コルサの毎日がヒルクライム

2014年09月

三日間の連休最終日、最後の峠に選んだのは大町東方の小さな峠たち。
北から霊松寺山、鷹狩山、南鷹狩山と三つの峰があり、
ここに小さな峠が並んでいます。
このあたりの峠は江戸時代に盛んになった善光寺参りで賑わった
峠たちのようです。

スタートは大町北東の三日町周辺。
ここから霊松寺山山麓の道(林道霊松寺山線)を登っていきます。

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すると山中に立派な鐘突き堂があります。

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道の下には立派なお寺が見えています。
お寺の探索は帰りにすることにして峠を目指します。

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林道霊松寺山線は、とても気持ちの良い道でした。

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南に見えるのが鷹狩山。

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霊松寺山+鷹狩山の鞍部を越える乗越峠(のっこし)につきました。

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乗越峠をいったん東に下り鷹狩山、南鷹狩山を回り込みながら南に進みます。
途中、道端にこんな鐘がありました・・・・クマ除けに鳴らすのか???

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信州らしい「そば」の畑。

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工事の標識が賑やかな道。
この先のどこかから分岐を辿っていくと大町に向かう峠が
山中にあるようですが。

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先ほどの道から一度分岐、山沿いに登っていきます。
峠に向かうのはこの道でしょうか?


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ここが沓掛峠(995m)のようです。
ここに峠の茶屋があったそうです。
また古い写真を見ると「沓掛の地」と書かれた
木柱も建てられていたようですが見当たりませんでした。


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沓掛峠から北に進み南鷹狩山と鷹狩山の間を越える鷹狩峠(1030m)。
右は鷹狩山に登ってしまうようです。
左は最初に越えた乗越峠方面に進み、途中の分岐から大町に下る道になります。
ここから帰路についても良いのですが、せっかくですから鷹狩山に
登っていくことにしました。


※つづく。

連休三日目の朝一番は・・・

大町市と白馬村の間にある峠が佐野坂峠です。
大町側、白馬村からどちらからでも標高差はそれほどではありません。
およそ80mぐらいというところでしょうか?
ただ、この峠は分水嶺になっているそうで北は糸魚川に流れる姉川に、
南は高瀬川から犀川になるとのこと。

また佐野坂峠は千国街道、松本街道、糸魚川街道などとも呼ばれる、
いわゆる塩の道の峠です。
標高差はそれほどではないものの冬は積雪が多く難所の峠だったようです。

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今回は白馬村からスタートしました。
佐野の集落に入り大糸線の踏切を渡ると、こんな風景。
スキー場に出てしまいました。
一瞬、正面のゲレンデを登るのかと思いましたが峠道は、ここから左に
迂回して線路沿いに続いていました。

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未舗装ですが比較的、きれいな路面で700-28Cでも問題なくトラクションを
かけていけます。

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杉木立の間には石仏が見えています。
これらは、ほとんどが江戸時代後期のものだそうで佐野坂西国三十三番観音像と
呼ばれています。

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佐野坂峠は杉木立の中の静かな峠でした。
ただ、すぐ近くまで別荘が立っています。

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南側の登り口付近。

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まもなく青木湖に出ます。
夏休み中にはキャンプやカヌー遊びでにぎやかだったのでしょうが静かでした。
冬にはスキー客でまた賑わうのでしょうか?

青木湖を一周して佐野坂峠を越えて白馬村に戻ります。

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こんな道しるべがありました。
材質はアルミのようで自転車をかたどった立派なつくりでした

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白馬村で見つけたここは・・・
春先に白馬山麓に白馬の雪形が現れることで有名な場所が見られるところでした。
それ以外にも庚申塚、長野オリンピック記念等々・・・
モニュメントも水車から風車、馬など盛りだくさん(笑)


このあとは大町東方の峠に登る為、車で少し移動します。
※つづく

信越国境周辺の峠を朝のうちに二つ登り、ここから一気に鬼無里村周辺の峠を
探索に行く為、車で移動します。

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糸魚川市から国道148号線を下りナビが指示した道は国道406号線、
白沢トンネル(通称、嶺方峠)を通るルート。

鬼無里村と白馬を行き来する峠道が、かつて、この尾根に4ルートあったとのこと。
峠道としては4ルートとも既に廃道に近い状態らしいのですが一番南の「夫婦岩越え」は
白沢トンネルの上あたりに峠道が残っているらしい。
また南から2番目の峠道、「柳沢峠」も東側のルートは何とか歩いて通れるらしい。


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天気があまり良くないせいもありますが・・・
白沢トンネルからの景色は、やはり白馬に雪が残っている時期の方が美しい?

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白沢トンネル鬼無里村側の、どこからか峠道に入るらしいのですが・・・
地形的には上の画像のどちらかから登る???
結局、夫婦岩越えはあきらめます。

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次に探したのは柳沢峠の登り口。
地形的にも、この小道で間違いないと思われます。
ただし、峠道としての機能していたのは昭和25年頃までで、
それも昭和59年の集中豪雨により白馬側の道は完全に崩壊してしまったらしい。
それでも鬼無里村側から柳沢峠までは何とか行けるとのこと。
ただ、本日は押し担ぎに入る根性はすでになく登り口(と思われる道を)を確認して撤退。

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鬼無里村の道の駅で一休みした後、連休二日目の3か所目の峠として選んだのが、この道。
虫倉山系を越える山道です。
時間は2時半くらいですが雲も厚くテンションは下がり気味。
そのうえ分岐からして寂しい(笑)
左は、この先通行止め、右が林道岩井堂峠線。

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この林道が開通した際は虫倉山系を車で越えることができるようになり
周辺の発展が期待されたとも聞きますが現在は、この林道すらあまり通る人はいないらしい。

