コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 考古学、歴史 (奈良県、関西)

今頃ですが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が、また始まります。そうなると、しばらくは、また遠出が、出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきました。
 
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↑安倍文殊院は日本三大文殊の一つと言われているそうです。
画像の本堂には鎌倉時代の快慶作、(国宝)渡海文殊菩薩群像がおさめられています。
もちろん、拝観しましたが撮影は禁止されているので画像はありません。
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↑我々の目的は・・・(国宝)渡海文殊菩薩群像だけではなく古墳!()
ここには文殊院西古墳と文殊院東古墳の二つの古墳があります。
こちらは精緻な石組で有名な文殊院西古墳。背景の山と被ってしまって大きく見えますが・・・
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↑駐車場から見た文殊院西古墳。直径25mほどの円墳ではないかと考えられています。
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↑内部には石仏が祀られており自由に出入りできます。
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↑説明文もしっかりありました。
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↑↑、↑説明文にも合った通り、とても綺麗に仕上げられた石室、羨道を持つ古墳です。
例えは悪いかもしれませんが「内部にいるとコンクリートのトンネルの中にでもいるような気分」になってきます。
説明文には大化元年(645年)当時のまま、保存されていると書かれていますが・・・そこまで限定するのは少し怪しい気もします。ただ、年代的には問題はないようで安倍氏一族の墓説、具体的には大化の改新時に左大臣に登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の古墳とする説もあります。
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↑羨道も大きな石を加工して並べられています。
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↑安倍文殊院には、もう一つ文殊院東古墳があります。
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↑文殊院東古墳には残念ながら入れません。直径約18mの円墳と考えられているようですが私が見る限り背後の山と一体化しているように見え墳丘の形は良くわかりませんでした。
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↑文殊院東古墳の内部の様子。東古墳は西古墳より少し古く7世紀前半築造と考えられているようです。石材はあまり加工されていないようで巨石が荒々しく組み合わされている印象です。こちらも玄室内に石仏が祀られています。
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↑金閣浮御堂では「七まいり」で参拝しました。
(七周周り回廊を一回、回るごとに一つづつ願い事をする。七周したら堂内に入り参拝する)

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↑↑、↑駐車場脇の、いわれ茶屋で売られている「亀パン」を買ってお昼にしました。
通常は冷凍で売られているようですが、すぐに頂きたかったのでレンジで温めてもらいました。

さて次は・・・

実は・・・
奈良に何十回も通っている私ですが古墳などの遺跡が中心で東大寺には、
まだ行ったことがありません。
(愛知県の小中学校では修学旅行で京都奈良に行く学校が多いのですが
   私が通った小中学校では行かなかったのです)

弟子は二度あるそうです・・・
今回(10月8日)は弟子に案内されて東大寺に行くことにしました。

まずは奈良の街に車を止めなければなりませんが・・・
狭い路地をウロウロし東大寺に割と近いところで
時間無制限1,000円(1,300~1,500円が多かった)の駐車場を見つけ
歩き始めることにします。

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東大寺南大門に到着。
秋の行楽シーズン、好天に恵まれた連休という事で、
人、シカ、自転車と・・・とても賑わっています。

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金剛力士像(仁王像)

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人出が多いせいか鹿もたくさん餌にありつけたようで、今日は意外な
ほど、がっついていない?(笑)

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そして東大寺中門。

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中門の持国天様(じこくてん)
と兜跋毘沙門天様(とばつびしゃもんてん)

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いよいよ、大仏殿が見えてきました。

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一応、人並みに?記念写真を撮ってみる(笑)

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今回は不本意ながら?弟子に案内される・・・
「師匠、ここが大仏殿ですにゃよ」(弟子は自称ネコから進化したので?)
今日の弟子は上から目線で(笑)

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八面灯篭

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苦節〇〇年?
奈良の大仏様(廬舎那仏座像)に、ついにお会いすることが出来ました。

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向かって左には虚空蔵菩薩様。

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大仏様と虚空蔵菩薩様の2ショット。

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虚空蔵菩薩様の奥には廣目天様。

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そして大仏様の裏を回り有名な柱の穴をくぐる弟子。
弟子は小柄だし大丈夫・・・
実はこの前に私も弟子に、やらされ?
意外に穴は小さく細めとは言え体が硬い自分は、
かなり緊張したのでした(笑)
もちろん、無事に通り抜けることが出来ましたが・・・
行列で待つ人に迷惑は掛けられないと急いだら弟子に慌て過ぎと
大笑いされました。

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皆さん、柱の穴くぐりに気を取られ忘れられがちなのが向かって
右奥の多聞天様。

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そして柱の穴くぐりが終わると大仏殿の中に売店があります。
柱の穴くぐりが終わった観光客は今度は売店に気を取られ?
大仏様の右手におられる如意輪観音菩薩様も忘れがち?(笑)

さて、この後は東大寺のミュージアムを見学。
(国宝、重文など多数あるものの当然、撮影は出来ず)
そして、その後は、もうひとつ・・・

※つづく

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さあ、いよいよやってきました!
キトラ古墳!
かつては、現地には説明板と古墳壁画の保護の為の施設があるだけで、壁画は
もちろん墳丘すら見えないようなところだったので、よほどの物好きしか
来ないようなところでした。
(かつて自分も探しながら来たのに気がつかず通り過ぎてしまったくらい)

