コルサの毎日がヒルクライム

2016年11月

70年代半ばに本格的な自転車遊びに目覚めた世代としてはエベレストといえば
高級なロードとピストのイメージです。
(80年代初め頃には6本バックのミキストの広告も見かけた記憶がありますが)
もちろん、エベレストはツーリング車から実用車に至るまで生産していたことも
のちに知るようになりましたが。

ただ、ロード、ピスト以外のエベレストを見にすることは、なかなかありません。

今回はエベレストのツーリング車(ランドナー)のサンプルを、くさやんさん
から借り出してご紹介したいと思います。
作られた年代はわかりませんが部品、フレームの仕様から1970年代のごく
初め頃のものではないかと考えています。

そもそも、エベレストは1905年に・・・
ここで歴史に触れたいところですが詳しくないので(笑)
ごく簡単に期すと自転車屋の傍ら英国もの(BSA、トライアンフ、レイノルズ等々)
を輸入、東京オリンピック(1964)が近くなった頃にはチネリ、カンパニョロなどの
輸入販売も始めたのだそうです。

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フレームサイズがC-T515ミリと小さいもののよくまとまっている
エベレスト ランドナー。
タイヤサイズは650×38Aです。

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ヘッドマークは、いわゆるリベット止めのマークが使われています。

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ダウンチューブには、かすれたり日焼けしているものの「EVEREST」の
文字が残ります。

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シートチューブ上部には「TSUCHIYA」の文字も入っています。

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ヘッド部分。
ラグレスで作られています。
ホーククラウンはどこのものでしょうか?
(私はフレーム材料に全然知識がない)
このフレームで直付けされているのはダウンチューブのポンプペグのみ。

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シート部。
ここもラグレスで作られています。
シートパイプの上部にも一切補強などはありません。

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BB部分。
こちらもラグレスですね。
ワイヤーリードなどもバンド止めで処理されています。

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上の画像のワイヤーリードになじみのない方も見えるかもしれませんので
右から見た画像で仕組みを見てみましょう。
これはサンプレックス製でベルクランク式と呼ばれていたと思いますが
正式名称は知りません。
画像右上から来ているワイヤーがシフトレバーから来ているワイヤーで
ワイヤーを引くと上部の大きなマイナスボルトの部分を中心に
動くようになっています。
そうすると左に延びるワイヤーがRDへと力を伝え変速する
仕組みになっています。

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ブレーキはセンタープル。
これも台座は直付けされて枚ません。

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リヤエンド部分。
エンドはあまり見かけないユーレーでした。
リヤエンドは超ショートのロードエンドのような形状です。
当たり面はメッキ出しされています。
エンドの上側には筆記体で「Hurét」の文字が入っていました。
画像右手には、やはりバンド止め処理されたRD用のアウター受けが
見えています。

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フロントフォーク中間部分に付けられたフロントキャリアのダボ。
マスプロメーカー車のような形の小物が付いています。
ただ、悪口ではなくロウ付け部分の面積がやや増えて、しっかり
付けられているように見えます。
穴にネジは切られておらず裏側のナットでボルトは止められています。


次回は、今回のサンプル車にアッセンブルされている部品類を
見ていきましょう。

豊橋市で日本国内でも最古級、縄文時代の建物跡発見!

27日は豊橋市牛川町字西側で西側北遺跡の発掘説明会があったので
行ってきました。

遺跡自体も重要ですが遺跡周辺の当時の地形も重要ということで
遺跡に向かって歩きながら周辺の土地を観察します。

なるほど、豊川の河岸段丘上で日当たりもよく洪水の心配も
なかったでしょう。
丘を下りれば多分、豊川周辺の湿地帯で水の確保もたやすく、
漁も出来たのかもしれません。
また、東を見ると石巻山も見えています。
信仰の山、石巻山ですが当時はまだそこまでの精神的文化は
なかったかもしれません。
しかし石巻山周辺の林ではシカ、猪などの猟も出来たでしょうし
秋には栗などを拾い集めて食料にしていたと思われます。

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天気が心配されましたが説明会の時間前には時々薄日もさすほど。

説明会開始時間より、ずいぶん早くから熱心な考古学ファンや
研究者が訪れていたようで、開始予定時間よりずいぶん早く
着いたのですが、すでに一回目の説明が始まっていました。
(自分は結局、2回半?説明を聞いてきた)