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林道岩井堂峠線の途中にある親沢集落。
ここは昭和22年に初めて電灯が点いたというくらいの隔絶された集落。
かつては六戸の家があったというが現在はひと気がありませんでした。

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峠近くの道の様子。
どう考えてもクマの痕跡としか思えないものに遭遇したりして・・・
クマ除けの鈴を車に忘れてきてしまったので先が見えないカーブの手前では、
わざと独り言をしゃべったり、口笛を吹いたりして(笑)

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虫倉山への登山口。

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虫倉山の登山口が岩井堂峠(旧峠)の古道かもしれません。
とりあえず林道の新しい岩井堂峠を目指します。

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ここが林道岩井堂峠線の岩井堂峠と思われます。
(戸隠村と中条村の境界線)
ここから少し南に下ると峠の名前の由来になった岩井堂観音があるそうですが、
すでに気力を失っていました。
また帰りに確認するつもりだった虫倉山登山口(からの旧道、旧岩井堂峠)も同じく断念。

クマに、おびえながら鬼無里村に下り連休二日目の峠走行は、ここで終了。

※連休三日目(最終日)に続く。

朝一番で押し担ぎの大網峠に登ることができて、ほっとしました。
ここから車で移動し次の峠(二日目、二番目の峠)に向かいます。

現在の松本街道、国道148号線を少し南下、県道483号線に入ったところで
自転車を下します。

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登り始めると、こんな看板が立っていました。
色褪せて見にくいと思いますが「日本のスイス」、「巨大魚が住む神秘の湖」
と心惹かれる言葉が書かれていますが・・・

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画像でお分かりになるかどうか・・・
道は意外に傾斜がきつく、昨日の疲れもあり思いのほか苦戦します。

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分岐が現れました。
右が「日本のスイス」、巨大魚の住む「高浪の池」そして「ヒスイ峡」方面ですが、
まずは左の道で峠を目指します。

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分岐には2キロとありましたが2キロ弱で峠に到着。
(ただし、距離は短いけど勾配はきつい)

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ここが大峰峠(651m)
先ほど登った大網峠が東回りの塩の道で、ここは西回りの塩の道です。
西回りの塩の道がどこまでをいうのか私にはわかりませんが、
この峠が西回りの塩の道の標高最高地点だそうです。

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峠には大峰地蔵尊がありました。
台座には天保十三年再奏とあるそうです。

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大峰峠から南を望みます。
このまま下れば国道148号線に出てスタート地点に戻ることもできますが
この区間は険しい地形で有名な姉川渓谷で国道はトンネルと洞門ばかり。
自転車にとっては劣悪なコースなので、このまま折り返すことにします。

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登ってきた道。
(峠周辺は路面が赤く塗られていた)
途中、勾配15%の標識がありましたが、後半はもっと傾斜がきついところも
あった気がします。

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中央手前が「日本のスイス」のようです。
(別荘なのかバンガローなのか、そんな感じの建物が見える)

右側奥が姉川沿いの松本街道(千国街道)。
日本のスイスが見えたので?高浪の池も含めて訪ねるのは断念(笑)

信越国境周辺の峠は、これで終了。
ここから車を飛ばして鬼無里村周辺に移動、古道の峠(の登り口)を探索します。

※(タイトルを変えて)つづく

(例によって?記事のアップが少し空いてしまいました。)


連休二日目は早朝より峠越えです。
押し担ぎの道になることはわかっていましたが
昨日、塩の道資料館のおばちゃんにもルートを教えてもらっているので
何となく安心感があります。
まずは麓から「しろ池の森」まで登っていきます。

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ここは戸倉山登山や塩の道を歩く人たちの駐車場になっているようです。
ここからまずはしろ池まで登っていきます。

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しろ池湖畔には休憩所とトイレがありました。

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そして、ここから塩の道に入ることができます。
(戸倉山登山口にも行ける)
ここにはボッカ(歩荷ー越後と信州を往来して荷物を運ぶ人たち)の為の
ボッカ宿があったそうです。
ところが1824年、雪崩が宿を直撃、20人余りの人がなくなるという
惨事があったそうで宿の再建は行われなかったそうです。

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神秘的な雰囲気を見せる、しろ池。

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しろ池を過ぎると道は険しくなってきます。
ただ、道筋はしっかりしているので安心です。
心配なのはくまさんの出現・・・

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人の往来によって削れ谷状になった道の形を現地では「ウトウ」というそうです。

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途中、江戸時代の道しるべが。
左は「中谷街道 横川」でしょうか?
右は「松本街道 大網」とあります。
松本街道は千国街道(ちくに街道)とも呼ばれ塩の道として、ここだけではなく
現在各地で整備され残っています。

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しろ池よりさらに標高の高い位置にある「角間池」

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角間池を過ぎ峠近くの森の様子。

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そして大網峠(おあみ峠 839m)に到着。
大網峠を南に下れば峠の名前の由来になった大網宿に至ります。
気持ち的には大網宿に下って国道148号線より北上、スタート地点方面の
越後 根知谷地区までぐるっと周回したいところですが時間的、体力的には
無理(笑)諦めます。
大網峠から登ってきたルートを戻ります。

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峠道の途中からは糸魚川方面と日本海が見えます。
(ここから日本海まで直線距離12キロくらいか)
塩の道を往来したぼっか、牛方たちも、この景色にほっと一息ついたことでしょう。


押し担ぎの大網峠を早朝、順調に登ることができました。
この後、新潟県の塩の道をもう一つ、登りたいと思います。
ただ、少し距離があるので登り口までは車で移動します。


※つづく

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