コルサの毎日がヒルクライム

2012年08月

16、17日、知人友人達は長野県をサイクリングしているはず。
ぜひ参加させていただきたかったのですが日程がどうにもならず断念しました。

でも、私も16日は夕方までに帰れば時間がとれます。
16日は、それまでの不順な天候も回復したのでサイクリングに行くことにしました。
ただし、時間が限られています・・・
適当な移動距離の所で面白そうなところ・・・
出来たら山間地の川沿い(少しは涼しそうでしょう)と考えて浮かんだのが
浜松市の北の山間部。

浜松と聞くと都会のイメージですが浜松に限らず静岡県は北から山が迫っているところが多いのです。
今回は浜松市の北部、天竜川、そして天竜川支流沿いの道+@をサイクリングすることにしました。

浜松から北上し二俣町地区、北の天竜川沿いの運動公園に車を置いて走り出します。
国道152号線を南下して二俣町から国道362号線を今度は北東方向に登って行きます。

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国道362号線 峰小屋トンネル 
ここは通称?、秋葉峠。
ここは、現在も舗装林道で旧峠を越える事も出来ます。
ここから林道に入るプランもありましたが、少し北上して春野町まで足を伸ばすことにしました。

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ちょっとピンボケの画像ですが、ここ国道362号線は秋葉街道の他に天狗街道とも呼ばれています。
なぜ、こんな風に呼ばれているのか・・・・

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峰小屋トンネルを過ぎ北に下り気田川(けだがわ)を渡ると火防の神として知られる
秋葉神社下社があります。

秋葉山は火防の神として知られる一方、天狗の住む霊山としても畏敬されています。

「遠い昔、京の御所が火災になった時、秋葉権現が大天狗となり現れ、たちまち御所の火を消した」と
言い伝えられ、また、「その後、火災のたびに秋葉大天狗は人々を火難から救った」とされ、
現在でも秋葉大天狗の御霊験にあやかろうと多くの参拝者が訪れるのです。
このことから秋葉神社のある春野町を天狗の里と呼ぶようになり、春野町を通る国道362号線を
「秋葉街道」、「天狗街道」と呼ぶようになったのです。

ちなみに秋葉神社 上社は標高885m秋葉山、頂上付近にあり山岳サイクリスト憧れの?
天竜スーパー林道の途中でもあります。
(天竜スーパー林道は、ほぼ舗装されたらしい。上社には車で行く事が出来ます。)

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国道362号線、秋葉神社下社への入口にある「秋葉大天狗の高下駄」
上の方に小天狗が座っています。
「秋葉大天狗の高下駄」を見た後は更に国道362号線を北上して行きます。

国道の気温表示は30度を示していますが山間部の川沿いのせいか、体感的には、
ずっと涼しく感じます。
それに緩斜面とは言え登りが続きますが体調も良いようで脚が良く回ります・・・・

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春野町役場を過ぎしばらく進むと道路左手に森林文化伝承館(春野町文化センター)。
ここには「日本一の大天狗面」(縦8m横6m鼻の高さ4m)があります。
世界一と書かないところを見ると、どこかの国にもっと大きな天狗面があるのでしょうか?
ここには駐車場やトイレも有るのでドライブやオートバイでのツーリング中の人が立ち寄り
休憩したり天狗面をバックに記念撮影をしたりしています。

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春野町文化センターの案内板で、こんな情報を見つけました!
「Mr,K」(ミスター ケー)が春野町出身だとは不覚にも知りませんでした。
Mr,Kとは片山豊氏のこと。
氏は米国日産を設立、日産車をアメリカに浸透させました。
フェアレディZの生みの親として知られアメリカの「Z-car」(フェアレディZ)ファンの間では
親しみをこめてMr,Kと呼ばれるそうです。
アメリカの自動車殿堂入りした自動車界の偉人です。
彼の偉業をたたえてドライブコースが設定されているのだそうです。

