コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 考古学、 歴史

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先日、郵便局に行ったところ、こんな切手が販売されていました。

国宝シリーズで、昨年、5月の発行らしく、この後の時代の国宝シリーズもすでに販売されている様子。

自分は、この時代に強い興味があるので、とりあえず、これだけ複数買ってきました。

上段の国宝土偶5点は滋賀県のMIHO MUSEUMで見たことがあります。
あの展示は凄かった・・・子供の頃から歴史関係の本で見た有名土偶が、これでもかと展示されていました。
そのうえ、期間限定ではありましたが国宝土偶5点が勢ぞろいしていたのですから。

そして、埴輪に銅鐸そして鏡は昨年、弟子と東京国立博物館で見ました。

そして下段、右端の藤ノ木古墳出土、馬具は奈良県橿原考古学研究所付属博物館で何度か見ましたね。このほかにも一緒に出土したものも素晴らしく(まとめて国宝)日本にもこんな金ぴかのお宝があるのだな、とびっくりしました。

下段、右から二番目の火焔型土器は、まだ見たことがありません。
この土器は大変有名ですが出土地が新潟県十日町の出土で地元で保管されているのでなかなか見に行くことが出来ないのです。
この土器、複雑な造形なのにバランスも良く、デザインにも、まったく破綻がない。世界に誇れる日本美術の(それも縄文時代という古代の)代表だと思います。
とにかく一度、見てみたい。どこか近くの博物館で展示してくれないかなぁ~?でも、結局、出土した現地の遺跡も見てみたいし(笑)

毎度、アップが遅いとはいえ・・・もう2週間以上前のことになります()

今回は11月3日に開催された豊川市東部の花の木古墳群、花の木遺跡の発掘説明会の報告です。

大雑把な場所は本宮山麓の南側、宝陵高校の、すぐ西側。

花の木古墳群は7基の古墳からなるそうですが1号墳は少し北側に離れており今回の説明会の対象にはなっていません。その他の2~6号墳は集中していますが4号墳だけは、わずかに工事区域(新しい道路が造られる)から外れており今回の調査域には入っていませんでした。

因みに花の木遺跡は弥生時代の住居跡の遺跡とのことで、その住居群の上に土を盛って古墳が造られているのだそうです。今後、古墳の調査が終わるとその下層にある弥生時代住居群も発掘調査され、その際は発掘説明会がまた行われる予定とのことでした。

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↑北東部分から南西部分方向を見ています。中央に見える盛り土は掘り起こした土の仮置き場で、その左手に2~6号墳が集中しています。

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↑2号墳、埋葬部分。古墳時代中期の円墳で直径約30mほど。この部分は昭和43年に発掘されており今回は再調査になります。大きく、くぼんだ所には三つの棺が収められていたということです。

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↑昭和43年の発掘で2号墳から出土した鉄剣、勾玉、管玉なども展示されていました。

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↑4号墳はネットの向こう側、わずかに工事区域から外れており今回は調査されません。

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↑7号墳から6号墳を見たところ。

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↑6号墳と7号墳の間の周溝に見える土器。

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↑7号墳の周溝外の土器。ともにお供えされたとものと思われます。

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↑調査域を北側(土の仮置き場を利用した展望所)から見たところ。手前のブルーシート部分からは弥生時代の住居跡などがたくさん出てきているそうです。次の発掘説明会が楽しみ。

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↑ここまで見てきて何か気が付くことはありませんか・・・

そう、古墳の発掘説明会なのに埋葬施設部分を発掘しているのは最初に見た2号墳のみ。他は埋葬施設部分を全然、掘っていません。質問してみると、どうやら周濠部分の発掘に時間がかかり説明会、当日までに埋葬施設の調査が間に合わなかったようです。この後、埋葬施設を調査すると2号墳のように、いろいろな遺物が出てくるかも?

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↑調査域を見渡す私。サイクリングを兼ねて自転車で行ったので自転車の服装。靴は前日まで雨だったので、ぬかるんでいるだろうとハイキングシューズを背負って行き現地で履き替えました。(撮影はK隊員)

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↑調査域の南側を見たところ。新しく道路が出来て遺跡は破壊されてしまう・・・

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↑調査域を南側から見たところ。奥に見えるのは本宮山。今見ている平地から北側に続く高台に弥生時代の村が営まれ、のちに古墳が造られた。それから千数百年・・・

磯辺大塚古墳、小浜貝塚の記事をアップしましたが二つの遺跡を巡る際に偶然、発見した貝塚がありましたのでご報告します。

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↑磯辺大塚古墳を探して自転車で探索していると住宅地にわずかな畑?がありました。地面をよく見るとたくさんの貝殻が散らばっていました。

