コルサの毎日がヒルクライム

2008年12月

21日はkokoさん主催のカフェポタに参加させていただきました。

カフェポタの様子は例によってkokoさんとデモ鳥さんのブログを見ていただくことにして(笑)、
ここではコルサの気になったマスプロメーカーの参加車輌を取上げてみます。




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今回は「くさやんさん」のツノダをご紹介します。
ほとんど走行の形跡もない良い状態です。



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このツノダ グランプリも、最近、くさやんさんが発掘してきた物。
サイクルショップの店主が、昔、乗っていたものらしい。



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資料をあたってみたところ、サイクルスポーツ誌1975年11月号に、そっくりな広告写真を発見。
現車と見比べてみても、そのものと言って間違いはなさそうです。

「ツノダ グランプリ 610RK」というモデルでした。

最近交換したタイヤ以外、完全オリジナルと言えそうです。
あえて違いを探してもペダルの形、WLの黒キャップ程度でしょうか。
ペダルもクイルとピスト?タイプの違いで時代的にはあっています。
ペダルはメーカーでの組み付け時からのものかもしれません。
WLはWL自体は同じ物でキャップが付いているかどうかの違いのように見えます。
ポンプの位置は単に取付位置の違いですね。

チェンホイールにスギノ マキシィⅡ、他はシマノ系でまとめられています。
前後変速機はシマノ600セット、ブレーキ本体はシマノ カンティ、
ブレーキレバーもシマノ製です。
リムはアラヤの26-1・8/3軽合でした。



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サドルは、見慣れない物が使われていました。
「Great」「プロフェッショナル」「171GP」の文字が読み取れます。
これは「太陽」というメーカーの製品でプロフェッショナルは「ナイロンベース革張り」と
当時のサイスポカタログに書いてあったような記憶があります。
太陽は、ほとんど知られていませんが他に革張りでサイドの下部に穴のあいた
ブルックス ナロウB-15ふうの製品もありました。



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最初のフレームデカールからハイテンションスチールが使われていた事がわかります。
バテットチューブという文字も見えますね。
2枚目の画像の「27」は何を表しているのでしょう?ホイールサイズは「26」ですし(笑)



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泥除けステイを工具なしで簡単にはずせる工夫がされています。
画像の板状のレバーを操作すれば工具なしで泥除けステーがはずせます。

このグランプリの輪行形式はFフォークを抜くのではなく車輪、泥除けをはずし、
キャリアを折畳むという形式をとっています。

当時は輪行車というジャンルが流行しており、この自転車も
「脱着5分 12.5kgのランドナー」というコピーが前述の広告にも使われています。
(サイスポ75年11月号には特集記事で輪行車、12車種が紹介されています)



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泥除けにもメーカーのツノダのデカールがあり泥除けもオリジナルである事がわかります。


この「ツノダ グランプリ610RK」は1975年前後の完成車ですが、
改造されている点も見受けられず非常に貴重な自転車だという事がわかりました。

幸い、くさやんさんも、たいへん気に入っておられるようなので、この状態をこれからも
保って動態保存されていくでしょう。

(次回は、まはろみつるさんのミヤタ ジュネス1976年前後?を予定しています)

今日は、もう12月20日、浮世離れ?した生活をしているコルサでも多少、
気ぜわしく感じる時期になってきました。

しかし、今日は天気も良く風もあまりない。
(渥美半島は通常、冬季は北西からの強風に悩まされる)
「これは、絶好のサイクリング日和」ということで、雑事に目をつぶり、
とりあえず走りに行くことにします(笑)

今日も準?、地元の伊良湖岬方面(田原市 渥美半島)に向かいます。



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ここは渥美半島 伊良湖岬に近い初立池公園

なんと言うことはない溜め池ですが、この池の存在が渥美半島の農業を支えてます。
(最初の計画では農業用水に限定されていたが、のちに総合水利事業となった)
もともと、渥美半島は池や川が少なく水不足に悩まされていたそうです。
それが昭和48年、豊川用水(国営事業)が完成し干害による被害も解消され
大規模農業地帯として発展しました。
この初立池は、その豊川用水の最終貯水池なのです。



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そして今回、一番の目的地である伊良湖神社
800年代に創建されたと伝えられています。
(創建には848年説または875年説がある)
参道を歩いていくと左に曲がり、階段になっています。
拝殿は登った所を更に左に曲がります。

画像に見える小さな建物は何でしょうか?



