コルサの毎日がヒルクライム

2018年03月

※以前、行ったものの記事をアップしていなかった古墳巡りの
レポートです。

田原市赤羽根町大石にあるという大石古墳を自転車トレーニングの
ついでに探しに行ってきました。
(2018.1.13)

実は、以前にも探しに行ってみたのですが手掛かりが
ありませんでした。
実は、この古墳、位置については有力な情報があります。
以前、このすぐ近くにあった高校の分校に通っていたという後輩が
「先生に、ここが古墳だ」と言われたというのです。
また、当時は標識も立っていたという、はなし・・・
ただし20年以上前の話なのですが(笑)
という事で、この後輩の記憶、言うことがどれだけ信用出来るか
という問題もありますが(笑)
他の情報を合わせて考えて見ても場所は間違いなさそうです。

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ここだ、と思う場所の周辺。
後輩の証言もこの場所でしたが・・・

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林に入って探索してみます。
資料によれば荒れ果てているものの雑草の中に
「横穴式石室、基底部の石材らしきものが残っている」
との情報もありましたが・・・
雑草のない冬の時期を選んで再チャレンジしてみたものの古墳を
構成していたような石材はついに見当たりませんでした。
(落ち葉にうずもれてしまっているのでしょうか)
場所は間違いないと思うんだけどな~

※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

3/24は好天に恵まれ浜名湖1周サイクリングに行って来ました。
今回は年末から、ずっと雨で延期になっているモールトンポタの
代わりなので当然、自転車はモールトンしばり。
(3度雨で延期、なんと4度目の正直!!!)

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ただし、残念だったのは・・・・
年度末などで皆さんお忙しいようで3人しか集まれなかったこと。

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温暖なことで有名な浜名湖ですから桜満開!を期待していたのですが
意外に満開の桜の木は少なかったですね。

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皆さん、舘山寺温泉(舘山寺町)の舘山寺ってお寺の名前だって
知っていました?(笑)
舘山寺温泉街の奥?にある舘山寺。

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舘山寺守護の為でしょうか?舘山寺と並んである愛宕神社。
創建は古く727年なのだそうです。
また舘山寺の裏山?にある穴観音は古墳の石室を利用しているらしい。
今回は行けなかったので、いずれまた探索せねば(笑)

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東名高速下の踏切でちょうど天竜浜名湖鉄道の列車に出会う。

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こんな楽しいサイクリングロードもあります。
沖に見えるのは礫島。
浜名湖北西にある猪鼻湖の入り口に近い場所(瀬戸橋の南)にあります。

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T氏のジュビリー。
やっぱり高級感あるし格好いい。
なんと前後にゴキソハブを導入とのこと、うらやましい。

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K氏のF型フレーム、スピードシックス。
やっぱりF型フレームもいいなぁ(笑)

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コルサのAM-7改。
久しぶりに走行。
やっぱりモールトンは楽しい。
しかし、ややフロントサスの柔らかさ(柔らか過ぎ?)が気になる・・・

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やっぱり友人たちとモールトンで回る浜名湖は楽しいなぁ、
またコースを変えていきたいものです。

奥にみえるのは・・・東名高速道路です。
(モールトンでなくても浜名湖サイクリングは楽しいけど)

3回にわたって3/18日の歴史ミーティングの様子を
ご報告しました。
瓜郷遺跡(弥生時代)、東田古墳(古墳時代)、
吉田城(江戸時代)、高松海岸貝化石(新生代)と朝から
いろいろな時代の史跡を見てきました。

私はいい加減、疲れてきたのですが一番弟子は
「まだまだ明るいですよ」と次の史跡を見て回りたい様子。

そこで、国指定遺跡、大アラコ古窯に連れて行くことにしました。
ところが途中、つい「山の上に古墳群があるよ」と口に出したのが
運の尽き?でした(笑)
散々、史跡を巡っての夕暮れであり古墳のあるのは山の上、
そのうえ登る道は草木に覆われた急斜面、さすがに、
あきらめると思っていましたが・・・これからでも「登る」という(笑)