余談ながら先ほど通ってきた二俣地区周辺はホンダの本田宗一郎氏ゆかりの地。
氏が通っていたと言う小学校の跡地も残されている由。

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大天狗面を見た春野町文化センターのすぐ北側の「みやがわはし」には天狗の里にふさわしい
装飾の欄干を発見。

さて、天狗の里、天狗街道ゆかりのモニュメントを確認したので、そろそろ本日のメイン?に
向かうことにします。

春野町から折り返し国道362号線を南下します。
先ほど、「体調も良いようで脚が良く回ります・・・・」と書きましたが180度方向転換して、
それが間違いだと気がつきました。
川沿いに吹き上がってくる追い風に助けられていただけだったのです。とほほ、(笑)

先ほどは気分よく下った峰小屋トンネル(秋葉峠)への道を向かい風(そよ風程度なんですけどね)に
悩まされながら、ヘロヘロ登ります。

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国道の脇に残る旧道を登っていきます。
向こうの見るのは峰小屋トンネルの北側口。

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秋葉峠を北側から南側を見たところ。
撮影している、すぐ右手に「林道光明線」の入口があります。

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それでは林道光明線を登っていきましょう。

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林道光明線、通行を規制するゲートもありませんし全線舗装ですが、
こんなところもありますから注意が必要です。
舗装ではありますが常に水が流れている場所も多くコケが生えたりして、
とても滑りやすいところが多い林道です。
シッティングで登っていっても後輪がトラクションを失ってスリップする事が多々ありました。
またグレーチング(網目状の溝蓋)に隙間があったり裏表逆の所(細いタイヤがはまってしまう)
も多いので気をつけてください。

苦労しながら登っていった林道光明線、そこには一体何があるのか・・・・


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光明山からは浜松市の市街地が一望出来るのです。

でも光明山の魅力は景色だけではありません。それは何かというと・・・
それは次回に(笑)

※続く

真弓峠(王滝方面)への道、けっこう登って来たつもりですが
まだ、まだ先は長いようです?

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ガードレールはなく谷は深く、注意が必要です。

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同じく、ガードレールはなく谷は深く、はるか下に(中央奥)登って来た道が見えます。

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峠まで、あと僅かなはず・・・

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いよいよ尾根に近づくとゲートがありました。

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ゲートを越えると、すぐに峠でした。
ここが真弓峠(標高1,479m)
岐阜県側から長野県側を見ているところ。

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真弓峠
長野県側から岐阜県側を望む。


今回の計画は・・・
①真弓峠に登り長野県王滝村側に下り白巣峠を越えて帰ってくる。
②真弓峠まで登ったら登った道を下り渡合温泉に向かい木曽越峠を目指す。
の二案でした。
しかし、登っている途中から雲は厚くなり時々、僅かながら雨粒を感じるほどでした。
先日も権兵衛峠で雨にあい辛い思いを味わいました。
(今回はカッパなど装備はちゃんとしていますが)
そこで、あっさり計画は二案とも中止!!(笑) 車に戻ることにしました。

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下り始めると・・・
峠近くは、それほど急傾斜ではなかった印象ですが・・・
実際は、かなりの標高差がありました。

「うん?道の真ん中に黒い点??落石などはなかったはずですが???」
(下の画像、中央付近ですが・・・この画像ではわからないかも)

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先ほど高いところから見えた「林道の黒い点」の正体は・・・
林道はサルの遊び場になっていたのでした。
奥の岩にもサルが写っています。(計3匹)
その他、画像では確認できませんが草むらなどにも何匹か隠れています。

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ゆっくり近づいて行ってみることにします。
ここの群は意外に警戒心が、うすく熊除けのベルの音も、あまり気にとめる風はなく
ここまで近づく事が出来ました。(ズームアップなしで撮影)

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こちらは、ややズームアップしています。

お猿さんと遊んでいたら?雨粒がポツポツと落ちてきました。
あわてて車を目指して下ります。
舗装路まで出ると下りで空気圧を落としたタイヤがクセのある挙動をみせますが・・・
空気を入れる間に雨が強くなるのを恐れて、そのままとばして下ります。
何とか、ギリギリ、本降りになる前に車まで戻る事が出来ました。

