「ああ、あすからは電車はこなくなるのか。
/わたしは、レールにそっとさわってみた。
/この上を、電車は、もうとおらないのだなと思うと、
なみだがでてきた。」
(ほうらい風土記)より

「東三河の歴史 下巻」(郷土出版社刊)の田口線のページを見ると
当時の小学生が田口線が廃止になった日のことを上記のように書いているそうです。
短い文章ですが鉄道を失う山深い町の人々の、つらく、さびしい気持ちが端的に
表されていると思い引用させていただきました。


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コルサは特に鉄道ファンではありませんがサイクリングに訪れる奥三河に残る
豊橋鉄道 田口線 廃線跡には以前から関心を持っていました。
先日、「大熊猫」さんに会うと彼は田口線廃線跡への思いを熱く語ってくれました。
そうなると、俄然、興味がわいてきて、もう訪ねずにはいられません(笑)
残念ながら大熊猫さんは多忙なので一人、抜け駆けして1月14日に行ってきました。

先のとおり鉄道ファンではありませんので詳しいことはわかりませんが
豊橋鉄道田口線の概要について。
昭和4年から一部開通し昭和43年歴史を閉じる。
段戸山御料林を中心とした木材搬出の為、地元の足として、豊川稲荷、鳳来寺山参詣者及び観光客の拡大を願って田口鉄道会社が設立された。(御料林の関係で→)宮内省、豊川、鳳来寺の両鉄道会社で資本金の約8割、残りを地元で負担した。
戦後は飯田線本長篠駅から名古屋鉄道、飯田線への相互乗り入れもあった。
終点、田口駅は田口の中心部から、西に、はなれた寒狭川(高低差約200m距離約3㌔)沿いの谷にあり住民にとっては、せっかくの鉄道も不便だった。
これは田口の街までの高低差という技術、資金的な問題とともに資金の多くを負担した宮内省側の利便性のある位置(木材搬出、トロッコ路線への接続など)を選択した為もあるらしい。

コルサが見て感じた 「2008・1・14 現在」の鉄道跡の現状概要。
・本長篠の駅から橋台、橋脚(県道32号上)の手前までは町道として使われている。通行可。
・橋台、橋脚(県道32号上)から鳳来寺駅までの区間は荒れているようです。ただ駅のホームなどは残っているらしい(今回はパス、4輪の通行は不可)。
・田代トンネル、麹坂トンネル南側までは、歩いて辿る事が出来る(トンネル南側から県道32号に戻れます)。
・麹坂トンネル北側から県道32号線までは荒れている様子。
・県道32号線交差付近から南(バス停、大栗平)は、たどる事が出来ます。
・バス停、大栗平の南側は遊歩道として整備されており問題なく通れます(自転車、徒歩なら)。
・玖老勢の北は一旦、県道32号線と重なり、そのあと町道に分岐しています。海老駅の跡までは車も通れる道になっています。
・海老駅から北も車は通れます。県道32号線に出る前に線路跡(滝上駅)は左にそれていきます。
・稲目トンネル手前で線路跡は県道32号線と重なります。
・稲目トンネルの北側で線路は対岸を通っています。こちらは、かなり荒れているようです(今回、パス)。
・清崎トンネル入口(トンネル内水没、入口一部倒壊通行不可)から国道257号線に迂回して清崎駅跡まで行く事が出来ます。
・清崎駅から北で国道と鉄道跡は完全に分岐し清崎の交差点から北の鉄道跡は狭いですが現在も田口駅あとまで車で通行する事が出来ます。
・田口駅から北の道を登れば田口の町中心部に行く事が出来ます。もちろん、国道257号線に出られます。


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JR飯田線本長篠駅。手前が西、豊橋方面。
田口線は向かって一番左側から発着していたようです。


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長篠駅直ぐ東側に残る田口線の線路跡。
田口線の線路は手前に登ってきます。


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分岐からすぐ、町道、国道151号線を横切り、少し北上すると内金トンネルがあります。

ここで、大変なことに気が付きました。
食料、ケイタイなどは持ってきましたが水筒、工具(予備チューブ)などを車に
忘れてきてしまいました。
万一、パンク等したら大変なので泣く泣く、往復約10キロを走って車まで取りに戻ります。
この時間と体力のロスが後半響いて来ることになります。


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内金トンネルを出ると右に住宅地、左に児童館、神社があります。
その先に進むと、こんな感じ。
「え、道、間違えた?」と思いますが、ここが線路跡のようです。
もう、線路があったとは思えないジャングル状態です。


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先ほどのヤブに突入すれば、ここの上、右側に出られたはずです。
県道脇に立派な橋台、橋脚が残っています。
この先、鉄道跡は県道の西側の山中を通っています。
駅や切通しの跡が残っているとのことですが今回はあきらめます。


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ここが鳳来寺駅があったところです。
中央、車が出ようとしているところを右に行けば鳳来寺山の参道、石段になります。

