今日は天狗党の仲間達とサイクリングに行ってきました。
メンバーは豊橋市役所近くのK林君の店の駐車場からスタートしますが
先週のサイクリングで脚を痛めたコルサは大事をとって途中から合流することにまします。
(距離を短くする為)
先週のサイクリングで脚を痛めたコルサは大事をとって途中から合流することにまします。
(距離を短くする為)
豊橋市の南東、二川付近で無事?合流。
一路、東へ向かって進みます。
追い風の、おかげで調子は良いのですが帰りの向かい風が怖い(笑)
一路、東へ向かって進みます。
追い風の、おかげで調子は良いのですが帰りの向かい風が怖い(笑)
今日の予定は浜松の西側にある浜名湖南側の、舞阪の人気店で昼食を食べることです。
追い風のおかげかペースも速く、昼食には、まだ少し早いので途中、
湖西市鷲津の本興寺に立ち寄ります。
この本堂は国指定の重要文化財で16世紀半ばの建立だそうです。
屋根が萱葺きなのが変わっていますね。
屋根が萱葺きなのが変わっていますね。
例によって食事の写真は取り忘れ(笑)
画像は舞阪漁港にて。
背景、左側が本日の目的地、食事処「魚あら」さん。
ちなみに、このあたりが江戸時代の東海道「今切れの渡し」(今切渡船)の
舞阪側(東側)の船着場であったらしい。
その為、近所には「渡荷場跡」(とうかば)などの説明版があります。
(渡荷場とは輸送用荷物の積み下ろしをした場所)
舞阪側(東側)の船着場であったらしい。
その為、近所には「渡荷場跡」(とうかば)などの説明版があります。
(渡荷場とは輸送用荷物の積み下ろしをした場所)
東海道「舞阪の宿」にある、「脇本陣 茗荷屋」(みょうがや)
この建物は古い材木をいかして1997年に改修復元されたもの。
内部は公開されていて(無料)説明をしてくださる方もいます。
内部は公開されていて(無料)説明をしてくださる方もいます。
中に入ると、こんな感じです。
先の画像の通り、間口は狭いのですが奥行きはかなりあります。
出入り口から、奥の「上段の間」をながめています。
どんどん、奥に行って、ここが「お殿様」の座布団。
(先の画像の奥側から見たところ)
ここには、現代でも我々、下々の者は座らせてはもらえませんでした(笑)
浜名湖 弁天島にて。
浜名湖の干潟に立つ大鳥居をバックに。
後ろを横切るのは旧浜名バイパス。(国道一号線)
このあと弁天島から「新居の宿」を通り、豊橋を目指します。
ちなみに先ほど書いた舞阪の船着場から出た今切渡船は現在の新居関所の
すぐ東側に着いたそうです。
現在では新居関所から浜名湖までは少々、距離がありますが長い間に少しずつ
埋め立てられたのでしょうね。
ちなみに先ほど書いた舞阪の船着場から出た今切渡船は現在の新居関所の
すぐ東側に着いたそうです。
現在では新居関所から浜名湖までは少々、距離がありますが長い間に少しずつ
埋め立てられたのでしょうね。
今日は浜名湖でサイクリングイベントがあったので、新居周辺では多くのサイクリストと
すれ違いました。
すれ違いました。
そして、新居から旧東海道(旧浜名街道)を通り、ついたのが旧東海道「白須賀宿」
画像は白須賀宿の元町地区。
もともとは、この元町地区が宿場だったそうですが1707年の地震と津波で壊滅的な
打撃を受け移転したのだそうです。
この場所には大正13年の道標があり「右旧道 左新道」の文字があります。
「左新道」は浜名バイパスが無料化される以前のメイン道路だった旧国道一号線になります。
大正時代頃までは江戸時代からの旧東海道が使われていて大正時代に昭和の国道一号線と
ほぼ同じ位置に新道が作られたのでしょう。
我々は、もちろん?旧道(旧東海道)を行きますが、
それにしても、みんなの視線は何を見ているのでしょう・・・・・。
それにしても、みんなの視線は何を見ているのでしょう・・・・・。
そう、みんなの視線は、この急坂を見ていたのですね。
これが旧東海道の難所のひとつ、「潮見坂」です。
この坂、たいした長さはないと思っていたのですが意外に距離があって(笑)
潮見坂を登りきると、こんな素晴らしい景色が。
もちろん、見えるのは太平洋(遠州灘)、旧国道一号線。
かつては国道一号線として交通量の多かった場所ですが、先にも書いたとおり浜名バイパスが
無料となり国道一号線のメインとなった今は、ほとんど車が写っていません。
この潮見坂は国道一号線時代の難所であり、また長距離トラックドライバー相手の食堂が
立ち並んでいましたが最近は寂しくなってしまったようです。
立ち並んでいましたが最近は寂しくなってしまったようです。
また遠州灘を眼下に、遠く富士山も望む事が出来た、このあたりは、いにしえからの
名勝地であったらしく鎌倉公方 足利義教も、この地で休憩し歌会を開き
自ら歌を詠んだといいます。
そのほか明治天皇行幸の碑なども立っています。
名勝地であったらしく鎌倉公方 足利義教も、この地で休憩し歌会を開き
自ら歌を詠んだといいます。
そのほか明治天皇行幸の碑なども立っています。
1707年の津波と地震の後に移転することになった白須賀宿は、潮見坂の上の、
この場所から少し西側に開かれました。
この場所から少し西側に開かれました。
さて、白須賀宿から次の宿は二川宿です。
二川宿には馬場本陣が改修復元工事を受け一般公開されています。
今回、我々は本陣には立ち寄らず、本陣からすぐ近くにある
和菓子屋の中原屋さんに直行(笑)
麩饅頭(ふまんじゅう)等を買い求めました。
和菓子屋の中原屋さんに直行(笑)
麩饅頭(ふまんじゅう)等を買い求めました。
さて、コルサは二川宿の近くに車を置いていますので、この先で皆と別れます。
今日の復路は 舞阪宿~新居宿~白須賀宿~二川宿 と旧東海道の宿場を通ってきました。
比較的、地元でありながら若い頃は国道一号線などを通るばかりで(車も自転車も)、
ほとんど通ったことがないところでした。
比較的、地元でありながら若い頃は国道一号線などを通るばかりで(車も自転車も)、
ほとんど通ったことがないところでした。
みんなと、ゆっくり走って、ゆっくり食事して地元を再発見、
今では、こういったサイクリングがいいなぁ。
今では、こういったサイクリングがいいなぁ。
ちょっと前までは、みんなと走るといったら、
アタックの掛け合い、千切り合いだったもんなぁ(笑)
アタックの掛け合い、千切り合いだったもんなぁ(笑)