この標高の峠で雨に降られ(カッパなどはあるものの)、ガードレールも、
ところどころないダートを下るリスクを考えれば当初の予定を断念したのは
正しい選択だったようです。

※終わり。

このブログにも何度か触れていますが15年ほど前まで、あちこちの峠を回っていました。
(その後、体調不良で長い間、休止に)
特に信州の峠には熱心に通っていたのですが、それでも、なぜか、
いくつか取りこぼしていた峠があります。
群馬県や新潟県との県境の峠のように距離が遠くて行く事が出来なかった峠もあります。
しかし距離的にも近く関心も高かったのに行っていなかった峠もあります。
今回は、そんな峠の一つ、真弓峠に行ってきました。
真弓峠に行っていなかったのは逆に「距離的に近いのでいつでも行ける」と思っていた事も
ありますし「営林署の許可がないと通行できない」(一般車通行止めということですね)
と言う理由もありました。


さて、その真弓峠について少しふれておきましょう。
長野県、御嶽山の南に長野県と岐阜県の県境になっている阿寺山脈という山地があります。
(現在の長野県木曽郡木曽町と岐阜県中津川市の境)

長野県側を、その地名そのまま「木曽」と呼ぶのは当然ですが山を隔てた
岐阜県側を「裏木曽」と呼ぶのはあまり知られていないと思います。
「裏木曽」と言う名称は美濃の下呂、加子母、付知などの地域をさしているようで、
この地域を通る国道257号線を「裏木曽街道」と現在でも呼んでいます。

その木曽と裏木曽を遮る阿寺山脈で古くから交通路として使われていたのが
北から鞍掛峠、白巣峠、真弓峠なのだそうです。
(現在の林道と古道とは道筋、峠の位置が必ずしも一緒と言うわけではありませんが)
この三つの峠のうち、真弓峠にはまだ登った事がなかったので
今回、単独、日帰りで行ってみることにしました。
(たまたま空いた一日の休日、天気も何とか持ちそうなので)


今回は岐阜県側から真弓峠に登ることにしました。
まずは国道257号線の(裏木曽街道ね!)、「付知峡口」交差点から北に折れます。
この道は観光名所「付知峡」への道ですし、自然休養村 渡合温泉への道ですから
狭い山道にもかかわらず、この時期けっこう車が通ります。

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しばらく登っていくと、未舗装路が多くなり山深い景色になってきました。
今回は、未舗装区間が多いのでリッチーP-21、マウンテンバイクを選びました。
リクセンカウルのザックをつけているのですが・・・
悪路でバウンドするとザックとタイヤが接触するので下りでは背負って走りました(笑)

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リッチーP-21に装着しているタイヤはIRCのミブロforマラソン。
2.1という太さでメーカー公称480gと軽いのが特徴。
サスなしMTBの乗り心地の悪さを、その太いタイヤサイズのエアボリュームで少しでも
緩和してくれるのがありがたい。
太さのおかげか悪路の登りのトラクションも良好、舗装路でも走行感は比較的軽い。
ただ、センターブロック高は低く寿命(ダートで有効な寿命)は、あまり長くなさそう。
(と言っても現在は、あまり乗ることはないので経年劣化の方が早いかも)

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こういった道での必需品、「熊除けの鈴」
(ここではありませんが私は過去に何度かクマに接近遭遇した事があります)

昨年、ホームセンターに行ったところ、熊除け鈴は意外に種類がありました。
その中で選んだのは「モンベル」の製品。
値段は他より高かったものの音が良かったので選択。
風鈴や仏具としても使える?(笑)
(税込み定価1,140円 重量37g・・・とタグに書いてありました)