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↑柵の根元あたりに白く見えるのは、ほとんど貝殻です。当初は前回、記事を書いた小浜貝塚の24号貝塚かとも思いましたが・・・少し距離が離れ過ぎているようです。
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↑↑、↑近年、貝を捨てた場所かも?と思い貝殻を観察すると現在の三河湾ではほとんど採れないハマグリが主体のように見えます。ならば縄文時代の貝塚ではないかと帰ってから調べてみると・・・「市内遺跡詳細分布調査報告書 豊橋市教育委員会」に記載があり王ヶ崎貝塚(おがさきかいづか)と呼ばれる縄文時代の貝塚と、わかりました。

先日、磯辺大塚古墳の記事を書きましたが、その探索の際、近くにある小浜町の小浜貝塚に久しぶりに立ち寄ってみました。

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↑小浜貝塚は小浜町の小浜神明社境内周辺に1号~4号貝塚と広がっています。まずは1号貝塚とされる小浜神明社を訪ねてみます。神明社でありながら一番手前の鳥居は明神鳥居ですね。(現在、14号貝塚とされていますが本来は一つのまとまった貝塚であったという考えもあるらしい)

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2番目の鳥居は神明鳥居になっています。このように複数の形式の鳥居が建てられているのは小浜神明社に天照大御神を含め四柱の神様が祀られているからでしょうか。

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↑拝殿と本殿をつなぐあたりに小浜貝塚の小さな標柱が建っています。

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↑かつては境内に広く貝塚の貝殻が広がっていたようですが現在は右手の小さな祠、周辺あたりが一番、貝が密集しているのが見られるでしょうか。
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↑↑、↑ハマグリなどが多いようです。
時代的には縄文前期、中期、後期にわたって土器などの遺物が見つかっているようです。
境内周辺が1号貝塚とされているのは先に書きましたが境内の北の小川を超えたあたりが3号貝塚、境内の西側に2、4号と貝塚があったようです。少し見て歩きましたが現在は宅地化が進み貝殻はほとんど確認できませんでした。(明治時代の道路工事に使う為、大量の貝殻を運び出したという話もあるようです)

奥三河の廃線跡と聞くと多くの方は田口線を思い浮かべると思います。ただ、奥三河の廃線跡は田口線だけではなく設楽森林鉄道という鉄道路線もあったのだそうです。その路線は田口線の三河田口駅、田峯駅に木材を集めるのが目的で集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)として設置されたのだそうです。

※田口線については過去に詳しく調べた記事がカテゴリー「豊橋鉄道、田口線」にありますのでご興味あればご覧ください。

その1⇒ http://corsa2003.livedoor.blog/archives/1012471.html
そんな集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)の跡が友人の別荘近くにあるということは以前、聞いており見に行きました。ところが今度は川原にレールらしきものがあるということで探索してきました。

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↑↑、↑おお、確かにレールらしきものが見えます。本当に集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)のレールなのか気になるので土地の所有者を含め3人で回収を試みました。

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↑友人の別荘地の石垣から飛び出るようにあったレールは意外に短いようで、じきに動くようになりました。

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↑回収を試みているところ。

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↑別荘の石垣まで持ち上げることが出来ました。

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↑歩幅で測った全長は・・・ざっと5.5mと言ったところでしょうか。これは森林鉄道のレールで間違いないと思われます。


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↑↑、↑片側には接続用の金具らしきもの、反対側には接続用の穴が開いています。このあたりの森林鉄道のレールにはアメリカから輸入したものも使われていると聞いたことがありますが回収したものはサビの塊で(泥に見えるものもサビの塊)で状態が悪く刻印(レール製造メーカー)があるかどうかは不明です。

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↑回収が意外に簡単に終わったので?()休憩、昼食の後、近くの森林鉄道の軌道跡を久しぶりに見に行ってみました。廃線になった場合は「お金」になるレールは回収されるのがほとんどだと思います。ここにはもちろんレールは残されていません。

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↑軌道跡が途切れるところ。下に国道が見えています。現在の国道が出来る以前も細い道があったようですが、この道を作る際に軌道跡も含めて失われたのでしょう。国道の左手はすぐに川原になっており今回、レールを回収した地点の上流になります。ここのあたりで昔、①山崩れなどがありレールごと谷に押し流されてしまったのか、それとも②工事中のトラブルでレールを落下させてしまったのか、あるいは③工事の効率化の為?意図的にレールごと谷に遺棄したのか・・・今となっては真相はわかりません(多分、50年ぐらい昔のことと思われる)

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↑奥三河には宮内庁管轄の御料林があり、そこの木材を運搬することを目的に作られたこともあり田口線建設などには宮内庁からも資金が出ていたのだそうです。今回、軌道跡を探索中に見つけたもの。よく見ると「宮」の文字をデザイン化したもののように見えます。もしかしたら、これも宮内庁管轄の御料林境界などを示すものなのでしょうか。ただし、戦後、御料林は国有林になり林野庁の管轄になったそうです。これがもし宮内庁時代の物だとすると戦前の物なのでしょうか。

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