コルサの毎日がヒルクライム

2016年12月

今年、自分自身、最大の事件と言えばゲス不倫発覚・・・
ではなく骨折です。

長年、レースで走ってきて転倒もしたけれど、大したケガもしたことは
なかったのですが、
本格的なレースから引退して久しい今年、トレーニング中に転倒、
骨折してしまいました。

骨折の場所も悪く医師のすすめで人工骨頭(人工股関節)と
なってしまいました。
手術後の現在はドロップハンドルの下側は握りにくいものの幸いハンドルの
上を握ってのサイクリングであれば何とか走れる状態には戻っています。


さて、今年の走行状況を振り返ってみます。
2、3日前から大掃除がはかどっていないと記事にアップしていますが
大晦日の今日も早朝、トレーニングに行ってきました。
(とは言っても本日の走行距離は21キロほど)

これで今年の総走行距離は4778キロとなりました。
ちなみに8月2日に骨折するまでの走行距離は・・・・3572キロ。
退院後、最初の走行が9月11日で年末、本日までの走行距離は1206キロでした。
(ローラー台での練習は9月1日から復帰)

骨折前は月平均500キロほど走っていて骨折復帰後は、おおざっぱに
見ると月平均400キロ弱になっていることがわかります。
こうしてみると骨折後、意外に、しっかり乗れていることがわかります。

ただ、距離は徐々に乗れるようになっているものの走行ペースは
ずいぶん遅いままです。
膝の痛みもあり、また走行後の疲労感もひどく調子はまだまだです。
(特に下ハンを握って走るのが辛いのが困りもの)
でも、体的にも精神的にも自転車を、また楽しめることが出来るようになったは
不幸中の幸いでしょう。
(同様のケガでローラー台には復活したものの公道走行は怖いという知人もいる)

これからもトレーニングを続けて夏には信州の峠にサイクリングに行けるくらいの
体力を、なんとか取り戻したいと考えています。

明日、2017年、元旦からトレーニング頑張ろう・・・たぶん(笑)

昨日、「大掃除がはかどっていない」という記事をアップしたばかりですが
夜に後輩から電話がありMTBで繰り出すことに。

MTBは今季初、本格的な登りは骨折後初めてです。

自分たちにとって基本、MTBは冬の遊び。
自分たちが住む東三河は冬、北西の風が強く海岸線はロードでは辛い。
その為、冬はMTBで風の影響を受けにくい山遊びなのです。
(その為、今シーズン初のMTB、山遊び)

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とはいえ、骨折後、4か月程度、走ってはいるけど本格的な登りは
走っていません。
そこで、今回は比較的近い田原市の蔵王山(標高250m)に
行くことにしました。

この画像の場所は地元でも意外に知られていないかも。
トヨタ自動車田原工場の社宅付近、ただし、なぜか入居者は少なく
閑散としています。
奥にみえるのが蔵王山です。
ここは頂上まで舗装道路があり車で登れます。
まあ、復帰最初の山遊びとしてはちょうど良いかと。

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先ほどの画像で見えた展望台はリュニューアル後、初めて。

入り口には「ビンディング用シューズの人はスリッパに履き替えて」
と書かれています。

スリッパに履き替えて内部を階段で登って行くと2階には、こんな場所も。
床の映像に人が乗ると反応する仕掛け。
子供たちは大喜び。

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3階は四方ガラス張りの絶景ポイント。
こちらは豊橋市街地方向を見る東側。

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こちらは北側。
三河湾をはさんで対岸は蒲郡市方面。

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西側には風力発電。
この発電のアピールの為の施設が2階の展示のようです。

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南側は陽射し方向の関係で自分が写りこんでしまいます。
この画像は1階の屋外テラスに出ての画像。
遠くに見えるのは太平洋です。
私は、ここで初日の出を見たことはありませんが元旦は賑わうのでしょう。

この後、南口側に下りて、北側に回り込み海岸線に出て、
今日のトレーニングは終了です。
骨折後、初めての本格的な登りでしたが、何とか登ることが出来ました。
ただ、それもMTBのワイドなギヤのおかげ。
(それに左ひざの痛みを我慢してのこと)
ロードで登れるようになるのは、ずいぶん先のことになりそうです

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皆さん、大掃除はもう終わりましたか?

