コルサの毎日がヒルクライム

2011年06月

先日の、MOM(マスプロ車オーナーズミーティング)でSamさんとお話していて
噛合わない話題が有りました。

Samさんの、お話によると「フレームに固着していた藤田のピラーを抜こうとしたところ、
ヤグラ部とパイプ部のリベットが千切れバラバラになってしまった」との事でした。

藤田のピラーで「ヤグラ部とパイプ部がリベット接合」と聞けば思い出すのはベルトピラーです。
ところがSamさんのお話では「ヤグラ部は2本ボルト止め」とのことです。
ベルトピラーは、いわゆるサンプレックスタイプですから2本ボルト止めではありません。
藤田で2本ボルト止めとなるとヒューペルライダーですが記憶ではリベット止めではなく
一体鍛造?(一体鋳造?)のはずです。

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改めて手持ちのベルトとヒューペルライダーを見てみます。
左がベルトピラーです。ヤグラ部分とパイプ部分は別部品で作られリベット止めで固定されています。
固定ナットの下側に丸く見えているのがリベットですね。

右はヒューペルライダーです。
見てのとおり、ヤグラ、パイプ部分が一体で作られています。
(その他、うちにある数本も確認しましたが全て一体で作られていました)

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今回、Samさんが名古屋遠征の際、わざわざお持ちくださった冒頭の話題になったピラーの残骸です。
(サンプルとして提供を受け、いただいてきました)

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ヤグラ部分は間違いなくパイプ部分とは別に作った後、組み合わされるようになっています。

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ヤグラ部分とパイプ部分の後ろ側を見てみます。
右のヤグラ部分にリベットの跡(リベット中心部分の丸穴と、その回り)が見えます。
左のパイプ部分ですがリベットの頭は腐食してしまい
(腐食して盛り上がっている部分がリベットの頭)
画像では判りにくいかもしれませんが実物では、はっきりと確認できました。

さて、Samさんが持参してくださったピラーがヤグラ部分とパイプ部分と別々に作られ
リベットで接合されていることは確認できました。
では、これが本当に「藤田のヒューペルライダー」なのでしょうか?

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ヒューペルライダーと断定するのに一番確実なポイントはパイプ部の刻印でしょうか?
ヒューペルライダーにはパイプ部分、前面、上部に、このような刻印が入っています。

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ではSamさんのピラーの残骸には・・・・
「おっ、ありました。」固着しているピラーを抜こうとしてパイプレンチで回した時の
キズの間からヒューペルライダーに打たれている刻印が読み取れます。
製造方法は違うもののSamさんのピラーもヒューペルライダーである事が、これで確認できました!

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その他の小物を確認して見ましょう。
ここに写っている小物全てが実は一般的にヒューペルライダー用として認識されている物と違います。
それは材質、表面処理、形状などです。

①左下のサドルベース受け・・サンプルはアルミ製ですが通常のヒューペルライダーはスチール製です。
②右下のベース押さえ・・サンプルはアルミ製ですが通常のヒューペルライダーは、これもスチール製です。
③左上のボルト・・サンプルはユニクロームメッキですが通常のヒューペルライダーは黒色仕上げです。
④右上のナット・・書き表しにくいのですがサンプルと通常のヒューペルライダーでは、
         わずかに形状が違います。

このように画像に写っているSamさん持参のピラーの小物はヒューペルライダー用として
認識されている物と全て違いがあります。
この部分は組み替える事も可能ですからオリジナルではない可能性も有りますが・・・
一般的に、この部品を組み替えることは普通のサイクリストでは、あまりないでしょう。

そのあたりから私の結論は・・・
このサンプル(すでに残骸ですが)はヒューペルライダーの新種?(笑)ではないかと考えます。
多分、時代はヒューペルライダーとして末期の物で、製造方法を変えたり仕上げ、
材質を変更しコストダウンが計られた物だったのではないでしょうか?

※私の思い違いなど、ありましたら、ご教授いただければ幸いです。

追伸
この小物類は調べてみたところ古いヒューペルライダーにも全て互換性があります。
見た目は腐食、汚れなど、かなり酷いようですが細かく見てみると
意外に程度がいいですから少し磨けば綺麗になるでしょう。
これらはヒューペルライダーのチューニング用(鉄からアルミ部品に付け替えれば軽くなる)、
その他、予備パーツとして活用させていただくことにします。

ありがとう、Samさん!
このピラーの小物は、うちのピラーのパーツとして活かしますね~(笑)

7月6日追記
このピラーは「ヒューペルライダー2」というタイプらしい事が判りました。
それについての記事
→ http://blogs.yahoo.co.jp/corsa2003sp/37753238.html

