コルサの毎日がヒルクライム

2018年04月

愛知大学 総合郷土研究所の「はじまりは考古学」展に行ったことは
何度か書きました。
その際に以前から見たかった愛知大学内の古い建物も見学してきました。

豊橋市は地元の人からも忘れ去られそうになっていますが、
かつて軍都でした。
吉田城には歩兵第18聯隊、愛知大学周辺には第15師団などが
あったのです。
愛知大学周辺には第15師団その後、陸軍教導学校、陸軍予備士官学校
などが置かれ現在も関連する建物などが一部残っています。

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まずは現愛知大学記念館
明治41年に建てられた陸軍、第15師団司令部庁舎として使用され
現在は国の登録有形文化財なのだそうです。
30年ぐらい前には、まだ大学の事務所として使われていたはずで
自分は仕事で打合せに来た記憶があります。
(調べてみると1996年まで愛知大学本館として使用されたとのこと)

愛知大学記念館で、いただいた資料によれば「豊橋初の明治の洋館」
とあり、壁のはり方はドイツ式、土台のレンガ積みはイギリス式、
玄関のエントランスはイタリア式、ヨーロッパの様々な建築技法が
取り入れられた独特な建物なのだそうです。。

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南側から見た第15師団司令部庁舎。

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第15師団司令部庁舎の内部の様子。

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次に見学したのは大講堂。
陸軍教導学校時代の講堂で昭和2年に建てられたとのこと。
とてもそんな古い建物とは感じられませんでした。
よく見ると室内に明かりが見えるように現在も学生たちに
使われています

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こちらは歩兵第60聯隊、将校集会所。
なんと明治41年に建てられたそうです。

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将校集会所は現在、一部倉庫として使われているそうですが・・・

くもりの日の夕方には・・・雰囲気あり過ぎ、怖いくらい(笑)
弟子はオカルト好きなので喜ぶかと思いきや・・・
オカルト好き(すなわち信じている)だからこそ怖かったらしい(笑)

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養生舎と呼ばれる建物。
窓枠など建具類は新しいものに変わっているようですが建物自体は、
こちらも昭和2年に建てられたそうです。
(屋根瓦に陸軍の五芒星があるそうですが見忘れました)

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北側、渥美線に沿って残っているのは教導学校時代のコンクリート製の塀。
よく見るととても味?があります。

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今回、初めて知ったのですが愛大校内に古墳が移築されていました。
(渥美線、大学前駅すぐ裏)

職員の方がわざわざコピーしてくださった資料によると・・・
1957年に愛知大学が旧宝飯郡一の宮村の東原4、5、6号墳を調査し、
その後、東原5、6号墳を2基を移築したのだそうです。
資料の中にも
「現在は笹が生えてしまい、マウンドの形状も変わってしまい、
 移築された石室の様子が覗えないのが残念である」
とありましたが・・・
実際、その通りで(笑)何もわかりませんでした。

※間違いなど億付きの点が御座いましたらご遠慮なくご指摘ください。

グランボア700-23Cコルデマドレーヌの走行レポートです。

前回の記事で「3,700キロぐらいで使い切る」
と書きましたが・・・
経年変化?でゴムが硬化したのか、気温が下がったせいなのか、
とにかく摩耗速度が落ちたような?
その為、3,700キロを過ぎましたが、まだまだ使えそうです。
走行距離は3,700キロをから4,000キロを超えましたので
その様子をご報告します。

※画像の撮影はタイヤのマークの所で行うようにしています。

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現在の前輪の様子。
ここまで
前輪での使用通算距離 2,192キロ
後輪での使用通算距離 1,843キロ
総走行距離        4,035キロ
(同じ前輪の画像なのに摩耗の様子が違って見えますが)

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現在の後輪の様子。
ここまで
前輪での使用通算距離 1,843キロ
後輪での使用通算距離 2,192キロ
総走行距離        4,035キロ
(同じ後輪の画像なのに摩耗の様子が違って見えますが)

画像のように前後輪とも、まだまだ使えそう?なので、
このまま、入れ替えず走行を続けるつもり。
こうなったら前回、すーさんがコメントしてくれたように、
なんとかもたせて目指せ5,000キロ?