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のぞいてみると、なんと、お馬さんがいました!
ずいぶんリアル、立派で驚きました(全身像)。



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そして伊良湖神社です。
このあたり(現在の渥美半島)は、かつて「伊勢神宮領伊良湖御厨」であったことから、
当然、伊勢神宮と深い関わりがあったそうです。

この鳥居の形式は「神明鳥居」でしたっけ?

古くからの歴史もあり伊勢神宮との関わりもあったということで「伊良湖神社」
小さいながらも、さすがに立地も考えられ趣きもあるところだと感心しましたが・・・・
よくよく調べてみたら明治時代に「伊良湖試砲場」が出来た際、伊勢湾が一望できる
「宮山」から移転したのが今の場所ということで、がっかり(笑)
だって、1200年近くも、ここにずっとあったのかと思い込んでいましたから。
もちろん建物は建て替えられているとしても場所は昔のままだと思っていました(笑) 
(伊良湖試砲場の様子が見渡せるということで移転を軍から強要されたのでしょうか)

現在の場所は「宮山」のふもとにあたります。山頂に登れば明治時代までの社の
痕跡があるのでしょうか?
これも一度調べてみないといけませんね。



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さて伊良湖港が見えるところに出て休憩。
今日は本当に天気が良く風もほとんどありません。とても12月後半とは思えません。
ちょうど、鳥羽からの伊勢湾フェリーが入港して来ました。



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今度は知多半島 師崎(もろざき)からの名鉄フェリーもきました。
伊勢湾フェリーよりも小型のフェリーです。
このフェリーで知多半島に渡ってサイクリングに行きたいなぁ(笑)
コルサは知多半島を走った事がないのです。



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次に以前も訪ねた岬一号遺跡(製塩遺跡)に立ち寄ります。
前回はレーサーシューズで歩けなかったのですが今回は歩けるMTBシューズです。
松林の中に入って製塩土器の破片を探してみますが結局、覆土が思いのほか、
あつく何も見つけることは出来ませんでした。
このあたりの松林は、ほとんど「松枯れ」状態で胸が痛みます。



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伊川津町周辺で青山貝塚(古墳時代のものらしい)の手がかりを探しますが
何も見つかりませんでした。

伊川津から西の福江湾を望みます。
湾の内部とはいえ今日は湖のように穏やかです。

下の画像に見えるのは渥美火力発電所の煙突です。

コルサは以前、この辺りからカヌーで発電所の辺りまで往復したりしていました。
その頃、何度も海に出ましたが、こんなに穏やかな海面は記憶にありません。



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宇津江地区から東の野田地区に向けて非常にマイナーな小さな峠を越えます。

現在は国道259号線がありますから地元の人も、ほとんど通りませんが
地形的にみて車社会以前は十分機能していた道かもしれません。
もしかしたら縄文時代が起源の道かもしれません(笑)



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最後に立ち寄ったのは「芦ヶ池」、サンテパルクといったほうがピンと来る方が多いかもしれません。
対岸に見えるのがサンテパルクという施設です。

芦ヶ池は人口の溜め池で、かつては池はなく低湿地が広がっていて弥生時代から
稲作が行われていたようです。
画面の右寄りのあたりは「山崎遺跡」といい、古墳時代から奈良時代の遺跡と言われています。
発掘調査では大量の須恵器、土師器、木製品(建築材、祭祀具、農耕具、弓、馬具など)などが
発見されています。

画面の外、更に右側には小山があり山中には向山古墳群(22基程度)があるそうです。

現在は水田、畑などが広がっていますが、かつては渥美半島で最も繁栄していた地区で
あったと推定されているようです。
(古墳時代から奈良時代あたりが最も栄えたといわれています)



さて、2008年もあとわずか。
年間走行目標まで、まだ少し距離を残しています。
目標を達成できるでしょうか??

