コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 考古学、 歴史

磯辺大塚古墳、小浜貝塚の記事をアップしましたが二つの遺跡を巡る際に偶然、発見した貝塚がありましたのでご報告します。

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↑磯辺大塚古墳を探して自転車で探索していると住宅地にわずかな畑?がありました。地面をよく見るとたくさんの貝殻が散らばっていました。

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↑柵の根元あたりに白く見えるのは、ほとんど貝殻です。当初は前回、記事を書いた小浜貝塚の24号貝塚かとも思いましたが・・・少し距離が離れ過ぎているようです。
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↑↑、↑近年、貝を捨てた場所かも?と思い貝殻を観察すると現在の三河湾ではほとんど採れないハマグリが主体のように見えます。ならば縄文時代の貝塚ではないかと帰ってから調べてみると・・・「市内遺跡詳細分布調査報告書 豊橋市教育委員会」に記載があり王ヶ崎貝塚(おがさきかいづか)と呼ばれる縄文時代の貝塚と、わかりました。

先日、磯辺大塚古墳の記事を書きましたが、その探索の際、近くにある小浜町の小浜貝塚に久しぶりに立ち寄ってみました。

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↑小浜貝塚は小浜町の小浜神明社境内周辺に1号~4号貝塚と広がっています。まずは1号貝塚とされる小浜神明社を訪ねてみます。神明社でありながら一番手前の鳥居は明神鳥居ですね。(現在、14号貝塚とされていますが本来は一つのまとまった貝塚であったという考えもあるらしい)

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2番目の鳥居は神明鳥居になっています。このように複数の形式の鳥居が建てられているのは小浜神明社に天照大御神を含め四柱の神様が祀られているからでしょうか。

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↑拝殿と本殿をつなぐあたりに小浜貝塚の小さな標柱が建っています。

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↑かつては境内に広く貝塚の貝殻が広がっていたようですが現在は右手の小さな祠、周辺あたりが一番、貝が密集しているのが見られるでしょうか。
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↑↑、↑ハマグリなどが多いようです。
時代的には縄文前期、中期、後期にわたって土器などの遺物が見つかっているようです。
境内周辺が1号貝塚とされているのは先に書きましたが境内の北の小川を超えたあたりが3号貝塚、境内の西側に2、4号と貝塚があったようです。少し見て歩きましたが現在は宅地化が進み貝殻はほとんど確認できませんでした。(明治時代の道路工事に使う為、大量の貝殻を運び出したという話もあるようです)

奥三河の廃線跡と聞くと多くの方は田口線を思い浮かべると思います。ただ、奥三河の廃線跡は田口線だけではなく設楽森林鉄道という鉄道路線もあったのだそうです。その路線は田口線の三河田口駅、田峯駅に木材を集めるのが目的で集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)として設置されたのだそうです。

※田口線については過去に詳しく調べた記事がカテゴリー「豊橋鉄道、田口線」にありますのでご興味あればご覧ください。

その1⇒ http://corsa2003.livedoor.blog/archives/1012471.html
そんな集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)の跡が友人の別荘近くにあるということは以前、聞いており見に行きました。ところが今度は川原にレールらしきものがあるということで探索してきました。

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↑↑、↑おお、確かにレールらしきものが見えます。本当に集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)のレールなのか気になるので土地の所有者を含め3人で回収を試みました。

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↑友人の別荘地の石垣から飛び出るようにあったレールは意外に短いようで、じきに動くようになりました。

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↑回収を試みているところ。

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↑別荘の石垣まで持ち上げることが出来ました。

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↑歩幅で測った全長は・・・ざっと5.5mと言ったところでしょうか。これは森林鉄道のレールで間違いないと思われます。


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↑↑、↑片側には接続用の金具らしきもの、反対側には接続用の穴が開いています。このあたりの森林鉄道のレールにはアメリカから輸入したものも使われていると聞いたことがありますが回収したものはサビの塊で(泥に見えるものもサビの塊)で状態が悪く刻印(レール製造メーカー)があるかどうかは不明です。

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↑回収が意外に簡単に終わったので?()休憩、昼食の後、近くの森林鉄道の軌道跡を久しぶりに見に行ってみました。廃線になった場合は「お金」になるレールは回収されるのがほとんどだと思います。ここにはもちろんレールは残されていません。

