コルサの毎日がヒルクライム

2012年09月

TOM(トーエイオーナーズミーティング)に参加しながら信州、十ヶ所の峠を
登ってきました。
(TOMは岐阜県高山市の開催なのに、なぜか信州の峠ばかり・・・)


16日朝、予定通り灯篭木峠に登る事が出来ました。
新潟県境に近い、ここからですとTOMの集合場所の宿までは170キロ前後あるようです。
しかし早朝から行動している為、まだ9時過ぎ。
せっかくなので、もういくつか峠を越えていくことにしました。

道の駅「花の駅千曲川」から以前、自転車で走ったことのある国道292号線を移動します。
国道292号線、飯山街道大川トンネルを過ぎた飯山市富倉の手前、
関屋地区で峠に入る道を探します。
この辺りは一昨年だったかゴールデンウィークに来て「残雪で断念」した地域です。
新潟県との県境から数キロしかない山地ですから考えてみれば当たり前だったのですが。

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国道から入る道は、すぐ特定できたのですが、そこから峠に入る道を
見落とし少々、迷いました。
ほとんど、あきらめかけて少し下ったところで入口発見。
この入口の看板を登りで見落としたのは間抜けでした(笑)
ただ、入口から、この状態ですし案内板も目線から少し高い位置ですからねぇ?(笑)
見落としたのも、仕方のない?・・・ですが、この草だらけの道、先が思いやられます。

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案の定、峠への道は、この状態。
こんな道でも、道(ルート)は間違いないのですから、それだけで
気持ちはルンルン?です(笑)
(道があっているかどうか不安に感じながら道を進む気持ちの比べればね)

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林に入って日が当らないようになれば下草もなくなるだろうと思っていたとおり、
良い雰囲気の道になってきました。
結局、峠直前まで、このぐらいの道幅があり軽の本格四駆車ぐらいなら
入っていけそうでしたが・・・

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そして富倉峠(681m)
最後の最後、峠はこんな状態。
古道の峠は狭く夏草に覆われていました。
草の下には落石も転がり歩くのも、ままなりませんでした。
ここの切通しには石垣もあるらしいのですが夏草に覆われてまったく見えずでした。


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驚いたのは夏草を抜けた後。
何と、峠で古道と林道が交差していたのでした。
画像を撮っているのが林道の西側から。
そして登って来た古道が低い位置に黒く影になっている部分。
画像の奥側が飯山市方面。
林道は、この先、右手に曲がっていき古道は左手奥に(まっすぐ?)下っていきます。

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富倉峠名前入りの標識が林道に立っています。
撮影している場所、及び標識の位置は林道上です。
奥の低く暗い影の部分が古道の峠道。
なんとなく石垣らしき物が見えるような気もしないではない?

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富倉峠東側。
林野庁とNPO法人 信越トレイルクラブの名前が入った立派な案内板が立っています。
(ここに限らず、今までも信越県境の峠や林道で時々、見かけました)

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富倉峠東側の眺望。
先の立派な案内板によれば奥の山は北志賀高原、木島平村、
そして麓の方は飯山市木島地区だそうです。
(まん中あたりを横切るのが長峰丘陵)
朝登って来た野沢温泉村と灯篭木峠は向かいの山の左手方向になります。
(写ってはいませんが)

さて、峠に到達したら登って来た道を帰るつもりでした。
ほぼ、乗車して帰れますしね。
でも峠にあった先ほどの案内が気になります。
このまま林道をたどっていけば「2.6キロで国道292号線 涌井バス停」に出られるとありました。
これは、もう一つの峠に行くにも好都合です。
(古道を飯山側に下る選択肢は、まったく浮かびませんでした。笑)

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結局、林道をたどることを選んだのですが、最初のうちはこんな感じで快調に距離を稼ぎます。

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そのうち、シングルトラックに(笑)
このくらいならほぼ乗っていけるし、かえって楽しい?
信越トレイルとして整備されているようなので道がなくなる心配もないでしょうから。

結果的に2.6キロのうち2キロ弱は順調でしたが、途中、出会ったハイカーも
驚いていたように(友好的な会話ですが、こんな所を自転車で、よくもまあ、物好きなと言う感じ)
道はどんどん狭く高低差もあるようになり(階段など)最後の0.8キロは長く感じました(笑)

