コルサの毎日がヒルクライム

ひさしぶりに行われたシクロジャンブルに行ってきました。

とは言っても体調が、おもわしくないので名古屋の滝ちゃん(デローザの滝ちゃんとして有名?)のクルマに便乗させてもらいいます。

前日も滝ちゃんちに泊めてもらい田爺さんと三人で大阪に向かいました。

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ひさしぶりなので多くの出店があるかと思いましたが・・・

まあ、出店数は、いつも通りといったところでしょうか?

ただ、人出は、かなり多かったと思います。

自分は滝ちゃん、田爺さんのスペースのすみに「送料を出して買うほどではない」といった安価な物を少しだけ出品しました。

出品物を持って帰りたくはなかったので弱気の値付けだったせいか目ぼしい物は出品直後に、ほとんど売れました。

これで、ガソリン代、高速代、昼食代を何とか稼げて、一安心。

あとは探しているものを見回りに行きたかったのですが・・・

体調不良で少し見て回っただけで疲れてしまい後は、ずっとブースの近くで休んでいるだけ。

帰りの支度から運搬、積み下ろしまで滝ちゃんと田爺さんにお願いしてしまい情けない有様、やれやれです。

最近、「いにしえのレーサーを愛好する」?有志の間で「TOKYO64プロジェクト」という遊びが進行中です。

これは、1964年の東京オリンピックの際に日本選手に使われた、あるいは代車として用意された自転車をイメージした自転車を作って楽しもうというものです。

 

1964年東京オリンピックのロードレーサーの代車の存在は知られていますがトラックレーサーの代車があったかどうかは、わかりません。

ということでトラックレーサーの代車(予備車)があったとしたら、というコンセプトで作業を進めていきます。

 

前回(その2)でご紹介した「多分、グランヴェロではない」ピストフレームのステッカーをはがしながら再度、細部を見て見ていくこととします。

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↑ヘッドマークをはがしてみると、やはり粗雑な塗り替えフレームで塗装がごそっとはがれてしまいました。元色はオレンジ色?・・・もしかして元々は貸与車?でも水色時代の貸与車なら各部の作りと年代が合うような気がしますがオレンジ色になってからの貸与車とは色と作りが合わないような気がします。

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↑ラグレスでキレイに仕上げられています。

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↑シート部もラグレスで仕上げらています。多くのラグレスのシルクはシートチューブの上部に補強の鉢巻が施されているものが多いのですが、この個体にはありません。
それから
シートステーのフタの造形がシルクとはわずかに違うような?
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BB回りもラグレスで、この辺りも70年代のシルクにそっくり?


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↑シートステーブリッジ。細めのパイプでアーチ状に造られたところも70年代のシルクにそっくり?

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↑↑、↑フロント、リヤエンドとも刻印はありません。前後エンドも70年頃のシルクによく似ています。

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↑「
A776」の刻印のあるBB下。シルクマークの刻印のされたフレームもありますし、中には、この刻印のパターンによく似たシルクも存在はします。

ただ、シルクであるかどうかの確証は現時点でありません。
「77年6月ではないと思うんですけどね~」(笑)

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↑フロントフォークのコラムには「
GA21」の刻印が・・・

BB下の刻印とは関連性がない?もしかしてフォークは変えられているのかも?
でもコラムにはヘッドチューブと同じオレンジ色が見えますね、これが元色ならフォークとフレームは同じ個体の物といえるのでしょうが、もしかして、さし変えられてから塗り替えられたのがオレンジ色なら?って、考え過ぎても仕方ないですね。

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↑丸フォークに二段肩・・・これもシルクっぽいんですけどね~

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↑そういえば、うちに70年代前半によく見られたシルクのヘッドバッジがあったことを思いだしリベットの位置を測ってみました。

すると70年代のシルク ヘッドバッジのリベット穴間隔より、このフレームのリベット穴間隔は、ずっと狭いことがわかりました。それではと日米富士など手持ちのヘッドバッジのリベット穴間隔と比べてみても合う物はなさそうです。

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↑さて、このフレームは、どこの製品なんでしょうか?
まあ、いまのところ自分としては古いシルクのフレームだと思っているのですが。
ヘッドバッジのリベット穴に、ぴったりのバッジが見つかるまでは、そう思って作業を進めていくことにしましょう。
(うちのシルクのバッジ以外にもシルクには何種類か、あったようですから)

最近、「いにしえのレーサーを愛好する」?有志の間で「TOKYO64プロジェクト」という遊びが進行中です。

これは、1964年の東京オリンピックの際に日本選手に使われた、あるいは代車として用意された自転車をイメージした自転車を作って楽しもうというものです。

 

さっそく「TOKYO64プロジェクト」に取り掛かりたいところですがベースとなるロードフレームのあてがありません。また部品も、あまりそろっていません。

そこで、今回はロードは後回しにして、まずは部品点数も少なくフレームも新旧の差が少ない?ピストで作ってみることにしました。と言っても手持ちにベースとなるピストフレームもありません。

(ピストの代車が64東京オリンピックに用意されたかは未確認ですが)

こういう時に頼りになるのが「田爺さん」か「くさやんさん」でしょう?今回は、くさやんさんから「ベースになりそうなフレームを用意しておくよ」と連絡があり早速、たずねました。さすが、くさやんさん、何本かのフレームを用意しておいてくださいました。

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↑その中でカスタムベースとして目についたのがこれ。「
BSグランヴェロ?」と思いましたが、どうみても塗り替えられています。それにフレームの作りは、どうみてもグランヴェロの年代より古臭い。という事は逆に「TOKYO64プロジェクト」のベースとしてはピッタリ?()

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↑ラグレスフレーム、グランヴェロもラグレスでオーダー出来たとも聞きますが?どうみても全体の雰囲気は70年頃のシルクに思えるのですが・・・
誰かがシルクのフレームを適当に塗り替えてグランヴェロのステッカーを貼ったもの?

