コルサの毎日がヒルクライム

2018年04月

前回まで3回にわたってご報告した古墳、史跡巡りの番外編?です。

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今回二人が使用した自転車の紹介です。
自分はブルーのいつものBSモールトン。
前後に荷物を積んでいるのは・・・
弟子の場合、サドルが低いのでリクセンカウルでのショルダーや
リュックタイプのバッグ類の取り付けが難しく自分が前後に
二人分の荷物を持つ羽目に(笑)

弟子が乗っているのは以前、自分が乗りまわしていた
ダホン オビワンです。
(中国国内販売用モデル、日本ではヴィスクとして販売)
このモデルについて詳しくは左の書庫、「ダホン」を開いて
いただければ以前の姿がご覧いただけます。
自分が散々乗り回した後、部品取りになってしまいフレーム、
ホイール、シートポストぐらいしか残っていませんでした。
それを手持ちの部品、自分のスペアパーツなどを寄せ集めて
乗れるようにしたものです。
これはいずれ詳しくご紹介したいとは思っていますが、いつに
なることか(笑)

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行燈山古墳から国道をはさんだところにあるコンビニ駐車場の
南側には市営駐車場があります。
黒塚古墳展示館の名前がある他、周辺観光の文字がありますから
周辺の散策に利用させていただけるようです。
ただし、こちらの駐車場はコンビニ駐車場と違い24時間開いて
いるわけではないので、ご注意ください。

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その駐車場にあった柵は緑色に塗られ「古墳マーク」が入って
いました。

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お昼をいただいた箸墓古墳のすぐ近くにある「三輪そうめん山本」
さんで見つけた「古墳クッキー」
弟子と二人で買おうか散々迷った挙句・・・断念(笑)
(他のお菓子を購入しました)
素材、製法にこだわって、とても美味しいのかもしれませんが
小さなクッキー5枚で780円は我々には少し、お高いかと・・・
三輪山本さん、もう少しお手頃な古墳関連のお菓子を作って
いただければ(笑)

※「弟子と回った奈良の古墳、史跡」はこれで終わり。

渋谷向山古墳、櫛山古墳と来れば、あの辺りの古墳に詳しい方
なら次は・・・
と、だいたい察しが付くことでしょう?(笑)
大和天神神社も気になりますが現在は神社の境内地で、あまり
古墳らしさは感じられませんし何より時間が押しているので(笑)

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大和天神神社をスルーして立ち寄ったのは黒塚古墳です。
全長約130mの前方後円墳です。
ここには立ち寄らなければならない理由がありました・・・
(それは後で)

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後円部墳頂には全国有数の規模(南北長約8.3m)と言われる
竪穴式石室が表現されていましたが劣化が激しいようで・・・

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この古墳に立ち寄らなければならない理由・・・
それは古墳に隣接して黒塚古墳展示館(無料)があり全国有数な
規模を誇る石室を再現してあります。
また2階には出土した34面もの鏡が展示されているからなのです。
これは見学しないわけにはいきません?
(奈良古墳デビューの弟子に見せておかなければ)

さて黒塚古墳を見学した頃には今日の予定行動時間(16時まで)
を、とっくにオーバーしています。
まあ、二人の歴史ミーティングは、いつもこうなので・・・
本当の?予定は17時30分くらい(笑)
先を急ぎましょう。

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黒塚古墳から一気に南下して、この大鳥居は・・・
そう日本最古の神社ともいわれる大神神社(おおみわじんじゃ)です。
左手に見えるのは大神神社のご神体、三輪山です。
(弟子よ、いつか、また来て今度は三輪山山頂まで登ろうな・・・)

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大神神社に「弟子の奈良古墳デビューの報告」(笑)と、これからの
「古墳巡りの安全を祈願」する為、お参りしました。
(拝殿の画像は取り忘れてしまいました)

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先ほども書いた通り当初の予定時間を過ぎています。
これで車に戻る・・・ところですが、ここまで来たら、もう一つ
見たい古墳があります。
弟子に聞くと、まだ疲れは全然、大丈夫とのこと、頼もしい。
それでは回って行くことにしましょう。

弟子は数回、近場で乗っただけの自転車で、ここまで約17キロ走行、
最終的には19キロ走行。
こちらもペースは抑えているつもりですが・・・
途中の上り坂でも全然離れず、なかなかの走りでした。

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西日の中、見に来たのは茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)です。
スタート地点、朝一番に見たホケノ山古墳の南東にあります。
茅原大墓古墳は4世紀末の帆立貝式前方後円墳で全長約86m
だそうです。
自分は以前、来たことがありますが、その後、調査されたと聞いて、
またその際、人物埴輪として国内最古と言われる盾持ち人型埴輪が
出土したと聞いて、もう一度来て見たかったのです。
(調査は終わっているのですが)