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画像は、いきなり次の峠道です。

まあ順調に国道292号線に出る事が出来、次の峠の入口を探します。
今度の峠は冒頭にも書いたとおり、何年か前GW時に来て南側から峠までは登れたところです。
旧道入口は民家の横で地図だけではわかりにくかったのですが(私道かと思った)
GPSナビ(2万5千分の1地形図表示可)で確認でき、こちらも順調、順調。
しかし、少し登れば夏草が茂り、やや不安。
GWに来た時は雪で埋もれており実際より道が広く見えただけだったのですね。

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夏草は多かったものの道自体はしっかりしており、まもなく涌井峠(650m)「わくいとうげ」到着。
どこにでもありそうな峠ですが・・・
長野県飯山盆地と新潟県を隔てる関田山脈に人々が作った古くからの峠、その数、十三。
その歴史ある十三の峠のひとつと聞けば、なんとなくありがたい気持ちになるでしょう?(笑)
(涌井峠は十三の峠のうちもっとも南にあり標高も一番低い)

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GWの積雪のなか登った涌井峠南側は夏草に完全に覆われていました。
GWの際はもちろん、夏草はありませんでしたが既に夏冬、関係ない木までも道にせり出しており、
ほぼ通るのは難しいレベルになってしまっています。


さて、早朝から行動していたとは言え3ヶ所の峠を登り、時間は、そろそろ14時近い。
ここ(飯山市)からTOMの宿までは・・・
どひゃ~、上信越道で長野県を斜めに横断し安房トンネル、平湯トンネルを使っても
3時間近くかかるらしい。(連休中ということで渋滞も心配です)
そろそろ、TOM、高山の宿に向かうとしましょう。

今日も予定通り三つの峠に登る事が出来ました。
TOMの参加者の中には、かなりの距離と標高差を自走して参加される方も多く
みえるのでしょうが・・・こんな、廃道寸前の峠を探索してから行く人は
ほとんどいないでしょうね(笑)

TOM(トーエイオーナーズミーティング)に参加しながら信州、十ヶ所の峠を
登ってきました。
(TOMは岐阜県高山市の開催なのに、なぜか信州の峠ばかり・・・)


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さて連休中で賑わう「花の駅千曲川」で車中泊し翌日は、道の駅に車を置いたまま
朝7時前から走り出します。
道の駅から千曲川沿いを北上、千曲川を渡れば野沢温泉村に向けてヒルクライム開始です。
画像はすでに野沢温泉村を抜け中腹から野沢温泉村を見下ろしたところ。
小さな尾根の向こうに千曲川が流れています。(スタート地点の道の駅もある)

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空に向かって登って行きます(笑)

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帰りに通ろうと思っていた長野県最北の村「栄村」(新潟との県境)への道は
残念ながら工事中で通行止めでした。
「諦めがついて良かった、良かった」???

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途中、一ヶ所だけ?北側の眺望が開けるところがありました。
千曲川が大きく曲がってるところと言えば・・・
川に沿って走る飯山線の「かみくわなが駅」と「かみざかい駅」の間あたりだと思われます。
奥の関田山脈を越えれば、もう新潟県です。
県境の尾根周辺には古くからの峠が十三ほど知られています。

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逆光気味の朝日の中、灯篭木峠(1014m)「とうろぎとうげ」に到着。
(燈籠木峠とも書く)
道は、ここから上の平高原方面に向けて更に登って行きますのでピンと来ませんが
野沢温泉村と長野最北の栄村そして新潟県側を隔てる峠になります。
右手に素朴な鳥居と小さな祠があります。

この道(奥志賀林道)は鎌倉時代には既にあり野沢温泉への湯治や峠両地区の人たちの
重要な生活道路であったそうで大変、賑わい夜も提灯をともして通る人が多かったことから
「燈籠木峠」と呼ばれたのだそうです。

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鳥居の前の道が古道なのでしょうか?(現在はスキー場の管理道路のようですが)
舗装林道を横切って左が野沢温泉村方向。右が栄村、新潟県方面。

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祠には「灯篭木峠山乃神」の文字がありました。

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峠は眺望は良くありません。
少し下ったところから、もう一度、野沢温泉村を望みます。
スタート地点の道の駅の標高がGPSナビによると310m程度だったような気がしますから
峠とは700m前後の標高差があることになります。

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空へ飛んでいってしまいそうな下り。
峠に登った後は道の駅まで戻ります。道の駅手前、2キロくらいは千曲川沿いの平坦気味でしたが、
ここから15キロくらいは豪快な下りとなります。