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直進(画像奥側)が自然休養村 渡合温泉への道。
画像右手が真弓峠への道になります。
道路案内がしっかり出ているように見えますが、これは営林署の作業者向けのもののようで・・・
ここを曲がるとすぐにゲートが出現します。

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ゲートを抜ける?と、しばらくは、こんな感じの綺麗な道で登っていきます。
この林道は営林署の専用林道で全体的に綺麗に整備されています。

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そして分岐。
右手は前回行ってみたのですが最終的には尾根近くで崩落の為、通行できず。
(もともと、行止り林道だと思う)
王滝、真弓峠方面は左に進みます。

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画像ではピンと来ませんが、ところどころ、かなりの斜度もあるようになってきました。

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前方の山のシルエットに凹んだところがあります。
どうやら、林道のようです。
あそこまで登るんですね・・・

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この林道で一番荒れているのは、この中腹辺りでしょうか?
右手の路面は、かなり砂利が出ていましたが、ここより荒れているところは、
ほとんどなかったと思います。

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振り返ってみればけっこう、一気に登っていることに気が付きます。

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正面の高いところにガードレールが見えています。
まだまだ登りは続くようです・・・※続く

新聞(県内版記事)を読んでいたら4日に地元近くの貝塚で
現地説明会があるという記事が出ていました。

場所は愛知県田原市の保美貝塚、なんでも今回は(盤状集骨墓)が発見されたとのこと。
保美貝塚は愛知県渥美半島、三大貝塚の一つ。
古くから発掘、調査されており多くの人骨、石器、土器などが出土、縄文時代研究の
重要な遺跡の一つです。
(渥美半島 三大貝塚・・よしご貝塚、伊川津貝塚、保美貝塚)
(三つの貝塚とも古くから調査され重要な資料が多数出土)

そこで、三河湾周辺しか見つかっていない特殊な、お墓が新たに見つかったと
言うのですから見に行かない訳にはいきません?(笑)


そうそう、先に書いた「盤状集骨墓」について簡単に説明しておきましょう。
もちろん、現地説明会でいただいた資料からの受け売りですけど。

盤状集骨墓
「手や足の長い骨を四角形に並べ、その中に頭や顎、肋骨や背骨と言った骨を詰めるという
 特殊な埋葬方法を取る墓」
「一度遺体が骨になった後に再度埋葬が行われるということから、改葬墓、再葬墓、
 複葬墓とも呼ばれます」
(現地説明会資料の写し)

この埋葬方法は全国でも愛知県三河湾周辺のみにみられる特殊な埋葬方法で資料には
今回の発見は全国でも10例目と書かれていました。
私が知る(と言っても文献にて)盤状集骨墓は、ここ保美貝塚が今回以前に2例、
伊川津貝塚2例、よしご貝塚3例の計7例(渥美半島)の他に
西三河、西尾市枯木宮貝塚1例、刈谷市宮東一号貝塚1例、本刈谷貝塚1例の計3例(西三河)で、
そうすると今回の発見は11例目になると思うのですが・・・・???
(以前、調査し、すでに知られていて今回、改めて発掘されたものなら・・・)

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現地説明会の様子。
ご覧のように発掘場所は住宅地や農業用温室がせまる畑の一角です。
私が始めて、ここに行った35年ほど前(中学生だった)は道に農家の人が畑から放り投げた
土器片などが散乱していましたが近年は、ほとんど見られませんでした。
もう発掘されていたと思っていた畑の、こんな浅い場所に貴重な、お墓がまだ埋もれていたとは
本当に驚きました。

※横に見える板に乗った白い骨はもちろん、参考模型です。

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今回、発掘された盤状集骨墓。
上の画像、北側から。
下の画像、南側から。
素人でもわかるように通常の埋葬ではありえない骨の密集具合です。
同じ部位が複数見られるので、かなりの人数の骨が、まとめて埋葬されているのは
間違いないそうです。