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ちなみに新品時の状態です。

前回、4月14日に行った愛知大学 総合郷土研究所の
「はじまりは考古学」展の様子をご報告しました。

実はその前に・・・田原市の古墳を二つ、回ってきたのでした。
今回は、田原市の古墳見学のご報告です。

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籠池古墳に到着です。
今日は雲が厚く覆う天気でしたが弟子(歴史友達)の希望で
「セブンさん」で繰り出しました。
(ホンダなら雨も風も寒さも何も心配ないのですが・・・)

中央奥にみえるのが籠池古墳の墳丘。
天井石は失われており石室の上には雨除けが設けられています。

弟子が首をかしげているのは・・・
説明板に書かれた石棺に使われているという「ラジオラリア」の
言葉の意味がわからなかったようです。
実は、私も以前、書籍などで目にしていた言葉でしたが・・・
「チャートという石の事だと思う」としか知識がなく
ちゃんと説明できませんでした(汗)
帰ってから調べてみると・・・
ラジオラリアとは古代の放散虫の化石の堆積した岩石の事だそうです。
いわゆるチャート(渥美半島ではなじみの岩石)の1種なのだそう
ですが特に赤い色が鮮やかなのが特徴のようです。
この赤い色に何か神秘的なものなどを感じて石棺の素材として
使ったのでしょうか?
(ちなみに放散虫の化石は小さ過ぎて見てもわかりません)

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残念ながら石室には立ち入りできません。
この古墳は6世紀後半築造、直径約20mほどの円墳と
されています。

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覆いの隙間から撮影した石室内。

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よく見ると奥壁の手前に赤色のチャート(石材の名称)で作られた
組合式石棺が見えます。


雨が心配なのと午後からの予定の為、あまり時間的に余裕が
ないので次の古墳に移動します。


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もう一つ訪れたのは市街地の神明社境内にある神明社古墳。
神明社には多くの神様が祀られています。

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古墳は稲荷社の裏にあります。
6世紀に作られた直径約15mの円墳とされています。

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ここも石室内には立ち入りできません。

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羨道の石組みの様子。
奥に組合式石棺が見えています。
資料などによると「内部に石棺が二つある」と書かれています。
右側にもう一つ石棺があるようです・・・何とか見てみたい!

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入り口の隙間から内部の撮影を試みました。
(ロング自撮り棒?みたいなものを使って)
なんとか内部にある二つの組合式石棺の撮影に成功。
右に小さな左に大きな石棺がありました。
羨道の画像では狭く見えましたが片袖式のようで石室の規模が
広いのが、お分かりになるでしょうか?

さて田原市の代表的な古墳を2基見学しました。
この他にも周辺には弟子に見せておきたい古墳がいくつかありますが・・・
(城宝寺古墳、栄厳古墳は以前見学済み、他には・・・?)
午後からは最初に書いた通り愛知大学を訪問予定なので今日の
田原市古墳巡りは、これまで。

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2回目のデートで、すっかり、セブンさんと打ち解けた様子の弟子。
弟子いわく・・・
「セブンさんと、お話できるようになりました」??
とのこと、さすが・・・・!?(笑)
(そういえばセブンさんと、相性が合わなかった女性も多かった?・笑)

※間違いなどお気づきの点が御座いましたら、ご遠慮なくご指摘ください。

先日、行った愛知大学 総合郷土研究所の企画展、
「はじまりは考古学」(木造校舎時代の愛大で)
の様子を少しご紹介したいと思います。

※この企画展は5月18日までやっています。
 地元の遺跡、考古学に興味のある方には、お勧めです。

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食い入るように見入る弟子(歴史友達)

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田原市地部道1号墳から出土した須恵器類。

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豊川市白鳥町の坊入遺跡から、このような、きざみ梯子が
出土していたとは初めて知りました。
きざみ梯子とは丸太に刻みを入れて足をかけるようにした
古いタイプの梯子。
弥生時代などの様子を表すイラストで高床式倉庫などに
よくかけられているのを見ますよね!

