9月6日は台風の影響で風は強かったものの晴れたのでサイクリングに行きました。今回のテーマ?()は豊川放水路、河口部右岸の遺跡巡り。

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↑↑、↑最初に行ったのは放水路、河口に近い前芝町(前芝中学校敷地内)の伊奈銅鐸出土地。ちなみに前芝中学校は豊橋市立ですが敷地の北側は豊川市になるようです。学校の裏手(北側)に回ると伊奈銅鐸出土地を示す案内板が見えました。余談ですが・・・こんなところに設置された時計を生徒は見ないでしょうから見学者、周辺の農地で作業する人向けなのでしょうか?(笑)

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↑案内板をよく見ると・・・「(出土地は)この掲示板より約65m中学校の敷地に入ったところ」とあります()先にも書いた通り学校は豊橋市立ですがこの案内板は豊川市が建てたものなんですね。

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↑↑、↑このように見事な銅鐸が見つかったのが、この場所なのです。ちなみに見つかった銅鐸は(見つかった時代が大正時代と言うこともあってか)東京国立博物館の所蔵になっています。このパンフレットは2007年、地元に里帰り展示された際の物です(幸運にも私は実物を発掘地に近い前芝町の市民館で見学することが出来た)

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↑前芝中学校の南側には前芝小学校があります。(伊奈銅鐸出土地の案内板は隣接する小中学校校舎をはさんで反対側)古そうな雰囲気のある校門だったので画像をアップしておきます。

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↑伊奈銅鐸出土地から次に向かったのは少し北側の平井稲荷山貝塚(豊川市平井町) 貝塚の上には神社が建っています。この遺跡は明治時代から研究されていて縄文時代の人骨も多く出土しています。

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↑↑、↑現在でもハマグリを中心に多くの貝殻が散乱しています。

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↑平井稲荷山貝塚、遠景。現在は撮影している背後に豊川放水路が通っていますが縄文時代には豊川(流域の湿地)から海岸が広がっていたのでしょう。

※つづく