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ほぼ円形(実際には南北約3.48m東西約3.1mの卵型)に見えるのが
縄文時代草創期の竪穴建物跡。
中央の十字型に見えるのは地質などを調べる為に掘られたもので
遺跡の跡ではありません。
(この溝は、ほぼ方角に沿っていて左が北、右が南方向と重なる)
この遺跡の発見が重要なものだという事を現地説明会の資料の中から
抜粋してみます。

「発見された竪穴建物跡は、草創期としては愛知県内で最古かつ初めての
 発見あるのみならず、日本全国でも最古級のものです。(中略)」

「さらに特筆すべき点として、状態の良さが挙げられます。当遺構は
 後世の開発による破壊を受けることなく、発見されました。よって
 壁溝や壁溝内ピットを初めとした詳細な構造を観察することができます。
 これは竪穴建物跡の検出事例としては全国で最も良好なものです。」

「状態が良好な竪穴建物跡の中に、土器、石器が極めて高い一括性を
 もって確認された今回の発掘調査の成果は、考古学資料として
 第一級のものです。」

「本調査の成果は、今後の縄文時代研究にあたって重要な資料と言えます。」


※発掘担当者の興奮、嬉しさが伝わってくるような言葉が並んでいて
 素人にも重要な遺跡と言うことがわかります。

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竪穴建物跡を北側から南に見たところ。
先にも書いた通り3m程度の直径の小さな建物です。

縄文時代草創期という時代を考えれば定住生活が始まったばかり?
ぐらいの時代ですから大きな建物を作る技術も経験もまだ
なかったのでしょうか。
場合によっては住居とは別の狩猟など?の為の基地?のようなもの
だったのかもしれません。(私の妄想ですが)

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竪穴建物跡南側の遺構の様子。
これは建物の主構造ではなくが壁を構成していた遺構らしい。

①右奥の大きな穴、
②手前の中ぐらいの穴、
③その二つの穴をつなぐ溝、
④そしてその溝の中に開いた小さな穴。

①、②に大きめの木を壁用の柱として建て(高さ数十センチ~?)
、その穴の間に④小さな穴に細い柱をたてる。
この小さな柱にススキ、ヨシ、木の枝などの植物を交互に
絡めて壁とする?

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竪穴建物跡から出土した遺物。
押圧縄文土器(おうあつじょうもんどき)、石器製作の際に
生じた石材の破片など。
これらの遺物から、この竪穴建物跡を縄文時代草創期と
判断したとのこと。

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竪穴建物跡より上部の地層から出土した古墳時代、弥生時代の遺物。


この遺跡について
先にも書いた通り重要な発見と資料に書かれていますが・・・
この遺跡が今後どうなってしまうのか?未定のようです。

見学者の中からは
「豊橋市内の瓜郷遺跡(うりごういせき)のように公園化して保存できないのか?」
という声もありましたが、あちらは国指定遺跡です。

この西側北遺跡も重要な発見には間違いありませんが今の様子では
国指定遺跡になることは、まず、ないでしょう。

そうなると保存に関しては豊橋市関係者の見識?(こういう表現で良いのか?)
に関わってくるでしょう。
何らかの動き、働きかけがない限りは現状の予算?では公園化はもちろん、
積極的な保存すら難しいのではないか、と思われます。
もちろん、何とか保存してもらいたいのですが・・・

23日勤労感謝の日はお休みだったので以前から行こうと考えていた
蒲郡市博物館の企画展「蒲郡の古墳」に行ってきました。

ご興味のある方の為に最初に書いておきますが、
この展示は11月27日(日)(無料)までとなっています。

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蒲郡市博物館は、よく前を通るのに初めてです。
併設されている市民会館の建物が目立つので最初はそちらに
歩いていってしまいました。
(博物館は敷地の西側になります)

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展示の様子。
太刀、耳環(みみかざり)、ガラス玉、馬具など貴重な遺物が
蒲郡市内の古墳からも多数出土していることがわかる展示でした。

自分も蒲郡市の古墳にもいくつか行ったことがあります。
個人的な大雑把な印象ですが
「立派な古墳が存在したのに現在は残っていないところが多い」
「現存するところはほとんど私有地内で見学できるところが少ない」
といったイメージです。

