コルサの毎日がヒルクライム

2009年10月

片倉シルクの古いピスト(木リム付き)について、ご紹介しています。

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この片倉シルクに付いて、どんな情報でも結構です。
ご教授、コメント、 ご感想いただければ嬉しく思います

その1→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/33634928.html

今回は、少し手抜きで、部品のほんの一部分のみを取上げます(笑)



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まずはヘッド小物です。
刻印などはなくメーカーなどは不明です。

そういえば前回の記事で触れるのを忘れてしまいましたがフロントフォークの件。
もちろん、丸フォーク、二段型のフロントフォークです。
よくシルクらしいと言われますが、ピストに丸フォークはシルクに限らず
よく使われています。
競輪場での走行では一般道路での走行と違ってフレームにも
複雑な力が働き(傾斜のせいもあり)縦(前後)だけでなく横剛性も求められるからだと
聞いた事があります。

今更なんですが2段肩って、どうやって作るのでしょうか?
上と下の板があってパイプを通してロウ付けして構成するのでしょうか?
(上の板には中央に穴を一つあけて下の板には穴を三つあけて。そういう部品が売られていたのか)
だとしたら出来合いの他のクラウンより、2段肩って工作が面倒くさそうなんですけど(笑)



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見る限り上下のワンは共通の物だと思われます(バラしていないので確証はありませんが)



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上側のワンに、かぶさるようには作られていないので隙間から簡単に
雨、ホコリが内部に入ってしまうでしょう。

一番上の八角のナット、そのすぐ下のスペーサは軽合金製です。
この時代から考えるとオールスチール製ではないということは
競技用の特殊(高級?)なヘッドパーツだったのかもしれません。



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シートピラー(今回ご紹介のフレームの物ではなく別の車体にセットされた同型の物の画像)
いわゆる一本ピラーですが・・・
上部に穴が空いていない、上部の外周部の面取り加工、径が違う部分の仕上げなどを見ると
プレス製ではなくアルミ棒から切削加工によって作られた物のように思います。


続く(次回は、どの部品にしましょうか)

さて前回、画像をアップした古いピストの各部を順にご紹介していきます。




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フレームのブランドは「ちゃぼさん」に、ずばり、ご指摘いただいたとおりのシルクです。
さすが、ちゃぼさん!

ブランド名をシルクと明かしましたので
タイトルを「古典ピスト シルク その○」に変えました。


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では、今回はフレーム各部を確認していきましょう。



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まずはヘッドマーク。
いわゆるバッジ式で左右のリベットで固定されています。



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ダウンチューブには黄色のラインをベースに「Speed master」の文字があります。



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シートチューブ中央のマークです。
画像のシートチューブ上側に薄い文字で「東京」
その下に「片倉」と漢字で入っています。

その下には逆三角形の、あまり見かけないマークが書かれています。
中には「Silk」の文字も確認できます。
その下の模様は何なのでしょうか?

この「東京」「片倉」「逆三角形」のマークはいつ頃の時代のものなのでしょうか?
ご存知の方はぜひ、ご教授ください。その他の情報もお待ちしております



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シートチューブ上部にはシルクの古いフレームではおなじみのステッカーが。

これは以前、「ユーテクティックの低温ロウ材のデカール」だと教えていただきました。




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シートチューブ下部には、これまた古いシルクフレームでは、おなじみのステッカーがあります。
これはパイプメーカー「海野」の「デイ バイ デイ」と言うパイプのステッカーです。
このパイプはクロモリの薄肉チューブで熱管理が難しいと聞きますがシルクの
競技用フレームには多く使われていました(70年代中頃まででしょうか)

このパイプを使用したフレームはオーダー車以外にはシルクしか見た記憶がありません。



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シルクは70年代中頃まで前述の薄肉パイプ「海野」の「デイ バイ デイ」を巧みに
ラグレス(ラグ付もあり)で仕上げていました。



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シートラグ回り。
シートステイの蓋にも「Silk」の文字があります。

シートピンを良く見てください。ここにも「Silk」の文字などが刻印されています。



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ボトムブラケット回り。
ここも、もちろんラグレスでチェンステイブリッジパイプなどにも
補強版などはありません。



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フロントエンド
エンドには前後とも刻印は見られませんでした。



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リヤエンド
ナットの当り面のみ肉厚になっています。
これは外側のみで内側は面一で肉厚には加工されていません。
ですから左右のエンドはそれぞれ形が違うことになります。



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ボトムブラケットの裏側を見るとフレームナンバーらしい「2007」という
数字が刻印されていました。
これで製造年とかわかるのでしょうか?

