コルサの毎日がヒルクライム

2014年11月

今となっては「旧型」マイティツアーと書かないといけませんが
杉野マイティツアー クランク(チェーンホイール)の話、いよいよ、今回で終わりです。

●当方の間違いなど、お気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。
もちろんの情報の御連絡大歓迎です。よろしくお願いいたします。

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些細な違い、その①
ペダル穴周辺の違い。クランク長も違うこともありますが溝の長さも微妙に違う。
右から171、165、168mm。
171と165mmの溝の長さは105ミリでほぼ一緒なのですがクランク長が6ミリも
違う為、ペダル穴付近では印象が全然違います。
また168mmでは溝の長さが他とは違い99ミリほどと6ミリ程も短くなっているのです。

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些細な違い、その②
王冠マークも時代によって微妙に大きさが違います。
(マーク最大幅部分の横幅約14ミリ→約13ミリと1ミリ程度の違いですが)
また先に書いた溝の長さだけではなく幅も1ミリ程度ですが違います。


大雑把にまとめれば・・・
裏に溝の入ったクランクはマークの幅と表の溝幅が約1ミリほど狭くなっている。
また表の溝の長さも6ミリほど短く、また幅も1ミリほど狭くなっている。


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些細な違い、その③
裏面の仕上げの違い。
画像ではほとんどわかりませんが1973年製のものはBB軸中心位置から機械加工の
跡が見受けられます。
(クランクの裏に溝のある)新しいクランクには同様の加工跡は見られません。
製作方法か製作工程に違いがあるのかもしれません。

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些細な違い、その④
前回取り上げた「ギヤ板取り付け部分の厚みの違い」の画像です。
(右から左へ171ミリ、165ミリ、168ミリになっています)
厚みの違い以外にも仕上げが右の1点と左の2点とは微妙に違います。
こちらも製作方法か製作工程に違いがあるのかもしれません。

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そうそう、今更ですが・・・
マイティツアーのギヤ板とスーパーマキシィ系のギヤ板って
共通品なんでしょうか?
同じっていう人が多いんですが中には違うっていう人もいるんですよね。

違うという話の中では・・・
①材質が違うという説。
②微妙に形状(段差部分とかの)が違うという説。
③仕上げ、表面処理が違うという説。

でも今までに40枚ぐらいのギヤ板を見比べてきましたけど明確な違いが
あまり判りません。
もちろん、表面の仕上げや細部の形状が微妙に違ったりすることは
ありましたけど、それは今回の3本のクランクにもある程度の微妙なもので、
どちらかというと製造年代の違い、経年変化の範囲と思える程度のものばかり。

たとえば
「未使用完成車についていたスーパーマキシィのギヤ板」と
「青いビニール袋に入ったギヤ板(青い袋はマイティクラスの証?)」と
比較しても・・・違いが判らない(笑)

またごく初期のギヤ板は品質が高く後期の物はスーパーマキシィと共通になる
とかいった説も・・・
はっきり言って、わかりません(笑)

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もちろん、上記の画像のようにギヤ板表面の段差部分が傾斜になって
いるものとか(中央)、サンプル画像とは傾斜の向きが裏側にあるものと
表側にあるものなど違いがあるのですが
よくわかりません。
(右はインナー系歯数に多い仕上げ。左はアウター系に歯数多い仕上げ)

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この手前(右側)のギヤ板について、どなたか情報をお持ちではないでしょうか?
デザインは、左のSUGINO刻印入りにそっくりなんですが「S-48」としか
刻印がありません。
「杉野の簡易刻印じゃないの?」
と思って詳細にパターンを比べてみると三角穴の形は微妙に違うのです。
またギヤ板の厚みも杉野製3.42mmに対してS-48刻印は3.92mmもあります。

杉野製でなかったとしたら「S」の文字から考えられるのは・・・
ストロングライト!のわけはないでしょう(笑)
サンツアー??(製造は杉野でしょうが)VXにはPCD110ミリモデルがあったはず。
でもカタログで見る限りサンツアーのフルネームが刻印されているようです。
栄やシマノでも普通、フルネームが刻印されていると思うのですが・・・
なんなんでしょうか?このギヤ板。単なる廉価版???


