コルサの毎日がヒルクライム

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11日は国の重要無形文化財「豊橋鬼祭」の最終日でした。

このお祭り、中京地区ではテレビなどでも取り上げられるので
ご存知の方も多いでしょう。
メインイベント(神事)の「赤鬼と天狗のからかい」
(会場は豊橋市八町通、安久美神戸神明社)
は11日の日中、行われますが氏子(豊橋市中世古町中心)、
各戸を回る行事が11日の夜にも行われます。

友人宅も氏子なので毎年、仲間で集まって赤鬼を迎え厄払いを
受けています。
(友人、その息子もかつて赤鬼役を務めている)

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赤鬼に頭をなでてもらうことで厄払いをします。

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続いて行われる厄払い。
もう一つの厄払いの行事は油断していると大変な目にあいます。
赤鬼の氏子らが厄払いの「あめ」と「白い粉」を
まき散らしていくのです。
今年、犠牲になった後輩二人・・・
大量の粉を浴び、おおいに厄を払ったということで縁起が良い?


東三河では、この祭りが終わると、寒さに震えた季節も、
もう少しで終わり、春も近いと人々の
気持ちも明るくなってくるのです。

11日夜は天下の奇祭として国の重要無形民俗文化財に指定されている鬼祭りを
見物に行ってきました。
(千年ほどの歴史があるという)
実は鬼祭りの町内に住む知人がいて、その主人公、鬼役を知人親子が
それぞれ経験しているのです。
(鬼役を果たすことは地元では大変、名誉なこととして尊敬されている)


テレビなどで有名な行事は11日の昼間に神社の境内で行われるのですが
夜は町内の各家を鬼役などが回ってきます。
知人宅で飲み食いしながら回ってくるのを待っています。

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天狗さんが来ました。
(一緒に来るのではなく別々に町内を回って来る)

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こちらは司天師という役。

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そして主役の赤鬼。

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町内各家の軒先などで厄除けの、たんきり飴と白い粉をまく。
自分は避難していたので(笑)
画像は、これでも、すでに騒ぎが収まってからの様子。

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厄除けのたんきり飴を回収した後、白い粉の片付け。
知人宅前では、レインコートを着た(白い粉を浴びる対策として)若い女性なども、
たくさんいたので鬼役らも
張り切って塵取りにいっぱいになるほど白い粉をまき散らしていった(笑)

少し前のことになりますが(6月末)神宮式年遷宮後、
初めて伊勢神宮参拝に参拝してきました。

そうそう、式年遷宮の前後でしたか伊勢神宮から招待状が届いていました。
どうやら、それを持参すれば一般参拝者よりも少し中で、
お参りさせていただけるようです。
ただし、その際には、それなりの服装で出向かなければなりません。
当日は、かなり気温が上昇するとの予報・・・
正装では辛そうと言うことで今回は見送ることにしました(笑)

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自分の住む愛知県豊橋市から自動車で伊勢神宮に向かうには・・・
大雑把に言って二つのルートがあります。

一つは陸路、伊勢湾をぐるっと回って行く方法。
もう一つは渥美半島先端から伊勢湾フェリーで鳥羽へ渡る方法。

フェリー使用はそれなりにコストがかかりますが・・・軽自動車なら少しは安いし
陸路は有料道路代と距離が長いことによるガソリン代が・・・
(うちの軽自動車にはETCが付いていないこともあり)
結局、今回は軽自動車でフェリーにて鳥羽へ(伊勢神宮へ)

画像は三重県 神島。
そして鳥羽へ接岸間近のフェリー船上から。

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三重県鳥羽に上陸すれば普通の人は伊勢神宮に向かうのでしょうが
へそ曲がりの私は、前々から見てみたかった神宮神田へ。
ここで伊勢神宮の儀式などに使われる、お米が作られているようです。
とてもきれいな水田でした。

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いよいよ皇大神宮(外宮)へ。
(伊勢神宮のお参りは外宮→内宮と参拝するのが習わし)
(観光バスなどは内宮だけの場合が多いが片参りと言って嫌う人も多い)
手前が古い正殿、奥が新しい正殿。