改めて私が述べるまでもなく、デュラエースといえば世界中のレースで活躍する部品になっています。

ところで、皆さんは「初代デュラエース」についてご存知でしょうか?
今回は初期のデュラエースの中でもブレーキ部品に付いてレポートさせていただきます。

思いつくまま、あまりきちんと整理も出来ずに書いてしまいましたので
たいへん読みにくいかもしれませんが御容赦を。
(※もし、私のかん違い、間違いなどに、お気付きの方は、ご指摘いただければ幸いです)



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これが初代デュラエースとして一般的に認知されているブレーキ本体です。
(Model BA-100)
1973年後半、販売開始といわれるサイドプルブレーキです。

画像のサンプルでは失われていますが本来、クイックレリーズレバーの先端に
黒いビニールのキャップが付いていました。

ちなみに、この頃のメーカー表記は「デュラエース」ではなく「ジュラエース」でした。



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さて最初に一般的に「初代ジュラ」と呼ばれるブレーキ本体の画像をアップしましたが、
73年販売のサイドプル以前にジュラエースにはセンタープル式ブレーキ本体が存在していました。
(上記画像は1973年8月号のサイスポの広告)

コルサは高校生の頃、買った古本のサイクルスポーツ誌の、
この広告でジュラ センタープルブレーキを知りました。
しかし、その後、25年くらいの間に、現物は、おろか別の写真一枚すら
見かけることはありませんでした。

それで、「ジュラCPは実際には販売されなかったのでは?」とまで思っていたのです。

そして、数年前、某サイクルショップの社長に聞いてみたところ、
「ジュラのセンタープルは実際にあった。オレは何個か売ったぞ」という返事でした。

そうなると実物を、ぜひ見てみたいものですが、なかなか画像すら見つけることは出来ませんでした。

ところが、先日、やっとネットオークションに出品されているのを見つける事が出来ました。
「やはり、市販されていたのか、これは、どうしても落札しなければ」(笑)と
思っていましたが、間抜けにも終了時間を逃し入手できず(泣)


そして今回、「くさやんさん」が県内のショップで発見し、それを譲っていただく事が出来ました。



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これがジュラエースのセンタープル式ブレーキ本体です。
ちゃんと「DURA-ACE」の文字が入っています。

残念ながらブレーキシュー、ゴムは失われていました。
全体的な作りは、それほど良い物ではありません。

アルミ部分の質感、加工精度からみてもサイドプル(Model BA-100)にはかないません。



しかし、実は今回の表題「幻のデュラエース」は、このセンタープルブレーキを
指しているのではありません。

まあ、実物を見るのに30年近くかかったというのですから
このセンタープル式ジュラエースも十分「幻」と呼ぶ資格?はありますが・・・


それでは、コルサにとって、なにが? 「幻のデュラエース」 かと言いますと
下の画像のブレーキレバーがそれなんです。



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一見、どこにでもありそうなダイアコンペのように見える、このレバーなんですが・・・・
(けっしてダイアコンペをけなしているわけではありませんよ)



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一見、ダイアコンペかと思うブレーキレバーが実はシマノ製で
良く見ると、「ジュラエース」の刻印があったのです。
(実際、このデザインのシマノは、結構存在しているのですが)

