コルサの毎日がヒルクライム

2018年06月

※今頃アップしていますが・・・5月20日の様子です。
19日は奈良の史跡を巡り20日、午前中は服部緑地でフリマでした。
フリマで一生懸命、店番をした弟子を「ご褒美」?として大阪高槻市の
今城塚古墳に連れて行きました。
(すぐ近くに自転車仲間の家もあって立ち寄る目的もあった)

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今城塚古墳は研究者の見解として継体天皇陵とする意見が大勢を
占めているようです。
宮内省は、ここから西にある太田茶臼山古墳を継体天皇陵と
していますが出土品などから時代が合わないと言われています。
その真意はともかくとして・・・
巨大な古墳であることは間違いありません。
画像は北側から見たところで右手が前方部、左手が後円部になります。
ここは公園化しており近所の人たちの憩いの場になっていました。

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復元、円筒埴輪が古墳をぐるりと取り巻いています。

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隣接して立派な資料館もあります。
無料ですが充実していますので、ぜひ見学してください。
画像は弟子とボランティア説明員の方。
「30分くらいのコース」で説明をお願いしましたが弟子の熱心な
質問に30分を大幅に過ぎてしまったようでした(笑)

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石棺の復元品・・・

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大型埴輪・・・

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展示品の数々に弟子の興味は尽きることはない(笑)

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墳丘に隣接した屋外の復元埴輪の列。

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弟子が撮影した埴輪。
自分のセンスでは取れない画像・・・面白い(笑)
(自分はどうしても全体像でカタログ的画像になってしまう)

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これも・・・自分センスでは出来ない行動?
「何かポーズ」とリクエストすると・・・ハニワの首を絞める弟子。
こういったセンス・・・嫌いではない(笑)

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ここまで我慢してついてきてくれたK氏は近くのF氏のお宅に。
(謎カップル?の古墳巡りに、つき合わせてごめんなさい・・・)
我々は・・・自由に立ち入ることのできる墳丘を歩き回りました。

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墳丘の要所要所には説明板も設置してあります。
この弟子のポーズは・・・い、意味不明。
あえて言えば・・・
ここが後円部であることを表しているポーズなのでしょうか(笑)

※今城塚古墳おわり。
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。 

うちのセブンさんの車検が6月19日で切れてしまうという
連絡がありました。
購入日(納車日1999年7月31日)は覚えているのですが途中で
訳あって車検を一度切らしているので車検日が当初とは変わっており、
あまり良く覚えていません(笑)
という事で、あわてて6月9日、弟子と二人でセブンさんを車検に連れて
行くことにしました。

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この画像と次の画像は・・・
今回の撮影ではなく連休中、弟子が撮影した画像。

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これは・・・
少しでもご近所迷惑にならないようにとサブ?マフラーを付けて暖気
運転しているところ。

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豊橋発、蒲郡で弟子を乗っけて・・・
わざわざ、三河湾スカイラインにまわって爆走。
弟子はスリリングなワインディング走行が大好きらしい。
(走行中の5枚の画像は弟子の撮影によるもの)

雨上がりの朝のせいか誰もおらず。
それにしても「湾スカ」無料になってから路面は荒れ放題、その上、
今日は夜降った雨でまだ濡れています。
少し油断するとコーナーで後輪がいとも簡単にグリップを失います。
(ブレーキが遅いと前輪も・・・タイヤも古いので・・・)
一人なら少しぐらい滑らせてコントロールを楽しむのもいいけれど?
弟子が乗っているのでミスは許されない!慎重に?

それでも、弟子に怒られないくらいのテールスライドが2度ほど(笑)
あんまり滑らせると「こわい~」と弟子に怒られる!!!
実は運転している方はもっと「怖かった」とは口が裂けても言えない?(爆)

でも弟子には
「俺とセブンさんの組み合わせなら他車に追いつくことはあっても
  追いつかれることはない」
と、いきがっておく(笑)

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車検入れに付き合ってくれた弟子の為に・・・
セブン屋さんへ向かう前に幸田町の古墳を3基ほどハシゴして。
ちなみに四ツ塚古墳と青塚古墳(画像に説明板がある古墳)そして
画像がないのは経塚古墳。
(古墳名に「塚」が付くことは良くありますが3基ともとは珍しい?)