今回の資料を要約すると下記のような特徴があったそうです。
①盤状集骨墓が二つつながるような形になっていた。
(よしご貝塚でも同じような事例あり)
②人骨がかなりの数で積み重なっている。
(最低でも6体、おそらく10体を越えるとのこと)
③上記のような今回の例は、おそらく全国初の事例になると思われるとのこと。

今回の発掘は開発などに伴う緊急的な発掘ではなく
「縄文時代の埋葬の研究を進める為に」、
「国立歴史民族博物館ほか多くの専門家が集まって保美貝塚発掘調査団を組織して」、
「血縁関係や食性分析など」総合的な研究がおこなわれるそうです。
今回の発掘、研究によって
「縄文時代の埋葬の研究」が進む事がおおいに期待されます。

それにしても多くの専門家が集まり多角的な研究がされるはずの保美貝塚発掘調査団の発掘で、
この三河湾周辺にのみ見られる独特な盤状集骨墓が見つかったのは幸運だったと言えるでしょう。
ずいぶん先になるのでしょうが研究成果が今から楽しみです。

昨日(28日)は信州、権兵衛峠の雨で震えましたが
(雨が降るまで暑かったのに千m超の峠の雨は、とても冷たかった)、
今日(29日)は朝から灼熱?の旧東海道ポタリングに参加です。

昨日から不調+峠の雨で風邪気味なのに暑い盛りのポタ・・・
そのうえ、なぜか今回はカフェポタとしては長距離の60㌔超とのこと・・・ヤレヤレ(笑)

今回は地元、三重県のマ・ハロさんとS君の先導、案内です。
(ありがとうございました。お疲れ様でした)
スタートは東海道 四日市宿で、その後、→石薬師宿→庄野宿→亀山宿→関宿と走ります。
(帰路は東海道を離れて帰ります)

それでは、ごくごく簡単に、ポタリングの模様を。

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四日市の宿をはなれて、すぐの「日永の追分」(ひながのおいわけ)。
京都、大阪方面に向かう東海道と伊勢神宮に向かう伊勢参宮道の分岐となっています。
この画像だけではピンと来ないかもしれませんが国道一号線と交通量の多い県道に
はさまれた場所です。
ここは、名水が湧きだしており水を汲む人が多数いました。
かつては街道を歩く多くの人々の喉を潤していたはずです。

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杖衝坂(つえつきさか)(杖突坂とも書く)
東海道でも急坂の難所だったらしい。
どのくらいの坂かというと・・・

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こんな感じ(笑)

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振り返ると、平地から見上げた時は、ちょっとした丘にしか見えなかったのですが
いざ登ってみると、かなりの坂でした。
古事記にもヤマトタケルが、ここで東征の帰りに疲れて杖を突いたと書かれているらしいので
江戸時代の東海道、以前の古い道のようです。

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庄野宿 旧小林家住宅。
現在は庄野宿資料館になっていて見学できます。

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レストア中?の亀山城にて(笑)
今回は珍しくトーエイで走りました。

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そして関宿。
初めて関宿に来ましたが江戸時代から明治時代に建てられた町家が
200軒あまりも残ると聞いて、びっくり。
こんなに雰囲気を残している宿場は東海道には他にないでしょう。
古い町並みが続き素晴らしい、でも、ウソのように誰もいません(笑)
確かに、無茶苦茶暑かったですからねぇ。
(ここは東の追分から宿に入ったばかりの所、中心部は少ないながらも歩く人がいた)

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帰路、偶然、通った国指定遺跡の王塚古墳。
ここは一度、見たかった古墳なので特に嬉しかった(笑)
全長は63mの前方後円墳(6世紀初めの築造らしい)
この古墳の特徴は周濠と外堤が、ほぼ残っていること。(これが国指定遺跡になった理由かも?)
北東?に陪塚が一基あるほか近くには西ノ野古墳群(5~10号墳が保存)があります。

非常に興味ひかれる場所だったのですが・・・団体行動中ですし(笑)、
なにより不調で体力が残っていませんでした。
ここは、もう一度ゆっくり探索に来る必要がありそうです。

※今回のレポート終わり

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