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式年遷宮後の新しい正殿。

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古い正殿の方には出入り出来ないよう木の塀が。
さすがに千木、鰹木、そして屋根には20年の傷みが感じられます。

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正殿から北御門(きたみかど)側へ歩くと槌音が聞こえます。
梢の間から解体作業中と思われる様子が、わずかに見えました。

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皇大神宮(内宮)への参道、おはらい町は平日にもかかわらず、この賑わい。

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この宇治橋鳥居をくぐれば宇治橋(五十鈴川)を渡って、
いよいよ皇大神宮(内宮)へ。

ちなみに参道は外宮が左側通行、内宮が右側通行。
なぜかと言うと手水舎が外宮は参道の左側、内宮は右側にある為らしい。
手水舎で清めた後に参道を横断すると参道の中央の正中(正中「せいちゅう」=神様の道)
を横切ることになり失礼にあたるということからだそうだ。
(参道、鳥居の中央は神様の道であるから参拝者は通らない)
(一般の神社では参道、鳥居の中央を避け、左隅を歩くのが良いとするところも)

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新しい皇大神宮、正殿。
ここではお参りに来ることが出来た感謝の気持ちをお伝えし、
国家の平穏などを祈る場所。
個人的なお願いは、この後、別の場所で。

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内宮、旧正殿への道は閉鎖されていました。

新しい正殿前から、旧正殿がわずかに見えましたが、
そこは撮影禁止区域の為、画像はこれだけ。

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別宮 荒祭宮(あらまつりのみや)
個人的なお願いは、こちらでするものだそうです。
以前は、わりと空いていた荒祭宮ですが、式年遷宮前後のTVや雑誌で紹介された為か、
こちらもかなり混雑していました。
私も個人的なお願いをこちらで(笑)

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無事、伊勢神宮外宮、内宮への参拝を済ませました。
それでは、おはらい町に繰り出すことにしましょうか(笑)

ここは隠れた?宇治橋全景の撮影ポイント。
帰路、橋を渡る直前右側から。

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フェリー乗り場に戻る前に少し寄り道。

自分の小学校の修学旅行は伊勢志摩でした。
それ以前にも、その後にも何度か伊勢神宮には参拝に訪れましたが・・・
ここ、二見浦(ふたみがうら)の夫婦岩(めおといわ)に訪れたのは・・・・
小学校の修学旅行そして大学生の時のサイクリング、それ以来でしょうか?

GW最終日は愛知県新城市で行われた「長篠合戦のぼりまつり」に
レーシングチームの仲間とともに自転車で出かけてきました。


この、お祭りは、もともとは「長篠の戦い」の戦没者供養にちなんだものです。


ここで改めて「長篠の戦い」に付いて簡単に書いておきます。

「長篠の戦い」は1575年 現在の愛知県新城市にある小さな城、「長篠城」をめぐり
武田勝頼と織田信長、徳川家康の連合軍が激突した有名な合戦のことです。
一般的には織田信長が大量の鉄砲を効果的に使い、武田勝頼の騎馬隊を打ち破り
大勝したことで知られる戦いです。

以前、「長篠の戦い」の現地を探索した記事
→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/28710555.html



「長篠合戦のぼりまつり」のメインイベント?は何と言っても「火縄銃の実演」でしょう。


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「米澤藩稲富流砲術隊」の準備風景。


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「米澤藩稲富流砲術隊」
前日に地元の警察から火薬の使用量を減らすように指導があったとのことで
迫力不足を懸念されていましたが十分な迫力です!


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「日本前装銃射撃連盟」による一斉射撃(の直前の姿、 笑)


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ほら貝を吹き鳴らしながらの地元、「長篠、設楽鉄砲隊」の行列。


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「日本前装銃射撃連盟」
太筒、射撃直後、反動を後ろに逃がす姿。


見ていると自分も撃ってみたくなりますね(笑)
祖父の家には刀とか槍とかが昔あった記憶がありますが火縄銃は残ってないのかなぁ(笑)

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