※「(旧)マイティツアーについて」は・・・もう少し書きたいこともあったのですが
資料などで裏付け出来ないこともあり今回で終わりとします。

※「その1」からずいぶん時間がたってしまってすみません。

今となっては「旧型」マイティツアーと書かないといけませんが、
数回にわたって杉野マイティツアー クランク(チェーンホイール)について見ています。

●当方の間違いなど、お気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。
もちろんの情報の御連絡大歓迎です。よろしくお願いいたします。



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その1でもご紹介しましたが今回のサンプル画像を再度、アップしておきます。
右から左へ171ミリ、165ミリ、168ミリになっています。

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今回のサンプルの入手状況と元箱について。
171ミリはダブルのギヤ板が付いた状態(未使用)でネットオークションで
落札しました。
箱は古いマイティコンペの大きな箱が付属していましたが当然、
元箱ではないでしょう。
(マジックインキでマイティツアーと書かれていた)

168ミリと165ミリはクランクのみ
(ギヤ板、BBなし。5ピン、クランクキャップは付属)
で元箱と思われる箱に入った状態(もちろん未使用品)でショップさんの
倉庫で見つけました。
左が168ミリが入っていた元箱、右が165ミリのクランクが入っていた
懐かしいイラストの箱。
右のイラストの方が古く左の通称、銀箱の方が新しい物です。


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箱の側面の表示を見てみましょう。
下の「イラスト箱」には「MODEL MTD」、「LENGTH 165㎜」、
上の「銀箱」には同じく「MODEL MTD」、「LENGTH 168㎜」と書かれています。

上の銀箱が、かつて「幻の?168㎜クランク」といわれたモデルの
元箱に間違いないことがわかります。

ところで、ここでみなさん疑問がわきませんか?
「MTD」って?「MT」はMIGHTY TOURの略ですが「D」は何を表しているのでしょうか?
「Dはダブルだよ」という声が聞こえてきそうですが・・・
これはクランクのみなので普通ならトリプルもダブルもないはず。
(クランクにもトリプル、ダブルの違いがある???は後で書きます。)

実は70年代のカタログにはダブルチェンホイールは「MTD」、
トリプルチェンホイールは「MTT」と二つのモデルが画像で載っています。
(これはギヤ板をセットした状態なので当たり前のことですね)
そして80年代初期と思われるカタログぐらいになるとトリプルモデルは
姿を消してしまいダブルモデルのみが「MTD」というモデル名で
載るようになっています。
余談ですがスーパーマキシィもダブルのみになりトリプルモデルは
5ピンのプロダイナミック、PXあるいは初期のMTB系モデルに
移行していったようです。


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●マイティツアー初期のダブル、トリプルは専用クランクだったのか?●

さて、元箱の表示でクランクのみの箱なのに「MTD」(マイティツアーダブル)
の表示はおかしいんじゃないの?と書きました。
ただ、同じく書いたように82年頃のカタログにはマイティツアーのトリプルは
消滅しダブルモデルのみが「MTD」と表示されているのですから、
そのクランクのみが「MTD」と表示されていても、おかしくないのではと
思われるかもしれません。
しかし、「マイティツアーのクランクにはトリプル用とダブル用それぞれに
専用モデルが用意されていた可能性があるのでは?」と私は思っています。
それが上の画像です。
右から171、165、168ミリクランクのギヤ板取り付け部分なのですが・・・
あきらかに右端の171ミリクランクのギヤ板取り付け部分が厚いのが
お分かりになるかと思います。
右から数値を書きますと5.07、3.58、3.58㎜となります。
右端のクランク(1973年製)のみが1ミリ以上厚く(ほぼ1.5㎜も)なっていることがわかります。
ちなみにシルクキャンピングについていて「トリプルギヤが組み込まれていた
スーパーマキシィは厚さ3.75mm」でMTDの元箱に入っていたマイティクランクに
近い数値となっています。


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実は、これと同じような状況を以前確認しています。
上の画像は杉野の3アームクランク、マキシィⅡのギヤ板取り付け部分。
はっきりと厚いものと薄いものがあります。
この厚い方がトリプル用で(箱にマジックペンで「T」と書いてあった)
薄い方がダブル用なのだそうです。
それを裏付けるのが次の画像。


