コルサの毎日がヒルクライム

2017年12月

2017年の大晦日、9時前から最後のトレーニングに出かける・・・
ところが思いのほか早い時間から雨が降り始める。
少しぐらいの雨ならと思って走り続けるが、このままでは
びしょ濡れになってしまうほど。
せっかく走りに来たのだが結局13キロ走ったところで車に戻る。

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2017年の総走行距離は9,208キロ。
2016年の骨折のリハビリに実業団時代の勢いで走り続けた
結果です。
幸い、骨折前とほぼ同等の走りは可能になりましたが・・・
残念ながら、骨折以前より強くはなれず走れば疲れるばかり(笑)

来年は良い年になるかな・・・・

※カーボンロードなのにハンドルバー上部にアシストブレーキ
 レバーが付いているのは
 骨折、膝靭帯損傷などの影響で前傾姿勢が辛い為。

年末の忙しい時ですが練習熱心?な我々はMTBで山に繰り
出しました。
ただし、さすがに、ゆっくりは出来ず午前中のみ。
今日は石巻から登って
大知波峠~湖西側林道~本坂峠旧トンネル~石巻
に戻るというコースをたどりました。
まあ、いわゆる我々の定番コースです。

距離にして24キロですがダートが13キロ程度はあります
のでMTBで遊ぶコースとしても悪くはないかというところです。

しかし、コルサ「探検隊」なのに今年、初めての山頂、
初めての林道などに一度も挑戦していない・・・(汗)

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お約束、林道からの豊橋市市街地。

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尾根林道に出ると舗装ですが乗車は出来ないほどの急傾斜に
なります。

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愛知県と静岡県の境の一つ、大知波峠に到着。

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大知波峠、右が愛知県側、左が静岡県側背後が北の本坂峠、
奥は多米峠に行くことが出来ます。
ただし、本坂峠も多米峠も尾根筋のハイキングコースなので
MTBでも乗車率はかなり低いコースになります。

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大知波峠周辺の日陰には27日に降ったものでしょうか?
わずかながらも雪が残っていました。

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大知波峠は、かつて寺院があり大知波峠廃寺跡という
国指定遺跡になっています。
浜名湖を望む、ここに寺院がかつて存在したのです。
現在は、礎石や庭の跡が発掘され残っています。
手前左の方に掘り返された跡はイノシシがミミズなどの食料を
探した痕跡と思われます。

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今回は大知波峠から静岡県側に下り中腹の林道を北進。
本坂峠旧トンネルに抜けました。

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スタートした石巻地区まで数キロのところでA氏にトラブル発生。
どうやら舗装路に出てから枝かゴミを巻き込んで、その影響で
「チェーンのピンが抜けかかる」というもの。
まともに踏めなくなってしまいました。
今回、だれもチェーン工具を持参しておらず・・・
結局、車までK隊員がA隊員をワイヤー錠をロープのようにして
引っ張ることに。
ところどころ私もA隊員のザックを押すという作戦で何とか
無事に車まで帰りつくことが出来ました

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この日、最後に訪ねたのは、やっぱり馬越長火塚古墳。
この古墳は6世紀後半と言われる全長約70mの前方後円墳。
画像は後円部から古墳を見ています。

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特に有名なのは石室の長さで現在埋められて保管
されている部分も含めると17.4mもあるのだそうです。
(画像の手前部分が埋められて保存されています)

もう一つ有名なのは金銅製の馬具が出土したこと。
古墳の大きさ、馬具などの立派な出土品から東三河一帯を
治めた「穂国の造」(ほのくにのみやつこ)の墓であると
されています。

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何度来ても圧倒される石室の立派さ。
人物との対比でかえってピンときませんが正面奥の奥壁の
岩は高さ3mを超えています。
また画像ではわずかしか写っていませんが一番奥の天井石も
巨大で奥壁と同じくらいの大きさがあると思います。

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それ以外にも大きな石材が多数使われ、大きな石材の
ほとんどは地元で産出する石灰岩のようでした。
(地元産とはいえこれだけの岩、石を運び古墳を作るのは、
 どれほどの苦労が・・・被葬者の権力が偲ばれます)