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向山古墳群は芦ケ池の東にある古墳群。
以前、ずっと登り口を探していたのですがなかなか見つけられ
なかったのでした。
何度か無駄足を踏んだ後、やっと登り口を見つけ一度登ったことは
ありましたが、久しぶりにいくと一段と登り口は
荒れてしまっていました。
画像は登り口の荒れたところを突破した後の一息つけるところ?
(これでも・一番急なところは画像を撮る余裕もなく)

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石室を見つけました。
以前、資料で調べたのですが・・・
少なくとも6基はあるという
(もっと?最大22基、ほかの名称の古墳群も含む??)
古墳群の何号基にあたるのかは私にはわかりません。

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ちゃんと軍手持参で何か遺物は残されていないかとさぐる一番弟子。

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すでに17時を過ぎているのですが・・・
疲れより、好奇心が先行するのは感心する。
発掘調査された古墳なので、どうやら、何も見つからなかった様子・・・

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以前、単独で登った時は他の古墳も何基か見ることが出来たのですが
尾根付近は草木が生い茂り行く手を阻まれてしまいました。
さすがの一番弟子も、あきらめるほど(笑)
(わずかに写る右の構築物は古い貯水タンク?の様な物)

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次に向かったのは芦ケ池をはさんで向かい側?にある大アラコ古窯。
この時点で画像でもお分かりになるように、だいぶ薄暗い・・・
すでに18時近い。
「ここは、たぶん発掘されているので何もないよ」
と言うのだが
案内板に「5基の窯が発見され2基が発掘された」
とある文章を見つけた一番弟子は(すっ、するどい・・・)
「3基は発掘されていない?」、「痕跡が、まだ、あるかも」
とあきらめきれない様子。

こういう姿勢は評価しても良いと思うけど時間は18時・・・
女子でなくても普通ならあきらめるけど(笑)

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結局、熱意に負けて「道路だけだぞ」と言って懐中電灯!片手に
陶器片ぐらい落ちてないかと探しに行く(笑)

ところが道路だけのはずが、ついつい一緒になって山林の中まで
探すことに。(何かありそうな雰囲気だったんですよね~)

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さすがに懐中電灯での捜索では、これと言った痕跡、陶器片は
見つからず。
日もとっぷり暮れた18時30分、この日の歴史ミーティングは
やっと終了しました。(今日も長い一日だった?)
ただ、本日の「現場巡り」はこれで終了しましたが・・・

この後はファミレスのテーブルに資料を積み上げての反省会で
さらに数時間(笑)

※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

前回、前々回、ご報告の通り午前中は豊橋市内の遺跡を
巡りました。
古墳女子は地学にも興味があるという事で午後は田原市
赤羽根町高松海岸、貝化石の出る地層を見に行きました。
ここの化石は新生代第4紀更新世という時代のもので資料に
よって年代にばらつきはありますが・・・
古いところで30万年、おおむね10万年前後の化石だと
言われているようです。

ただ、化石と言っても、化石化が進んでおらず粘土や砂を
洗い落とすと現在の貝のように見えるので「化石マニアには
物足らない」という人も多いのです。

なお、ここから出た化石の様子は、この記事の最後の方に
アップしていますので、ご覧いただければと思います。
画像の化石は私が昔、採集していたもので現在は豊橋市の
豊橋自然史博物館に収蔵されています。

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久しぶりに降り立った海岸の海食崖は様変わりしていました。
それは・・・

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この画像で少し様子がわかるでしょうか?
以前は、いま彼女が立っているあたりから更に垂直に近い崖が
2~3m下までありました。
渥美半島の太平洋岸に続く崖は地質的にもろく以前は酷いところ
では年に1~2mも崩れていたそうです。
余談ですが鎌倉時代の街道は現在の海岸から4キロぐらい沖に
通っていたのではないかという説もあるほどです。
その為、崖手前にコンクリートブロックを置き崖との間に土を
盛って道路状にして浸食を食い止める工事が行われているのです。
その為、化石を含んだ地層の下部、2~3m(場所によっては、もっと)
が道路状の部分に埋められていしまったのでした。