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この画像は古いトモダさんのカタログ(No.1 1976年)にあるイラストです。
ダブル、トリプルのギヤ板の組み方が解説されています。
ダブルのインナー、トリプルのセンターギヤの向きに注目してください。
ダブルとトリプルで組む際には各々、インナー、センターのギヤ板の向きが
違うことがわかります。
「ギヤ板の厚みの中心にギヤ歯の先端が来るようには作られておらず」
中心からオフセットして作られているので「ギヤ板の向きによってギヤ歯の
先端の位置が変わる」ことになります。
これに対応してクランクのギヤ板取り付け部分の厚みがトリプルと、
ダブルで作り分けられていたということです。
クランクをダブル、トリプル2種類作るのはコストを考えると得策ではなくほかに
方法があったのでは・・・でもそうなると・・・


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マイティツアーの右クランクもダブルとトリプルと、それぞれ専用設計かも?
と考えて1976年頃のカタログの部品表を見てみます。
(上の枠がダブルMTD、下の枠がトリプルMTTの部品表)
残念ながらクランクの品番はダブルしかありませんでした。
(トリプルも同じモデルということ)


BBシャフトやギヤ板固定ボルトなどがトリプル専用というのは当たり前ですが・・・
思わぬことが。
なんとギヤ板すべてにダブルとトリプルとでは別の部品番号がついているのです。
同じギヤ板ならクランクと同じで違う品番にする必要はないはず。
ギヤ板はダブルとトリプルと別物って言うこと???
まあ、すべての歯数が別設計ということは考えられないので・・・


となるとクランクの歯数取り付け部分の厚みの違いはなぜ?
①初期モデルはダブルとトリプルがマキシィⅡと同じくクランクが別設計だった?
②初期モデルはダブルとトリプルと違いはなく取り付け部分の厚みが厚く作られていた?
謎は深まるばかり(笑)

※つづく

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八草峠(750m)に到着。
前回記事、最後の画像で思った通りの場所が峠でした。

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峠は滋賀県と岐阜県の県境になっています。

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峠には立派な八草峠の碑がありました。
右にある石碑は国道昇格を記念した石碑、昭和45年5月に国道になったこと
がわかります。
しかし登ってきた滋賀県側の様子はガードレールはなく道幅な狭く・・・
国道とはいえなかなかの難所ルートだったのですね。
(ちなみに八草トンネル完成が1999年、それでも30年弱、国道として機能)

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岐阜県側の様子。
滋賀県側にはなかったガードレールはありますが積雪のせいなのか
落石のせいなのか原形を保っていません。
(ここに限らず、ほとんど、こんな感じでした)
左端に、かすかに見えるトラ柵が不安・・・

峠で写真を撮っていると更に雨が強くなってきました。
さて、ここでどちらに下るか迷いに迷います。
無難に登ってきた滋賀県側に下るか?それとも岐阜県側に下るか?
岐阜県側も問題なく下れれば八草トンネルの、すぐ近くに下れるはずなので
帰りはトンネルをくぐって滋賀県側に戻れるはずです。
ただ、ある程度下ってから通行止めになっていたりすると・・・
雨の中、登り返す羽目に。

悩んだ末に岐阜県側に下ることにしました。

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崩落場所もありましたが岐阜県側の方が滋賀県側よりまだ道路状態は
良かったと思います。

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ここもガードレールが脱落しています。
どうやら固定ボルトが腐食してしまっているようです。
(なぜか、ほとんどの場所で同様の)

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ここの路肩も崩落していますが、もともとかなり道幅が狭かったのがわかります。

この旧道、
少し先のコーナーには逃げていくシカの群れが見え、
こちらになかなか気がつかないほど油断しきったサルの群れ、
道端の草むらからは何度もヤマドリの群れが飛び出してきて・・・
などなど、野生の王国状態でした。
(ヤマドリ=キジ科の鳥、今の時期、ジビエ料理に最高なんですよね~)

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八草トンネル岐阜県側入り口。
旧道を下ってきてトンネル入り口が見えた時は本当にホッとしました。
さあ、国道303号線八草トンネルで滋賀県側に帰りましょう。

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滋賀県側の帰路は旧道を出来るだけ選ぶことにしました。

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旧道から見上げた国道303号線バイパス(新道)

