一年ほど前、静岡県三ヶ日町の初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)に行った記事をアップしました。
初生衣神社に有った説明板には
「三河の赤引きの糸を持って御衣を織り(中略)皇大神宮に奉献」
との文字がありました。
「三河の赤引きの糸を持って御衣を織り(中略)皇大神宮に奉献」
との文字がありました。
そのように現在の(三河地区)新城市、豊川市辺りでは古来より養蚕が大変、盛んだったようです。
今回は(3月5日)信仰の山、本宮山の南麓、そして豊川(河川)の右岸(現在の豊川市)周辺に
点在する機織に関する神社を訪ねることにしました。
今回は(3月5日)信仰の山、本宮山の南麓、そして豊川(河川)の右岸(現在の豊川市)周辺に
点在する機織に関する神社を訪ねることにしました。
まずは豊川市千両町(ちぎりちょう)の犬頭神社(けんとうじんじゃ)から。
(この地の字は興味深いことに糸宅「いとけ」と言うそうです)
この神社は七世紀、丹波の国から五穀蚕養の神、「保食大神」(うけもちのおおかみ)を
勧進したのが始まりで糸絢姫命(いとくりひめのみこと)を合わせて祀られているそうです。
この神社に関しては「今昔物語集」の中に「参河(みかわ)の国に犬頭(いぬがしら)の
糸を始むる語(こと)」と書かれいるそうです。
興味ある方はどこかで検索して読んでいただきたいのですが・・・
ここでは長くなるので、ごくごく、かいつまんで、それを更に短く(笑)
郡司の正妻が蚕を飼っていたのですが飼い犬がある日、その蚕を食べてしまいます。
その犬が、くしゃみをすると鼻から白い糸が出てきました。
それを引っ張るとどんどん出てくるので桶やら何やら巻き取りました。
糸が出尽くすと犬は死んでしまい正妻は仏神が犬に姿を変えて助けてくれたのだと思い
犬を桑の木の根元に犬を葬りました。
犬の鼻から出てきた糸は雪のように白く、つやがあり見事な糸だったので、
郡司はこのことを国司に伝え国司は都に報告しました。
その犬が、くしゃみをすると鼻から白い糸が出てきました。
それを引っ張るとどんどん出てくるので桶やら何やら巻き取りました。
糸が出尽くすと犬は死んでしまい正妻は仏神が犬に姿を変えて助けてくれたのだと思い
犬を桑の木の根元に犬を葬りました。
犬の鼻から出てきた糸は雪のように白く、つやがあり見事な糸だったので、
郡司はこのことを国司に伝え国司は都に報告しました。
素晴らしい、この糸は「犬頭糸と呼ばれ天皇の御服に織られる」ようなったのだそうです。
境内には、とても大きな楠木などもあるのですが、この桑の木が、ご神木だそうです。
(いかにも養蚕が盛んだった地の神社らしい)
次に向かったのが豊川市足山田地区の、その名もずばり「服織神社」(はたおり)。
「はたおり」というと普通は「機織り」となりますが、この神社は「服織神社」と書きます。
「はたおり」というと普通は「機織り」となりますが、この神社は「服織神社」と書きます。
交通量の多い県道から、わずかに入ると対照的に静謐な雰囲気になります。
ここから進んで左に直角に曲がると社があります。
服織神社。
境内には特に神社についての説明板もなく詳細は不明です。
あ、そうそう石碑が、あることはあったのですが字が読みにくく
内容も私には理解しずらかったのでした(笑)
以前、本で読んだ話によれば、この後、出てくる「わくぐり神社」の糸が、
この「服織神社」で布に織られ伊勢神宮に奉納されたのだそうです。
この「服織神社」で布に織られ伊勢神宮に奉納されたのだそうです。
ということで(笑)次は「わくぐり神社」(豊川市東上町)に向かいます。
ちなみに「わくぐり神社」は近年、安産祈願の神社として地元では大変に有名で
参拝する人も多いようです。
ちなみに「わくぐり神社」は近年、安産祈願の神社として地元では大変に有名で
参拝する人も多いようです。
籰繰神社(わくぐりじんじゃ)
↑難しい字画が多い漢字で黒くつぶれてしまっていますね(笑)
ちなみに「わくぐり」の「わく」とは蚕の糸を巻き取る「いとわく」の事だそうで、
この一体が、かつて養蚕が盛んで製糸が行われていた事を伝えているのでしょう。
この一体が、かつて養蚕が盛んで製糸が行われていた事を伝えているのでしょう。
私は長く急な石段を「安産祈願の家族が、こんな階段、良く上がるなぁ」などと
思いながら登っていったのですが・・・
今は営業優先?(笑)の為か、ここまで直接、自動車で、
参拝に訪れる事が出来るようになっていました。
思いながら登っていったのですが・・・
今は営業優先?(笑)の為か、ここまで直接、自動車で、
参拝に訪れる事が出来るようになっていました。
登って見ると早春の陽に光り輝く?真新しい立派な拝殿が出来ていました。
先の画像で真新しい拝殿の奥に妙な作り(失礼)の建物が見えていました。
山の斜面に上って確かめると、それは古い社を覆うように作られたものでした。
ここも境内に神社の由来などを説明する物は見当たりませんでした。
今回これで終わり。