コルサの毎日がヒルクライム

2021年09月

走行を再開したパナレーサー グラベルキングタイヤ(700×28C)がトータルでの走行距離が4000キロを超えましたのでご報告します。

ちなみに、このタイヤ、2017年5月に千キロ超使ったところから休止、ほとんど乗らず(他に乗る車輌、タイヤが沢山あって)気が付くと4年ほど経ってしまいました。その為、タイヤの摩耗度合い、ひび割れなどは本来のタイヤの状態ではないことをお断りしておきます。s-DSC05446
↑現在のリヤタイヤ、ロゴも、お疲れの様子(笑)

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↑↑、↑現在のフロントタイヤの様子。走行距離はフロント2015キロ、リヤ2077キロ、トータル4092キロ

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↑↑、↑現在のリヤタイヤの様子。走行距離はフロント2077キロ、リヤ2015キロ、トータル4092キロ

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↑これが、ほぼ新品状態(厳密にいえば88キロ走行後)のグラベルキング、懐かしい(笑)

4000キロ走行後の状態ですがローテーションを繰り返し前後の摩耗をほぼ同一となるように乗ってきたので前後とも似たような状態です。

あえて言えば現在のフロントの方がリヤに比べて、わずかに摩耗が進んでいるようです。

貧乏サイクリストとしては、まだまだ乗れると思いますが使いかけのタイヤが他にもありますので、パナレーサー グラベルキング(700×28C)は、これで終了とします。

このタイヤ、グラベルも走れるということで未舗装もけっこう走る自分ですがタイヤサイドもほとんど傷まず(最初の画像のとおりサイドのロゴは、かなり傷んでいますが)パンクの記憶もありません。ということで乗り心地は少し硬く感じるものの、とても丈夫という印象です。
グラベルキングは、これで終了します。ご苦労様。

次のトレーニングタイヤは、これまた2000キロほど乗って休止状態にしていたクレメンの走行を再開します。

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↑今回は宮田工業、創業90周年記念額です。

90周年というからには創立はいつなのか、と調べてみたら驚くことに創立は1890年なのだそうです。

ですから昨年2020年が創立130年にあたったということです。

HPによれば「日本で最初の国産自転車を製造したのが1890年」とのこと)

ということは、この額は1980年のものということになります。

(40年も前の額だったか)

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↑いつの時代のものかはわかりませんが工場の様子を額にしたようです。
(額の外々サイズは45センチ×27センチほど)
立派な、このような額を贈られたショップさんは有力販売店だったと思いますが題材が工場全景では・・・失礼ながらショップさんとしても困惑されたのでは。
消火設備部門もありますし自転車のモチーフにする訳にもいかなかったのでしょうが少し残念です。
もともとの銃と自転車を題材にした物なら楽しかったと思うのですが。
(銃も取り上げにくいか・・・)
その為でしょうか?この額がショップさん店頭に飾られていた記憶はありません。

 

先にも触れたとおり、宮田というと当初は銃の製造をしていたと聞いていましたが、少し調べてみました。

もともと、ライフルなどの製造で祖をなし自転車につづいてオートバイを製造。

(もともとは江戸時代の鉄砲鍛冶から始まるらしい)

その後、消火器から消火設備に参入。

現在、消火設備部門は㈱モリタホールディングスの完全子会社に。

自転車部門は「株式会社ミヤタサイクル」となって現在に至っているようです。

 

そういえばサラリーマン時代、会社が危険物倉庫を建てた時、自動消火設備を施工したのが宮田工業でした。竣工パーティーの際、担当者に自転車の話をしたところ「自分も自転車部門、希望で入社しましたが消火設備部門に配属になりました」と言っていました。

当時、ミヤタの自転車チームは国内レースで大活躍しており「選手が使った中古フレームで良ければ今度、一本持ってきますよ」と言ってくれました。(そこでフレームサイズも伝え)

もともとミヤタのジュニアスポーツに乗っていたこともありますし宮田ブランドのフレームはツールドフランスでも走っていたので大変、楽しみに待っていたのですが・・・

それから30年ほど経ちましたが未だにミヤタのフレームは届いていません。いつ来るのかなぁ(笑)

