コルサの毎日がヒルクライム

2014年01月

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当ガレージに70年代のツノダ サターンエースが持ち込まれました。
レストア作業はオーナー(友人)の仕事(楽しみ)ですが、とりあえず分解と
状態の判断などを私がします。

持ち込まれたツノダ サターンエースですが資料を調べてみます。
1976年頃の資料を見ますとツノダのトップモデルは
サターンロード(145,000円)と言うモデルで今回のサターンエース(108,800円)
はセカンドグレードです。
ともにデュラエースをアッセンブルしたモデルでありながら価格に
大きな違いが有ります。
価格については後述しますが、それ以外の大きな違いがありますので
それを先に書きましょう。
サターンロードはチューブラホイールのバリバリのレーサーと言う
位置付けですがサターンエースはWOホイールを装備していました。
これは「修理が難しく入手も難しいチューブラタイヤはいらない」という
本格的レーサー以外の人で、
それでも「レーサースタイルの自転車で軽快に走りたい」という
ユーザーを狙っていたのでしょう。

さて、価格の差について検証してみると・・・
ともにデュラエースを使いながらもサターンロードはデュラエースの
ブラックカラーモデルを使用していること(ノーマルより少し高い)、
フレームがサターンロードはラグ付き、サターンエースは
ラグレス(ラグ代は、けっこう高い)であること、そのほかサドルなども
差別化が計られていたようです。

さて、持ち込まれたサターンエースの状態ですが・・・
小さな画像でも、おわかりになると思いますが、かなりひどい状態です。
雨ざらしで長期間、打ち捨てられていたようです。

フロントキャリアはもちろん、ノーマルではなくサイクリング用に後付されたものです。
それ以外は、ほとんどオリジナルの部品のままのようです。

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フロントブレーキ、ヘッドパーツも腐食、サビがひどい。
キャリアは不要なので、いくらさびていても関係はありませんが。

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日東パールGタイプ(突き出しに溝入)
Gタイプは突き出しにミゾが入ったパールの上級モデル。
フォークに深く差し込まれていないので抜くことは出来そう。

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たいして深く差し込まれたシートピラーが抜けるかどうか?
サドルは太平サドルのELINAという製品。メーカー車の比較的安いモデルに
当時よく使われていました。

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エンドはシマノSFエンド、前後ともハブ辺り付近のみメッキ出し。
クレーンRDは、いわゆるⅡ型。状態は、これもひどい。

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デュラエース チェーンホイール。
歯数は52-46T。
インナーが大きいのは70年代前半頃までのロードレーサーでは普通のこと。
さて、全てのネジ、ペダルが外れるかどうか・・・

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BB回りは赤錆だらけのひどい状態でバラせるのか不安。
ワイヤーリードはシマノ純正品をバンド止め。
フレームのチェンステーブリッジがパイプではなく板式なのも
コストダウンの一貫か?
(パイプより板の方がロウ付けなど作業が簡単)

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なんとか分解が終了しました。
ここまで分解するのには、いろいろなドラマが?(笑)

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部品の状態は極めてひどい。
表面だけではなく腐食、サビが進行してしまっている部品ばかりなので
磨くよりも程度の良い中古を探した方が良いかと思われます。

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RD、BBワンを磨いてみましたが・・・
先に書いたとおり腐食、サビが進行してしまっていますから・・・
再使用することは、なんとか可能ですが見てくれは酷すぎますね。
(あえていえばRDのアルミ部分は、まあまあの状態)


さあ、分解は出来ましたがレストアできるかどうか?
あとはオーナーの情熱しだいですね!

18日に少し走ったので19日は仕事をするつもりでした。
しかし、チームの後輩から誘われて19日も山に繰り出すことにしました(笑)

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今回の目的地は愛知県と静岡県の県境の山です。
まずはMTBで宇利峠まで登り宇利林道へ。
画像は奥が宇利峠側、背中側は行き止まりになります。

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はっきりとした登山口が見つけられず、
通称、湿地と呼ばれる場所から尾根まで登ることにしました。

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なぜか、この辺りは水が染み出しています。
また、風化した?岩が、ごろごろしています。
踏み跡は、ところどころ不明瞭ながら、ずっと続いてはいますが
登山道として整備はされておらず、なかなか、手ごわいルートになっています。

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尾根に出ました。浜松側(浜名湖)の景色。

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新城側の景色。
ここから、西に進めば雨生山(うぶさん)、東に進めば金山(金山)、
に行くことができます。
我々は、まずは東の金山に向けて進むことにしました。

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金山までの尾根道は、いろいろに変化します。
それにしても今日はとんでもなく強い北西の風が吹いており尾根に出ると、
とても寒くてたまりませんでした。