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こういった水の流れで浸食された谷は化石採取に最適な場所
だったのですが・・・
古い地層(下の方)は見られなくなってしまいました。
(崖側の谷も土砂が積もり水がたまって下の地層の化石の露頭は見えない)

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当時露出していた化石を含む地層は下から
①イボウミニナ、
②ウラカガミガイ、
③オオノガイ、
④ヤツシロガイ
で代表される4つの層に分かれていたのですが・・・・
現在は①~③の化石層は見受けられませんでした。
特に③オオノガイ層は貝がぎっしり詰まっている層(泥、砂もないほどに)
で化石採取にはもってこいの地層だったのですが残念です。
化石を探している地層はヤツシロガイ層の下部あたり。

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こちらは化石が含まれる最上部に登ったところ、
ヤツシロガイ層の最上部あたり。

ここから下の画像は以前採取した化石類の画像。
(汚ない画像ですみません)

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貝化石を中心とした標本。
当時、学会(?)には高松海岸の貝化石が114種類、報告
されていると聞いていたので、それを絶対上回ろうと
集めていました。
自分での分類では120種類を優に超えていたはずですが・・・

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2枚貝の代表例。

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僅か数ミリ(以下)の貝化石も採取。

以上は、かつてコルサが高松海岸で採取した貝を中心とした
化石標本。
(貝化石以外にウニ、スナモグリ、フジツボなどが含まれる)

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こちらは、高松海岸から東の豊橋市赤澤海岸で採取したもの。
対象物がないので大きさがわかりませんが40㎝を優に超える
マガキ(ナガガキ)の化石。

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こちらは流木の化石。
上はボロボロでしたが下の流木は保存状態も良くきれいな
木目が浮き出ていました。

最初にも書いた通り、この標本類は現在、豊橋自然史博物館に
収蔵されており新生代展示室に何点か展示されています。

新生代展示室から出る時に注意して壁を見ていただくと
「協力者一覧」という案内板があり、
その中に私の本名(高〇 〇)の名前があります(笑)

先日の発掘説明会があったばかりの吉田城にまた行きました。

以前、発掘説明会の記事をアップしましたが発掘説明会に来れなかった
一番弟子?の為に、また自分も説明会で解説があった部分以外の場所も
改めて、ゆっくり見たかった為。

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見上げるのは鉄櫓、池田照正(輝政)が作ったとされる吉田城最古の
野面積み(石を加工しないで積む工法)の高石垣。
(残念ながら先日の説明会があった遺構は埋め戻されていました。)

発掘説明会の記事



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今度は見上げた高石垣を上からのぞき込む一番弟子。
約13mの高さを誇る石垣ですが・・・
頼もしいことに一番弟子は特に怖がることもない様子。

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本丸南御多門跡の上に立つ一番弟子。
向かい側に見える石垣と同じ高さの「へり」に立っているのですが・・・
やはり特に怖がる様子もなく、
つまずいて落ちたりしないかと、こちらが心配になるくらい(笑)

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本丸(画像左側に本丸)に裏御門跡から攻め入る足軽?一番弟子、
なにが「ツボ」にはまったのか妙にハイテンションの様子(笑)
これは何のポーズなのか・・・不明。

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鉄櫓にあった能面をつけてみる・・・
爆笑することになるかと思いきや(メガネを外した)素顔に妙に
似ている!?
逆に驚いてしまい、こちらも笑いが出ない?

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今まで見たことがなかったので水門と呼ばれる場所も見に
行って来ました。
ここは現在、豊川沿い、豊城中学の西のはずれ、一号線に
近い場所にあります。
ここは豊川から城内に物資を運び入れる為の船着き場に
あたるのだそうです。

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石材に残る刻印も捜索。
しかし、画像に撮るとうまく表現できず(笑)
画像でわかるのは、この2枚程度(泣)


※この日、他にも、いくつか回っていますが、それらはこの後の記事でアップします。
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

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