2枚目の画像(1973年8月号のサイスポの広告)ではブレーキ本体の写真は、
ありますがブレーキレバーの写真はありません。

その為、コルサはずっと、センタープルの本体にセットになるブレーキレバーが
あったとは思ってもみなかったのです。

考えてみれば本体があればレバーもあるのは当然なのですが本体すら前述のように不鮮明な
写真一枚しか見た事がないのですから、とても、そこまで考えが及びませんでした



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このレバーは少々、特徴があります。
画像のように、
インナーワイヤーのニップルを受けるところの形状が普通の物(ダイアコンペ系など)と少し違います。
その為でしょうか、フーデット部にプレスのスリットが入り支点(赤い部分)の位置が少し違います。



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分解してみると、このような部品から成り立っています。

早速、似たような部品がなかったか古い雑誌、カタログを探してみたのですが見つかりません。
(これが、シマノのターニーなどのレバーと共通の物なのかコルサには情報がないので)

ポイントは本体にあるプレスのスリットですね。



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時代はまったく違う物なのですが・・・・

何気なく1980年に発行されたサイスポ別冊「オールカタログ80/81」を
見ていると、そっくりなレバーが出ているではありませんか!

フーデット部にある
①プレスのスリット、
②ダイアコンペなどに比べて少しずれたところにある支点のボルト、
③レバー全体の形状、
④レバーに付けられた滑り止め?の模様などの特徴は、そっくりです。

なになに、どんなグレードかとみてみるとシマノ BL-HD30、1500円とあります。
これと似ていると言うことは、今回発見したジュラブレーキレバーのベースも
高価なグレードの物ではなさそうです(というか安い)。



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そして、もうひとつ、自宅の未整理部品が入ったダンボール箱を探してみると・・・

これまでダイアコンペだと思っていたブレーキレバーが実はシマノ製であり、
その基本構造は「幻」のジュラエース、ブレーキレバーと
一緒のものでした。
画像右側がジュラエース刻印のある物、左側がシマノ刻印のレバーです(ジュラ刻印はない)

ただし、なぜかレバー部は直線的な形状の見かけないものでした。
このレバーはレバー形状という面では、またレアな物かも(笑)


さて、今までの資料を踏まえて、このジュラエースのレバーとセンタープル本体は、
どのような物だったのか考えてみましょう。



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上記(最初から2枚目の画像)のサイスポ広告は73年月8号のものだと書きました。

ところが翌月の73年9月号にシマノの広告は載っていません。

サイスポにおいて「旧」広告が掲載されたのは73年8月が最後で、
そして一月空いた73年10月号には上記のようなカラー広告がサイスポに載っています。

このカラー広告には、いわゆる初代ジュラエースとして知られる部品が出揃っています。



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先の73年8月号の「旧」広告をアップにして見直してみると

①チェンホイールは、初代デュラエースです。

②ブレーキは、今回取上げたセンタープル式で、ジュラエースの刻印が入っています。

③フランジ形状の違いなどからわかるようにハブは明らかにジュラエースの物ではありません。

④バーコンについては詳細は判りませんが・・・

⑤RDは写真が不鮮明でわかりにくいのですがクレーンかタイトリストでしょう。

 初代ジュラ コンポに組み込まれるクレーンRDは当時、既に販売されていました。
 広告のモデルはワイドキャパシティの「GS」タイプです。
 よく見るとRDはワイヤーアジャストの付く2NDモデルのようです。
(カラー広告のRDは、なぜかアジャストのない1stモデルですが)

⑥FDはタイトリストのようでジュラではありません。


「シマノが誇る最高級シリーズ」とうたい、このような広告を載せていた裏で
 シマノは着々とジュラエース コンポーネントの開発をしていたのですね。

ジュラエースセンタープルは、その作りから見て当時の「ターニー」というグレードの
部品にジュラの名前を入れただけの試作に近い部品だったのではないでしょうか?
(そのせいか、販売点数も少なく見かけることもほとんどなかったのではないでしょうか?)
ターニーのサンプルがなくて画像で比較できませんが
作り、ボルトの形状等もそっくりに見えました。