道の駅に戻ったらTOMの宿に向かう前に、もう1、2ヶ所の峠を目指すことにしましょう。

TOM(トーエイオーナーズミーティング)に参加しながら信州、十ヶ所の峠を
登ってきました。
(今年のTOMは岐阜県高山市の開催なのに、なぜか信州の峠ばかり・・・)


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長野市北部、飯綱町平出地区に車を停めて峠、三つに登り
今度は北国街道を車で北上し野尻湖までやってきました。

現代の北国街道、国道18号線には、「ナウマン象」の「像」が!!!(ややこしい)
そう、ここ野尻湖は私、小学生の頃からの憧れの地であります。
野尻湖では1962年の第一次発掘から継続して市民ボランティアによる調査がおこなわれています。
(現在も調査は続行中。休止期間はありますが)
ここではナウマン象(約40万年前から2万年前まで日本に生息、その後、絶滅)や
オオツノジカなどの化石が多数発見されているのです。
私が興味を抱いた40年程前の資料にはナウマン象等の動物化石が発掘されているものの人類が
狩をしていた決定的な痕跡は、まだ発見されていなかったと思います。
(発見されていても一般が目にする資料になるにはタイムラグもありますし)
しかし、その後の調査で、多くの石器、骨を利用した道具類などが発見されナウマン象等を
狩していた事が証明されています。
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(上の画像は「野尻湖ナウマン象博物館」パンフレットを撮影したものです)


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さて、野尻湖ナウマン象博物館の見学の前にサイクリングに出かけます(笑)
湖北側に車を停めて走り出しました。
湖岸道路が登りだし走り出して数キロでT字路へ。
(登って来たのは左手、野尻側から)
ここが古海峠「ふるみとうげ」(727m)だと思われます。
右手に下れば古海地区、背中側に進むと湖岸に下り菅川地区に至ります。
(現在では古海から菅川にトンネルが出来ています)
この峠、現在走ってみてもピンときませんが意外や、古くは野尻(野尻湖西岸)地区から
古海を経て現在の飯山市側他へ抜けるのに、けっこう重要なルートであったようです。

この峠を越えて右手に下り次の峠に向かうとしましょう。

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古海地区を通り、古海川沿いに下っていくと熊坂地区。
「坂」の字が入っているので・・・地形的に峠としての形態になっていれば峠に認定?
残念ながら、よくわかりませんでした(笑)
(背中側が古海地区方面、ここを左に折れ南下すると野尻方面、直進して北上すれば日本海も、もう近い)

この熊坂と言う地名・・・実は信越県境辺りを荒らしまわっていた大盗賊の名前らしいのです。
その昔、熊坂長範と言う盗賊がおり源義経に退治されたと伝わり、ここから南には「長範山」、
そして、この集落は「熊坂」になったと言うのですが・・・
この後、登る野尻坂峠も別名、熊坂と呼ばれていたそうです。
しかし、峠や山の名前ならまだしも村の名前に盗賊の名前を付けるでしょうか?
それとも地元では義賊?
(昔、本で読んだ話の記憶なので詳細一切不明)


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熊坂地区から関川沿いに走ると画像では見にくいのですがトキの看板が現れました。
(画像では左側上、逆光で黒くつぶれていますね)
そう、この橋を越えると新潟県。
(思えば遠くに来たものです)
ここは右隅に、いかめしい門が見えるように、かつての関所跡なのです。

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別角度から見ますと・・・
手前が関所にいたる古く見せた橋。(歩行者のみ通行可)
その次が、かつての国道18号線の橋。
そして現在の国道18号線(信越大橋)は、はるか高いところを一気に横断して行きます。

橋を渡った新潟県側には関川関所跡に「道の歴史館」もありますが今回は断念しました。

ちなみに佐渡で取れた金を江戸に運ぶのに、あるいは加賀藩が参勤交代の際も、
多くは、このルート(と野尻坂峠)を通行したのだそうです。
そうそう、時代劇で良く聞く「島流し」、「佐渡送り」など罪人も、ここを通って
佐渡に流されたはずです。
「道の歴史館」を見学すれば、いろいろ確認できたのでしょうが・・・
今になって少し後悔(だって、もう一度行けるかどうか)

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県境の関川から旧国道を少し離れ古道へ入ると赤川の一里塚があります。
これが北国街道、長野県側最後の一里塚でしょう。

