ずいぶん、時間がたってしまいましたが11月初旬の連休のご報告です。
3日は岐阜県揖斐郡大野町大字野にある野古墳群に行ってきました。
サイクリングやドライブ計画を練る時に使っている10万分の1の地図帳に「史跡野古墳群」とあるのに気が付いていたのですが古墳群自体の情報を知らず今回初めて行ってみることにしました。
「野古墳群」の名前は所在地の大字が「野」一文字なので、そのように呼ばれているようです。
正直、あまり期待していなかったのですが行ってみると保存状態の良い規模の大きな前方後円墳などが狭い範囲に集中しており、驚きました。
野古墳群は濃尾平野の西北端に存在し5世紀初頭から6世紀初頭にかけて造営されており前方後円墳5基、帆立貝式前方後円墳3基、方墳1基の9基が現存しています。
調査では17基が存在していたと考えられ前方後円墳を含む古墳が400m四方に密集しているのは東海地方では他に例がないことから国の史跡に指定されたのだそうです。
(指定は現存9基、消失5基の14基で3基は未指定とのこと)
↑古墳群の北端に見学者の為の駐車場も用意されていて案内板の他、散策マップのプリントも用意されていました。
↑野古墳群散策マップ。
非常に古墳が密集しているのがお分かりになると思います
自分たちは駐車場の存在を知らず農道の広いところに車を停めて歩き出しました。
その為、駐車場からもっとも離れた古墳群の一番南側から見学することになりました。
見えているのは南出口古墳と南屋敷西古墳。
↑南出口古墳。
くびれ部分が極端に低いので二つの古墳にも見えますが右が後円部で左が前方部の墳長78.3mもある前方後円墳です。
後円部3段築成、前方部2段築成で5世紀後半から6世紀初頭の築造と考えられているそうです。
右に見えるのが南屋敷西古墳、中央遠くに見えるのが不動塚古墳、左に見えるのは登越古墳(いずれも前方後円墳)
↑南屋敷西古墳。
墳長76.3mの前方後円墳です。後円部の一部が土取り?でしょうか、大きく崩れていますが、それ以外は良く保存されているように見えます。
↑南屋敷西古墳、前方部から後円部を見たところ。
後円部3段築成、前方部2段築成で5世紀末から6世紀初頭の築造とされています。
↑手前が9号墳、8号墳。
奥に見えるのは不動塚古墳の前方部になります。
8号墳は墳長15.8mほどの方墳、9号墳は30.5mほどの帆立貝式古墳だそうです。
※古墳の墳長などは資料によって若干の違いがあるようです。
※その2に続く
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