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上記の画像は前述のネットオークションの出品画像です。
(貴重な資料画像として借用しています。問題があれば、ご連絡ください。削除します)
入手した部品にはありませんでしたが上記の画像には当時のシマノがターニーなど
センタープルブレーキ群に使用していた「シェブロンシュー」がしっかり写っています。
(73ジュラ サイドプルでは、このパターンのゴムは採用されませんでした)。





ターニーは、当時のごく一般的なグレードのスポーツ車用部品でした。
残念ながらターニーのブレーキレバーは実物も画像もありません。
手持ちのシマノのレバーがターニークラスのものなのか、不明ですから断言は出来ませんが、
ジュラ センタープル用のジュラ レバーも「ターニー」の流用だった事が考えられます。

先に書いたサイスポのオールカタログに、そっくりな廉価版レバーがあったのも、
そのあたりの関連かもしれません(ターニーが廉価版クラスだった為)。


余談になりますが・・・
今回のサンプルのCP本体やレバーのシマノのロゴは73年以降の初代ジュラエースブレーキに
使われているシマノロゴとは違いがあります。

旧ロゴはSHIMANOの文字が全部大文字ですが新ロゴは「m」と「n」がなぜか小文字になります。

その他にも「H」の横棒が新しいものは低い位置にありますしAの形も新しい物は上部が丸っこく
幅広くなるなどの違いがあります。

ただ、新旧レバーの「DURA-ACE」の文字は、まったく一緒の刻印のように見えます。
刻印の型は同じ物を使用しているのかも知れません。



さて、ここまでジュラエース センタープルについて思いつくまま書いてきました。

改めて考えてみると初代デュラエース コンポーネントと呼ばれる部品の中で
(上記のカラー広告のコンポーネントを初代ジュラエースとする)
今回、ご紹介したセンタープル ブレーキ本体及びブレーキレバーはフライング?して
誕生し、いざ、コンポーネントとして発表された時は、コンポから
はずされているという不遇の部品でした。
他のデュラエース部品には、このような例はなかったと思います。
シマノの中でも、いろいろな事情があったのだろうと推測されます。

このあたりの事情に付いてご存知の方がお見えになりましたら、
ぜひ、コメントいただきたいと思います。

今回、ご紹介する画像は
豊橋競輪のポスターなんですが、映画のパロディで、これが結構、笑えます。
(モデルには知り合いらしき顔も・・・・)


この画像は、もともとポスターですし、HPで
壁紙として配布しているものですから、ここで記事にアップしても問題ないですよね。
(※もし問題等ございましたら、ご連絡ください)




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打鐘は競輪場にある鐘のことで通称「ジャン」といいます。



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よーく見てくださいね。「ロードの休日」ではありません。「ロードの体質」ですよ(笑)



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「風と共に走りぬ」って(笑)  
 セピア色の仕上げも秀逸。



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「男は辛いよ」のパロディ。
「自力」の字体も「男」に似せて書かれています。

ポスターの中の「豊橋東田」は豊橋競輪場の所在地、朝倉川は競輪場の北側を流れる川です。

「斡旋より愛を込めて」の「斡旋」とは競輪選手を競輪場のレースに配分するシステムのことです。
レース中の違反で違反点数がたまってしまうと
斡旋停止といってレース(大事な、お仕事)が出来なくなる事があります。



このほかにも、なかなかの作品がアップされています。
あなたもパソコンの壁紙にいかがですか?