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茅原大墓古墳の上に登り周辺の古墳などを見渡しています。
前回来た時は樹木に覆われていたと記憶していますが綺麗に
切り払われていました。
墳丘は意外にも、ほぼ平坦に広がっていました。
中央奥に見えるのは箸墓古墳です。

さて、これで弟子の奈良県古墳デビューも無事終了。
予定時間16時を・・・大幅に超過した17時40分頃、
車に戻りました。
まあ、いつも予定時間を大幅に超える二人の史跡、遺跡巡りですから、
これも予定通りと言えるのかもしれません(笑)

※つづく
※間違いなどお気づきの点が御座いましたらご遠慮なくご指摘ください。

前回は渋谷向山古墳の陪塚、上ノ山古墳まで
ご報告しました。
今回はさらに北上し行燈山古墳から。

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行燈山古墳(あんどんやまこふん)を南側から見たところ。
この古墳は崇神天皇陵として宮内庁が管理しています。
こちらは全長約242mの前方後円墳で4世紀の後半の築造と
考えられているようです。
右手が後円部、左手が前方部になります。

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行燈山古墳を前方部から見たところ。
前方部の幅でさえ100mもあるので、渋谷向山古墳と同様に
イメージがわかず?弟子が今度は固まっているようです?(笑)

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行燈山古墳の前方部西側には二つの陪塚があります。
北側にあるのがアンド山古墳。
行燈山古墳を見ながらアンド山古墳を見ると小さく見えて
しまいますが、こちらでも全長約120mもある前方後円墳です。
画像は手前が前方部、奥が後円部になります。
前方後円墳のくびれ部分が良くわかりますね!

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二つの陪塚のうち南側にあるのが南アンド山古墳。
あんどん山古墳、アンド山古墳そして南アンド山古墳とややこしい(笑)
こちらは全長約65mほどです。
こちらは後方部側を見ています。奥に後円部の高まりがあるはずですが
画像ではあまりわかりませんね。
アンド山古墳、南アンド山古墳ともに行燈山古墳と同時期の
古墳と考えられているそうです。

左奥に見えるのは大和天神山古墳です。
こちらは国道工事で半分削られてしまっています。
(多くの鏡が出土したことで有名な古墳)
(大和天神山古墳も行燈山古墳の陪塚ではないかとする説もあります)

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さて、行燈山古墳の東側には興味深い古墳があるので
見学に向かいます。
その古墳は櫛山古墳(くしやまこふん)といいます。
興味深いというのは、この古墳の形状にあるのですが・・・
通常の前方後円墳に短い方形部が追加されたような形状から
双方中円墳と呼ばれています。

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画像は双方中円墳の西側の前方部?から中円部を見たところ。
そして次の画像は真反対から見てみます。

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今度は双方中円墳の東側の短い方形部から中円部を見ています。
歩いてみると、その独特な形状が比較的、よく残されて
いるように感じました。

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東側の方形部の上部周辺には綺麗な白い石がたくさん
見つかります。
これは白礫を敷き詰めた特殊な遺構と考えられているようです。

また、周辺では板状の石がたくさん見つかりますが・・・
これは中円部の竪穴式石室に用いられていた石なのでしょうか?
(資料などでは未確認、私の妄想?)

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中円部の墳頂の窪みを観察する弟子。
昭和23年の発掘調査では竪穴式石室と石棺の一部が
見つかったのだそうです。
また車輪石、鍬型石(くわがたいし)、石釧(いしくしろ)
などの出土品もあったそうです。

車輪石、鍬型石、石釧などの遺物を弟子は見たことがない
ようなので、いずれどこかで現物を見せなくては
なりませんね・・・

※つづく
※間違いなどお気づきの点が御座いましたらご遠慮なくご指摘ください。

4月22日は弟子(歴史友達)を奈良県の古墳デビューさせる為、
奈良県桜井市と天理市周辺を巡りました。


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弟子の奈良県古墳デビューの為に選んだのはホケノ山古墳。
なぜなら駐車場があったから・・・という理由も少しありますが(笑)
やはりここは地味ながら重要な古墳だからです。
ホケノ山古墳は全長80mあまり、長突円墳(前方後円墳)あるいは
資料によっては纏向型前方後円墳または帆立貝型古墳と書かれている
資料もあります。
(基本的は、ほぼ同じではありますが)
埋葬施設も変わっており(詳しくは書きませんが)積石型木槨をもち、
鏡、銅鏃、鉄鏃、刀剣など豊富な副葬品も出ています。
年代は古く三世紀半ばとされています。
弟子が立つホケノ山古墳墳頂から奥に見えるのは箸墓古墳です。
(二つの古墳の間にある堂ノ後古墳も、わずかに見えています)
箸墓古墳といえば卑弥呼が葬られているのでは?とする意見が多く
ありますが、
このホケノ山古墳に卑弥呼が葬られているのでは?という説も
あるようです。
(この件は次の箸墓古墳でも書いています)