今回、多くの貴重な、また優れた立派な出土品を見ることが
出来て満足でしたが・・・
現地に行ってみても現在は存在しない古墳が多いのはとても
さびしいですね。

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敷地内には移設復元された古墳がありました。
愛知工科大学の建設中に敷地から見つかった馬乗二号墳(まのりにごうふん)
七世紀初め(古墳時代後期)の方墳とのことでした。
ちなみに一号墳は調査後撤去されたとありました。
先にも書いた通り蒲郡の古墳は滅失しているものが多いような・・・

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横穴式の石室内も見学することが出来ます。

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博物館の2階には常設の歴史展示室や古民具の展示室もあります。
企画展が終了しても展示の一部は2階の歴史展示室に戻るはずです。

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敷地内にはD51の雄姿もありました。

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内部の見学も出来ます。

さて、「その2」では参加者の皆さんの愛車を簡単にですが
ご紹介しましょう。
画像でもお分かりのように、すでに日も暮れ薄暗くなっており本来の
色も詳細もわかりにくくなっています。
また残念ながら何台かはアップを自粛?いえいえ撮影もれしていますが、
こちらもご勘弁を。

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初参加のKenさんのエベレスト プロフェッショナル!
レストアしたばかりで、とても綺麗な仕上がりでした。
(フレームだけではなく部品類の状態もとても綺麗でした)
メインパーツは初代ジュラエースですがFD、RDはカンパに
変えられています。
何より素晴らしいのは1977年(とお聞きしたと思う)に直接、土屋製作所に
出向いて注文されて以来ずっと所有されているということ。

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同じくエベレスト プロフェッショナルは岡崎のT氏。

このフレームはとあるショップの倉庫に埋もれていたデッドストック。
自分は10年以上前から存在を知っていたものの残念ながらサイズが合わず・・・
オールカンパ、チェンホイールがトリプルで実用的??
(フリーも結構、歯数が大きい?)
サドルは新しいものの乗って楽しむことを考えれば・・・
ポンプにもエベレストの文字入りでポイント高い?

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滝ちゃんのコルナゴ82ヌーボメキシコ。
もちろん、オールカンパでコルナゴ刻印入りパーツ多数。
ただし、刻印入りパーツは75年頃のもの。
当時、75年コルナゴに乗っていたもののクラッシュ?フレームを破損。
のちに82ヌーボメキシコのフレームを購入、75コルナゴの一部パーツを
移し替えたもの。
75、82年では、結構な時差があるものの、今となってはほとんど
気にならない?(笑)

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田爺さんが新たに手に入れたという82~?プロトン。
コルサとしては涙もの?出会いだった(笑)
というのは1982年にオーダーして、このパールホワイト、この新マーク、
そっくりのフレームで長くレースを戦っていた為。
そのフレームは塗り替えてしばらく乗った後、手放して今はない。
まるで初恋の彼女に会ったようで懐かしくて泣きそうになった(笑)

メインパーツはサンツアー シュパーブ。
ただシュパーブでも一部やや年式のずれがあるか?
サドルが新しいのとフリーがシマノ?と思われるのがやや惜しい。
(サドルは乗って楽しむ為なら・・・)

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かわらざえもんさんのズノウ。
こちらもサンツアー シュパーブ仕様。
田爺さんや、このかわらざえもんさんの旧シュパーブ仕様を見ると・・・
自分も、また組みたくなってきます(笑)
以前、メインパーツはもちろんピラー、ステムまでシュパーブで
組んでいたことがあるのですが・・・
今はばらしてしまっているので。

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1959年という本物の?ヴィンテージ車、プジョー。
オーナーbenalpeuさんがこだわってレストアした自転車で
部品もフレームの年式にほぼそろっている古い時代のものですが調子は
良い様子、走行も快調でした。

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fre*i*ec*rdさんのモトベカン。
1976年とお聞きしたような?
部品はほとんど好みのものに入れ替えて楽しんでおられる様子。
ガード付きで、やや太いタイヤを入れています。
詳細を拝見したりお聞きする余裕がなかったのが残念。
また、今度(笑)

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私が乗って行ったのは、いつものチネリ。
こうしてみると、ステムが高くて格好悪い?(笑)
ただ、骨折の影響で足が曲がりにくいのでハンドルが比較的、高く手元に
近いチネリに今回は乗って行きました。

まあ、本当の理由はタイヤが大丈夫そうだったからですが(笑)