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↑軌道跡が途切れるところ。下に国道が見えています。現在の国道が出来る以前も細い道があったようですが、この道を作る際に軌道跡も含めて失われたのでしょう。国道の左手はすぐに川原になっており今回、レールを回収した地点の上流になります。ここのあたりで昔、①山崩れなどがありレールごと谷に押し流されてしまったのか、それとも②工事中のトラブルでレールを落下させてしまったのか、あるいは③工事の効率化の為?意図的にレールごと谷に遺棄したのか・・・今となっては真相はわかりません(多分、50年ぐらい昔のことと思われる)

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↑奥三河には宮内庁管轄の御料林があり、そこの木材を運搬することを目的に作られたこともあり田口線建設などには宮内庁からも資金が出ていたのだそうです。今回、軌道跡を探索中に見つけたもの。よく見ると「宮」の文字をデザイン化したもののように見えます。もしかしたら、これも宮内庁管轄の御料林境界などを示すものなのでしょうか。ただし、戦後、御料林は国有林になり林野庁の管轄になったそうです。これがもし宮内庁時代の物だとすると戦前の物なのでしょうか。

東三河の多くの古墳を見学してきましたが・・・気になりながらも実態が良くわからない古墳が地元、豊橋にあります。書籍など見ていると、その古墳からは装飾付太刀、馬具、玉類、金メッキされた耳環などの優れた出土品が出たようです。それなのに出土品の画像は目にするものの古墳自体、墳丘の画像は見たことがありませんでした。その古墳は磯辺大塚古墳というのですが調べてみると開発により、すでに滅失してしまったようです。しかし、どこにあったかぐらいは知っておきたいと思い(また作られた地理的位置関係などを知りたいと)、その場所を探しに行くことにしました。調べてみると豊橋市王ヶ崎王郷と言うところにあったそうです(いかにも王?の墓にふさわしい地名?)

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↑資料を、あさり、だいたいの目星をつけて住宅地で痕跡を探していると・・・あっ、ありました。ちゃんと石碑が建っていました。それにしても集合住宅の駐車場と私道?とのわずかな隙間に(泣)

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↑石碑には磯辺大塚古墳「址」とあります。

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↑集合住宅駐車場側には説明板もありました。先にも書いた通り優れた副葬品が有った為、多くの古墳がある豊橋市の中でも重要な古墳として認識され石碑、説明板が建てられたのでしょう。しかし、少なくとも平成3年までは横穴式石室が存在していた重要な古墳も、その後、申し訳程度の痕跡を残すだけになってしまったのですね。

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↑奥行きは・・・6mぐらいでしょうか?

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↑石碑、周辺の石材は古墳の石室に使われていたものと説明板に書かれていました。「せめても」と言う気持ちも、よく、わかりますが・・・かえって、なにか物悲しくもあります。

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↑古墳周辺の様子。中央の電柱が石碑、案内板のある場所です。手前は阿弥陀寺と言うお寺の敷地でそれ以外は見てのとおり住宅地になっています。

以上が優れた出土品があり近年まで石室が存在したものの滅失してしまった磯辺大塚古墳の現状です。

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9月9日の中日新聞を読んでいると・・・御「墳」印始めました!!

なる記事が出ていました。

なんでも県内の古墳のBIG3?、断夫山古墳(愛知県下、最大の古墳)、青塚古墳、白鳥塚古墳で御朱印ならぬ御墳印を販売するのだそうです。
記事には「御墳印を集めながら、古墳を巡る楽しさを多くの人に知ってほしい」と書かれています。その通りで、これが古墳に関心を持ってもらうきっかけになって保存運動などに結び付いていくと喜ばしいと思います。
しかし、全国無数の寺社仏閣で集めることの出来る御朱印に対して、とりあえず3基の古墳のみでは・・・(きっかけにしかならない?)

管理者の常駐するような古墳は全国にも、ほとんどなく(管理者がいるような古墳は博物館敷地内の古墳など、ごくごく、わずか)御墳印を現地で発行する手段がないのでこの活動が簡単に広がっていくとは思えません。

とても面白い企画なので何とか、この先の展開を広げていく良いアイディアはないものでしょうか?

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