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ACマインズさんには、相変わらず凄いクルマたちがいっぱい。
弟子は画像に写るエリーゼ、エキシージ系では目立たない???と、
あまり好みではないらしい(笑)
セブンさんに比べて雨の心配もないし?楽で速くて凄いんだけど・・・
でも、むっちゃ高い?(笑)

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弟子は現代の目で見れば突拍子もない?デザインのスーパーセブン系が
好きらしい(笑)
これは限定車・・・
うちのセブンも、もちろん、いいけどモダンな?セブンもいいなぁ(笑)
楽で速いんだろうなぁ~

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今回、驚いたのはACマインズさんにコレクターズアイテムと言っても良い
希少価値のあるロータス コ―ティナ(コルチナ、コルティナともいう)
が2台もいたこと。
ロータスツインカムエンジンを積んだサルーンカー、超かっこいい、
欲しい、乗りたい、レースしたい(笑)
よく見るとグリルのデザインが違うことがお分かりになりますか?

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弟子がセブン以外に唯一、気に入った?初代エリーゼ。
いわゆるゴールドリーフカラー
(かつてのF-1のスポンサー、煙草の銘柄名)

車検の完成は・・・
ずいぶん先になってしまうらしい。
実は弟子と6月16日と17日セブンさんで遊びに行こうと思って
いたのですが・・・
残念ながら自分の検査入院などで入庫が遅れてしまい、その分、車検
完了も遅くなってしまうとのこと。
そのうち、夏の暑さでセブンさんには乗れない時期になってしまいそう・・・
(6月9日の午前中だけでも暑さで厳しかったぐらい)

※今頃、アップですが、これは5月19日の明日香村、史跡巡りの
様子です。
弟子は博物館などで働く夢を持って日々、勉強中?4月、
奈良の古墳デビューを果たし続いて明日香村デビューとなりました。

さて、19日朝から石舞台古墳、都塚古墳、益田岩船、沼山古墳、
欽明天皇陵、吉備姫王墓、猿石、鬼の雪隠、鬼の俎、亀石、飛鳥寺、
明日香板葺きの宮、飛鳥京跡苑池、弥勒石と14カ所!!を巡り・・・
既に18時過ぎというのに、もう一か所、見学に行ったのは菖蒲池古墳。
この古墳も、ぜひ弟子に見せておきたかったのです。

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ここも何年か前、一人で探した時は、今と違って情報も少なく
ずいぶん迷って探し当てました。
林の中に(覆屋の付いた)横穴式石室が開口しています。
手前部分(羨道)は埋まったままになっていて規模はわかりません。
近年の発掘調査で一辺約30mの方墳(二段築成)で7世紀中頃
作られたとされています。

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弟子は既に真剣に石室内を観察しているようですね・・・

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中を覗き見ると二つの立派な家型石棺が前後に並んでいるのが
見えます。
これを弟子に見せておきたかったのです。
(この二つの石棺にまつわる諸説も話して聞かせました)
(また見学できないが隣接する養護学校内から見つかった
小山田古墳についても)
石棺の蓋の上には温度記録の為のセンサーでしょうか、何か
計測装置の様な物が乗っています。(前後の石棺、両方に)

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こちらの画像の方が石室の岩が上部で内傾しているのがわかり
やすいでしょうか?また天井石も少し多め?に写っています。

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手前の石棺は蓋が開いており内部に水がたまっているのが
見えています。
こちらも何らかのセンサーらしきものがあります。

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菖蒲池古墳の石室には、このようにしっかりとした屋根が
付けられています。

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屋根の下はというと・・・
一番手前(画像の右側)はコンクリートで作られた部分。
その後ろはシートで覆われています。
シートを少しだけはぐってみると・・・当たり前ですが?中は岩でした。
(ちゃんと元に戻しておきましたよ)
これは、もちろん、天井石なのでしょう。
画像で見てもお分かりになるように、かなりの厚さがある立派な天井石が
使われていることがわかります。

※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

※今頃、アップですが、これは5月19日の明日香村、史跡巡りの様子です。
弟子は博物館などで働く夢を持って日々、勉強中?4月、奈良の古墳デビュー
を果たし続いて明日香村デビューとなりました。


すでに夕方17時40分頃になってしまいましたが・・・
明日香村が初めての弟子に主要な史跡の位置関係をざっと教えておきたい・・・
(甘樫丘、飛鳥寺、伝飛鳥板蓋宮跡、橘寺など)