長い石室は柱のような石で区切られています。
画像の一番手前側は後室で外に向かって前室、羨道と
呼ばれています。


この馬越長火塚古墳、東三河地方においても最大の古墳では
ありませんが中央政権との強いつながりを示唆する金銅製の馬具の
出土など東海地方を代表する古墳のひとつと言っても差し
支えないでしょう。
(私の意見です・・・)
東海地方で古墳について興味をお持ちの方は、ぜひ、この
馬越長火塚古墳(石室も含めて)を見学されることをお勧めします。
(もちろん、遠い昔の人ではありますが、見学する際は、お墓という
  気持ちは忘れないでくださいね)

東海大土偶展を見学した後は友人を豊橋の古墳に案内しました。
まずは九太夫塚古墳(くだゆうづかこふん)、豊橋市の西郷小学校
の北西の方にあります。
現在は道路脇に案内板も出ています。

以前は石室入口付近が土砂でかなり埋もれていたようですが
数年前に少し取り除き整備されたようです。
遺跡地図などでは上地1号墳という味気ない?名称でよばれて
いますが最近では九太夫塚古墳と呼ばれることが多いようです。
(残念ながら名前の由来は知りませんが)
6世紀後半から7世紀にかけて作られた円墳という事です。

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友人が横穴式石室入口の天井石の立派さに見入りながら石材の
種類などを確認しているところでしょうか?

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この辺りでも特に大きな古墳ではないものの内部は広く
石材は、とても立派。
特に奥壁、天井石は巨大な石が、それ以外の石も整然と
積み上げられています。

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石室内から外を見たところ。
ここに葬られた人は、どんな人物で、どこに住んでいたので
しょうか?
また、この古墳の主の為に働いた人々のことにも思いがめぐります。

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古墳の外観。
画像の左上奥にみえるのが道路脇の案内板。
西郷小学校から北西に抜ける道の左側にあたります。
墳丘には木が茂り少し低い所に石室入口があるので道路からでは、
まず古墳に気が付きません。
訪れる場合は案内板を見つけましょう。

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2番目に訪れたのは馬越北山古墳群の一つ、宮西古墳。
6世紀後半の円墳で直径約12mとされています。

豊橋 和田辻から新城に向かう通称、柿の木街道に案内板が
出ています。
ここには鉄柵が設けられていますが石室を観察しようと思えば
なんとか入れてしまうのですが・・・
(こんなことを書くと怒られてしまいそうですが)
今回は枯草と蜘蛛の巣が多く柵の間から内部を観察するに
とどまりました。
今回、初めてだった友人は果敢にも内部に入りたそうでしたが(笑)
(宮西古墳の画像は今回これだけ・・・)

※つづく

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先日、今シーズンのコルサ探検隊が始動?したことは
ご報告しました(笑)

しかし、隊員の士気は上がらず・・・
というのは冗談で隊員の用事の関係で時間(12月24日)が取れず
今回は全舗装の蔵王山となりました。
まあ、今後のトレーニングという事で。

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東コースから山頂に登り休んでいるとチームメイトの
O氏が登ってきました。
聞けば、この日の朝、地元のショップさんによるヒルクライム
レースがあり、レースの後、更にトレーニングの為に登って
来たのだそうだ。
(何回登るねん?)

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蔵王山の北側の埋め立て地は、ほとんど太陽光発電パネルに
なってしまったようです。
対岸は蒲郡市。

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蔵王山頂上駐車場のトイレは太平洋を眺めながら用が足せる・・・

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南コースを下る途中の展望台に久しぶりに寄ってみました。
すると綺麗な池が見えました。
ここは石灰岩の採掘場なのです。

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帰りは干潟沿いの堤防道路をのんびりと。
この日は、とても暖かく風もほとんど無かった為、
本当にのんびりと。
普段なら冷たく強い北西の風で遮る物のないこの辺りでは
震えるところでしたが。

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今日のコースならロードでも良かったのですが・・・
そろそろ、MTBの生き生きとするコースに繰り出したいものです。

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