ここは、私、コルサにも(当時、小学生)、大変賑わっていた記憶があります。
1970年頃~(廃線直後)両親とドライブに良く来ましたが駐車場待が出るくらいでした。
土産物屋、五平餅などを売る店で大変賑わっていました。
その後、東照宮まで車で行ける「鳳来寺山パークウェイ」が出来てからは、こちらの門前町は
急速に寂れてしまいました。
廃線後も駅舎を利用して食堂を営業していたと思います。
画像は立て替えられた食堂ですが現在は営業していない様子でした。
食堂前に田口線の案内板もあったようですが、それも見当たりませんでした。


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鳳来寺駅跡を出発すると、すぐに田代トンネルの入口がありました。
もちろん、通行止めですが、自己責任で通ってみます。


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田代トンネル北側です。
民家の間に、ひっそりとトンネル跡があります。


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田代トンネルの北側は青少年旅行村との事でしたが現在は閉鎖しているようでした。
青少年旅行村の管理事務所への道は、かつての鉄道ガーター橋を利用しているようです。


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ガーター橋を、そのまま、直進すると麹坂トンネル入口があります。
ここは厳重に入口が封鎖されています。
中は真っ暗で、すこし砂利などが散乱しています。
自転車もありますし、さすがにちょっと入ってみる気にはなりません。
少し戻って県道32号線に出て北上します。


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県道32号線を進むと鉄道跡を越えます。
旧道のボックスカルバート?脇から無理やり転がるように鉄道跡に降りていきます。
自転車は、ほとんど投げ落とした感じの急斜面です。
新品のジャージはヤブで少しほころびるし自転車は泥で汚れるし大変です。
ところが!もう少し下ればバス停跡から楽に来る事が出来ました(泣)
ボックスカルバート?より南側(麹坂トンネル側)の線路跡は、こんな感じです。
草が枯れた今の季節なら麹坂トンネルまで、歩けるでしょうか?


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ボックスカルバート?部分。手前は旧道で奥の幅広い方が現県道です。


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バス停「大栗平」。向かって左のバス停裏が鉄道跡です。
ここから行けばボックスカルバート?までは楽々でした。
右は県道32号線ですね。


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ここから、しばらく鉄道跡は遊歩道(右)になっています。
自転車、徒歩なら景色も良く楽しく進む事が出来ます。


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遊歩道の途中、ここが玖老勢駅のあったところです。
画像は北から本長篠駅側(南側)を見ています。
右側の建物あたりが駅舎だったところとの事です(現在、建物は消防団の詰所らしい)。
遊歩道ですが田舎らしくおおらかで民家の前まで車が入り込んだり大根などの作物が
並んでいました(笑)
この先の北側で鉄道跡と県道が、いったん重なります。


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この岩は「三河大石」といい地名にもなっています。
ちょっと信じられませんが、ここから東の棚山(688m)から、転がってきたと伝えられています。
右が旧の伊那街道で左が現在の県道です。
田口線は現在の県道、画像の大石の左側を通っていました。
田口線の工事の際、この大石は削られて昔の半分ぐらい(現在の姿)になってしまったそうです。


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大石から少し北上すると県道から、また分岐します。
鉄道跡は左に下っていきます。
左の田んぼにはサルの群れが遊んでいました。


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分岐の先は鉄道跡が車の道として利用されています。
双瀬トンネルの北側は田口線のトンネルの中でもっとも見事な景観です。


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宮裏トンネルの南側です。


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三河海老駅の南側の立派な築堤。
手前が長篠側、左がすぐ三河海老駅。
築堤の先に画像でも見える大きな建物が建っているので突当りを右に迂回します。
建物の先は広場になっていて昔の車庫跡地です。

ちなみに海老の町は信州と三河(豊橋市)を結ぶ伊那街道の要所でした。
町の中で大きく道が曲がっており「エビ」のようだと言うことで、付いた地名です。
昔は馬宿、旅籠、店が立ち並び、おおいに栄えた街だったらしい。


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三河海老駅のあったところです。
画像は北側(田口側)を見ています。
中央の「トラ柵」の先が鉄道跡です。
ここは大きな空き地になっています。
かつては車庫として、たくさんの電車が並んでいたそうです。
ちなみにバス時刻表をみると平日3本のみ(休日なし)でした。
どうも学生向けのダイヤのようです。
多分、ここから海老の県道まで出ればバスはもっとあると思います。

ここで今回使った自転車について。
私のブログで一番出てくるサイクリング車です。
リッチーのスイスクロスというシクロクロス競技用自転車です。
今回、舗装路重視でロード用車輪(舗装路用軽量タイヤ)に交換しようか悩みましたが
鉄道跡の未舗装区間も多いと考え、結局、オフロード用のタイヤで来ました。
これが、舗装路面の抵抗が大きく速度が上がらず辛かったですね。
反面、未舗装部分は安心して走れたのですが(でも未舗装区間はわずかなので)

さて、田口線廃線跡を本長篠駅から三河海老駅までたどってきました。
ここから終点の田口駅までは、その2に続きます。