コルサの毎日がヒルクライム

カテゴリ: 古道サイクリング

前回は花丸峠に北西ルートから登った記事を書きました。
今回は花丸峠を下ります。

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南側から見た花丸峠。
峠で休憩、昼食の予定でしたが・・・強風で寒くて耐えられません(笑)
とりあえず風がよけられて日当たりがよいところまで下ることにします。

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さて、峠からどちらに下りましょうか?
南ルートはスタート地点方向に近いけど、ひどく荒れていること
は判っているので単独では精神的に辛い。
東ルートはMTBなら乗れるところが多いものの古道、林道の距離があり
今日のスイスクロスでは振動が厳しい。
来た道を戻るのはつまらない・・・
ということで北西ルートを下ることにしました。

北西ルートはスタート地点まで戻るのに一番遠回りになりますが
以前下った時はMTBでほとんど乗車できた記憶がありますし、
舗装路に出てしまえば遠回りとはいえ、ずっと舗装なのです。
ただ、その北西ルートも以前とは比べようもないほど峠周辺から
荒れているのが気にはなります。

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下っていっても心配どおり荒れていてほとんど乗車することは出来ません。

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やっと乗れそうになってきたと思ったら今度は崩落しています。

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下ってきた道を振り返ります。
真新しく見える石碑ですが江戸時代と思われる年号がありました。

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同じく下ってきた道を振り返っています。
舗装路が近くなってくると石垣など、かつての生活の痕跡が見られるようになります。
前回、書いた郵便配達の人の自転車は、このあたりに置かれていたのでしょうか?
それとも、もう少し下のほうでしょうか?

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舗装路に出ました。
左手が花丸峠から下ってきた道になります。
道端ですが日当たりがよく風も遮られるので、ここで昼食、休憩。

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あとは、ぐるっと山裾を回って仏坂峠に向かい海老方面まで舗装路を行くだけですが・・・
強風の為、とても辛かったのは想定外でした。
(画像は既に神田、月地区周辺まで走ったところ)
今日は、わざわざ、風の影響が少ないと思い山間部に走りに来たのですが(笑)
(ここは例外的に道が良い区間、ほとんどは崖下の曲がりくねったセンターラインもない道が続く)
この辺りでは谷を抜けてくる風が強烈で思わず足を付いてしまうほどでした。

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仏坂峠に向かう道。
見えてはいませんが正面奥の山の向こう辺りが花丸峠でしょうか?

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信じられないかもしれませんが「その1」の最初に書いた
「東ルートの南にあるルート」は、この山中の尾根近くを通っています。
今シーズン中(草木がはえず、山ヒル、虫、蛇の出ない冬の間)に、
なんとか探索してみたいと思っています。
画像の舗装道路は広く見えますが・・・
たまたま、ここだけで
後はほとんど崖沿いの狭い曲がりくねった道です。
その為、近年まで道は山中の尾根近くにしか作ることが
出来なかったようです。

さて、次回は久しぶりにMTBで東ルートを下るか・・・
それとも峠を通らない南ルートを探索するか・・・
でも、その時は、どこから登りましょうか?
距離的には南ルートですが・・・
高低差もあるし倒木もおおいし荒れ果てて辛いしなぁ(笑)
そうそう、安全の為に同行者も募らないと。

先日、久しぶりに奥三河の花丸峠に行ってきました。
この峠、何度かたずねていますが、まだ通ったことのないルートもあります。
また一度通ったルートも年月がたち印象も薄れていますので、これから、
また何度かたずねることになりそうです。
奥三河の小峠に過ぎない花丸峠に、なぜ、こだわるのかと
言われる方も見えるでしょう。
しかし、この峠は奥三河の、いくつかの里、海老、田口、東栄、豊根などを結ぶ
ルート上にあり車移動、車輸送が中心になる以前は、多くの人が歩いて越えた
重要な峠の一つなのです。
この峠、現在は、迂回する形で自動車の通れるルートが整備された為、
険しい地形にある花丸峠は昔のまま(開発もされず)さびれていき今では
踏み跡すらあやしいほど荒れています。


この際ですから花丸峠周辺の道について書いておきましょう。
まず峠を中心に4方向にルートがあります。
北側には田口方面に向かう道があり、これを①北西ルート、
北側には、もうひとつ豊根方面に向かう②北東ルートがあります。
峠から東には東栄町に向かう③東ルート、峠から南には④南ルートがあります。
(ルート名は私が勝手につけたもの)
また峠は通らないものの南ルートの途中から分岐して東に抜ける険しい
ルートなどもあります。

