今年元日から猿投山に登り広見林道に行きました。
今回(3月27日)は前回参加したK隊員に加え初めて広見林道を走る
A隊員、T隊員を含め(+私)4人で広見林道へ行ってきました。
今回(3月27日)は前回参加したK隊員に加え初めて広見林道を走る
A隊員、T隊員を含め(+私)4人で広見林道へ行ってきました。
まずは、やはり麓の猿投神社にお参り。
自転車で登れる最高標高点。
今回は山頂登山はないので、ここからも自転車で。
そして、いよいよ広見林道へ。
何度見ても凄い、土砂が流出し荒れ放題の道。
両側の土手の高さがもともとの林道のレベルではないでしょうか?
もちろん、自転車やモーターサイクルも土砂の流出の
原因かもしれませんが・・・
一番の原因はこの手の人たちでしょう。
今回は道だけではなく河原に下りてウィンチを使って道にあがるなど、
かなりの荒業も。
こういった楽しみ方を否定するわけではありませんが自然への
インパクトは強すぎるかと。
林道を楽しんだ後は歴史のお勉強?。
豊田市入水町に残る戦争遺跡。
これは名古屋海軍航空隊の地下戦闘指揮所壕跡なのだそうです。
画像左側(西側?)に2室、右側に1室あり。
西側2室、入り口の様子。
壁の穴は木材でも渡して屋根が付けられていたのか?
西側の内部。
2室とも、ほぼ同じ様子。
西側内部から外を見た様子。
丸い穴は何でしょう。
覆いでも付けてあったのか?
西側二室をつなぐ穴。
東側の入り口の様子。
東側の一室は狭く小さい。
戦争遺跡のあとは古墳見学、藤山一号墳。
石室内部の様子。
最後に寄ったのは縄文時代晩期の神郷下遺跡。
背後に猿投山が見えます。
なぜ、ここで縄文時代の遺物が出土したのか?
現在は水田に囲まれた公園になっていますが耕地整理の際に
遺物(石器、土器)が発見されたということですから、耕地整理以前(縄文時代)は
微高地で住みやすいところだったのかもしれません。