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↑↑、↑前後エンド。刻印はなし。70年代中頃になればシマノやサンツアーの刻印の入ったエンドが出回っていたと思われるので、やはり70年代前半以前のフレーム?
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↑シート回り。シルクではシートパイプ上部に「鉢巻状」の補強が見られるフレームが多いのですが、これにはありません。
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↑BB部分。メーカー、ビルダーを特定できるような特徴は見つけられず。
ちなみにBBはシマノ 初代デュラエース ピストが組み込まれていました。
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BB裏の刻印。「A776」の文字があります。
この刻印は、どこのもので何を表しているのでしょうか?「77」の文字が77年製を表しているとはフレームの作りから見る限り考えられず?
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↑ヘッド小物はハッタの
DINOS
ハッタのヘッド小物はピストフレームによく使われているのを見ます。調べてみると
DINOSが競輪の認定部品になるのは1979年。もちろん、それ以前から販売されていた可能性もありますが・・・
このヘッド小物は元からこのフレームに付いていた物ではなく付け替えられた物?

まあ、とにかく
BSグランヴェロではないことは間違いなさそうですし60年代までは遡れないとしても70年代初期くらいのフレームと思われます。
(工作、エンドなどから、どうみても70年代中頃までは新しくないと思う)
そして何より古臭い?作りから「
TOKYO64プロジェクト」のベースとしては大きく外しているところでもなさそうなので、これを、くさやんさんから譲り受けてベースとすることに決定しました。

サイクリング途中に見つけた古い4輪、2輪をご紹介していく、このシリーズ?今回は、トヨタ パブリカです。

いうまでもなく大衆車として多くの台数が販売されたパブリカですが、その販売年代を調べてみると年から年の間だったようです。さすがに旧車イベントでも古い大衆車ということで見かける機会が減ってくるはずです。

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↑そんなパブリカが今回は2台も!!

ここは・・・公道ではないのか?道端に置きっぱなし。まあ、道幅も広いし普通の人が入ってくるような場所でもないけど。

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↑↑↑、↑↑、↑白い方はレストア途中。

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↑↑↑、↑↑、↑青い方は完成状態の様子ですがナンバーはなし。

いずれ2台揃って元気に走ってほしいですね。

最近、「いにしえのレーサーを愛好する」?有志の間で「TOKYO64プロジェクト」という遊びが進行中です。

これは、1964年の東京オリンピックの際に日本選手に使われた、あるいは代車として用意された自転車をイメージした自転車を作って楽しもうというものです。

(完成の暁には64年東京オリンピックに使われたコースの一部でも、その自転車で走ろうとまで?)

東京オリンピックの際は日本選手をはじめ多くの選手がチネリを使ったと言われてきました。

もちろん、チネリを使った選手もいましたが実際にはチネリどころかあまり聞いたことのないようなメーカー、ビルダーの自転車が多く使われていたこともわかっています。

また、比較的、近年になって日本人最上位でゴール(ロードレース)した大宮選手はシルクに乗っていたことが明らかになったりしています。

ただ、1964年のオリンピックに使われた、あるいは代車として準備されたもののなかで現存する自転車は少なく、また資料も、あまりないので確かなことは、あまり知られていないようなのです。
(たとえば日本の、どの選手が、なにに乗ったのかという情報など)

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↑私が初めて知ったのは代車として用意されたというエベレスト チャンピオンです。

この画像は1980年サイクルスポーツ誌の臨時増刊号「オールカタログ80/81」です。

折込で4台の車両が紹介されていました。

ジモンディのビアンキ、中野浩一選手のナガサワ、長義和選手のデローザそして東京オリンピックの代車、エベレスト チャンピオンでした。

若い頃から旧車に興味のあった自分には大変、インパクトのある画像で、いつかレプリカを作ろうと当時から(当時20歳)思っていたのでした()

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↑次に出会うのが、この画像。1986年のバイシクルクラブ誌。10ページにわたって紹介されていました。しかし、当時はクルマで峠を走ることと自転車レースに参加することに明け暮れており、またネットなどの情報もなく、なにより古い部品を探し集める金銭的余裕もありませんでした。

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↑その後、バイシクルクラブ誌には日本のナショナルカラーに塗られたチネリも掲載されましたが、さすがにチネリともなると遠い世界の話過ぎて逆にエベレスト チャンピオンほどの憧れを抱くことはありませんでした。

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↑2000年代に入り自転車レース参加も、あまりなくなり反動で?旧車、旧部品を買い漁るようになります()当時は国産B級部品からカンパ、フレンチまでどんな国のどんな車種でも組めるよう??、部品集めにはしります。
(当時、知人からはサイスポ オールカタログを現品で作るつもりか、と言われたほど)

余談ながら(今となっては自分自身でも)意外なことに自分がオール カンパを手にするのも、この時代なのです。

もちろん、この頃も東京オリンピックの代車のイメージは忘れておらず1960年代の国産パーツも見つければ買い集めていました。

そして、つい最近、世界の名車をレストアされている先輩が魅力的な旧車ということで前述のバイシクルクラブのエベレスト チャンピオンの画像をご自身のブログにアップされました。それに「私も昔から、この自転車にあこがれていつか似たイメージの物を作りたいと思っていました」とコメントさせていただきました。

そこから急展開、熱心な有志の方々と「TOKYO1964プロジェクト」が始まることになったのです。

さて、どうなることやら・・・

※つづく
※サイクルスポーツ誌別冊オールカタログ、バイシクルクラブ誌から画像、掲載させていただいております。
 問題があれば削除させていただきますのでコメント欄からご指摘ください。

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