コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 考古学、歴史 (奈良県、関西)

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。

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↑石上神宮を参拝し神宮の南側に広がる杣之内古墳群の代表的な古墳を散策しています。最後に訪れたのは峯塚古墳。
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↑竹林の中に石室が開口しています。早くから盗掘されており遺物は知られていないようですが石室の作りから古墳時代終末期、7世紀中頃の築造と考えられています。
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↑位置を変えてみると・・・竹林のせいで墳丘の形すらよくわかりません。資料によれば直径は約35.5m、高さは約5mで古墳時代終末期としては立派な古墳と言えるかと思います。
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↑石室入り口にもタケノコが・・・そのうち、竹のせいで入れなくなってしまうかもしれません。
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↑羨道の様子。
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↑玄室の石組。こうやってみると低いように見えますが玄室の高さは2.4mほどあります。
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↑↑、↑玄室側壁の石組。丁寧に加工された切り石が組み合わされていることがわかります。
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↑玄室から見た羨道。
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↑杣之内古墳群の周辺図。だいたいの位置はわかると思いますが古墳直前がわかりにくいので少しご説明しておきましょう。(近くにある保昌塚古墳の画像も最後にアップしておきます)
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↑道路脇にも、しっかりした案内板が出ています。
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↑周辺図を手掛かりに登っていくと六地蔵などがあります。お地蔵様の右わきを入っていきます。(画像の右端のあたりの草むらへ)
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↑するとイノシシ除けのフェンスが見えてきます。角のフェンスが開けることが出来るので、そこから入っていけば竹林の中に石室が開口しています。イノシシ除けのフェンスは、その都度、確実に閉めておいてください。
 
この古墳の被葬者は西山古墳など周辺の古墳と同じく物部氏ゆかりの人物、あるいは物部氏と関係の深い石上氏(いそのかみうじ)の墓ではないかという説もあります。

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↑峯塚古墳の近くにある保昌塚古墳もご紹介しておきます。道路脇に盛り上がりがあります。これが古墳です。
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↑築造年代はわかりません。もしかして石室が開口しているかも?と裏にも回ってみましたが石室らしきものは見当たりませんでした。

※GWの奈良行のご報告は、これで終わりです。約1カ月お付き合い有難うございました。

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
日本最大の前方後方墳、西山古墳を見学した後は、すぐ北側にある塚穴山古墳を見学しました。この古墳、とんでもなく立派な石室を持つ古墳でした。その石室の規模は明日香の石舞台古墳にも匹敵するのではないかと思われました。古墳に興味のある方はぜひ見学することをお勧めします。ただし、この古墳、「天理高校の敷地内にある為、事前に学校の許可を得ることが必要」です。
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↑画像のように天井石は失われ石室が露出しています。この画像一枚からでも、この古墳の石室が、とても立派だということがお分かりになると思います。
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↑西山古墳にあった説明版のアップ。西山古墳の周濠外堤に塚穴山古墳の外提が重なるように築造されています。墳丘径は約63m、周濠、外提を含むと直径112mにもなる大規模な古墳です。築造は6世紀末から7世紀初め頃と考えられています。
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↑周濠内から見た墳丘。直径約65mほどの円墳とされていますがまた墳丘の上部もほとんど削り取られています。
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↑とても大きな岩が組み合わされて作られており広く高い羨道になっています。
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↑奥壁は巨石を2段に積み上げており玄室の高さは3.5mほどあったようです。画像左の側壁上部や天井石がすべて残っていたら・・・どんなにすごい石組の石室だったのでしょうか?
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↑画像正面は6mほどの幅がある巨石が使われていました。「石舞台古墳に匹敵」が大袈裟過ぎない規模だと思うのですが・・・いかがでしょう?奥壁の岩がやや傾いていますが、これはもともとなのでしょうか?それとも天井石などが持ち去られたためにこのようになったのでしょうか?玄室床面には平らな石が轢かれて敷き詰められています。羨道床面は礫が敷き詰められていたようです。
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↑石室長約17m、玄室長約7mあるそうです。石室の石組も気になりますが奥の方を見ると墳丘の北側が隣接するお寺の墓地となっていることが良くわかるかと思います。お墓の方にはフェンスが張られていますので入ることは出来ません。
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↑改めて羨道入り口から。何度見ても、すごい石組、規模の石室ですね。
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↑外提から古墳石室入り口方向を見たところ。古墳の上部が削平されていることが良くわかります。また周濠の幅が広い(周濠幅約15m)ことがお分かりになると思います。
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↑弟子が見つけた埴輪片?この古墳の被葬者は西山古墳など周辺の古墳と同じく物部氏ゆかりの人物の墓ではないかという説もあります。