26日は以前から高槻市の自転車仲間の所に伺う約束をしていました。
せっかく関西まで行くのだから+@をと思い前日、途中の峠に登る計画を立てました(笑)

しかし、前夜の予報でも降水確率40~50%です。
そこで、峠行きを中止して名古屋に訪れるという「Samさん」の
名古屋遠征歓迎会?(デモ工房にて)に急遽、参加させてもらうことにしました。

ところが25日の朝になると予想外に好天です。
滋賀県の降水確率を見てみると前夜と違い、ずいぶん低くなっているではないですか(笑)

そこで、最終的に私がどういった行動をとったかと言うと・・・
遠路、名古屋に訪れた「Samさん」にお会いし、少しお話して
(たいへん失礼ながら)、
その後、すぐに滋賀県にサイクリングに向かったのでした(笑)

しかし、デモ工房を出たのは、すでに14時45分頃、高速を飛ばして関ヶ原インターを降り
サイクリングのスタート地点にちょうど良い路肩の広い所を見つけて準備したのが16時頃。
さてスタートと思ったら急ぐ時にかぎって前輪がパンクしてる(泣)
間が悪いことに普段車に積んでいるポンプは前夜、降ろしてしまったので携帯用の
ミニポンプでなんとか空気を入れてスタートしたのが16時10分頃。

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伊吹山の北側にある国見峠方面を県道40号線から見たところ。
ここから峠までは約10キロほど、それほどの距離ではありません。
問題があるとしたら・・・すでに16時20分過ぎということぐらいでしょうか。


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今回、間抜けにもカメラにメモリースティックを入れ忘れてきたのと時間がないので
画像がほとんどありません。
と言う事で、いきなり国見峠(標高840m)に到着(笑)
時間は17時25分、地形図を見た限りでは、もう少し簡単に登れるかなと思っていたのですが
体調があまり良くなくて1時間5分ほどかかってしまいました。


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国見峠の立派な説明碑。
歴史が有る峠とわかると何となく嬉しい(笑)

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国見峠から東、岐阜県側をのぞんだところ。

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国見峠、滋賀県側、南側?(中央奥)に見えるのが伊吹山。

麓から国見峠までの道ですが傾斜は数%から10%程度のところがほとんどで
緩やかに登っています。
しかし、距離は、そこそこあるので、いつの間にか標高を稼いでおり谷が、
どんどん深くなっていました。
途中、同じような雰囲気のところが続き、やや単調な感もありましたが意外に
ダイナミックで良い峠でした。
(K氏が、この峠を雑誌に紹介していたのも納得です)

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国見峠から登ってきた道を一気に下って次に向かったのが七曲林道、七廻り峠。
すでに薄暗くなっていますが標高もたいしたことはない小峠で道も舗装もされていると
思われるので簡単に片付けるつもりでした。

ところが林道入口には「崩落の為、通行止め」の標識。
自分としては峠まで行って同じ道を帰ってくるつもりなので崩落が登っていく東側ではなく
西側であって欲しいと願いながら進んでいきます。

しかし、1キロ少々登ったところで崩落箇所がありました。
尾根の位置からいって(画像の通り、この先の空が、もう近い)、ここを越えれば、
すぐに峠に行けそうですが・・・
歩いてなら何とか行けそうな気もしますが自転車を担いでいくのは大変そうですし
時間もすでに18時30分を回ってしまいましたので今回はあきらめることにしました。
(あのまま名古屋にいれば、そろそろ楽しい食事会が始まる時間なのに、こんな峠で 笑)

ここから車までは舗装の下りで距離もわずか。
車到着が19時頃で今日のサイクリングは終了です。

車中泊して26日、早朝、もう一つ小峠を越えてから高槻市の知人宅を訪ねる予定です。
しかし、夜半から雨が降り出し結局、朝の峠越えは断念しました(笑)

七曲林道、簡単には復旧工事が完了しそうもありませんし近いうちに七廻峠に行くとしたら
西側から登ればいけそうです。
この辺りは、面白そうな峠がいくつかあるので、また機会があったら訪ねる事としましょう。
※今回、終わり。

鞍掛峠の後は有名な観光地?付知峡の奥?にある真弓峠「付近」?です。
(真弓峠ではなくて真弓峠付近???)