この中で南ルート+北東ルートは郵便物も運ばれていたと地元の方に
聞いたことがあります。
その方法は海老方面から自転車で花丸峠の麓まで来ると、そこから徒歩で峠を越え
反対側の麓においてあるもう一台の自転車に乗り換えて更に先に
配達に行ったのだそうです。
(海老側の仏坂峠は、どうしていたのでしょうか? やはり徒歩しかないような)
また北西ルート+東ルートは現在の豊田市、足助町地区方面から花丸峠を
こえて東に向かい東栄町から浦川を通り更に山越えして天竜の秋葉神社に向かう
信仰の道でもあったようです。

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海老地区から四谷の千枚田を眺めながら仏坂峠を目指します。

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仏坂峠に到着。

このあと、今回は先にご説明した4ルートのうち北西ルートから峠を
目指すことにします。
本来なら古道は南ルートを登るのですが悪路なのは判っているので
回り道をしてでも楽と思われる、そして初めて通る北西ルートに回りこみます。

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今回、乗ったのは、どうせ峠の古道では押すことになるし・・・
アプローチの舗装路を重視したスイスクロス。
タイヤはパナレーサーのパセラ、トレッドは舗装路向けなながらアメサイドで
丈夫なので悪路も、そこそここなせます。

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地形図で目星をつけておいた辺りに来ると右に登っていく道を発見、
これは順調、順調(笑)

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最初は車で入れる道でしたが、それもまもなく終わりシングルトラックになりました。
更に進んでいくと、いかにも古道の跡らしい良い雰囲気の道になってきました。
こんな石積みのところもあります。

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尾根も近くなってきて、これは楽勝かな~、なんて思いだしたら、こんな様子に。
以前、峠に登ったときには北西ルートが一番道が、
しっかりしているように見えたのですが・・・
「まさか、ここまで登って道が違った?」

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自転車を置いて探索に出かけると・・・
荒れてはいましたが峠に至る道に間違いないことがわかりました。
やれやれ(笑)

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ここが花丸峠です。(北側から見たところ)
峠自体がここまで荒れているのですから、峠道も荒れてしまっているのも
仕方ないことでしょう。

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峠を南側から見たところ。
わずかな切通しが古道。中央の高い所に茶店があったようです。
茶店の手前、右手方向に東ルートがのびています。


さて、これからどうするか・・・つづく。

前回もご紹介したとおり国道152号線をJR城西駅の南からそれ、舗装林道に入ります。

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林道と塩の道はところどころ重なっているようです。
もちろん、重なっていない所もあり
林道沿いには、ところどころ塩の道が残っています。
茶畑のあいだに、見える狭い道が塩の道。
この狭い道を人、牛馬、荷車が行きかったのだそうです。
(塩の道は研究会の案内板など各所に表示あり)

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かつて荷車が通って車輪に削られた岩、轍の痕跡。
狭い道にあわせ荷車は2尺5寸幅(約75センチほど)の狭い物だったとのこと。

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佐久間地区から何度も繰り返しますが?険しい山中の道、谷が深い。

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明光寺峠の直前。
このまま道なりにまっすぐ行けば、まもなく車道林道の峠ですが・・・

けったさんによれば本来の明光寺峠(塩の道)は、この上を通っているらしい。
確かに上方には立派なガードレールも見えているのですが・・・
なぜか、こちら側には、そこに至る道が見つかりません。

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先ほどのガードレールが見えるところから振り返ると
「私道」、「行き止まり」とのことですが、このような道があります。

私道と表示されているので気が引けるところですが・・・登ってみましょう。
すると個人宅の車庫の前で行き止まり(笑)

しかし、家の玄関をかすめるように自転車一台、何とか通れるほどの道が。
これが、先ほどのガードレールの道につながる細道でした。
(民家の前の為、きまずくて画像はなし)
けったさんの事前の調査がなければ旧道、明光寺峠には行けなかったでしょう。感謝!
(ガードレールの道は民家の手前で、こちら側は行き止まり、通行止めに)

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そして登り切ると・・・
ここが塩の道の明光寺峠(現地には八丁坂峠の石碑もあり)