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旧国道の上を新国道(信越大橋)が横切っています。
雪が多い地区の為かスノーシェードが何ヶ所も作られています。

旧国道も、登っていくと、やがて新国道に合流します。

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さて、国道18号線に出たものの、どこが野尻坂峠なのか良くわかりません(笑)
(地形図に峠位置の記載なし)
↑↑一枚上の画像が新潟県側から登って来た最初のピーク。
↑そして、もう少し南下したところにある野尻トンネルを迂回する旧道?のピーク。
帰ってきてから少し調べてみたところでは先の画像の位置を峠としてアップしている人が
ほとんどのようですが・・・。

さて、ここから野尻側も旧国道を下り野尻地区へ。
念願の「野尻湖ナウマン象博物館」の開館時間(閉館時間か)も気になりますが、
せっかくですから野尻湖を一周することにします。

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野尻湖西岸。
ここで発掘調査がおこなわれているのかと感激。
ナウマン象の化石の一部でも落ちていないかと、つい地面を探してしまう・・・(笑)
ちなみに夏はレジャースポットで賑わうので発掘は出来ない為、
渇水時期の冬、水面が下がった時に湖底での発掘が行われるらしい。


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少し天気が悪くなってきました。
その上、博物館に行く時間が4時を過ぎそうなので少々、あせってきます(笑)

結局、登り(けっこうアップダウンがある)をダンシングでとばしまくって?
車に戻り着替えて4時過ぎに博物館へ入る事が出来ました。(閉館は5時とのこと)


この後は、またまた車で移動して飯山市「花の駅千曲川」で車中泊です。
今日は、新たな峠、五つに登る事が出来て大満足。
明日もTOMに行く前に、いくつか峠を登る予定です。

16、17日は「TOM」、トーエイ オーナーズ ミーティングでした。
TOM、今回の宿は岐阜県高山市丹生川町とのこと。
場所を地図で調べてみると・・・
高山市といっても市街地から、かなり東の方で平湯峠に、ごく近い位置です。
と言うことは平湯トンネル、安房トンネルを越えれば、すぐ長野県。
そこで15日から出かけて(岐阜県の峠は無視して)長野県の峠をいくつか
登りながらTOMに参加することにしました。
(長野県の峠には思い入れがあるのです)


15日(土)、早朝、豊橋市を出発。
長野市北部の峠から走ることにします。
長野市市街から北部、飯綱町平出地区に車を置いてスタート。


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最初に向かったのは、北国脇往還(北国街道)の脇道、坂中街道、坂中峠。
物流だけではなく善光寺参りなどで賑わった道のようです。
現在は峠、下の坂中トンネルで一気に通り過ぎて行きます。

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坂口地区から見た坂中峠方面。
ちなみに峠の名前になった坂中村は峠の南側にあります。

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坂中峠(817m)、峠からの眺望はなく、ごく普通の峠。
古くからの歴史がなかったら特に気にならない峠ですね。
(画像は峠を南側から見たところ)

この峠、先ほども書いた坂中トンネルが出来るまでは北部の集落から長野市街に
通勤する車が朝夕、多く通った峠道だったようです。

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坂中峠から少し下ると展望が良いところがあると古い資料で見たのですが・・・
まさか、ここでしょうか?
樹木がなければ右手に長野市街地が見える方向のようです。
まあ、眺望はありませんでしたが左手に小さく写っている案内板を見る事が
出来たので良しとしましょう。
(もう少し下ると眺望もあるようです)

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坂中峠の切通しの上には小さな祠がありました。
(峠直下の案内板によると)
この峠、明治時代ぐらいまでは峠は戸隠神社に行く山道も交差しており茶店もあったそうです。

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坂中峠から、来た道を戻ります。
豪農でしょうか?途中で見かけた土蔵、門のある大きく立派な家。
写っていませんが左手には同じ雰囲気で作られた納屋?までありました。

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北国街道、平井地区まで戻り東に1キロほど行くと白坂峠(581m)
白坂峠のある白坂道も北国街道の脇往還として使われ松城街道と呼ばれていたようです。
(また、長沼道、神代街道とも呼ばれたらしい)

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白坂峠から東に100mぐらい下ると一里塚がありました。
一里塚の盛土にしては大きすぎるようですが・・・(自然の地形を利用?)
かつては街道両側に盛土があったそうですが拡幅工事で削られてしまったそうです。

