※今頃アップしていますが連休後半のご報告です。
連休明けから入院治療が(入退院を繰り返すらしい)また始まりました。その為、また、しばらくは遠出が出来そうにないので連休後半は思い切って奈良に行ってきたというわけです。
日本最大の前方後方墳、西山古墳を見学した後は、すぐ北側にある塚穴山古墳を見学しました。この古墳、とんでもなく立派な石室を持つ古墳でした。その石室の規模は明日香の石舞台古墳にも匹敵するのではないかと思われました。古墳に興味のある方はぜひ見学することをお勧めします。ただし、この古墳、「天理高校の敷地内にある為、事前に学校の許可を得ることが必要」です。
↑画像のように天井石は失われ石室が露出しています。この画像一枚からでも、この古墳の石室が、とても立派だということがお分かりになると思います。
↑西山古墳にあった説明版のアップ。西山古墳の周濠外堤に塚穴山古墳の外提が重なるように築造されています。墳丘径は約63m、周濠、外提を含むと直径112mにもなる大規模な古墳です。築造は6世紀末から7世紀初め頃と考えられています。
↑周濠内から見た墳丘。直径約65mほどの円墳とされていますがまた墳丘の上部もほとんど削り取られています。
↑とても大きな岩が組み合わされて作られており広く高い羨道になっています。
↑奥壁は巨石を2段に積み上げており玄室の高さは3.5mほどあったようです。画像左の側壁上部や天井石がすべて残っていたら・・・どんなにすごい石組の石室だったのでしょうか?
↑画像正面は6mほどの幅がある巨石が使われていました。「石舞台古墳に匹敵」が大袈裟過ぎない規模だと思うのですが・・・いかがでしょう?奥壁の岩がやや傾いていますが、これはもともとなのでしょうか?それとも天井石などが持ち去られたためにこのようになったのでしょうか?玄室床面には平らな石が轢かれて敷き詰められています。羨道床面は礫が敷き詰められていたようです。
↑石室長約17m、玄室長約7mあるそうです。石室の石組も気になりますが奥の方を見ると墳丘の北側が隣接するお寺の墓地となっていることが良くわかるかと思います。お墓の方にはフェンスが張られていますので入ることは出来ません。
↑改めて羨道入り口から。何度見ても、すごい石組、規模の石室ですね。
↑外提から古墳石室入り口方向を見たところ。古墳の上部が削平されていることが良くわかります。また周濠の幅が広い(周濠幅約15m)ことがお分かりになると思います。
↑弟子が見つけた埴輪片?この古墳の被葬者は西山古墳など周辺の古墳と同じく物部氏ゆかりの人物の墓ではないかという説もあります。
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