私は、まったくです。
特に自転車部品、用品関係の棚、倉庫は・・・


年末に向けて今月中ごろまでに思い切って自転車雑誌を
十数年分、数百冊を処分したのですが・・・

たんに処分したのではなく気に行った記事や自分の
出場していたレースの記事、リザルトなどを切り取ったりしたので
結局、膨大な?切り抜きが発生してしまいました。

雑誌、数百冊分のスペースがあいたはずですが
思いのほか部屋や納戸が広くなった感じはなく・・・
また、切り抜きの整理も進めなくては・・・

今回、5回目?ということで年末恒例となりつつある奈良ポタリングに
行ってきました。
このポタリングのお約束は年末開催であること、目的地は奈良であること、
そして参加者の自転車は基本、モールトン系であること。

参加者のほとんどは愛知県なので奈良というのは近いとは
いえないのですが・・・
思い切って行くのに良い機会ではあると思っています。


今回は飛鳥、甘樫丘駐車場に集合して出発です。

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まずは初代天皇である(実在は疑問視される説もありますが)
神武天皇の陵(みささぎ、お墓)を見学します。

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そして今回のメインの目的地は今井町。
画像は今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)
この建物は比較的新しく??明治36年に博物館として建てられ、
のちに役場として使われたらしい。
今は今井町観光の拠点となっているはずですが・・・
今日25日から年末年始の休みに入っていました。
観光の拠点というならば、せめて日曜日の25日はあいていてほしかった。

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今井町、ここは昔ながらの家が数百軒、まるで江戸時代の空間が
残る街として有名です。
(重要文化財に指定される建物も10件ほどあります)
今回は6台のモールトンとブロンプトン1台が集まりました。
「えっ、モールトンに限るのではないのか?」と言われそうですが
ブロンプトンは素敵な女性の愛車ですから(笑)

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旧家の軒先で休む私のAM-7。
トラス構造のフレームは古い町並みにもお似合い?
難点はスタンドが付かない(フレームが華奢でつけにくい)ので、
こういったストップ&ゴーの散策にはやや使いづらいことか。

今井町を散策し昼食をいただいて南下します。

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橿原神宮を参拝。
後方は大和三山(藤原京を囲むように存在する三つの山)
の一つ、畝部山。
ここは広大な敷地の立派な神社ですが意外に知られていないのは
祭神と歴史。
古い寺社が多い奈良にあって建てられたのは明治23年と
(超)意外なほど新しい。
祭神は神武天皇と皇后。
初代天皇、神武天皇が即位したのが画像後方に見える畝部山と伝わる為、
ここに橿原神宮が建てられたのだそうです。

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橿原神宮から向かったのは甘樫丘の麓にある向原寺(こうげんじ)
ここは観光地としてあまり知られていませんが自分が行きたくて
行きたくてしかたなかったお寺。
(以前、来たことがあるものの夕刻で拝観は断念していた)

仏教伝来した奈良には古いお寺がたくさんありますが、ここが日本最古の
お寺とする説もあります。

それは簡単に説明すると・・・
百済から伝わった仏像を天皇がどうしたものか?と迷われた時、
渡来系豪族の蘇我稲目(崇仏派)が戴き自宅を寺としてまつったと
伝わる話があります。

最近の発掘、研究では、この向原寺が、そのお寺(元善光寺)であるのは、
ほぼ間違いないといわれているのです。

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その証拠の一つ。
向原寺で公開されている発掘跡。
(有料、200円で飛鳥時代の仏像と遺構跡を見学できます)
まわりに見える石垣は発掘後のもの。
右奥、柵の外に見える石が、かつてのお寺の礎石のひとつと言われています。
右、奥にみえる土壁が版築と言われる突き固めて積まれた土でお寺の土台。
(非常に固く発掘後、30年ぐらいたつようですが崩れたりしていない)

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穴の底が、お寺が築かれる前の時代の遺構。
最初のお寺が築かれたのは7世紀前半とされ穴の底の遺構は当然さらに
古いもの。
ここも発掘研究の結果により豊浦宮跡(とゆらのみや)であると
考えられています。
豊浦宮は初の女帝として知られる推古天皇の宮で即位後最初に宮を
置いた場所なのだそうです。
(第33代 推古天皇 在位592~628年)

