11月23日は内田貝塚現地説明会に行って来ました。
場所は愛知県豊橋市牟呂町。
牟呂町の旧市街地は段丘上ですが段丘下にも住宅地が広がっています。
ただ、段丘下は江戸時代には干拓地、弥生時代、そして縄文時代は海岸線だったのだそうです。
その為、牟呂町の段丘沿いには多くの貝塚が残っており「牟呂貝塚群」(縄文時代中期から晩期)
として考古学に興味のある人には知られています。
(その他、周辺には縄文時代から現代に至る遺跡が数多くあります。・数多くあった)
今回は内田貝塚でも縄文時代の貝塚だけではなく弥生時代から現代に至るまで
連綿と人々の暮らしが営まれた遺跡です。

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今回の発掘調査範囲。段丘の斜面です。
撮影している部分は、住宅化にともない土が入れられ少々高くなっていますが、
かつてはもう少し低く海だったところでしょう。
段丘の上は一見のどかに見えますが、もう住宅地がせまってきています。

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段丘上から。
周辺に見える建物は縄文時代には海だった部分に建っていると思われます。
(豊橋市民病院などの方向、標高は多分、平均2~3m程度)
この辺りは豊川や柳生川の運んだ堆積物(土砂)で次第に浅くなり江戸時代には
干拓され農地になった場所でしょう。
近年までは田んぼがほとんどでした。

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説明会開始前から考古学ファンが集まってきています。

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縄文時代、弥生時代の土器から江戸時代の物まで発掘されています。

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弥生時代の細頸壺(ほそくびつぼ)
かつては細い首がついていたらしい。

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現地説明会がはじまりました。

奥に見える竹薮にも多分、遺跡が・・・
いずれ調査されるのでしょう。
(この辺りは土地区画整理事業の実施で、ずっと緊急発掘調査が行われています)

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説明会前に撮った画像。
弥生時代の大溝や祭祀遺構ではないかと思われる部分が発見された付近。

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一見、縄文時代の貝塚かと思ってしまいますが、
この辺りは中世から戦国時代、江戸時代の貝層なのだそうです。
(もちろん、南部の下層には縄文時代の貝層も広がっています)
今は三河湾から、いなくなってしまったハマグリがほとんど。
他の部分には鎌倉時代の厚く綺麗な貝層も見られました。

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段丘の上部近くで見つかっていた骨。
まだ詳細は不明。
気になるけど発見場所から時代は新しそう。

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今回の足。
BSモールトン遺跡散策仕様(笑)
雨も心配されたので合羽から折り畳み傘まで持参。

周辺は今後も発掘調査が続いていくはずので今後の成果が楽しみです。
(ただ、土地区画整理事業の実施で遺跡は記録と遺物を残して失われていくのが残念ですが)