もともと、自分たちで予定していた古墳、史跡巡り
(自分たちは歴史ミーティングと呼んでます)
に発掘説明会が入ってきて毎週のように出掛けています。
それは嬉しいのですが・・・記事のアップが追い付かないという
嬉しい悲鳴状態になっています(笑)
(自分たちは歴史ミーティングと呼んでます)
に発掘説明会が入ってきて毎週のように出掛けています。
それは嬉しいのですが・・・記事のアップが追い付かないという
嬉しい悲鳴状態になっています(笑)
以前、お伝えしたように豊橋市牟呂町の坂津寺貝塚の発掘説明会(2/18)
に参加しました。
に参加しました。
説明会の後は・・・
せっかく牟呂町に行くなら周辺の遺跡を回ろうという事で
「豊橋市海浜部の重要古墳を見学」
というテーマで回ることにしました。
せっかく牟呂町に行くなら周辺の遺跡を回ろうという事で
「豊橋市海浜部の重要古墳を見学」
というテーマで回ることにしました。
これは古墳時代後期、蒲郡市から豊橋市そして田原市の海浜部に
近いところに古墳がいくつも作られていますが
(首長墳、有力古墳の変遷を表すと思われます)
その中で豊橋市海岸部の古墳を見学しようというプランです。
近いところに古墳がいくつも作られていますが
(首長墳、有力古墳の変遷を表すと思われます)
その中で豊橋市海岸部の古墳を見学しようというプランです。
まずは牟呂町の三ツ山古墳。
ここは坂津寺貝塚から目と鼻の先、歩いてちょうど良い距離です。
全長34mの前方後円墳で6世紀初め頃の築造と考えられています。
三ツ山古墳は公園として整備されており後円部には忠魂碑、前方部
には滑り台が作られています。
(画像には写っていませんが後円部頂上に大きな忠魂碑が建てられています)
ここに葬られている豪族も子供たちの声に目を細めているのでは
ないでしょうか?
次に訪れたのは同じく牟呂町の市杵嶋神社古墳。
その名前の通り現在は神社になっています。
社殿の裏側から見た市杵嶋神社古墳。
ここは古墳時代前期の前方後方墳(前方後円墳ではない)と
言われています。
墳丘のほとんどは貝塚に築かれています。
(画像で白く見えるのは、ほとんど貝塚の貝殻)
手前の社殿の下が前方部で奥が後方部のようです。
石垣や周辺には古墳の石材らしきものは見当たりませんでした。
この後、豊橋市海浜部の重要古墳というテーマなら牟呂大塚古墳
そして磯部大塚古墳を訪ねたかったのですが
牟呂大塚古墳は社殿で墳丘もほとんどわからない、
磯部大塚古墳は住宅地になって滅失している
と聞いたので今回はあきらめました。
そして磯部大塚古墳を訪ねたかったのですが
牟呂大塚古墳は社殿で墳丘もほとんどわからない、
磯部大塚古墳は住宅地になって滅失している
と聞いたので今回はあきらめました。
※その2に続く
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。
※間違いなどお気づきの点がございましたら遠慮なくご指摘ください。