現在はキトラ古墳壁画体験館「四神の館」が出来た為、大変な賑わいです。
その上、今日は本物(ガラス越しではありますが)の古墳壁画、西壁(白虎)
と天井(天文図)公開日なので・・・

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私たちは事前予約をしていませんでしたがラッキーなことに当日受付で見学
できるらしい。
「でも、待ち時間がすごいんじゃないの?」と思い確認すると「今なら30分ほど」
とのこと。
早速、受付し通常展示を見ながら待っていました。
天井が光っているのはキトラ古墳の天井に施されていた天文図を表したもの。
(世界最古の本格的天文図と言われている)

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こちらは石室、壁画を再現した展示。
石室内は一見、高さがあるように見えますが下部の無着色部分は本来、
古墳の床下なので存在しない空間です。
ですから石室内は1,2m程度の高さしかないようです。

この後、本物の古墳壁画、西壁(白虎)と天井(天文図)を見学しましたが、
もちろん、撮影禁止なので画像はありません。
ちなみに見学時間は10分、見学前に集まって並び注意事項を聞いたりするので
所要時間は20分ほどです。

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後方がキトラ古墳、崖上の小規模な古墳です。
事前予約なしにもかかわらず本物の壁画を見学できて大喜びの弟子。
こんなに喜んで・・・連れてきた甲斐があるというもの?(笑)

ただ、こちらも高松塚古墳と同様に綺麗になり過ぎてしまって・・・
キトラ古墳壁画体験館「四神の館」を作るにあたり、古墳の前にあった道なども
つくりかえられてしまいました。
(画像で弟子たちがいる道が、ほぼ、その道で現在は古墳見学道になった)
以前は、ここに車1台+@?が通れるくらいの道があり崖に沿うように
古墳壁画保護の為の施設が建てられていました。

もちろん、多くの人が興味を持って見学に訪れることは良いことだと
わかっていますが、
周辺の地形を大幅に変えてまで立派な展示施設を作ってしまった・・・
昔の地形のままの(古墳時代とそれほど変わらないはずの)のどかな雰囲気の方が
過去の様子や歴史を偲ぶには良かったなぁ。

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いきなり?今度は夕暮れの石神遺跡。

本当はキトラ古墳の後、岡寺に向かって見学、shin_flowerPowerさんに
教えていただいた徳星醤油醸造場のお醤油を購入する作戦だったのですが・・・
例によって遅めのランチを取ろうと飛鳥駅近くのカフェに入ったところ順番待ちの
お客さんもいるほどで・・・結局、16時過ぎ。

その為、岡寺周辺はあきらめ飛鳥文化財展示室へ。
そして、文化財展示室の近くにある石神遺跡に立ち寄りました。
右手前には不自然なグレーチング枠があります。
これは井戸か何かの跡でしょうか・・・

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石神遺跡も飛鳥時代の遺跡で須弥山石、石人像などが出土しています。
ただ、現在の現地は説明板だけで何もないようにみえます。
が、しかし、説明板の脇に窪地がありよく見ると石が敷き詰められていました。
これは遺跡の痕跡でしょうか?

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次に行ったのはこれも飛鳥文化財展示室の横にある水落遺跡。
ここは大変興味深く大化の改新で活躍した中大兄皇子が作った日本最古の
水時計(漏刻)の跡であるとされています。

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いよいよ夕闇が迫ってきた水落遺跡。
後方は飛鳥文化財展示室。(見学無料ただし17時まで)

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水落遺跡の一角だけ低くなっており柱穴の開いた石などが並んでいました。
ここだけは当時の石組みを見せているのでしょうか?

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この日最後に向かったのは酒船石。
すでに17時30分過ぎ・・・真っ暗闇の林の中をライト片手に登って行きます。
これは酒船石の手前にあるブロック状の切り石を積んだ石垣。
切り石は、とても綺麗に加工されています。
これらは日本書紀の記述に符合するという事で「両槻の宮」跡ではないかと
言われています。

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そして酒船石。
これも飛鳥を代表する謎の石造物です。

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酒造りの施設であるとか宗教的なものであるとか諸説ありますが私は先の
両槻の宮に関連する庭園の一部ではないかと思っています。

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酒船石をライト片手に見学して、すっかり、遅くなってしまいました。
飛鳥の村は、ちょうど、お祭りの様子ですが・・・
肝心の、お神輿?は他のところらしく、ほとんど人影はありません。
気を付けて車に戻ることにしましょう。

※おわり

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連休、10月7日、8日は今年、3回目の飛鳥に行きました(笑)
甘樫丘駐車場からスタートした今回、まずは天武天皇、持統天皇陵へ。
この陵墓は考古学界からも間違いないと考えられています。
(宮内庁の指定と考古学界との見解がずれている陵墓は数多い)

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弟子には古墳でもなんでも遺跡を見る時は出来るだけ一周しながら
周囲の環境、地形等々にも目を配れ、と教えてあるので・・・
ヤブ蚊に刺されながらも裏手に回り墳丘を観察中。

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次は・・・飛鳥歴史公園館へ。
ここで、しっかり情報収集?