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左の標識を見てください。
どちらにも「真弓」の文字があります。
真弓峠は左の「真弓(王滝)」方向なのですが・・・
ただ、今回は「訳有って」右に登りました。

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ずいぶん登ってきたのに、まだまだ前方の高いところに道が見えています(笑)

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こんな岩が落ちていたり・・・

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こんな所を越えたり・・・
(越えた後振り返ってみたところ)

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だんだん道は怪しくなってきます・・・

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もう、この程度では何とも思いません・・・

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谷は深くはるか下に登ってきた道が見えます・・・

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でも、これは、さすがに無理です!!
もう尾根まではあとわずかだと思うのですが、これでは危険すぎて先に進むことは出来ません。
残念ながら撤退です。
実は地図上では、この林道は尾根近くで行止りなのはわかっていました。
では、念願の真弓峠に向かうルートではなく、こちらの林道を選んだのか?
それは、少々気になるポイントが、こちらの林道にはあるのです。
そのポイントを訪ねるだけなら、苦労して、ここまで登ってくる必要もなかったのです。
でも、もしかしたら林道が伸びて県境の尾根までいけるようになっているのではないかと
期待して登ってみたのです。
その結果は画像のように、ほぼ予想された状況で終わったのでした(笑)

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気になるポイント、その1
井戸では有りませんし、この屋根が付けられた切り株って、一体なに?と思いますよね。
答えは次の画像で(笑)

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全てではないと思いますが、伊勢神宮の御用材は岐阜の山の中で切られていたのですね。

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気になるポイント、その2
答えは次の画像で(笑)

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結局、これらの「気になるポイント」を見る為と「夕森山北の林道」終点を
確認する為に今回は真弓峠は断念しました。

20年近くの念願の峠を半日で二つも登ってしまっては、ありがたみがないでしょう。
今日は鞍掛峠だけにして真弓峠はまたの機会に登ることにします(笑)
(真弓峠を期待していた峠ファンの皆さん?ごめんなさい)

少し日が空いてしまいましたが前回の続きです(笑)


18日のうちに諏訪から一気に岐阜県中津川市加子母村まで移動して一泊しました。

ここは岐阜県と長野県の県境近くになります。
県境の尾根には魅力的な峠が三つほどあります。
パスハンターには有名な「鞍掛峠」、「白巣峠」、「真弓峠」です。
私は、このうち白巣峠にしか登った事が有りません。
今日は念願の鞍掛峠に登ります。
この峠の魅力は長野県側にこそ、あるそうですが、今回は岐阜県側からの峠までの往復です。


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早朝、6時から行動開始(笑)
昨晩は車中泊ですから、やる事がないので早寝早起きなのです。

国道257号線の舞台峠西側の御厩野(みまやの)地区から登り始めます。
(この国道、地図には南北街道、木曽街道などと書かれている事が多いのですが
 現地国道沿いには裏木曽街道の標識が建っていました)
天気は今日も良くありませんし、見てのとおり雲がずいぶん低くたなびいて
峠方面も、ほとんど見えません。
雨でもカッパを着て登るつもりでしたが幸い、昨日夕方から雨は上がっており、
路面は、ほぼ乾いています。

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ずいぶん登ったところで前方の山を仰ぎ見ると・・・

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まだまだ、稜線近くまで右に左に道が続いています。

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雲がずいぶん低いですねぇ。
ガードレールなんか、ありません。

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雲の下からずっと登ってきたのですね。

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やっと、十数年の念願かない鞍掛峠(1435m 後で出てくる標識には1430mとあり)に到達しました。
峠につく頃には、どんどん霧?雲が出てきて・・・
幸い、雨粒はほとんど落ちてこないのですが見通しが、どんどん悪くなってきてしまいました。
岐阜県側から長野県側を見たところ。
正面の盛り土のところに昔の標識がありました。

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これがその標識。根元が腐り、ここに立てかけられていました。
板の部分に「白草山登山口」とあり柱の部分に「鞍掛峠 1430m」の文字がありました。

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峠を長野県側から岐阜県川に見たところ。
この状態ですから残念ながら峠からの展望はほとんどなし(泣)

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こんな様子ですから慎重に下ります。
左も垂直、右も・・・垂直の崖?雲の上???

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下の道が・・・ほとんど真下?垂直の崖??
写真を撮っているのも超こわいっす(笑)

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さて、国道257号線まで下り、次の目的地まで移動します。
途中に有る舞台峠。
西側から東側を見たところ。
この峠の雰囲気はあまり面白みがありません。
ただ歴史はあるようで舞台峠の名前の由来は・・・
源頼朝の命により、この地に大寺院が建立され諸国の武将の参詣も多く、
この峠には能舞台も設けられ賑やかに栄えたのが由来なのだそうです。
そう言えば鞍掛峠の登り口?の御厩野(みまやの)は馬にまつわる地名で
諸国の武将が馬で集まったことに関係しているとのことでした。

※つづく(遅くなるかも)