シルクの年式の見方、またはフレームナンバーの意味を、ご存知の方、ご教授お願いいたします。

塗装の、はげた部分から下地の赤いペイントが見えています。
下地にしては意外に明るい赤が塗られています。


今回は、フレームを中心に画像をアップしました。
今後は、部品類を少しずつ取上げていく予定です。

いろいろなイベントがあったりで忙しく?なかなかまとまらない記事もあり、
順序が違うのですが今回は10月12日のサイクリングの記事をアップします。


12日は知人からも魅力的なコースのサイクリングに誘っていただいたのですが、
泣く泣く?断って単独でサイクリングに出かけました。

目的地は愛知県渥美半島、田原市の保美貝塚(ほびかいづか)です。
自宅からは30キロほどの場所で今まで何度も訪れた事がある場所ですが、
今回、あらたな区域が発掘され、その現地説明会があるのです。
地元の縄文貝塚(遺跡)に思い入れ?がある私としては、どうしても駆けつけなくてはなりません(笑)


保美貝塚について簡単に説明しておきましょう。
愛知県田原市(旧渥美郡) 渥美半島、先端の伊良湖岬に程近い三河湾(福江湾)に
面した場所にある貝塚です。
時代的には縄文時代晩期(3,000~2,300年前)だと言われています。
ここから東にある伊川津貝塚、吉胡貝塚と、ここ保美貝塚は縄文時代後期の研究者には
全国的に有名で渥美半島三大貝塚と言われることもあるようです。
特に、この三大貝塚が特に有名なのは人骨の出土が多いことで、この三ヶ所の
貝塚だけで600体以上の縄文人骨が発掘されています。



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「保美貝塚発掘調査現場説明会」の様子。

発掘作業が続いているかたわらで田原市教育委員会さんの説明が始まりました。
考古学関係者、コルサのような考古学ファン、地元の方などが集まっています。
画像には写っていないのですが実際は、もっと多くの方が詰めかけていました。



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今回の発掘現場の様子(南西側から)
保美貝塚は、大雑把にいうと三ヶ所に分かれていて、今回発掘されている場所は
「C貝塚」と呼ばれています。
画像、中央、やや右寄りの奥のほうが保美貝塚として通常、知られているところで「B貝塚」。
ちなみに「A貝塚」は左手の倉庫の裏あたりにあったとされていますが現在は
開発の為か滅失してしまったようです。



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発掘現場の様子(南側から)
ここには住宅が建っていたとのことで、その基礎跡があります。
(画像で溝状に見えるところなどが建物の基礎跡)

過去の住宅基礎工事(敷地造成)の為、一部、貝塚層が荒れていた(破壊、撹乱)
そうで今回、発見された人骨も残念ながら損傷が多かったようです。
説明会、当日までに人骨は8体分が見つかっていました(3~6号人骨は一部のみ)。
(説明会、当日にも人骨を見る事は出来ましたが画像は死者への敬意を持って、あえて載せていません)



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まだ何の骨かは確認されていないとのことでしたが人骨ではない
骨も見る事が出来ました。

獲物(食料)として捕らえられたイノシシ、シカ(その他、海生哺乳類の可能性もあり)などとも
考えられますが渥美の貝塚からは丁寧に埋葬された犬の骨も見つかります。
(犬を狩に使ったりペットに近い関係が既にあったのでしょう)



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この画像では良く判らないかもしれませんが・・・
中央に見える柱の礎石のような物は、何とクジラの脊椎骨だそうです(30cmくらいか)

渥美半島の貝塚からはマグロ、カツオなどの外洋性の魚の骨も見つかっていますから
外洋での漁労も行われていたのは間違いないでしょう。
ただ、脊椎骨の径がこれだけある大きなクジラを縄文人が積極的に捕らえていたとは
コルサには今のところ思えません。
何らかの理由で浜に打ち上げられたか、死んで(弱って)流れ着いたクジラではないかと
コルサは考えています。



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今回の調査で発掘された土器片、獣?骨類



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同じく今回の発掘で見つかった、やじり、石棒、装飾品など(骨、牙などを加工した物ほか)

ここ保美貝塚では、かつて石鏃(石のやじり)が大量に見つかっていますが今回の調査区域では、
あまり見つからなかったようです。
(ここは保美貝塚は石鏃の生産拠点で近隣の村へ供給していたのではないかと言う説もあります)


今回の説明会まで保美貝塚「C貝塚」の存在を知りませんでした。
(多分、一般的にも知られていなかったと思う)
ここは、敷地造成され建物が建っていました。
今回、古い建物が取り壊され再開発するに当って調査されています。
(人知れず破壊される可能性も、なかったとは言えないと思う)
今回の保美貝塚は、もちろん渥美半島の他の貝塚も、(開発で破壊されないうちに)これから
更に調査、研究が進んで行くことを期待しています。

