古墳時代遺跡現地説明会

今日は朝から来週のレースに向けて競輪場で練習。
そのあと喫茶店で「トレーニング反省会」と称してモーニングサービスで朝食。
(愛知県の喫茶店は午前中、モーニングサービスと言ってコーヒー代のみで、
トースト、ゆで卵、サラダ付きは当たり前なので)

それから、競輪場近くで「古墳時代集落跡の現地説明会」があるというので車に
積んである自転車を乗換え見学に向かった。

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今回、競輪場から市街地を遺跡まで移動するのに使用した自転車。
シマノの内装変速機「インターナル8Speed」を使用した
「Raleigh ラーレー RF8」
シンプルなスタイルながら内装8段変速で乗り易く気に入っている。
この自転車と「インターナル8」の詳細、使い勝手は、ご要望があれば(笑)いずれまた。


遺跡の名称は「豊橋 東側遺跡」(愛知県豊橋市牛川町字東側)と言う。
時代的には、まず縄文時代中期から古墳時代終末までで、その後、空白期があり
戦国、江戸時代の集落跡がある複合遺跡との事だ。

自分の専門は旧石器時代から縄文時代で、ちょっと時代がずれるが、
地元の遺跡だけに大変興味深い。
(単に好きなだけで本当は専門知識は、まったくないが 笑)

今回の説明会は古墳時代終末期の住居跡、16棟が確認され、その説明がメインになる。
この遺跡から2キロほど離れた地域には古墳群が知られており、
関連があるのかもしれないとの事。

この辺りは、とにかく各時代それぞれ、非常に多くの遺跡跡がある地域。
ただ、ほとんどは調査後、住宅地、工場地になってしまい記録しか残っていない。
今回の発掘調査も土地区画整理事業に伴う道路造成工事にかかる為、
行われる緊急発掘調査との事。
残念ながら、ここも調査後いずれは破壊され道路になってしまうそうだ。

いつもながら自分に財産があれば買い取って遺跡公園にするのにと思ってしまう(笑)


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発掘現場入口には遺跡から出土した物の代表的な遺物が展示されている。



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これは、ここのすぐ近くの「豊橋西側遺跡」から最近、出土した「銅鏡」。
先日、新聞でも紹介されたので中部地域の方は写真で、ご覧になったかも。
実物が見られるとは嬉しい。
古墳時代のものではなく室町時代の物との事。
中央は「亀」をかたどっているらしい。


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遺跡の全景(今回調査地域の)
北から、南側を望む。正面の山の手前周辺には多数の古墳群がある。
地形的には前方に小さな川が流れ背後の丘を越えるとすぐに豊川がある。
近くには湿地、豊かな森などがあり丘陵地帯が広がっていたと思われる。
素人考えでも水の心配はなく南向きで暮らしやすかったはず。


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古墳時代の住居跡。
豊橋美術博物館の学芸員の方が説明してくださる。
人が少ないように見えるが手前側に多数集まっている。
(ちょうど豊橋祭ということもあり、以前の縄文遺跡説明会より人数はかなり少ないが)

竪穴式住居といわれる形式で丸く見えるのは柱穴だそうだ。
土を掘り下げ、まわりに板をめぐらしたらしい。
そして柱を立て何らかの植物で屋根を葺いて住んでいたと考えられているとの事。

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古墳時代住居の、かまどの跡
多くの住居跡で「北側」にかまどの跡が見られたとの事。
そして、ほとんどのかまどは壊されており何らかの理由で家を廃棄し移住したのではと
推測されているとの事。
多くの、かまど跡からは、完全な形の須恵器が見つかっているそうで、
かまどを壊すという行為は何らかの儀式(マツリ)であったと考えられているそうだ。
(家を廃棄する際、その象徴であるかまどを壊す)
ここの遺跡は古墳時代終末から空白期があり、その後の戦国時代、
江戸時代からの遺構が発見されているらしい。


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ほぼ、南北に伸びる古墳時代といわれる「溝」のあと。
溝から出土した遺物(主に土器など)で時代を推定しているとの事。


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これは江戸時代の「砂利敷き」遺構跡。
ここでは石の上から古銭も見つかっており地鎮の意味があったのかもしれないそうだ。

最後に、ここの遺跡が保存されないのは残念だが今後調査が進んで
当時の集落の構造などが明らかになることを期待したい。