弟子は楽しみにしていた高松塚古墳、キトラ古墳に行けるとあって
今日もハイテンション?何のポーズか不明ですが・・・
天真爛漫である(笑)

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超メジャーな高松塚古墳に行く途中に中尾山古墳へ。
この古墳は7世紀末~8世紀初めに築造されたと考えられています。

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三段築成の八角形と言われており7世紀末~8世紀初めの築成と
考えられています。
また、この記事後半に宮内庁が文武天皇陵とする古墳が出てきますが
学者の中には、こちらが真の文武天皇陵ではないかとする説もあるようです。
(文武天皇は707年に崩御された)
天井石ではないかと思われる岩が露出しています。

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高松塚古墳。
有名な壁画を模写したものを展示している壁画館はすぐ横に
ありますが建物の画像は撮り忘れました。

墳丘は綺麗に整備されていますが・・・
造られた当時の再現ならまだしも、このように綺麗過ぎる古墳は?
あまり好みではありません(笑)
草木が生えた通称「野良古墳」の方がなぜか好きで・・・

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念願だった高松塚古墳を見学し喜ぶ弟子・・・
このポーズは、どうやら円墳を表しているようです。

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中尾山古墳、高松塚古墳そして文武天皇陵にやってきました。
このあたりは史跡がいっぱいです。

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こちらが宮内庁が文武天皇陵としている古墳。
古墳の詳細は不明。

※つづく

念願の三輪山へ、ついに登拝登山



1週間以上にわたって、ご報告してきた奈良行きの様子、クライマックスは
念願だった三輪山への登拝です。

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日本屈指の古社である大神神社(おおみわじんじゃ)
実は、この立派な建物は拝殿で、ご神体は背後にそびえる三輪山(467m)
なのです。
何度か、ここ拝殿で、お参りはしてきたのですが、いつかは御神体山、
三輪山に登拝したいと思っていました。
今回、弟子も登りたいと言ってくれたので二人で登拝することにしました。

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三輪山に登るのは大神神社の北側にある狭井神社(さいじんじゃ)
からになります。
以前はご神体山という事で禁足地とされ一般の登拝は出来なかった
ようですが、近年では入山心得を守ることで登拝が許されています。
ここで、神職から注意事項を聞きます。

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登拝の前に狭井神社の御神水をいただいて行くことにします。
そして御神体山に失礼がないよう履物を洗って、お祓いをしてから登ります。

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ここが御神体山への登り口になります。

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登拝する為には、このパンフレットを見ながら神職のお話を聞き、
そのあと申し込みをしなければなりません。
そして敬虔な気持ちで登ること、撮影はしない、
飲食をしない(最低限の水分補給は可)等を守ることが必要です。

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スタート地点の標高は80m、山頂の標高は467.1mとあります。
標高差387.1m、一見、たいしたことはないように思えますが
急坂(急な階段)が多く中途半端な気持ちで登ろうとすると体力的に
大変かと思います。

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登拝を終え大鳥居から御神体山、三輪山を望みます。
いきなり登拝後の画像・・・
念願の登拝の割には画像が少ない?それは先にも書いた通り撮影禁止
だからです。

無事、登拝を終えた安堵感、満足感か、弟子の顔もいつも以上に明るく
見えます!?(笑)
先ほども書いた通り、こうしてみると、なだらかな山の形に見えますが
登るのは大変ですからご注意を。
ちなみに先のパンフレットによれば登って下り終えるまでの所要時間は
2~3時間とありました。
私たちは・・・弟子が、とんでもなく健脚で、途中でこれと言った
休憩はなし、ゆっくり参拝した時間を含めても1時間40分ほどでした。
追いつかれたのは一人だけ、追い抜いた人は数知れず?
という(実際、十数人は抜いたと思う)、かなりのハイペースでした。
正直なところ私自身は途中で何度か休みたかったのですが・・・(笑)
人工股関節と左膝前十字靭帯損傷を理由にはしたくないし歳も理由には
したくはないが・・・(泣)

ちなみによく見ると弟子が白い袋を下げていますよね!
これは写ってはいませんが画像のすぐ右手にある白玉屋栄壽さんで
最中「みむろ」を買った袋、弟子の笑みの理由は、このお土産の為
だったのかもしれませんね!(笑)
また、大神神社から参拝を終えて帰るクルマで渋滞しているのがわかります。

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そういえば鳥居の画像を最初にアップし忘れていたので、ここで。

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そして最後に大神神社の門前で見つけた面白い自販機を。
下段の左側は・・・
「やきいも」とあります。そう焼き芋の自販機なんですね!
ほかもクレープ類を販売しているようです。
また、この自販機を置いている店も「流し そうめん専門」と
書いてありました。
三輪そうめんは有名で周辺には食べさせるお店、製造所がたくさんありますが
「流し そうめん」の専門店というのはユニークですね。

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