左奥に四角く残るのは柱穴です。
通常、地下に埋まっている木材は千年以上経っても地中に残ることが
多いのですが何も残っていなかったそうです。
また床材?として敷き詰められていたはずの石も何か所もかけています。
これは後に推古天皇が小墾田に宮を移す際、再利用する為に
持ち去られたのではないかと考えられているようです。

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向原寺さんに伝わる仏像(撮影可能)
念願かなって、やっとお会いできました!
優しい、お顔をされています。

お顔の辺りは飛鳥時代で、お体その他の部分は江戸時代の
修復であるとのこと。
「百済で作られて日本に持ち込まれたもの」あるいは
「百済の仏師が日本で作ったもの」など諸説あり。

この仏像、一度盗難にあったものの近年、見つかり
このお寺に戻ってきたのだそうです。

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向原寺境内に置かれた石。
「ここにあったのか!」
古代史でも飛鳥時代ファンとしては重要な石なのですが・・・
この石は石神遺跡で見つかった須彌山石(しゅみせんせき)の
周辺に飾られていた石の一部だと考えられています。
(須彌山石のレプリカが飛鳥資料館にあります)

今回は12月後半とは思えない、たいへん穏やかな天気に恵まれ楽しく
奈良ポタリングを楽しむことが出来ました。
来年は、どこをご案内しましょうか?今から楽しみです。

先日、記事に書いた通りシクロジャンブルでエベレストの
ピストフレームを入手しました。

早速、ご紹介したいところですがフロントフォークにロード用が
セットされており(オリジナルのピストフォークも付属)そちらを
直してから記事をアップしたいと思っています。

今回、記事にアップするのはピストフレームでも今回、手に入れた
1976年のフレームよりずっと先輩にあたる古いフレームです。

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今回、ご紹介するフレームのヘッドマーク。
「エベレスト=険しい山」というイメージからかけ離れた?
ほんわかしたマーク。
ちなみに、今回の記事ではエベレストと表記していますが、
このフレームくらい古い時代ではエバレストと表記する方が
正しいのかもしれません。

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ダウンチューブに、かすれていますがエベレスト チャンピオンの
文字が読み取れます。
フレームは、とても古いもので残念ながら程度は悪くレストアする
にしても、かなり大変そうなもの。
(レストアの予定は今のところありませんが)

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ダウンチューブ上部にもヘッドマークと一緒のマークがありました。

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シートチューブのステッカー類。

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上部の方は、ほとんど読めなくなってしまっています。

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ヘッド部分はラグレスで作られています。
ヘッド小物は古いピストなどでよく見かけるものですが刻印などは
なくメーカー名は不明。

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シート部分もラグレス。
シートチューブの上部も特に補強などはされていません。
シートピンの締め込みでパイプがすぐに伸びてしまいそう。

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BB部分はラグ付きでした。
これはナベックス製でしょうか?

BBも古そうなものが付いていますがワンには左右とも刻印がありません。
シャフトには、もしかしたら刻印があるかもしれませんが
まだ、ばらしたことがありません。
ただ、経験から言うと、このフレームの年代くらい古いBBですと
シャフトにもまだ刻印が入っていない可能性の方が高いようです。

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BB部分、左側には、こんなステッカーが。
中央の文字は先端が読めません。
「?LBATH―HUNGER」先頭の文字は・・・「N」でしょうか?
この文字が表す意味をご存知の方はご教授いただけると助かります。

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フロントフォーククラウンは、こんな形状。
ブレーキ取り付け穴は後に空けられたものでしょう。

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フロントエンド。

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リヤエンド。
リヤエンドは後ろに向かって細く仕上げられています。
これは後輪を取り付けやすくするためのものでしょう。
前後エンドともメーカー名の刻印はなく製造メーカーは不明。

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シートステーブリッジパイプ。
パイプは細めのものがアーチ状に成型されて付けられています。

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チェンステーブリッジパイプもシートステーと同じようにアーチ状に
成型されて付けられていました。

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