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明光寺峠の南側。
はるか下に川面が見えています。
この川(天竜川)で船による水運が行われ、
この下の集落、舟戸で物資が積み降ろしされたのだそうです。
そして、その物資(人々)は、この明光寺峠を越えて(信州⇔遠州)いたのそうです。
しかし、気が遠くなるほどの標高差、急坂です。
ここを人馬だけでなく荷車も行きかったというのですから・・・

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明光寺峠を南側から見たところ。
峠周辺には何軒かの家もあります。
かつて賑わった頃には三軒の茶屋もあったそうです。
かつて人が行き交ったと言うのが嘘のような
うら寂しい峠でしたが、なぜか、とても気に入ってしまいました。

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八丁坂峠が明光寺峠とも呼ばれるようになったお寺、明光寺さんは峠南側直下にありました。

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現在の車道の明光寺峠(北側より)

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車道の明光寺峠には・・・地元の案内板によれば「山犬像」?
奥三河や静岡県西部にある山犬(狼?)を神と崇める信仰の名残かもしれません。

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明光寺峠を下り切ると舟戸集落、旧道。
右手が明光寺峠、塩の道。
この集落が
かつては天竜川水運への物資積み降ろし場所、宿場?町として賑わったのでしょう。

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少し離れた西から見た舟戸集落周辺。
画像、中央を横切るのが国道152号線。
左、上部に見える白い建物が山香小学校(現在は廃校らしい)
画像、下端辺りが現在の天竜川、水面(画像でも右端下にわずかに見えます)
そして明光寺峠は画像に写ってはいませんが左端上部の学校より更に上、左手になります。

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予定通り、峠を越えることが出来、あとは、とうえい駅まで戻るだけ・・・
ところが強い向かい風の上、わかっていたとはいえ何度も繰り返すアップダウンが(笑)

ここは島中峠。
疲れた体を苦しめるとはいえ峠の名前があると少し嬉しい(笑)
(実は過去、何度も通ったこの小峠が島中峠と言うことは今日はじめて知りました)

23日は、けったさんと二人で佐久間町の峠に行ってきました。

スタート地点はトーエイ車乗りの聖地??JR飯田線とうえい駅。
東栄駅は奥三河(愛知県)ですが国道151号線を少し走って県道1号(飯田富山佐久間線)
に右折すると入るともう静岡県です。
更に進むと今度は県道から国道473号線になります。
そして、佐久間町から国道を離れて県道290号線に入ると、いよいよ、
きつい登り坂になってきます。

ここで、本日のルートの内容を簡単に説明させていただきましょう。
現在では佐久間町から水窪町に行くには国道473号線から国道152号線を抜けるのが一般的です。
ただ、このルートは川沿いに大きく迂回しています。
この道は自動車移動(輸送)が一般的になってからの道で、それ以前は佐久間町から
険しい山越えの道でした。
(鉄道輸送、飯田線も、この山を数キロに及ぶ長いトンネルで抜ける)

今回、往路は佐久間町から山越え(二本杉峠、北条峠)して険しいながらも
水窪に抜ける最短距離の道。
そして復路は水窪から川を使った水運の町であった舟戸集落へ抜ける、
これまた山越え(明光寺峠)の最短ルート、をたどります。
特に後者、明光寺峠越えは信州(長野県)から遠州(浜松地区~相良地区)に抜ける
重要なルート、いわゆる「塩の道」だったのだそうです。
(天竜川を船で運搬する物資を舟戸集落で積み降ろしし明光寺峠越えで水窪、そして信州へ行き来していた)

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さて佐久間町から県道290号線に入りますが、ここは険しい山道になります。
そして二本杉峠、直前で展望が開けます。
中央奥に見えるのが佐久間町(中部天竜)
佐久間町の現地に立てば、山間にしては、けっこう広いと思いますが、
ここから見ると意外なほど、こじんまりと見えます。

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先ほどの景色の良いところから、わずかに登ると二本杉峠になります。

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二本杉峠には古い歴史を物語るように石仏群が。

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二本杉峠を抜けると山奥にもかかわらず転々と集落が、羽ヶ庄です。

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そして北条峠(ほうじとうげ)

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北条峠には民俗文化伝承館があり、お蕎麦などを食べることが出来ます。
(我々も、ここで昼食)
この画像は北側から。
南側は画像のように展望はよくありません。
そして背中側の峠北側は開けているものの工事中なのか建設会社の資材置き場なのか・・・
いずれにしても絵になりません(残念)