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
石上神宮を参拝した後は神宮の南側に広がる杣之内古墳群の代表的な古墳を散策します。
まずは杣之内町古墳群を代表するといっても過言ではない?西山古墳へ。
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↑説明版にあった測量図。よく見ていただくとわかるように前方後方墳という形式の古墳です。
西山古墳は前方後方墳としては日本最大規模で、その墳丘長は約190mあります。更によく見ていただくと3段築成の1段目のみ前方後方形、2、3段目は前方後円形となる特別な形をした古墳です。杣之内古墳群では一番古いと考えられており古墳時代前期、4世紀ごろの築造とされています。
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↑南西方向から前方部を見たところ。30~45m幅の周濠が巡っていたとされ、この溜池も、その名残と言われてます。
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↑前方部北側、やや低い位置から古墳を眺めたところ。右上に弟子が立っていますが、こちらが前方部、奥に盛り上がって見えるのが後方部分。その巨大さがわかります。
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↑後方部から前方部を眺めたところ。墳丘に木はほとんど生えておらず、また草も時々、刈られているようです。
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↑後方部墳頂から前方部を眺めたところ。
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↑前方後方墳のポーズ??をとる弟子だが少し無理がある・・・(笑)
墳頂部には板石も若干見られました。これは竪穴式石室の石材かもしれません。この古墳、早くから盗掘されてしまっていたようで、あまり多くの遺物は知られていないようです。
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↑北東方向から見た後方部。高さは約16mとのこと。
この古墳の被葬者は(物部氏にゆかりの深い石上神宮に近い位置にある為)物部氏ゆかりの人物の墓ではないかという説もあります。

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連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
今回は石上神宮(いそのかみじんぐう)にも立ち寄りました。石上神宮には国宝の建築物がありますし、古代物部氏にかかわりの深い神社です。この後、見学する予定の周辺の古墳も物部氏一族あるいは関係の深い人物の墓ではないかとする説がありますから弟子に一度は見せておきたかったのです。
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廻廊と楼門が見えてきました。

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↑楼門をくぐると・・・(これは別位置から見ています)
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↑国宝の拝殿があります。私には、わかりませんが鎌倉時代初期の仏堂建築に共通する形式で一部は平安時代までさかのぼる古い建物なのだそうです。
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↑国宝拝殿の周りに設けられた楼閣のすみには、ひっそりと「こっふん」さんの顔ハメ看板がありました(笑)
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↑楼門の正面の階段を上ると立入禁止の柵はあるものの、あまりにもさりげなく?ある建物、「これが国宝なんですか?」と振り向く弟子。
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↑出雲建雄神社拝殿(いずもたけおじんじゃ)、内山永久寺から大正時代に移築されたものだそうで、もちろん国宝です。割拝殿と呼ばれる様式でよく見ると、とても精緻で優美な印象を受けます。鎌倉時代初期の建築なのだそうです。
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↑石上神宮の境内には神鶏と呼ばれる鶏が。この鳥は東天紅?鶏の鳴き声は「魔よけ」と考えられていて縁起が良くご利益がある?そうです。

参拝を済ませましたので、この後は物部氏に関わりのある有力者の古墳もあるのでは?とされる杣之内古墳群に向かうことにします。

※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
 
今回の奈良訪問の主目的の一つに「古墳ケーキ」がありました。
予約していないと食べられないことが多いようですが弟子が事前に予約しておいてくれたので安心です。
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↑↑、↑古墳ケーキと興福寺の近くにある「ならまち菓子工房プティ マルシェ」さん。
こちらで遊び心たっぷりの古墳ケーキがいただけます。
予約特典?で営業時間前の入店なので、ゆっくり楽しめそうです。(実際、10時30分入店の12時までOKとのこと)
「ならまち菓子工房プティ マルシェ」さんHP
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↑じゃ~ん、念願の古墳ケーキ!と古墳カフェオレ!。
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↑見事な前方後円墳です!前方部は幅広く広がっていますが比較的、短く造り出しはありません。墳丘の裾には全体に円筒埴輪が並べられていますね。
古墳ケーキには、もちろん発掘用スコップ型スプーンが添えられています(笑)
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↑古墳カフェオレには勾玉型クッキーが添えられています。
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↑コーヒーメニューは、これ、また遊び心いっぱい!
ちなみに弟子は「中期のホットコーヒー」で芳醇な香りを堪能!?
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↑前方後円墳の前方部から発掘開始!(笑)墳丘内部からは勾玉(カシューナッツ)、土器片(ピーカンナッツ)が出土するので注意を怠れません?
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↑前方部の発掘を終え、いよいよ後円部の中心を発掘中!
左の看板はクリップになっており店内でも販売しています。
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↑念願の古墳ケーキ発掘に喜びを隠せない弟子!よかったね!(笑)
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↑スコップ型スプーンももちろん購入しました!
 
古墳ファンの方(そうでない方ももちろん?)、奈良に訪れる際には、ぜひ!(笑)
 

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