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50分の表示があったルートを約25分で走破?し
金山(423.4m)に到着。
金山山頂は近くに電波?反射板があるのですが展望は、まったくありません。
先頭のK君は、ここが山頂と気が付かず通り過ぎてしまったくらいです。
この先、「東に進めば瓶割峠に至る」との表示があり興味は引かれたものの
今回は、時間の都合で、ここから引き返します。

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最初の湿地から登った尾根まで戻れば、すぐに雨生山が見えてきます。

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雨生山(313m)に到着。こちらは山頂らしくなっています。

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ここからも浜名湖側の景色が良く見えます。

このあとは、湿地ルートに戻り下山。

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宇利峠を新城市側に下り帰路に見た雨生山(中央)、金山(向かって左)。

※おわり

18日は新城市西部周辺で歴史サイクリングに行ってきました。

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うでこき山(桜渕公園)から少し西に戻り一鍬田地区(ひとくわだちく)の
摩詞戸神社へ。
摩詞戸神社は「まかごじんじゃ」と読むのだそうです。
(創建年代はあきらかではない)

摩詞戸神社周辺には摩詞戸古墳群があります。
(かつて15基の古墳が有ったらしいが現在、残るのは8基程度らしい)

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摩詞戸神社、裏山の林の中に摩詞戸古墳1号墳がありました。

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摩詞戸古墳1号墳は横穴式石室を持つ古墳時代後期の円墳(径約12.3m)だそうです。
「よい子は、ここで遊ばない」との表示はあるものの意外にも石室入り口は開口しています。
(石室入口の石組みは、しっかり残っており周辺をブロックにて補強)
入り口は、とても狭いものの何とか入れそうです。
「よい子ではない」(笑)ので石室に入ってみることにします。

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この辺りの、この時代の古墳に共通する造りの、しっかりした石室でした。

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石室内部から羨道(外側)を見たところ。
入口付近は低いものの石室内部は170cm前後の高さがあります。
両袖式の石室であることがわかります。

古墳群の他の古墳も探してみたかったものの多くは住宅近くなどに
あるようなので、あきらめました。

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最後に向かったのが新城市豊島地区の野田城跡。
中央に見える木々に、おおわれた所が野田城跡。
(画像は城跡を南側、豊川右岸から見ています)
現在の国道は野田城跡の向こう側、奥にとおります。手前には飯田線が通ります。
古道、伊那街道は手前に通っていたようです。
この城跡周辺が三河と信州を結ぶ伊那街道が通る重要な場所だったことが判ります。

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手前奥が二の丸、奥が本丸。
背後の谷には現在、お寺などがありますが、当時は小川をせき止めて堀にしていたとのこと。

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野田城の有名な話・・・
小さな野田城ですが備えが固くなかなか攻め落とせない野田城を
武田信玄は、甲州の金堀人足に穴を掘らせ水脈を切って井戸を枯らせた。
城を守る菅沼氏は水も枯れ徳川の援軍も来ない為、城を明け渡したとのこと。
井戸は、けっこう大きく直径、4mぐらいはありそうでした。

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野田城址の石碑。
右手の「のぼり」に「笛の盆」とあるのは
野田城の、もう一つの有名な話からでしょう。
それは・・・
場内の名手が吹く笛に信玄が聞き惚れ城近くまで進んだところ城内より狙撃されて
手傷を負い、それがもとで信州へ戻る間に亡くなると言う話。(諸説あり)
その時に使われた銃(と言う伝がある)は設楽原歴史資料館に展示されているとのこと。

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野田城址本丸には野田城稲荷がありました。

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三の丸、北東部。
遠景ではそれほどの高さに思えなかったかもしれませんが
城内から見てみると、かなりの高さがあり、その上、急斜面でした。
現在はは小川が流れていますが、こちらも当時は堰き止められ堀になっていたそうです。
これでは、なかなか攻められませんね。

※今回のサイクリングは、これで終わり。

18日は新城市西部周辺で歴史サイクリングに行ってきました。
クルマで豊川インター近くまで行きスタートです。

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今日はルイガノMV Cで自転車から離れる可能性があるので
バックはリクセンカウルのショルダーバック(アレグラ)装着。

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まずは新城市に隣接する豊川市東部の江島町の江島神社。
神社の創建は不明ながら拝殿右のクスノキは樹齢300年とのこと。

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新城市の桜渕公園まで走って歴史?軽登山(笑)
桜渕公園の南側にある、うでこき山(標高128m)に登ります。
県道69号線から登っていくと重川池があり、ここに自転車を置いていきます。
右にある石が登山口を示していますが・・・
登山道が画像ではほとんどわからないと思います。
この道は、とても急で通る人がほとんどいないようでした。
一般的には、まっすぐ登っていく方が無難です。

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私は登りは石碑の右の急な登山道を登り下りは緩やかだと言う左の道を選びました。
しかし、急な登りは落ち葉が多く、また落ち葉の下の岩でとても滑りやすく大変でした。
(急な道を選ぶなら落ち葉も多く滑りやすかったので下りより登りの方が安全でしょう)

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登っていくと・・・何か建物が見えてきました。
なんでしょうか?