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今回、エベレストが2台集まる予定でしたので、くさやんさんに頼んで
展示用に持ち込んでいただいたエベレスト ランドナー?
(田爺さんもプロトン以外にエベレストを持参してくれたので3台のロードが揃った)
70年代以降はレーサーの印象が強いエベレストですが、これは
ホイールサイズが650Aの、本当のランドナー。
残念ながら日が短い時期ということもあり駐車場に戻った時には
暗くなってしまい皆さんに見ていただく時間がありませんでした。
この自転車についてはいずれ、別の記事で、ご紹介するつもり。多分・・・

夜に降った雨も上がり、この時期としては最高の好天に恵まれ 
(とても暖かい日でした)
第18回古典ロード走行会を行うことが出来ました。
ご参加の皆さん、お疲れ様でした。


今回は私が骨折して復活後、3か月程度ということで走行距離を
35キロくらいと短く設定しました。
その為、健脚の方は、かなり物足りなかったかもしれません。
(4名ほどは、皆が喫茶店で休憩中に蔵王山ヒルクライムに挑んでいましたけど)

また、距離は少なかったものの、あちこちの施設に立ち寄った為、意外に
時間がかかり自転車を眺めながらの自転車談義が思いの外できなかったのも
反省点だったでしょうか?

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今回は、のべ?14名の方に集まっていただきました。
(のべ=午前のみ、午後のみの参加者がいた為)
(旧車ではない現行車での見学参加、1名)

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スタートから、わずか3キロ(笑)
最初の立ち寄り地点、老津町の太平寺。
ここには豊橋市内で一番太いという銀杏の木があります。
また、年に一度ほどしかあかないという「開かずの門」もあります。
聞くところによると「徳川家康をかくまった」為に、その後も、めったに、
この門を開けなくなったと言われますが、いつの戦?でかくまったのか
調べてもいまだに不明?(笑)

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田原市の城宝寺に立ち寄ります。
ここは幕末の田原藩の家老にして学者、画家として有名な
渡辺崋山の菩提寺です。
画像は山門脇にある城宝寺古墳。
横穴式石室は渥美半島最大と言われています。

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城宝寺の渡辺崋山霊牌堂の格天井には日本有数の画家、書家の作品が
飾られています。

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次に立ち寄ったのは「田原まつり会館」(無料)
田原祭りに曳かれる山車、凧まつりについての展示があります。
凧は子供の立身出世を祈ってあげる「初凧」と、凧糸にガラスの粉を
付けて互いの糸を切る「けんか凧合戦」があります。

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食事のあとも田原市街の史跡巡りが続きます(笑)

この建物は田原市民俗資料館。
建物自体も古く昭和3年に田原町立技芸専修女学校、田原町立中部尋常小学校
の校舎として建てられたそうです。
(資料によっては昭和5年とありますが)

余談ながら明治39年生まれの祖母(既に故人)は田原町立技芸専修女学校に
通っていたようです。
ただ、生まれ年を考えると、残念ながら、この校舎には通っていないと
思われます。

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この資料館に立ち寄った理由の一つは・・・これらの自転車。

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もちろん、自転車以外にも多くの資料が展示されています。

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こちらは資料館の向かいにある田原城。

この後、蔵王山ふもとの喫茶店で、おしゃべりタイム。
(4名ほどは蔵王山ヒルクライムへ)

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すでに夕暮れ・・・そして最後に立ち寄った?のは
(会社の前に行っただけですが・・・)
「あるジャンルでは世界的なファインモールドさん」
ご存知の方にとってはいわゆる「聖地」(笑)

見ての通り?農村地帯の片隅にある?こじんまりとした会社ですが・・・

スターウォーズやスタジオ ジブリそして戦闘機、戦車などの
モデルメーカーとして世界的に有名な会社です。

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社長は第二次世界大戦に使われていたドイツ軍のキューベルワーゲンや
アメリカ軍のウィリスジープなどもお持ちです。
(キューベルワーゲンは以前お話を聞きながらじっくり見せていただいた)
もちろん、今日はお休みですが駐車場には怪しい車が・・・
軍用?トラックは社用車?
奥にちらっと見えるのは最近、近所で見かけた大戦中のランドローバー???
(一番奥はフォークリフト)

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これにて古典ロード走行会のご報告は終わりです。
「走っているように見えない?」、「参加者の自転車が写っていない?」
走行シーンなどはありませんが一応、35キロ前後は走ってます!(笑)
参加者の皆さんの自転車の紹介は・・・その2で(笑)

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