1996年に購入しシクロクロスレースに活躍、その後、パスハンター、サイクリング車として走らせてきたリッチーのスイスクロスをモディファイしています。

(もちろん、今までも何度か改造してきましたが)

今回は、ハンドルを変えてハンドル回りのポジションを変えようと思っています。
ところが適当なステムの手持ちがありません。

ハンドルは26.0径のものを使おうと思いますがステムに適当なものがありません。
長さがちょうど良いステムの手持ちがありましたがハンドルクランプ径は25.4ミリです。

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↑結局、25.4ミリ径のステムを26.0ミリ径に切削することにしました。

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↑アジャスタブルリーマーで削っていくことにします。

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↑0.6ミリの差ですが、これは結構大きいのです。一度では無理で少しづつ削っていきます。

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↑今回は問題ありませんでしたが油断するとキレイに削れずガサガサになってしまうことがあります。慎重に少しづつ。

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↑使わなくなったハンドルを切って作った治具で削り具合をチェックします。

まだ、入りませんねぇ~

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↑10回近く通して、ほぼ狙ったところまで削れました。

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↑キレイに削れました。でも、これで完成ではありません。

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↑ピンボケ写真ですみません。
開口部の面取りをしておきます。これで、ハンドルにキズが付くことがかなり防げると思います。

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↑削り過ぎることもなく、ピッタリに。しっかり固定することが出来ました。

最近はなくなってしまったそうですが昔、ブリヂストンサイクルには販売店表彰制度があったそうです。

もちろん、販売台数の多いショップさんを表彰する制度で、販売実績上位のショップさんは東京のホテルに集まり表彰を受けたのだそうです。

私が高校生の頃からお世話になっていたショップさんも田舎でありながら多くの自転車を販売していたそうです。特に高校が近く新入学時期には大量に販売、組み立てが集中するので追い付かずブリヂストンの営業マンや周辺のショップさんにまで委託して組付けを行っていたと店主から聞いたことがあります。

その店主が2018年に亡くなって娘さんから依頼があり、お店の片付けをしました。

その際に、いろいろなものを頂いたのですが、今回ご紹介するのはブリジストンサイクルの販売店表彰盾です。

1972年から1976年までの表彰盾がありました。これ以外の年式のものを(ネットで)見た記憶がありますので表彰制度は1972年から1976年までといったことではなく、お世話になっていたショップさんが受賞されたのが、この5年間だったと思われます。

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↑1972年銅賞

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↑1973年銀賞

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↑1974年銀賞

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↑1975年銅賞

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↑1976年銅賞

 

これらの盾は縦40cm、横31cmほどある立派なものです。

これらの賞の対象が年間、何台販売すれば対象になったのかは、わかりませんが日本全国の販売店から表彰されるのですから、かなりの台数を売り上げることが条件だったのでしょう。

ここには銅賞、銀賞しかありませんが、当然、この上には金賞もあったと思われます。また、未確認ですが更に上にはダイヤモンド賞もあったという話を聞きます。

最近はなくなってしまったそうですが昔、ブリヂストンサイクルには販売店表彰制度があったそうです。

もちろん、販売台数の多いショップさんを表彰する制度で、販売実績上位のショップさんは東京のホテルに集まってのパーティーがあり表彰を受けたのだそうです。

私が高校生の頃からお世話になっていたショップさんも田舎でありながら多くの自転車を販売していたそうです。
特に高校が近く新入学時期には大量に販売、組み立てが集中するので
追い付かずブリジストンの営業マンや周辺のショップさんにまで委託して組付けを行っていたと店主から聞いたことがあります。

(3月の初めには一日で30台近くを販売したこともあったとか)

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↑その店主が2018年に亡くなって娘さんから依頼があり、お店の片付けをしました。

その際に、いろいろなものを頂いたのですが、今回ご紹介するのはブリヂストンサイクルの販売店表彰盾です。
5枚ありましたが3枚は、そのお店のお客さんや愛好家の方に思い出にと、もらっていただきました。
2枚は私が頂いて保管しています。

次回は一枚一枚、図柄を見ていきたいと思います。

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