18日、19日は、またまたサイクリング(例によって車中泊の貧乏旅行)に行ってきました。

18日は諏訪湖畔に車を停め自転車を降ろします。
幸いまだ雨粒は落ちてきませんが午後からの降水確率が高いので雨具を持参し急ぎ走り出します。

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今日のテーマ?は「ツールド諏訪湖」ですが(笑)
最初は山岳ステージで諏訪湖の南の「中峠」を目指します。
諏訪湖畔からの比高差は、およそ480m弱と言ったところでしょうか。
北真志野地区から登り始めますが中央自動車道の高架をくぐるといきなり20%超の道です。
急な部分をなんとか登りきって振り返ったところ。
右手が茅野市、左手には写っていませんが諏訪湖が見えています。

この後、道が二手に分かれますが左に行くのが正解でした。
畑仕事の方に道を聞くと旧道は、まっすぐだったそうですが砂防工事で
道が付け替えられたのだそうです。

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分岐からは比較的、路面は良いものの未舗装になります。
傾斜は10%から時に20%を越えるところもあります。
もちろん、たまらず足をついてしまうこともありました。

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峠まで、あとわずかまで登りました。
遠くに諏訪湖が見えています。
画像のように峠近くまで砂防工事が行われています。
この工事の為に林道も良く整備されているのでしょうか。

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中峠(標高1236m)に到着。
静かな峠に感じますが・・・この日は違いました。
それは「ハルゼミ」のたぐいでしょうか?セミの大合唱だったからです。
(熊除けの鈴の音も意味のないくらいのセミの声だったのです)
諏訪湖(北側)から南を望んだところ。

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おなじく中峠を南から見たところ。
左側の林の中に古道の跡らしき窪みも見られましたが・・・

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峠北側は急傾斜の未舗装を結構な距離登りましたが南側は500mほどで舗装道路(県道442号)に出ます。
効率的?に言ったら南から登った方が楽ですね?
当初の予定では、ここから、いったん辰野に下って別ルートで登り返す予定でしたが
雨が心配されるので短縮コースに変更します。

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県道442号を北に辿り、ついたのが県道50号線の「有賀峠」(ほぼ峠で442号と50号は合流)
辰野側から諏訪湖側を望んだところ。

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有賀峠には標高(1063m)だけでなく緯度経度まで書かれていました。
この峠、数回目の訪問なのですが今回も旧峠の痕跡を確認するのを忘れてしまいました。
切り通しの現舗装道路になる前の旧峠の痕跡(小さな祠など)が、
切り通しのすぐ上に残っているのだそうです。

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有賀峠自体には展望は有りませんが、かなり下ると諏訪湖が見えてきます。
いつ雨が降り出してもおかしくない天気が画像からも感じられますね。

さて、山岳ステージを終了すると諏訪湖の周回に入ります(笑)
今日は反時計回りに回ります。

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諏訪湖畔、北の下諏訪地区に今日の目的地があります。
それが、「万治の石仏」です。
説明板によると1660年建立?のようですね。

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「万治の石仏」です。
正直に言いますと・・・はじめてTVで見たとき、「ずいぶん不恰好な石仏だ」
と思ってしまいました。
今、見ると穏やかな良いお顔をされています。

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この石仏が二番目に?有名になった話は、この案内板の岡本太郎画伯の話ですね。

では一番最初に?有名になった話は・・・(最近では、この話、ほとんど話題にのぼらないけど)
この「石仏の首が伸びたという話」がTVに取上げられました(20年位前だったか?)。
実は、この話、ただの笑い話や作り話ではなかったようなのです。
実際、TV番組で新旧の多くの写真を比べると確かに首の長さが違う写真が見つかったのです。
では、その原因は・・・
まず、石仏の頭部と胴体部は別々の石で作られ胴体部に彫られた穴に頭部がはめ込まれています。
この穴の隙間に雨水や砂埃、木の葉などがたまっていきました。
冬季に、この隙間の水分が凍り頭部が持ち上げられる事が有りました。
氷が解ける際に砂や木の葉が頭部の下にたまっていき結果的に頭部の高さが持ち上がって
いったと言うのが、そのTV番組の結論だったように記憶しています。

さて、この万治の石仏のすぐ東には「諏訪大社春宮」もありますし
他にも興味深い所があるのですが、ついに雨が落ちてきました。
残念ながら、この後の見学は、あきらめて諏訪湖を回り車に戻って今日のサイクリングは、これで終了。

この後は車で諏訪郡富士見町の「井戸尻考古館」(+歴史民族資料館)を見学に行くことにしました。
(富士見町は長野県と山梨県境に程近い、諏訪湖からは片道30キロほどの移動)
この資料館には昔、10円葉書(料額印面の意匠)に描かれていた
有名な縄文土器(水煙渦巻文深鉢)が展示されているのです。
(他にも素晴らしい縄文土器、多数展示)

※続く

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