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北条峠は中央構造線で周辺は地学的にも興味深い所で峠にはいろいろな展示があります。

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北条峠の北側。
奥領家地区。
裾野から、山の高い所まで、民家が。

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下り切ると国道152号線(飯田線も並走)に出ます。
ここから南下すると城西地区。
画像は昨年も紹介した鉄道ファンにはおなじみ?の「飯田線渡らずの鉄橋」
画像右手から鉄橋で対岸に渡るかと思いきや渡らないで、また右手に戻るので
「渡らずの鉄橋」と呼ばれています。
右手に山が迫り、それを迂回する為の苦肉の策なのですね。

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飯田線が凄い地形の所を走っていると言う、もう一枚の画像。
城西駅の南側。
トンネル出口(画像左手にトンネル出口が写っています)の直前の乗り面が大きく崩れています。
この状態でも電車は運行しており、カメラをしまった直後に電車が通過、シャッターチャンスを逃す(笑)

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国道152号線をわずかに南下、国道を外れると「歴史街道 塩の道」に
近いルートに入ります。
国道のトンネル上の山から国道152線を望む。(奥側が水窪方面)
画像には入らなかったものの右手には飯田線も走っています。

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明光寺峠への道。
対岸の山肌には見事な杉の植林。

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前方には山肌にへばりつくような家々が。
かつての、塩の道は、このような険しい山を辿り越えていたのです。

※つづく

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江戸時代からの名物、とろろ汁を食べられる丸子(まりこ)の丁字屋さん。
東海道五十三次に描かれた、とろろ汁屋とほとんど変わらない建物の雰囲気。
コルサの楽観的計画では13時頃、到着、ここで食事の案も考えていたのですが・・・
すでに14時過ぎ(笑)
まあ、花沢の里で軽い食事を取って休憩したので、と言い訳しようと思いましたが、
高草山登坂をあきらめたことを考えれば、当初の案は、かなり楽観的だったと
言われても仕方がありません(笑)
それだけ、日本坂峠は険しかった?

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丸子から東海道(国道1号線)を西に向かい道の駅、宇津ノ谷峠まで来ました。
宇津ノ谷峠には画像のように大きく5つのルートがあります。
画像では良くわからないと思いますので簡単に書き出しておきます。

東海道の難所 宇津の谷峠 国史跡指定

・蔦の細道(平安の道)
・峠越えの古い東海道
・明治のトンネル
・昭和のトンネル
・平成のトンネル

この宇津の谷峠以前の古道が先に越えてきた日本坂(峠)になるのだと思います。

今回は、ここで一番古い、平安時代の宇津ノ谷峠越え、蔦の細道(つたのほそみち)を越えます。
(15年ぐらい前に5つのルートすべてを通りました。蔦の細道は反対側から越えました)

ちなみに、この蔦の細道、日本三細道のひとつだそうで、もうひとつは奥の細道だそうですが、
最後の、ひとつが判りません。
ネットで検索しても探し方が悪いのか良くわからないのですが・・・・
どなたか、ご存知の方はご教授ください。

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蔦の細道の入り口、最初から階段ですねぇ~。

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蔦の細道、東側は、ほとんど押し担ぎの道でした。

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500mぐらいで蔦の細道の宇津ノ谷峠(210m)。

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岡部側(西側)から見た蔦の細道、宇津ノ谷峠。

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蔦の細道、宇津ノ谷峠からは富士山が見えました。
すぐ下に国道1号線が通っているとは思えない険しい山々ですねぇ。

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蔦の細道、宇津ノ谷峠から岡部側を見たところ。
こちらも険しい山が連なります。

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蔦の細道、宇津ノ谷峠から岡部側への道。

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蔦の細道、岡部側の道は石がごろごろし、まるで沢のよう。
平均勾配は、なんと24度とのこと。
その為か江戸時代(の東海道)には、もう少し北に道が開かれることになったのでしょう。

ここまで来れば後は岡部宿を通って車に戻るだけ。
今日の走行は30キロほど。
ただ、担ぎ押しの区間が結構ありましたから、かなり疲れました。
でも念願の古道の峠を2ヶ所(+鞍掛峠)、越えることが出来たのですから大満足です。
(蔦の細道も2度目とはいえ十数年ぶりに越えたのですから新鮮に感じました)
※終わり

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