29日は作手村の山間部を走りに行ってきました。
作手村は愛知県新城市にある村で国道301号線が通る中心部は
標高4~500mほどにあり作手高原と呼ばれることもあります。
標高4~500mほどにあり作手高原と呼ばれることもあります。
今回は国道301号線にある道の駅「作手手作り村」の南側に車を置き
作手村の東南部から東北部にかけて走ってきました。
作手村の東南部から東北部にかけて走ってきました。
目的は山間部にある小さいけど歴史のありそうな集落を回り、
その昔「古道はどこを通っていたのか」思いを馳せることです(笑)
その昔「古道はどこを通っていたのか」思いを馳せることです(笑)
作手村相寺地区の白鳥神社に有った狛犬?
面白い形の狛犬です。特に正面からの表情は、いい味出しています(笑)
前足の間に何か文字が彫られていますが
年号などは残念ながら読み取れませんでした。
相寺地区の集落から北に抜ける小道に交差していた古道と思われる道と祠。
位置から見て新城市と豊田市、岡崎市を結ぶ古道の一つだった可能性もあるのでは。
まわりの石仏には「宝暦」(江戸時代)の年号を確認しました。
鴨ヶ谷地区に出て甘泉寺に立ち寄ることにします。
甘泉寺の参道には大杉が何本もたっています。
大杉が先なのか?参道が先なのか?(笑)
甘泉寺の境内には「コウヤマキ」の巨木があります。
地形図にもコウヤマキと書かれていて、ずっと気になっていましたが、
やっと訪ねる事が出来ました。
樹齢推定600年、樹高27mだそうです。
そして、甘泉寺に立ち寄ったもう一つの目的。
ここには長篠の戦(1575)での活躍が有名な鳥居強右衛門の墓碑があります。
鳥居強右衛門の墓は磔(はりつけ)にされた長篠城近くの寺にもありますが、
ここ甘泉寺には織田信長の命によって葬られたといわれています。
ここ甘泉寺には織田信長の命によって葬られたといわれています。
甘泉寺から東の山を越えて「大和田集落」を目指すことにします。
ここからは峠を越えなければなりません。
今日、幾つ目の峠になるでしょうか?(笑)
峠を越えたところから途中、林道 寺海津線に入って休憩(昼食)することにします。
大和田の集落です。
今回訪ねた山間の集落では、かなり大きな方の集落になります。
それでも20~30戸ほどでしょうか?
山間部の集落でこんな車を発見しました。
VW タイプ34 カルマンギアでしたっけ?
ナンバープレートに「1965」年とあるのは車輌年式で間違いないでしょう。
こんな山の中に熱心な愛好家がいたのでしょう。
でも、かえりみられなくなって長い年月がたっているようです・・・・
大和田の集落です。
今回訪ねた山間の集落では、かなり大きな方の集落になります。
それでも20~30戸ほどでしょうか?
山間部の集落でこんな車を発見しました。
VW タイプ34 カルマンギアでしたっけ?
ナンバープレートに「1965」年とあるのは車輌年式で間違いないでしょう。
こんな山の中に熱心な愛好家がいたのでしょう。
でも、かえりみられなくなって長い年月がたっているようです・・・・
いくつかの峠を越えて作手村の中心(国道301号線)に向かいます。
すると途中に「亀山城跡」の案内板がありましたので立ち寄っていくことにします。
国道301号線側から見た「亀山城跡」
本丸から作手村を見たところ。
村内には中世、40ほどの城館が作られたといわれています。
(わずかな範囲の土地にこれだけの城郭が作られたのは全国的に見ても珍しいとの事)
この作手の地が武田、徳川ら戦国武将にとって、
いかに重要視されていた土地であるかがわかります。
この画像で右手奥は豊田市、尾張方面に、左手に向かえば新城市(長篠城)から
遠州方面に至ります。
正面の山の方向には岡崎市につながるルートがありました。
そして背後の険しい山間部を越えていけば信州に至る道になります。
(これだけでも交通の要衝であり重要な場所だった事がわかります)
二の丸側から本丸側を見たところ
いかに重要視されていた土地であるかがわかります。
遠州方面に至ります。
正面の山の方向には岡崎市につながるルートがありました。
そして背後の険しい山間部を越えていけば信州に至る道になります。
(これだけでも交通の要衝であり重要な場所だった事がわかります)
二の丸側から本丸側を見たところ
中世の城館の為、石垣などは有りませんが曲輪、土塁、空濠などの
痕跡を良くとどめています。
画像の右が二の丸、左側が本丸側の土塁。
国道301号線脇の畑でこんな物を見つけました。
これは何でしょうか?お判りになりますか?
小さな方の札には「粘土」大きな方の札には「姶良Tn火山灰」と書かれています。
残念ながら説明板は傷んでしまい、ほとんど読み取れませんでしたが・・・。
そして有名な桜島のある鹿児島湾は火山活動に伴って形成されたカルデラで
「姶良カルデラ」と呼ばれています。
「姶良Tn火山灰」は「姶良カルデラ」が形成された頃の大噴火で噴出した
火山灰のことなのです。
「桜島の火山灰が中部地方で見つかるの?」と思われるかもしれません。
私も詳しくは知りませんので、この火山灰が、どこまでの範囲で見つかるのかは
わかりませんが関東地方でも良く確認されているようです。
(すごい噴火だったんですね)
そうすると、この「姶良Tn火山灰」より下にある地層はそれより古く、
上にある地層は、それより新しいと判断できるわけなんですね。
そういったことから考古学で遺跡、遺物の時代を特定するのに利用されるのです。
距離こそ50キロ前後で、たいしたことはなかったのですが小さな峠まで含めると
約10個ほど越えたでしょうか。
いずれも標高差は50~200以下で、それ自体は、たいしたことではないように
思えるのですが山間部の町道、林道ばかりですから傾斜が無茶苦茶なところがたくさんあります。
間違いなく20%を越えると思われる所も一ヶ所や二ヶ所ではありません。
幸い、今日は全行程舗装だったので多少は救われましたが。
それに、このあたりの山間部は平坦区間がほとんどなく
登りか下りのどちらかなんですね(作手村の中心部は除く)。
そういったことから今回のタイトルは「2分の1はヒルクライム」としました、お粗末(爆)
登りか下りのどちらかなんですね(作手村の中心部は除く)。
そういったことから今回のタイトルは「2分の1はヒルクライム」としました、お粗末(爆)