関東遠征の拠点としようと思っていた裾野市のタキちゃんのウィークリーマンション。

ところがタキちゃんの出向期間が急遽10月18日で終了することに決定したとのこと。

名古屋に戻る前にタキちゃんが裾野市からなら近い17日の関戸橋に、
どうしても行こうとの誘いがありました。

18日は自分が代表を務めるチームのレースがあるので、スケジュールが少しきついが・・・
でも、どうせ裾野市まで行くなら、ついでにどこか走ってきたいと言う気持ちも出てきて(笑)


どうせ私は仕事の暇な自営業者である。
16日から休んで関東遠征?に行くことにした。
16日午後半日サイクリング、17日関戸橋、帰宅、18日クラブレースというハードな?日程である。

ただ16日、当然、タキちゃんは仕事なので単独でのサイクリングとなる。
考えた末、前々から登りたかった箱根の東側を走りに行くことにした。


三島から箱根峠は、すーさんのお供で今年1月18日に走ったが、その時は出来るだけ
旧東海道を通ったのです。
その為、石畳を押したり石段を担いだりの峠越えだった。
それで、今度は三島から箱根峠まで舗装路で(一号線)で越える計画もプラスすることにした。

※すーさん他の皆さんと登った箱根の記事
  → http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/28588019.html



まずは車で三島に。
車を止める所(無料で人の迷惑にならない所に限る)を探して進んでいくと結構、
峠道の高い所まで登ってしまった(笑)
それでも、やっと、トラックが休憩をしている広いところを見つけ車をとめ
自転車でスタートすることにするが・・・。


さて、どっちから登ってやろうかと考え、結論は・・・

「まずは車を止めた所から箱根峠を越え芦ノ湖を経て小田原まで下り、折り返して小田原側から登坂。箱根峠まで登ったら今度は三島側に下り三島から折り返し、もう一度、箱根峠まで登ることにする」



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まずは峠道の途中に止めた車から箱根峠まで軽く?アップ代わりに数キロのヒルクライム(笑)



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箱根峠を越えて少し下り芦ノ湖の画像も、とりあえず、おさめておく。

話はそれるが
最近、「デローザでデュラかよ」と、以前に増して風当たりが強い私の自転車(笑)
信念を持って選んだ国産パーツではあるのですが最近、特に厳しく突っ込まれるので気弱になり?
やっぱりカンパに組み替えようかと・・・って、
そんなお金が「暇な自営業者」の、どこにあるんや!(笑)
(2010年には日本の輸入元がシマノ105をアッセンブルしたデローザ完成車を、
 だすらしくマニアや販売店が猛反発しているらしい。そのとばっちりがコルサの
 自転車にも向けられているらしいのだ? 笑)



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ここが、「国道一号最高地点874m」だそうです。

話の展開が滅茶苦茶ですが、これは、小田原から登ってきてのゴール?の画像。
ようするに箱根峠から小田原市街地まで下り、折り返してきて、ここにゴールしたということ。

コルサは、これまでも何度も書いたように峠にはノンストップで登る主義(笑)

その為、ヒルクライムの途中で止まって画像を撮ることはない?のです。
「でも、それなら下りで撮っておけばいいじゃない」と言われるかもしれませんが、
それもめんどくさいじゃないですか(笑)

結局、小田原市街地でのスタート写真も撮り忘れ、ここまでの画像は
下りも登りも一枚もありません(笑)

さて、小田原側から国道一号最高地点まで登りましたので、今度は箱根峠まで
アップダウンを戻り三島市街地に下り再度、箱根峠まで登る計画です。

でも計画は、あくまで計画と言う事で状況が変われば変更もありうるのです(笑)
実は私、箱根の東側の登坂をなめておりました。
小田原市街地から国道一号最高地点874mまでは約18キロ登りっぱなし。
最近のトレーニング不足の体には思いのほか、こたえたんです(いや、ほんと)。

こう見えても私、乗鞍のヒルクライムにも4位に入賞しました(ただし団体戦)
かつてはヒルクライマーとして信州を中心に多くの峠を苦もなく?越えてきたんです。

2000m超の峠も越えました。
1000m超の峠など、もう数え切れないほど越えているんです・・・・
ですが、これから三島市街地まで下って、もう一回、箱根峠まで登る気にはなりませんでした。
ということで、あっさり計画変更。
今日は東側のみで西側の箱根ヒルクライムは中止です(笑)



