東三河の多くの古墳を見学してきましたが・・・気になりながらも実態が良くわからない古墳が地元、豊橋にあります。書籍など見ていると、その古墳からは装飾付太刀、馬具、玉類、金メッキされた耳環などの優れた出土品が出たようです。それなのに出土品の画像は目にするものの古墳自体、墳丘の画像は見たことがありませんでした。その古墳は磯辺大塚古墳というのですが調べてみると開発により、すでに滅失してしまったようです。しかし、どこにあったかぐらいは知っておきたいと思い(また作られた地理的位置関係などを知りたいと)、その場所を探しに行くことにしました。調べてみると豊橋市王ヶ崎王郷と言うところにあったそうです(いかにも王?の墓にふさわしい地名?)

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↑資料を、あさり、だいたいの目星をつけて住宅地で痕跡を探していると・・・あっ、ありました。ちゃんと石碑が建っていました。それにしても集合住宅の駐車場と私道?とのわずかな隙間に(泣)

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↑石碑には磯辺大塚古墳「址」とあります。

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↑集合住宅駐車場側には説明板もありました。先にも書いた通り優れた副葬品が有った為、多くの古墳がある豊橋市の中でも重要な古墳として認識され石碑、説明板が建てられたのでしょう。しかし、少なくとも平成3年までは横穴式石室が存在していた重要な古墳も、その後、申し訳程度の痕跡を残すだけになってしまったのですね。

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↑奥行きは・・・6mぐらいでしょうか?

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↑石碑、周辺の石材は古墳の石室に使われていたものと説明板に書かれていました。「せめても」と言う気持ちも、よく、わかりますが・・・かえって、なにか物悲しくもあります。

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↑古墳周辺の様子。中央の電柱が石碑、案内板のある場所です。手前は阿弥陀寺と言うお寺の敷地でそれ以外は見てのとおり住宅地になっています。

以上が優れた出土品があり近年まで石室が存在したものの滅失してしまった磯辺大塚古墳の現状です。