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他にも、いくつか見せたい遺跡があるものの今回はあきらめて・・・
(水落遺跡、石神遺跡、川原寺跡なども見せたかったが)
飛鳥寺の位置くらいは教えておこうと慌てて飛鳥寺に。
弟子曰く
「せっかく来たのに受付が開いてない!」
「飛鳥大仏が絶対、見たかったのに~!」
(飛鳥大仏、日本最古の大仏とも言われる)
17時30分を過ぎてから立ち寄って「開いてない」・・・
のは、どう考えても我々の方が悪いのですが(笑)
むしろ、まだ山門が開いていて境内に入れただけでもラッキーと
考えるべきでは。
ちなみに我々が境内を出た途端、どこからともなく誰かが来て
山門が閉められました(笑)

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つづいて伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみや)に。
ここは幸い閉門時間はない?
そういえば・・・以前は「伝飛鳥板蓋宮跡」と呼ばれていましたが
2016年頃から飛鳥宮跡というように名称変更になったらしいけど?
・・・詳細不明。

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ここは・・・645年、乙巳の変(いっしのへん・いわゆる大化の改新の
発端となる事件、蘇我入鹿が中大兄皇子らに切られた事件の現場)
が起きた建物跡だと言われています。
実際には4度にわたって建物が重なって建てられており645年の乙巳の
変の宮殿跡は地下に埋まっているようです。(現在、見えているのは
飛鳥浄御原宮の跡とされています)
ちなみに、ここは井戸の跡。

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まるで、「て、てっ、天使降臨!」みたいだったと弟子にゴマを
すっておこう、すりすり(笑)

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板葺きの宮から、すぐ西の場所で、どうやら発掘調査を
しているようでした。
このすぐ南には飛鳥京跡苑池
(私は以前、発掘調査説明会に来たことがある)
があるので、それに続く施設?の発掘調査のようでした。
さすが明日香村、ほとんど、どこを掘っても何らかの遺跡が
出てくるんでしょうね?

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そうそう、発掘現場近くに研修施設のような新しい建物が
出来ていました。
その前に自転車を止めて。
右は弟子が乗るダホン オビワン改(中国国内専用販売モデル)
左は私が乗るブリジストン モールトン改です。

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伝飛鳥板蓋宮跡から北西、飛鳥川のほとりに立つ弥勒石(みろくいし)
かつて飛鳥川の中から引き上げられたという話が伝わります。

弟子は、この弥勒岩を見た途端、思わず「怖っ」と声を出しました(笑)
確かに18時過ぎの薄暗い中、仏様らしからぬ浅い彫の?この岩は
不気味に見えたのかもしれません。
ただ、横の説明板に「下半身の病に効くと伝わる」と書かれたのを
読んだ途端、
「師匠の為にお祈りしなきゃ」
と弥勒石様に手を合わせました・・・
「や、優しい・・・で、弟子や」
思わず私、師匠は涙ぐむ?(笑)
(私が内蔵に病を持つことを弟子は知っていたのでした)


さて、この時点で18時20分、この後、枚方市の宿まで車で
走ることを考えたら・・・
さっさと帰りますよね!
でも、我々は、ここからもう一つ古墳を見学に行くのでした(笑)
(宿のチェックインが23時までをいいことに・・・)

※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。

先日、ご報告した通り5月末から6月初めまで入院しておりました。
そんな、ある日、病室(8階です)から窓の外を見ていると・・・

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なんと鉄塔の上で作業しているではありませんか?
その様子をアップします。

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私の入院していた8階からの景色。
奥に見える鉄塔が切れていますが画面右側に続いています。
(鉄塔作業の日とは違う日に撮影、雨に煙っています

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朝7時頃、外を見ていると・・・
鉄塔に人の姿が見えています。

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人力でロープを使って(青い)シートの様な物を上げています。

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シート状に見えたのは実際は網状のようでした。
それを鉄塔の周り(内側に貼るところと外側に貼るところと、それぞれ)
に縛り付けていくようです。

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塗装工事が始まりました。
少しづつ網状のものをはぐりながら上から下に向けて塗装して
いっています。
最終的には多数(9人までは確認)の職人さんが順に上から下に
塗装していました。
ビルの9階~10回ぐらいありそうな鉄塔ですがお昼頃までに作業は
終了していたようです。

それにしても足場もしっかりあるわけではない鉄塔の上で網状のものを
縛りつけたり塗装したり大変な仕事ですね!

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