豊橋競輪HP壁紙
http://www.keirin.toyohashi.aichi.jp/makuru/wallpaper3.html


この間、競輪場のすぐ近くにあるコンビニによったところ、
最新作のポスターが貼られていました。

その題名は映画「シェーン」をもじった「チェーン」ですって(爆)

一度、このポスターを作っている人たちにあってみたいものです。

(皆さん、豊橋競輪の売上げにご協力を 笑)

先日、パールステムを紹介したところ、green alps545さんから、
下記の様な質問コメントをいただきました。

せっかくですから、関連ネタをアップさせていただくことにしました(笑)
(green alps545さん、勝手に引用して失礼)


下記はgreen alps545さんからいただいたコメントです。

パールデラックスのケーブルを貫通させる大穴、あれって後から削るのでしょうか?
それとも始めからあの形に作るのでしょうか?
実は手持ちのパール80mmに穴を開けたくて仕方がありません(でも強度がどうなる?少し恐ろしい気持ちがあって踏み切れません)。


それでは、
早速、ノーマルのパールステムを、よーく見てみます。

ノーマル、パールの突き出し部は中空ではないことを、まずは確認。





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そして、今度は肉抜きされたパールデラックスを、よーく見てみます。
ステム上部は比較的綺麗に整形されていますがほとんど目に付かない下側は若干、
雑に加工されています。
穴の内部を見るとエンドミル(フライス盤)で後加工されているようです。


考えてみれば肉抜き用にわざわざ、新しいステム本体を用意するとは思えませんので
やはり、ノーマルステムに後で機械加工して、この穴を開けたと思って間違いないと思います。

以上からコルサ個人的な意見としては当然、強度は落ちるでしょうが画像のパールデラックスと
同等程度の穴明けなら最低限の強度は保たれると思います。
もちろん、自己責任で慎重に作業を進めてくださいね。


さて、今回はgreen alps545さんから肉抜き(穴明け加工)について、
コメントをいただきましたので
今まで、コルサが穴明け加工や切削した部品で、すぐに見つかった物を何点かアップしてみました。



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パールステムの話に関連して、まずはステムネタ。
これはコルサの加工ではありませんねぇ、
そう、友人の大熊猫さんが25年ぐらい前に加工したもの。

多分、フランスのアタックスのステムを肉抜きしまくったものだったと思います。
それにしても、ちょっと、やりすぎでしょう(笑)
それでも、これ一時、完成車についていたのを見かけた記憶があります。
ハンドルの両端を持って少しこじるとグラグラ、たわんでいました(笑)

その後、ショップに打ち捨てられていたのをコルサが保護して磨き上げ
20年ほど保管していました。
使うに使えないし、捨てるに捨てられなくなってしまって・・・
どなたか、いりませんか?



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肉抜きと言えば、やっぱりギヤ板でしょう。
これはデュラエースに新型、EXタイプが出てギヤ板を交換、あまったこの旧型に穴明けを施したもの。

これはコルサが高校生の時、ハンドドリルで穴あけしました。
今考えれば、ささやかな穴明けですが切れない歯先のハンドドリルでは、
ここまでやるだけでも大汗をかきました。



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同じく初代デュラエース ギヤ板。
これは就職して、あまり自転車に乗れなくなって、そのストレス解消?に作ったもの。

軽量化というよりも、いくつ穴をあけられるかといった作品(笑)
結局、歯先にまで穴を明けまくって合計173ヶ所に穴をあけました。
その後、ピカールで磨いてます。



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これは、大学生時代にデュラエースのクランクを削った物。
完成車に付いていたクランクが165ミリで170ミリに変えたため、
165ミリのクランクを加工しました。
今、考えると、ほんともったいない。

クランクのアームに大胆に肉抜き穴を開けていますが、とにかく溝がわからなくなるまで
薄く削ったクランクに注目。

これは一時、ロードに付けて使っていましたがダンシングは怖くてとても出来ませんでした。
この加工には、当時、ヤスリしかなく、せっせと手加工しました。
クランク(ましてデュラエース)は、ご存知のように非常に固く、とんでもなく
時間がかかりました。
とにかく時間はあるが金はない学生時代だから出来た物。
もっとも、もっと有意義な時間の使い方があったはずだが・・・
これもピカール仕上げの後、クリア塗装済み。



良い子のみんなはマネしないでね

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