走行距離は40キロ弱でしたが荒れた旧国道を雨の中走り、かなり消耗。
今回の一泊二日サイクリングはこれまで。

8日は北国街道の峠をいくつか登りました。
さて、9日は・・・

朝のうち何とか雨が降らないうちに走れないかなぁ、と思いましたが
6時過ぎから降り出しました。
まあ、予想されていたことなのであきらめて車でスタート地点まで
移動します。

雨の為、走行距離は短縮、木之本町内まで移動して国道303号線に
車を止めスタートします。

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パーツイズミのシューズカバー。

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以前、御紹介したトーピックのフロントバックには付属のレインカバーをかぶせます。

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ヘルメットはOGKのタイムトライアル用。
画像では、わかりにくいかもしれませんが空気取り入れの
開口部がありません。
本来はタイムトライアル用として販売されていたものですが、
私は雨天、冬季用に使っています。

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雨と霧の山道を走っていきます。
国道303号線は車も少なく走りやすい。
(店、自販機などはほとんどないので注意)

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登りは整備された新道を一気に走り八草トンネルに到着。
旧道はトンネルの手前を左から右に登っています。
ここから右に曲がり旧国道を進みます。

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トンネルが出来たのは1999年のようですが旧国道はすでに廃道といって
よい状態でした。
もともと、ガードレールはなかったようで怖いところも結構あります。

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雨の中、路面も悪くつらい登りも紅葉の素敵な色に、励まされます。

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峠直下からは遠くに集落が見えます。どこの町なのでしょうか?

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尾根が見える所に出ました。
遠くに見える低いところが八草峠なら良いのですが・・・

※つづく

11月8日は北国街道の峠を、いくつか登りに行ってきました。


さて木ノ芽峠を越え期待以上に良かった湯尾峠、湯尾古峠に満足し
車を置いた板取宿近くに国道365号線を登り返します。


柴田勝家が1578年、栃ノ木峠を大改修を行って以来、人馬の往来が賑やかになり
、板取宿は北国街道(東近江路)の要の宿として発展したのだそうです。
その為、越前南端の重要な関門の地として番所も設けられていたそうです。

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板取宿には往時を偲ばせる建物がいくつか残っています。


さて、この時点で15時半過ぎ、今日はこれまで、
あとは敦賀の街に繰り出して?・・・・
と思っていたのですが地形図を見てみると・・・
国道全面通行止めの為、あきらめていた栃ノ木峠に行くルートが
目に留まりました。
それは、最初に木ノ芽峠の登る為に辿ったスキー場内の道で木ノ芽峠に
登らず、そのまま林道を行けば国道を通らず(国道の)に栃ノ木峠に行けそうです。


ただ、時間がないので木ノ芽峠近くまで車で駆け上がることにしました。
木ノ芽峠を登る際に自転車で登ったところ近くまで車で移動、
そこで自転車を下します。

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広域基幹林道 栃ノ木~山中線
走り出す時点で16時過ぎ、一日曇天だったせいか、もともと気温は
低かったのですが夕方になり、10度程度(車載温度計)と寒くなっていました。
木ノ芽峠近辺から栃ノ木峠方面はアップダウンもあるものの基本
下り基調?(100m弱栃ノ木峠の方が低い)帰りの登りが・・・
ただ、もっと怖いのはカーブを曲がった途端にクマさんがいないかということ(笑)

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今回はクマさんにもシカさんにも合わず、国道365号線に到着。
国道365号線の今庄方面(北側)を望む。

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国道に出れば、そこは栃ノ木峠(537m)、右手はスキー場でした。
北側から南側を見たところ。

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栃ノ木峠、南側から北側を見たところ。

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栃ノ木峠にあった石碑。
「淀川の源」とありますが・・・
なるほど、北に流れれば日本海でしょうが、ここから南に流れた水は
琵琶湖を経て、いずれ淀川に流れるということなんですね!

さあ、これで本日の走行は本当に終わり。
車まで戻りましょう。

せっかく、来たのですから一泊して明日も走るつもりですが明日は
朝から雨が降る予報。
当初予定していた栃ノ木峠の南の椿本峠は国道全面通行止めのようですし・・・
明日はどうする?どうなるのでしょうか?(笑)

※つづく

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