コルサ探検隊 老津町史跡巡りその2

豊橋市老津町の史跡巡り、前回は太平寺、老津神社、妙見古墳を
ご紹介しました。
今回は戦争遺跡をご紹介します。

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↑老津町の海岸部にある、といっても現在は埋め立てられてしまい水路
しか残っていませんが・・・

昔の海岸線近くにある海軍の通信壕です。
現在の様子は、このようになっています。
もともとの入り口がどのようになっていたかはよくわかりません。

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↑↑、↑上部、側面の様子。もともとは土に覆われていたはずですが現在は
コンクリートがほぼ全体にわたってむき出しになっています。
これは、戦後すぐ近くの「船かけ」(ふなかけ、船着き場のこと)
を作る際にこの山の土砂を利用したからとのことです。

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↑上部にはいくつかの穴が開いています。
これは発電機の吸排気口でしょうか?

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↑穴の一つ。鉄筋が見えていました。

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↑内部は約20mほどで3つの部屋に分かれています。
一番手前の部屋の奥には機会が据え付けられていた跡が残っています。

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↑現在はサビの塊ですが強固なボルトと思われる物があります。
ここには通信機を作動させる為の発電機があったようです。

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↑2番目の部屋を奥側から見たところ。土砂が半分ほどを埋めています。

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↑通信壕の一番、奥壁(3番目の部屋)

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↑3番目の部屋にも天井の穴から土砂が流れ込んでいます。

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↑天井の穴。こちらは大きな丸形の穴が開いています。

 

※戦時中の海軍の通信壕とされる今回の戦争遺跡、今回の記事を
アップするにあたり資料を探したのですが見つからなかったので
詳細は不明です。