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さて白坂峠から再度、平出地区に戻り今度は北国街道を北上します。
集落を外れると、短いものの、かなりの斜度の登りになります。
そこを登り切って新道と合流すると三本松峠(612m)でした。
峠の松の向かいはセブンイレブン、北側はコメリがあるように新道は交通量の多い道です。
ちなみに三本松は通称が一般的になったようで「行人塚」が正式な地名のようです。

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三本松峠には今も、その名のとおり大きな松の木が3本あります。
(東側から見たところ)
大きな石碑や案内板もありますが・・・
これは、この地が「小林一茶、父子別れの地」とされているからなのだそうです。
(大きな石碑は小林一茶の句碑)
ただ松の根元周辺などには埋もれかけた小さく古そうな墓碑も見受けられました。


さて、順調に三つの峠に登り、ここからまた次の峠の登り口まで車で移動します。

余談ながら、この三つの峠は片側斜面のピストンばかり。
もちろん、本来なら「峠越え」が理想ですが・・・愛知の自宅から峠に行くだけでも
大変な地域ばかりですから、これで、よしとしておきましょう?(笑)

なかなか古い部品や旧車の話を書けないので・・・
(ネタと画像はたくさんあるのですが)
その代わりに、と言っては何なんですが(笑)
今回は、以前、撮ってあったツールキャビネット画像の話でも。
その中で、今日はメインのKTCのキャビネット内部の様子です。
(調節、間接?よく使っている工具などについて聞かれる事もありますので)

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一番上の引き出しは・・・
握り物と小物類。
黒い柄の握り物(プライヤー、ニッパーなど)はKTCのネプロス。
これは、10年以上使っています。
プライヤーは長短、2本を使い分けています。
その他、クニペックス、ホーザン、スリーピークスなど。
右手前はクランク抜き系工具(TA、シマノ、スギノ、ストロングライトなど)。
左の小物類はフリー抜き(各社)、BB工具など。
その他、チェーンケージ、エアケージなど。
左隅のアルミ板の円盤などは自作のカートリッジBB、BBワン外し用、補助工具類。

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2番目の引き出しは右にKTCのソケットレンチセット+@。
その他はヘッドスパナ関係。
32-36ミリの手書き文字が入っているスパナはパーク製。
これはアルミ製ヘッドパーツの傷付き防止に絶対有効。ただ重過ぎるのが難。
左隅はHP下玉押しセット工具(パーク)とヘッドパーツを外す工具(パーク)など。

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3番目の引き出し。
右端はリヤエンドRDハンガー取り付け部修正工具(パーク)。
箱に入っているのはアヘッドステム用アンカー打ち込み工具(ホーザン)。
その他、BBフェイスカッター(パーク)、HPセット工具(パーク)など。
固着したHPを外すには、これくらい強度がないと不安になりますけどね。
左の2本はエンドチェック、修正工具(パーク)。
左端はパークのペダルスパナ、先端が見えないので判りにくいのですが、これは絶対の優れもの。

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4番目の引き出し。
一番奥の黒いのはトルクレンチ(KTC)。
そして、アジャスタブルリーマー2本。
これでシートチューブの中を削ったり修正します。
中央の大きなのがヘッドパーツセット前にフレームを修正する工具(パーク)。
ヘッドチューブの上下面を水平に修正したりHPが、はまる部分の切削工具(パーク)。
その手前が先ほどのアジャスタブルリーマーを回すハンドル。
これは良く、大きなモンキーで代用する人がいますが力が偏るのでよくありません。
左右、均等の力で慎重に回さないと真円に削れません。
手前から2番目がフォークコラムのネジ修正、切削工具(ホーザン)。
一番手前はフォーククラウンの上に付くHPの下玉押し打ち込み部分の修正、切削用工具(パーク)。

イメージ 5

一番下の引き出しは一般電動工具など。
一番左にあるのがHP下玉押しはずしの工具(ホーザン)。
その右手奥はホーザンのBB右ワンはずし工具。
右手奥の電動工具下にはBBネジ用のカッターがあるはずですが、まったく見えませんね。
手前のハンダごてはインナーワイヤーをハンダ付けする時に使います。
ロードでは、あまり使いませんが旧車ツーリングモデルでは必携ですね。
ステンレスのワイヤーでもステンレス用のフラックスを使えばハンダ付けは容易です。


※KTCキャビネット以外の工具はいずれまた。

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