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弟子、憧れ?の
「三河守藤原顕長の銘入壺」(田原市 大アラコ古窯出土)
に大興奮!(笑)
(先日、現地を見学したばかり)
愛知大学にも、この壺片が所蔵されていたんですね!
実は私も、この壺片には興奮しました。
私の憧れでもあります(笑)
(渥美半島の古窯に興味ある人なら、みんな興奮しますよね?)
あと、私としては縄文時代の北屋敷式土器の標識資料を
初めて見ることが出来たのは収穫でした。

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右側2点の大きな土器は豊川市御津町の河原田遺跡から
出土したという土器棺。

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先日、弟子を連れて行った豊川市 炭焼平古墳群、
27号墳から出土したという耳環、鉄鏃、刀子。
弟子も実際、行ったことのある古墳群からの出土品と知ると
一段と興味が増した様子。

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熱心に資料に見入る弟子。
この分では私を越えて行く日はそう遠くないのかも・・・
「頑張れ~!」、「ファイト~!」
と応援しつつも少しさびしい気持ちになるのはなぜ?(笑)

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この展示をしていた愛知大学の「大学記念館」
この建物自体が明治41年に建てられた
陸軍、第15師団司令部庁舎という国登録文化財
なのだそうです。
(愛知大学内にはこの建物以外にも陸軍の古い建物等が残されています)

※この催しを紹介した私の以前の記事


※間違いなどお気づきの点が御座いましたら遠慮なくご指摘ください。

4月15日の第21回古典ロード走行会は残念ながら雨でした。
ということで予定通り?古典ロードミーティングに変更しました。

当日、集まったのは6人、三好のS氏はミッドシップスポーツ車が
足なので持参車輌なし。
その他の5人、6台をご紹介します。

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初参加のY氏のメルシェ。
ソリッドのピンクがいかにもメルシェらしい、好ましい1台。
直付けがほとんど無いフレームから見て1970年代前半
ぐらいでしょう。
駆動系はTA、サンプレックスでまとめられています。
ホイールは仮の物とのこと、この辺りの年式ならLFのハブが似合う
のではとは外野の声(笑)
さて、オーナーは次回までに?どんなハブを手に入れてホイールを
組まれるのか?楽しみ。
ホイールが決まればほぼ完成と見受けられましたが・・・
フレームの細かいところの塗装が、やや傷んでいるのをどうメンテ
するのかが課題でしょうか。

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S氏のカールトン フライヤー、1961年式ではないかとのこと。
ベネルクスの変速機、GBのブレーキなど英国車に親しんでいないと、
あまり見たことのない部品で組まれています。
当時のカタログと見比べても、違いはほとんどなく、ほぼオリジナル
の部品と思われるとのこと。

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田爺さんのチネリ スーパーコルサ。
既に新しいマークになっていた1980年代に、いわゆる旧マークで
仕上げられ販売されたフレーム。
数が少ない小さなフレームサイズがオーナーにピッタリ。

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デローザのタキちゃんが持ち込んだコルナゴ、ヌーボメキシコ。
(タキちゃんはデローザだけではないのです)
フレームは1982年式ですが部品類は、それ以前に乗っていて
事故でつぶした車体から外した部品などを使用。
その為、フレームと部品の年式にずれがある部分有り。

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コルサのコルナゴスーパー、1979年式。
1976年ごろのイメージに改装してあり部品類の一部は
オリジナルではありません。
(現在、外してあるオリジナルの部品もほぼ保管してあります)

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コルサが賑やかし?に持参したメーカー不明の英国製ピストの
フレームを利用したピストロード。
詳細を記事にしてアップすると以前書いたような気がしますが(笑)・・・
部品アッセンブルなどは一部暫定のままなので、完成したら、
いつか、また詳細をご報告します。

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