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ホケノ山古墳全景。
右が後円部、左手前に前方部が延びています。

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次に向かったのは箸墓古墳(箸中山古墳)
全長280mの前方後円墳です。
築造年代は3世紀半ばとする説が有力なようですが3世紀末とする
意見もあるようです。
一般的には卑弥呼の墓ではないかとする説が多いようですが3世紀末と
すると年代が合わず卑弥呼の後継、トヨの墓とする説もあります。

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箸墓古墳の南側。
後円部側から前方部側を見ています。
好奇心旺盛な弟子は
「これ入ろうと思えば入れますよね・・・」
もちろん私も入ってみたいのはやまやまですが
「天皇家に対しての不敬罪」、「宮内庁を敵にまわしたくない?」(笑)
ので我慢しました。

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溜池の水が抜かれていると古墳の裾部に葺石と思われる石が
見えることがありますが今回は満水、残念ながら観察できませんでした。

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今回は二人、自転車で散策です。
最終的に19キロほど走っていましたから同じプランを歩きでは、
とても無理、自転車の機動力が正解でした。
(車は駐車場や狭い道に苦労しますしね)

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今度は纏向古墳群の中の纏向石塚古墳。
手前側(右手)が前方部、左手が後円部、全長96mの
纏向型前方後円墳です。
全体に低いので古墳らしく見えませんが、これは太平洋戦争時、
高射砲陣地として開削された為だそうです。

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纏向石塚古墳、日本最古の古墳ではないか?とする意見もあります。
日本最古はともかく3世紀初頭の築造とする意見は多いようです。
周辺には纏向古墳群の古墳が見えていますが今回は石塚古墳だけで
あきらめました。
(私は以前、ほとんど回っていることもあり)

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渋谷向山古墳(景行天皇陵)を西側(前方部)から見たところ。

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渋谷向山古墳は4世紀後半の巨大前方後円墳で全長約300mの
規模を誇ります。
あまりの大きさに、かえって弟子は困惑の?ポーズか??

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渋谷向山古墳の前方部、すぐ北側にある上ノ山古墳。
渋谷向山古墳の陪塚(ばいちょう)と考えられています。
(陪塚は上ノ山古墳を含む3基の古墳が指定されています)
周辺には大きな古墳がたくさんあるので
小さく見えてしまいますが全長約125mの前方後円墳でした。
(手前が前方部、奥が後円部)

※つづく
※間違いなどお気づきの点が御座いましたらご遠慮なくご指摘ください。

当ブログの歴史ネタに最近では頻繁に登場する弟子・・・
弟子と認めた記憶はとくにないのですが?(笑)
いつの間にか弟子と自称するようになり私もついつい弟子と
呼んでいました(笑)
いつのまにか弟子と呼んでいますが・・・
もともとは古墳女子で当ブログに顔を出していたはず。

まあ、彼女、一人で大阪の大仙古墳(仁徳天皇陵)や兵庫県の
五色塚古墳を見に行くなど、確かに古墳女子というだけのことは
ありますが・・・

まだ、それでも奈良県の古墳は見たことがないと言います。
まあ、若いから仕方がないですが古墳女子を名乗るなら奈良県の
古墳の一つや二つ、見ておかないと・・・

そこで、今回、奈良県の古墳デビューさせる為、ついに?
奈良県に行って来ました。

さて、一口に奈良の古墳といっても数限りない?古墳があります。
その中で奈良の古墳デビューはどこが良いのか?
(いずれ各地一通り見るとしても)

やはり(諸説あるものの)最古の前方後円墳と言われる箸墓古墳
周辺が良いだろうと考えました。
(その他にも周辺には時代的に古いと言われる古墳が多数存在します)
周辺には纏向古墳群もありますし景行天皇陵、崇神天皇陵、
多くの鏡が出土した黒塚古墳など多くの見るべき古墳が
集中しています。
そして古墳ではありませんが日本最古の神社と言われる
大神神社もありますから。

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今回、古墳などを効率よく回る為、古墳女子スペシャル
自転車(ダホン オビワン)を用意しました。
(名古屋市守山区の古墳を回った時のダホンは借り物)
この自転車は以前、自分が乗りまわしていたものの部品取りに
なってしまいバラバラになっていたもの。
幸い、ホイールは残っていたので、後は余り物や他の自転車の
スペアパーツなどを寄せ集めて組み立てたました。
左は私が以前から史跡巡りによく使っているBSモールトン。
今回は二人分の荷物を運ぶ為、前後にリクセンカウルのバッグを装備。

と今回はこれだけ。
次回は奈良県の史跡を巡った様子をご報告します。

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