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そうそう、「国道一号最高地点874m」周辺にある石仏群の画像を載せておきましょう。
右の岩に石仏が彫られています。
下側の画像はアップ。
このあたりには他にも、いくつかあるのだそうです。
どうやら鎌倉時代前後の中世のもののようです。
(レーサーシューズなので案内板まで歩けず)




さて、いきなり翌17日の関戸橋の様子へ(笑)
タキちゃんと二人で近くの公園駐車場へ車で行き、そこからは自転車で。



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朝7時過ぎに到着すると、既に、この賑わい。
「サイクリスト達の朝は早い」・・・なんてね。
みなさん、ほんと早起きなんですねぇ~

出店者を観察すると、いわゆる昔からのマニアタイプ(ショップ含む)、ローディ、
MTB乗りだけでなく最近の街乗りピスト乗りらしき若い子たちも少なからずいるようだ。



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川原の林の中では、怪しげな人たちが(笑)

どうやら、「マスプロ車旧車ミーティング」なる集まりが催されているらしい・・・
あっ、私も、一応、この集まりの参加者でしたっけ。

この集まりの様子は主催者のbs dc15さん、知人のkokoさんのブログに詳しく
紹介されているので、そちらをどうぞ。

bs dc15さんの記事
→ http://blogs.yahoo.co.jp/bs_dc15/29978404.html




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河川敷には、こんな古い自転車も捨てられていました・・・・

あれ、これってよく見ると、くさやんさんの「山口号」??(失礼)

まじめな話、この自転車は、かなり古くて(1960年?)貴重な
自転車なんですよね。



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一応、私の自転車もと思ったら、あれれ、単体の画像がない(笑)

手前がシルキャンさんの片倉、グロワール マーク入の鮮やかな赤いFバック付き
奥が私のシルクキャンピング ランドナー仕立て。



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フリーマッケットといったら関戸橋に限らず戦利品?の自慢ですね。

今回、私は何も買わないつもりでしたが・・・

いつの間にか、気がつくと、こんな物を手にしていました(笑)



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極東プロエースのペダル。
まるで新品かと思うほどの状態の良さ。
プレートに靴のあとはほとんど見受けられず。
いたみやすいキャップにも両方とも傷はなし。
回転は、プロエースらしくなめらかで、まったく問題なし。これは、いい買い物でした。


もう一点はサンツアー シュパーブのブレーキ本体。いわゆるCB-4000型。
アジャストが片方オリジナルでないのが難だがメッキ部分も、ひどいサビはなし。
ブレーキゴムもオリジナルで、ほとんど減っていません。
(もちろん効きは期待できませんが)



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そして、ついつい買ってしまったのが、このバッジ類。
右上はギヤにMの字、いわゆる「ギヤM」のミヤタのヘッドマークだと思われます。

下はFUJIのもの。
下側には「日米商店」の文字が入っています。
これは富士山の頂上がとんがっているタイプ。他には頂上が丸くなっているものもありました。
これは結構古そう。


あと、危うく買いそうになったカンパのレコードトリプルチェンホイール 33,000円なり。
これは、そそられましたねぇ。
クランク長、170ミリ(ぴったり)インナーがカンパ オリジナルではなくてジピエンメ(伊)
というメーカーのもので歯数が34T。
カンパは36Tしかないんですよね。
(グランスポーツには同じPCDで35Tがあったらしい)
歯数が小さい以上に魅力だったのは、このジピエンメのインナーギヤのデザインが、
かっこ良かったこと。
カンパは妙に幅広で、かっこ悪いんですよ。

今、考えるとカンパなら、お金を出せば、まず買えるけどジピエンメなんていうマイナーな
会社のインナーギヤは簡単には手に入らないでしょう。
そう考えると思い切って買っておいた方が良かったかなぁ(笑)



なかなか愛知県からは行けない距離の関戸橋ですが・・・
フリーマッケトだけじゃなく、旧車ミーティング等の楽しみもプラスされると、
また行きたくなっちゃいますね~。

また、今回、事前に「天狗党のジャージを着て会場に行きます」、と宣言していたせいか、
会場で、いろいろな方に、お声をかけていただきました。
皆さん、ありがとうございました。

田爺さんから、お預かりしているピストレーサーです。

かなり古い物の様で状態は良いとはいえませんが貴重な自転車だと思われます。

現在、フレーム各部、構成部品の確認など記事を書く準備をしています。



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(画像をクリックしていただくと多少、大きく見やすい画像になります)
田爺さんの情報によると、元の持ち主は競輪選手だったようで、
古い国産ピストレーサーの貴重なサンプルだと思われます。


例によっていつになるか判りませんが関連記事をアップしましたら
皆さんからの
ご教授を、いただきたいと考えております。

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