで有名な126号墳。
周辺にも多数古墳が見えます。

振り返っても古墳、また古墳(笑)


新沢千塚古墳群に隣接?した鳥屋ミサンザイ古墳(前方後円墳)。
宮内庁は宣化天皇陵としています。
この古墳も宮内庁管轄の為、調査されていませんが新沢千塚古墳と同時期に
築かれたようです。
この古墳には奈良の古墳巡りを始めたころ、一度来ましたが・・・
それから少しは勉強して知識も増えたため?以前とは違った感慨を
もって眺めました?(笑)

鳥屋ミサンザイ古墳の奥(南側)にある枡山古墳。
ここは宮内庁により崇神天皇皇子、倭彦命墓とされています。
画像右手が前方部、左が後円部の前方後円墳のように見えますが・・・
これは江戸時代の仕業(笑)
幕府が朝廷のご機嫌取り?に天皇陵など
(天皇陵だけではなく皇后、皇子の墓なども)を整備した「文久の修陵」の際(だったと思う)、
方墳を丸く成形し更に後方部をつけたして前方後円墳に仕立てた
ものとされています。

枡山古墳の後円部側、本来の方墳部分を見たところ。

この枡山古墳は倭彦命墓として宮内庁が管理していると先に書きましたが
面白いことに古墳を横切ることが出来ます。
(通常、宮内庁指定の古墳は立ち入りが一切禁止されています)
画像は墳丘を横切っているところ。
画像左手が本来の古墳(方墳)である枡山古墳、
右手が前方後円墳(倭彦命墓としての)の前方部分。

なぜそんなところを横切ることが出来るのかと言うと宮内庁は現在、
倭彦命墓として江戸時代に付け加えられた前方部分を指定している為。
本来の古墳(被葬者は不明)部分は指定から外れているからなのです。

新沢千塚古墳から車で移動。
夕暮れの飛鳥に戻り・・・明日香村埋蔵文化財展示室。
レプリカが多いものの手軽(無料・駐車場もある)に明日香村の埋蔵文化財の
概要を知ることが出来ます。

17時頃の欽明天皇陵。
普段なら人っ子一人いない?夕暮れですが、この日は(シルバーウィーク中)
こんな時間にも家族連れから古墳女子まで(笑)


もう日没ですが(17時半頃)この日最後の古墳に(笑)
橿原市の沼山古墳。
(有名な巨石遺構、岩船の近くの住宅地の公園内にあります)
公園内の雑木林の中にある為、この時間では蚊の襲撃が凄い。

扉の隙間から石室の撮影を試みるもカメラ不調?
結局フラッシュがつかず石室の画像はブレブレでした。
明日、三日目は帰宅する日。
それでも午前中は、どこかを回ってから帰ることにします。
どこを見学していこうかなぁ。
それでも午前中は、どこかを回ってから帰ることにします。
どこを見学していこうかなぁ。