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かつては展望台兼売店?休憩所?があったようです。
登ってきたのは建物の奥、裏手から。

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うでこき山から見た新城市市街。
奥は雁峰山。

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頂上には、なんと明治天皇の銅像がありました。
現在は林の中ですが周辺には街灯の痕跡もあり、
かつては夜間照明もあったのかもしれません。

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頂上の小さな祠。
ここ、うでこき山の名前は・・・
昔、武田信玄が、2万の軍勢の中から、うでこき(腕の立つ者)を
集め軍議を、この山で開いたことが由来とのこと。
(帰りに、もうひとつ信玄由来の場所に立ち寄りますよ)

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頂上から少し下った所に広場があり、そちらの奥には神変大菩薩がまつられていました。

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広場には錆びきった?ベンチなどもありました。
(ベンチの商品名などは判読できず)
先ほどの展望台?など、かつては新城市民などに親しまれた手軽な
遊び場的な山だったのでしょうか?
(麓の桜渕公園は桜の名所でもあるので)

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下りは緩やかな方の道を選びました。
こちらは歩きやすい雰囲気の良い道でした。

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うでこき山(桜渕公園)から少し西に戻り一鍬田地区(ひとくわだちく)の
摩詞戸神社へ。
摩詞戸神社は「まかごじんじゃ」と読むのだそうです。
(創建年代はあきらかではない)
摩詞戸神社周辺には摩詞戸古墳群があります。
(かつて15基の古墳が有ったらしいが現在、残るのは8基程度らしい)
※後編に続く

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田原市の芦ヶ池からスタート。
目的地は、あの山を越えた更に先の山。
まずは正面のあの山を越えていきます。

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未舗装ながら、しっかりした道が超えています。
(峠の名前は不明)

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これは今年の元旦、南側の「越戸の大山」から見た目的地。
山腹に、かすかに見えるのが目的地、泉福寺です。
当初は山頂に上る予定でしたが同行者が渥美郷土資料館を見学したいとのことで
時間がなくなってしまいました。(山頂は、また次の機会に)
※渥美半島、田原市の歴史に興味ある方は、ぜひ渥美郷土資料館に立ち寄りましょう。
 無料で展示が見られますし「渥美半島の文化財」というパンフレットもいただけます。

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国道259号線側から渥美郷土資料館に立ち寄り、いよいよ泉福寺に向かう山道です。
未舗装のうえ、なかなかの斜度がありますからロードレーサー系などでは無理ですね。
なお、かつては石段で登っていたようで江戸時代の石段(265段)があるそうです。

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泉福寺に到着。
743年に開山と言われる泉福寺。
2代将軍、徳川秀忠も鷹狩りの際、宿泊したと言う古刹です。
残念なことに昭和37年の火災により古い本堂、庫裏などは消失してしまい
現在の建物は新しいものです。

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本堂前の山中にある小さなお堂。
うしろに直立した岩があり四隅に柱が立てられています。
ここが信仰の対象になった、もともとの場所か?・・・

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泉福寺周辺には鎌倉、室町時代頃の中世墳墓遺跡もあります。
(現状では、何もわからず)

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それでは、山道を登ってみましょう。
駐車場の奥が登山口で入り口はとても狭かったものの、
その後は意外に道幅が広くなっていました。
地形図にも実線で書かれていますから現在は入り口を狭く
ハイキングコースにしているものの以前はクルマが入れる道だったのかもしれません。
(いずれにしてもたいした距離ではありませんが)

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ほとんど踏み後もないルートに入り「月見堂跡」に立ち寄ってみました。
泉福寺の祠があったのでしょうか?
現在はTV?アンテナが残っていました。

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月見堂跡からの景色。
中央に見えるのは神島ですね。

月見堂跡から登山道に戻ります。
ここからは道も狭くなり傾斜もきつくなります。
ここまでは。かつて何とか車が入れたのかもしれません?

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見晴岩に到着。
その名の通り素晴らしい景色が開けました。

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やや奥に見える赤白の煙突が渥美火力発電所、その奥には篠島、日間賀島、
そして知多半島が見えています。

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先ほども月見堂跡から見た神島。
右側の山の上の建物が伊良湖ビューホテル(伊良湖岬側)、神島の奥には
三重県が見えています。

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南側には元旦に登った渥美半島、最高峰の大山が見えます。
ここからハイキングコースが続いているそうですが・・・大変そう(笑)

本日は時間切れ(体力切れ)にて、これまで。

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帰りは三河湾沿いの古道の峠を抜けるルートを選んでみました。
現在は国道259号線が通っているので地元の人以外は全然知らない道でしょう。
江比間町の泉港東側の山中を抜ける旧田原街道の小峠、百々坂(どうどうざか)です。
画像は東側から西に見たところで峠の向こうには泉港周辺の三河湾が見えています。

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